くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~


2020.9.20 ガーシングトン・オペラハウス (ライブ収録OPERAVISION
出演
レオノーレ:キャサリン・ブロデリック
フロレスタン:トビー・スペンス
ロッコ:スティファン・リチャードソン
ピッツァロ:アンドリュー・フォスター=ウィリアムズ
マルツェリーネ:ガリーナ・アヴェリーナ  ほか
ガーシングトン・オペラ合唱団、フィルハーモニア管弦楽団
指揮:ダグラス・ボイド
演出:ぺータ・マムフォード

イギリス夏の音楽祭はグラインドボーンが有名だが、ガーシングトンもそれに劣らず格式高くドレス・コードがある。休憩時間には広大な領園の庭でピクニック気分の食事をとることも同じと言う。今夏はコロナで中止になったので9月に遅れてセミステージ形式で「フィデリオ」が上演された。

まずはオケが入ってきて驚いた。フィルハーモニアとあったのでそこそこの人数はいると思ったが、何と全てのパート1名で総員13名しかいない。合唱も5名であった。徹底したコロナ仕様でオケも歌手も一人一人2メートルくらいは完全に離れていた。ヨーロッパでは国によって規制が違うがイギリスは厳しい方かと思う。その中でこれが上演できる最善の形だったのだろう。

演出と言っても背後のスクリーンに映像と字幕に変わる解説がつき、モノクロの照明が多少変わるくらいであった。「フィデリオ」の内容にも相応しいし、コロナの暗い雰囲気に明かりを射すという意味でも良かったと思う。歌手は普段着のような衣装で演技はほとんどせず正面を向いて歌う。セミステージだからもちろん暗譜である。

歌手は皆ヴィブラートの少ない純粋な声で良く歌っていた。中でもレオノーレのキャサリン・ブロデリックはブリュンヒルデも歌ってるようできれいな声で力強く素晴らしい。若い人でマルツェリーネのガリーナ・アヴェリーナも同じようなきれいな声で可愛らしかった。男声ではロッコのスティファン・リチャードソンが温かい歌唱で良かった。ここで感じたことにちょっと広いサロンでオペラを聴いてる感じで歌唱が極めて鮮明に聴こえた。普通なら気にならないことが分かってしまうので歌手にとってはむしろ厳しい環境だったと想像する。

指揮のダグラス・ボイドはガーシングトン・オペラの芸術監督で情熱的であると共に歌手が歌い易い自然の流れがあって良かったと思う。フィルハーモニアの一人一人が皆上手いしアンサンブルも良く、特に管が素晴らしい音を出していた。フィナーレはとても室内オケとは思えない迫力があった。カラヤン時代の昔レコード録音で評判だったからそれがまだ生きてる感じがした。

コロナ禍でのひとつの形ではあったが、むしろ20名そこそこしか舞台に出てないので普通のオペラとは違った新鮮な感じを受けた。コロナ時代でなくとも日本の小さい劇場で上演する場合には参考にしてよいと思う。ピアノ伴奏よりは絶対に良いと思う。



2017.5.13 (ライブ収録)
出演
元帥夫人:ルネ・フレミング
オクタヴィアン:エリーナ・ガランチャ
ゾフィー:エリン・モーリー
オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
ファニナル:マルクス・ブリュック
歌手:マシュー・ポレンザーニ   ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
演出:ロバート・カーセン

MET2016~17シーズン最終公演でピーター・ゲルブが案内人として出てきた。この日はルネ・フレミングの元帥夫人とエリーナ・ガランチャのオクタヴィアン、それぞれの歌い納めの舞台になった。それ以外に歌手役として1曲歌うだけのマシュー・ポレンザーニがスーツに着替えインタビュー役を務めていた。何時もと違う特別の日になったのである。

写実的な演出ではオットー・シェンクに敵うものはないと思っていた。でもこのロバート・カーセンの演出はウィーンの華やかな香りを残しつつも今日的解釈を加味したなかなか素晴らしいものであった。舞台はワインレッドの貴族風館、当時流行を取り入れた高級邸宅、それにちょっと如何わしい遊興サロンと変わるが、いずれも壁が一面大きな絵画で埋め尽くされている。奥行きが極めて深く、中幕を使って部屋の中と外を見せるセットは良いアイデアと思った。1、2幕が動きにフォーマルなところが多く喜劇としてどうかとも思ったが、全体を観終わった時その良さが分かった。

新鮮に映ったところを列挙すると、第1に本物の大型犬が登場し豪華さに花を添えたこと。第2に解釈として新しいと思ったことに、庭に大砲が置かれファニナルが武器商人として財を成したこと。第3に制服の兵士が多数夜の街を楽しんでいるので戦争時代を想定していること。第4にフィナーレで元帥夫人がファニナルでなく兵隊長と腕を組んで出ていくこと。第5に同じくフィナーレで子役がハンカチを拾うのでなくシャンパンを降りかけて兵士が倒れるところで幕となることなど何かと想像をかきたたせて面白いと思った。全体に華やかな中に戦争の影を感じさせる舞台であった。

歌手はこれ以上望めないキャストである。歌手役にポレンザーニを充てるくらいだから察しが付く。METの大御所的アメリカン・スター、ルネ・フレミングは舞台引退が囁かれる中この公演が元帥夫人の歌い納めになるそうである。一体この役で何回舞台に立ったのだろうか。それだけに彼女の最後の名唱は人生のはかない移り変わりを感ぜずにはおかない思いであった。もうひとりの歌い納めは今絶頂期にあるエリーナ・ガランチャ。17歳の男役オクタヴィアンは本人がもう限界と感じたのであろう。観る者にとってはそれを全く感じさせない若々しさで、歌ってなくても舞台にいる限りずっと動き続けていた。最初から最後まで出ずっぱりで歌うだけでも大変なのに、その上男と女を頻繁に移り変わる役は演技にも神経を使い、スタミナ維持が相当きついと想像する。

ゾフィーのエリン・モーリーも若く素晴らしいソプラノで清純な声がゾフィーにピッタリ、三重唱でもディーヴァ二人に全く引けを取らなかった。ただ金持ちの箱入り娘ではなくしっかり者の現代っ子であった。ちょっと役柄的にどうかと思ったのはオックス男爵のギュンター・グロイスベック。風采が立派過ぎて下品な感じがあまりしなかった。しかしこれも考えようで、貴族だから風格があって当然とも言える。下品さはなくとも面白い動きはしているからひとつの演じ方とも言える。ポレンザーニはちょっと聴くだけでは如何にももったいない気がした。

ヴァイグレは構成力のあるドイツ的演奏。ドイツ人指揮者のMET登場は少ないと思う。2幕までは一寸ぎこちないところがあったが3幕は見事な演奏であった。終わり良ければ全て良しとしよう。

オットー・シェンクとは一味違う華やかな舞台でさすがはMETである。フレミングとガランチャのこの役最後の記念すべき舞台を観れたのが何より最高の思い出になる。


                                      
2020年9月 聖ルカ教会 (ライブ収録YouTube
出演
青ひげ公:ジェラルド・フィンリー
ユディット:カレン・カーギル
ロンドン交響楽団
指揮:サイモン・ラトル

今秋の来日が中止になったラトル&ロンドン響が予定されていたプログラムのひとつを日本向けに配信してくれた。演奏の前後に日本の聴衆に向けて挨拶があったし、日本語の字幕までついて特別の心配りがあった。

通常のコンサートホールでなくビデオ収録用に制作したもので、歌手は指揮者と同じくオケを前にして歌っている。すなわち指揮者と歌手の正面をオケの後ろからずっと撮っている。オペラとして珍しい映像と思う。演奏会形式で譜面は置いているが左右に設けられた階段の踊り場で演技もしていた。

「青ひげ公の城」はバルトーク唯一のオペラである。表面的には何人も妻を殺した青ひげ公を徐々に追い詰めていくようなストーリーになっている。だから普通は一貫して暗く不気味で張り詰めた演奏が多いように思う。ところがラトルの演奏はロマンティックでドラマティックな感じがして、これまでの演奏と随分違う印象を受けた。セリフの上では殺人を臭わせているだけだから、見方によっては惚れた男の過去を知りたいと思う女の心情を描いたと考えられなくもない。ラトルの演奏はそれに近かったのではと思う。

青ひげ公のジェラルド・フィンリーは何かを隠しているようなナイーブな表情が出ていたと思うし、ユディットのカレン・カーギルはギスギスしたところのない感情的な歌い方であった。つまりフィンリーは普通のカーギルはラトル流になっていたと思う。

このオペラは男女二人だけの人間心理描写だから、舞台上演にしてもあまり変わらないと思う。コンサートに取り上げるには適したオペラである。

オケはマスクをつけずソーシャル・ディスタンスを充分とっていたので、縮小した弦5部だけで通常のステージを埋めるくらいになっていた。この状態を守るとコンサートホールでは無理だから後期ロマン派以降の大編成管弦楽は当面聴けないであろう。一体何時迄待つことになるであろうか。

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