くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~


2024.3.23 アムステルダム・コンセルトヘボウ(NPO Klassiek)
出演
エミリア・マルティ:サリー・マシューズ
アルベルト・グレゴル:マグヌス・ヴィギリウス
ヤロスラフ・プルス:ボー・スコウス
コレナティー:セス・カリコ、ヴィーテック:ポール・キュリエヴィッチ
クリスティーナ:ナタリア・スクリツカ、ヤネク:リナルト・フリーリンク
ハウク・ゼンドルフ老伯爵:アーノルド・べズイエン  ほか
オランダ放送合唱団、フィルハーモニー管弦楽団
指揮:カリーナ・カネラキス
 
ヤナーチェックには9曲のオペラがあるがその中よく上演されるのは自ら台本を書いた6曲である。一応全部聴いたがその内容は暗く異常な人間関係を扱った重苦しい話がほとんどである。日本ではレアものに属するが欧州では割によく見かける。

「マクロポリス事件」はチェコの作家チャペックによる同名の戯曲をオペラ化したもの。主人公のエミリア・マルティは人間感情を失った魔性の女である。327歳と言うのは比喩で長い訴訟係争を舞台にした現代の物語と考えてもよい。告訴した方もされた方も男は彼女の魅力に篭絡されてしまう。しかし彼女は自分の意志でなく不老長寿の薬で生かされているに過ぎない。愚かなラブストーリーはどうでもよく、作者の本意はフィナーレでマルティが歌う台詞「こんなに長く生きてはいけない。・・・あなた方はなんて幸せなんでしょう」に表れていると思う。何故か植物人間になって無表情にベッドに横たわる老人を想像してしまう。

ヤナーチェックのオペラは総じてアリアらしいアリアがないが特にこの「マクロポリス事件」はほとんど全てが人が話しているようなレチタティーボである。せめてフィナーレくらいはアリアらしいところが欲しいと思う。舞台上演なら演技でカバーできるところを歌唱で表現しなくてはならないからヤナーチェックは演奏会形式には不向きと思う。その所為もあったかと思うが全般に声を張り上げ絶叫型になっていた。またカネラキスの指揮が明解なタクトで拍子のはっきりした外向的演奏。それで大きな音を出すから歌手も頑張らざるを得なくなったと思う。しかし誰も声が崩れなかったのは立派で素晴らしかった。 

個別にはマルティのサリー・マシューズが幕間休憩なしでほぼ出ずっぱり。演技がないとはいえ最後まで衰えることなく力強く歌い切った。しかしフィナーレの死ぬ場面は人間らしさを取り戻した歌い方をして欲しかったと思う。声を聴かせたい気持ちは分かるが「トリスタンとイゾルデ」のフィナーレで思うことと同じである。男声陣ではボー・スコウスとマグヌス・ヴィギリウスが年甲斐もなくマルティに溺れる役を歌って存在感があった。アーノルド・べズイエンがちょい役で歌ったのにはちょっとびっくり。その他も皆歌唱は立派であった。

演奏はパワフルで上手いと思った。しかし元々内容的に好きなオペラではないし演奏会形式では余計楽しめなかった。


2024.4.3 プロヴァンス大劇場(arte CONCERT)
曲目
シューベルト:ピアノ・ソナタ第17番ニ長調 D.850
                      第21番変ロ長調 D.960

エクサンプロヴァンス・イースター音楽祭におけるレオンスカヤのピアノ・リサイタル。彼女は2018年東京春祭で6回に亘ってシューベルトのピアノ・ソナタ連続演奏を行っている。(未完の8,10,12番を除く全18曲) ここではシューベルト晩年の超大作の中から始めと終わりを選んだヘヴィーなプログラムである。

レオンスカヤはグルジア(旧ソ連)出身でリヒテルの弟子。師匠に似て力強い男性的なところもあるが柔らかな音で温かい穏やかな演奏をする。全曲演奏するくらいだからシューベルトにはシンパシーが強いと思われる。理性的で構成力があるが私の好みの明るく軽い音で叙情的なシューベルトとは違う。悪い意味ではないがちょっと朴訥な感じがしないでもない。特に17番は最初ベートーヴェンのような感じを受けたが、耳が慣れるにつれて徐々にシューベルトらしさが濃くなったと思う。その点21番遺作の方が聴き易かった。

村上春樹はシューベルト愛好家で小説「海辺のカフカ」にも書いている。彼はシューベルトのピアノ・ソナタの中では17番が最も好きだが、同時に長く退屈で形式的にまとまりがないとも言っている。にも拘らず最愛の作品と言うからには私の聴き込みが足りない所為だろうと思う。21番の方は亡くなる2か月前の作で哀しみを誘うとてつもなく美しい曲で分かり易い。

女性ピアニストではアルゲリッチが最高齢の大御所として君臨しているが、その後にレオンスカヤ、ピリス、ケフェレック、内田光子と続く。アルゲリッチは別格的存在だが私の最も好きなのは日本人贔屓ではなく内田光子である。強弱の変化とテンポの揺れによる彼女独特の知的で洗練された叙情性。それはモーツァルトやシューベルトでは特に効果があり絶品中の絶品であると思う。



2024.3.22 エルプフィルハーモニー(
CPEバッハ・アカデミー公開 YouTube)

出演
ソプラノ:チェン・ライス
テノール:パトリック・グラール
バリトン:ミヒャエル・フォレ
CPEバッハ合唱団、チューリンゲン・バッハ・コレギウム
指揮:ハンスイェルク・アルブレヒト

 

この演奏はいつの収録か分からないが、この時期にふさわしい曲目に目が留まり初めて聴いた。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(CPEバッハ)はヨハン・セヴァスティアン・バッハ(JSバッハ)の息子。JSバッハには多くの子供がいるが音楽家として最も成功したのがCPEバッハである。父親が余りに偉大なので子供は影が薄いが生存時はむしろ息子の方が人気があったという。CPEバッハは近年見直されていて、ライプツィヒがJSバッハの聖地であるように、CPEバッハが最後の20年を過ごしたハンブルクでCPEバッハ音楽祭が昨年開かれ同時にアカデミーも併設された。

CPEバッハ合唱団は1998年創設され2006年からハンスイェルク・アルブレヒトが指揮者となり今年芸術監督に就任した。彼は昨年までカール・リヒターの後を受けミュンヘン・バッハ合唱団、管弦楽団の芸術監督であった。古楽の専門家であり現在は合唱団だけでなくCPEバッハ音楽祭、アカデミーと3つの芸術監督になっている。

チューリンゲン・バッハ・コレギウムは2018年バッハ一族の作品をピリオド楽器で再現することを目的にワイマールで創設された。指揮者は置いてないがリーダーのゲルノート・ズースムートはワイマール州立歌劇場のコンサート・マスターで、各方面のトップクラス奏者が集まっている。ワイマールはJS/CPEバッハ親子の生地であり、ゲーテ、シラーやリスト縁の地でもある。ライプツィヒから南西80キロと近い。こうしてみるとこのコンサートは指揮者、合唱、オーケストラすべてがバッハのためにある演奏家によって行われたように思える。

イエスは処刑後3日目に復活しその40日後に昇天したとある。父親JSは処刑までを受難曲にし、息子CPEはその後の復活と昇天を受け持ったことになる。受難曲はコラールが入っているので教会での演奏を、「イエスの復活と昇天」はそれがないのでコンサートでの演奏を念頭に置いたものと考えられる。確かに前者が悲しみと祈りに満ちているのに後者は喜びと勝利で対照的である。

アルブレヒトの指揮はきびきびした歌謡風で宗教的感じがしなかったけれども良いと思った。ソロ歌手は申し分なし。チェン・ライスとパトリック・グラールは明るくよく通る声で素晴らしい。この二人はコンサート主体の歌手としてよく知られているがミヒャエル・フォレはちょっと驚き。ワーグナー、R.シュトラウスを得意とし俳優並みの演技力があるオペラのヴェテランだがコンサートで歌うのは見た記憶がない。しかしバリトンにしては明るい声で表現力があるのでオーソドックスに歌ってもさすが素晴らしかった。合唱も意気があってよくハモッていた。

CPEバッハはハイドンより20歳近くモーツァルトより40歳以上年上である。3人が共に生きていた期間はあるがどんな関係にあったかは知らない。彼らの作品数を比較すると作品番号から大雑把に見て、CPEバッハはハイドンの1/4、モーツァルトの1/3で多いとは言えない。初めて聴いたCPEバッハだったが、音楽は何度も聴くと見方が変わることが多いので何とも言えないが、感覚的にこのオラトリオの第1印象は第9のようだった最後を除けば普通だったように思う。ただし演奏そのものはよくまとまり立派であった。

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