くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~


2022.2.26 フィルハーモニー・ベルリン(Digital Concert Hall)
出演
ナディーン・シエラ(ソプラノ)
オッカ・フォン・デア・ダムラウ(メゾ・ソプラノ)
ベルリン放送合唱団
グスターボ・ドゥダメル(指揮) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
曲目
マーラー:交響曲第2番ハ短調復活

ロシアのウクライナ侵略は2月24日、その翌日ペトレンコとべリリンフィルはいち早く声明を出した。26日予定の定期演奏をウクライナの犠牲者に捧げると共に、ペトレンコはプーチンを名指しで非難し侵略は平和への攻撃、芸術への攻撃であり、ウクライナの人々を全面的に支援すると明言した。こんな時にたまたまの悲しい偶然だがマーラー「復活」ほど相応しい曲目はない。

ドゥダメルはマーラー指揮者コンクールに優勝して以来マーラーの演奏には定評がある。マーラーのように誇張のある感情的音楽はこの人に向いているように思う。しかしドゥダメルの演奏は思っていたよりむしろ控え目な音であった。普通は第1、第5楽章を爆発するような迫力で鳴らす人が多いと思うが、ドゥダメルはそれよりも中間の楽章の方に一層感情が籠っていた。特にダムラウの深々とした歌唱からは心の奥底からの悲しみと祈りの気持ちが切々と伝わってきた。日本の大震災の時も演奏されたが、苦難にあえぐ人々を思うと涙なしでは聴くことが出来ない。

はじめにベルリン・フィル広報部長の言葉があり黙祷を捧げた。定期演奏会でウクライナ国歌を加えることはなかったが、ホールの壁にはウクライナ国旗が映され、合唱団の中にはウクライナのバッジを付けている人もいた。またベルリン・フィルHPの声明は青空に浮かぶフィルハーモニーの黄色の壁の写真とともに掲載されている。

ペトレンコはロシア出身でも10代で家族共々ウィーンに転居し、教育もウィーン音大、活動の場もヨーロッパでロシアとの関係はほとんどない。だから自由に意見表明が出来るがそうでない人はゲルギエフのようなプーチン派は別にしてなかなか微妙である。トゥガン・ソフィエフはトゥールーズとボリショイの音楽監督を両方とも辞任しているし、ウラジーミル・ユロフスキーはロシアの職席には触れずコンサートのプログラムを反ロを暗示するものに変更してベルリン放送響の演奏に出た。心配なのはテオドール・クルレンツィス。彼自身はギリシャ出身だが創設したムジカ・エテルナは楽員は多国籍でもロシアの楽団である。ニュースが入ってこないが気になっている。 


2022.3.8 イザール・フィルハーモニー・ミュンヘン(BR-KLASSIK)
出演
アンネ=ゾフィー・ムッター(ヴァイオリン)、ウーミル・バベシュコ(ヴィオラ)
ラハブ・シャニ指揮
バイエルン立管弦楽団ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団
曲目
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364第楽章
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調
ウクライナ国歌

キエフと姉妹都市のミュンヘンでウクライナ支援の慈善コンサートが開かれた。公演収入は全額セーヴ・ザ・チルドレンを通じてウクライナの子供たちと家族に寄付された。

推進役になったアンネ=ゾフィー・ムッターは教育に熱心でムッター財団を設立している。ソリストとして登場したヴィオラのウーミル・バベシュコはロシア出身のかってムッター財団の奨学生であった。指揮のラハブ・シャニはイスラエル出身のまだ33歳でロッテルダム・フィルの首席指揮者である。ミュンヘンの3つの楽団からなる特別編成オーケストラがベートーヴェンを演奏した。権力者プーチンに猛然と戦うウクライナの国民をナポレオンに反発したベートーヴェンになぞらえたように思った。イスラエルとウクライナも時代は大きく違っても悲劇の国であることに変わりはない。勝手な連想である。

ムッターのヴァイオリンは楽章間の変化が顕著でそれぞれ繊細さ、情緒、力強さがあり、カデンツァは技巧を見せフィナーレは力強く畳み掛けるように締めくくった。最も感動的だったのはアンコールとして差し挟まれたモーツァルトの協奏曲。これほど悲痛で感傷的な演奏を聴いたことがない。ウクライナの惨状を見たからには聴く方だけでなく演奏する方も普通の気持ちではない。演奏が終わってムッターと抱き合ったバベシュコは涙をこらえることが出来なかった。ムッターと共演の感激なんてものではない。ウクライナの悲惨な状況が脳裏に浮かぶと共に、侵略したロシアの演奏家を迎えてくれた人々の温かさに心打たれ、申し訳ない気持ちに感極まったのであろう。

ベートーヴェン5番は全くオーソドックスな演奏。棒を持たず両腕と全身を使ったシャニの指揮振りは原田慶太楼と同じスタイルである。リズムにアクセントをつけメロディーラインを美しく朗々と流す音楽スタイルまで似て、一時代前に聴き込んだ学生時代を思い出した。

すべてに気持の籠ったコンサートであった。イザール・フィルハーモニーは満席でウクライナ国歌の演奏では全員が起立していた。日本では自国の国歌でも促さないと立たない人も多いと思うし、まして他国の国歌ならどうなるかと心配になる。献金は4000万円を超えたそうである。チケット代に換算すれば平均2万円以上で、出演料は全額寄付したそうだが、それにしても随分多いと思う。因みにセーヴ・ザ・チルドレンは国連に承認されたNGOで子供を支援する人道的な団体。世界各国、ウクライナにも日本にも支社がある。



2022.2.2 ジュネーヴ大劇場(operavision)

出演
エレクトラ:インゲラ・ブリンベルク
クリテムネストラ:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
クリソテミス:サラ・ヤクビアク
エギスト:ミヒャエル・ローレンツ
オレスト:カロリー・セメレディ  ほか
ジュネーヴ大劇場合唱団、スイス・ロマンド管弦楽団
指揮:ジョナサン・ノット
演出:ウルリヒ・ラッシェ

ジュネーヴ大劇場の新制作。「エレクトラ」はギリシャ神話に基ずくが聖書に基ずく「サロメ」と同じく残酷なストーリーである。R.シュトラウスの華麗な音楽は好きだが、このオペラの舞台は両方ともあまり観たいとは思わない。だがこの公演は舞台上演でありながら演技はないも同然で、その点では嫌な気がしなかった。

舞台は鉄骨と金網で出来た巨大な塔。上部は円筒状の檻、下部は常に回転しているターンテーブルでかなりの高さと傾斜がある。ターンテーブルは中側と端側に分かれ、主役3人は中側でその他は端側で演ずる。衣装は全員黒のレオタード、全員が安全ロープをつけている。この危険な舞台ですることはターンテーブルの上を向きを変えて歩くだけで演技らしいものは何もない。もっともここでやれと言われても無理な話だと思うが。

演出の意図を考えてみるに、これは精神的に追い詰められた人間の状態を表しているのではないかと思う。人と交わらず、復讐(母親殺害)のためにすべての行動が縛られ、時間が流れてゆく。すなわち檻は閉じ込められた世界を、安全ロープは縛られた行動を、そしてターンテーブルの回転は時の流れを意味していると思われる。ここまではなかなか面白いアイデアではないかと思った。しかしその先、所詮これはコンセプトを説明してるだけで台本の具体的中身は何も言ってないと思った。台詞を聴いて想像してくれでは演奏会形式と変わらない。

歌手にはこの上なく厳しい舞台である。不安定な足場が気になるのか何となく歌唱に集中出来ていないように思えた。エレクトラのブリンベルクはブリュンヒルデも持ち役とするスウェーデン人で、迫力が凄く狂気じみた女を出ずっぱりで歌った。ただ声で演技しようとしたのか絶叫型になっていた。歌唱力で言えば、ザルツブルクで同じ母親クリテムネストラ役を演じていたバウムガルトナーが苦しい感情を出していたし、妹クリソテミスのヤクビアクも無理しない安定な歌唱で良かったと思う。R.シュトラウスのオペラはどれも女声中心で男声は脇になるから印象が薄い。ふたりとも淡々と歌っていた。素晴らしかったのはオーケストラの方で、ノット指揮のスイス・ロマンドが色彩感のある華やかな音を出し、見た目の舞台変化がない分余計際立って聴こえた。

この公演は舞台セットに目を見張るものがあった。しかしオペラとしては嫌気もしなかったがあまり良いとも思わなかった。やはり演奏会形式の方が良いと思う。


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