くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2019年09月


2019.
9.28(土)17:30 名古屋市芸術創造センター

あいちトリエンナーレ2019公募プロ

出演

木下美穂子、清水華澄、伊藤 晴、松下雅人、森雅史  ほか

名古屋音楽大学オペラ合唱団、ミュージカル・アンサンブル、オーケストラ

指揮:後藤龍伸

構成・演出:池山奈都子

 

標題に飛びついて行ったが、プログラムを見ての通り、「オペラ」ではなく「オペラティック」コンサートであった。ヴェルディとグノーのオペラ曲が聴けると思っていったから期待外れであった。

 

シェイクスピアの作品を題材にした或いはヒントを得て創られた作品は多くある。あいちトリエンナーレの今年のテーマは「情の時代」なので、シェイクスピア関連の幅広いジャンルから諸々の「情」を取り上げひとつに編集したものである。オペラのアリアと合唱、オーケストラ、ピアノ、歌曲の作品、ミュージカル・ナンバーとダンス、朗読、これらを一つの作品にしようという試みは確かに芸術の創造かもしれない。その意味でトリエンナーレに相応しい企画と思う。

 

ただそれが成功したかどうかは別問題。関係者一同の努力は多とするが、個人の率直な意見を述べさせてもらえば音楽的にごった煮の感が拭えない。個々には観て面白いところ、オケや合唱の素晴らしいところ、ソロに感動するところはあっても、ひとつにつながった感じが全くしなかった。先生に支えられた音大生の記念演奏会とみれば健闘と讃えてよいと思うが、普通のコンサートと考えれば不満が残った。

 

この日のベストは木下美穂子の<柳の歌>。デズデモナの悲しみと哀れさがにじみ出た感動の名唱であった。相手を務めたエミーリアの清水華澄も声は少ししか聴けなかったが歌ってない時の演技でも魅せた。オケも目いっぱい音を下げてきれいであった。この演奏は休憩後の最初でもあり、聴く方もオペラの世界に入る準備が整っていた。しかし間に挟まれたアリアや歌曲は明治時代の演奏会みたいで今日では浮いた感じになってしまう。切り替えの間の取り方を工夫した方がよいと思う。

 

少女像が問題になっているあいちトリエンナーレだが、この公演は舞台芸術公募作品のひとつ。オペラの分野で申請してるので狙いは新しいオペラの形を目指したものであろう。私の考えではオペラは一つのストーリーがあるものと思っているが、これはそうなのであろうか。

 

因みに名古屋芸術大学もミュージカルの分野で公演しているが内容は知らない。


名音大オペラC

 


2019.9.25(水)19:00(現地ライブ OTTAVA

出演

ルーナ伯爵:ロベルト・フロンターリ

レオノーラ:ミシェル・ブラッドリー

アズチェーナ:モニカ・ボヒネク

マンリーコ:ユシフ・エイヴァゾフ

フェランド:ソリン・コリバン  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:アルベルト・ヴェロネージ

演出:ダニエレ・アバド

 

「トロヴァトーレ」はヴェルディのオペラの中で多分一番多く観ていると思う。ストーリーは出鱈目なのに飽きもせず通うのはひとえに音楽の所為である。アリア、重唱、合唱を問わず、出てくる曲すべてが良いとは例外的と思う。その場その場で感情を思いっ切り歌えるので、歌手にとってこれ程見せ場が作れるオペラもない。

 

主役陣は比較的若手に属する人が多く、元気があってとても良かった。初めて聴いたブラッドリーが魅力的である。アメリカ人ソプラノで、ウィーン・デビューはこのレオノーラ役とのこと。ちょっと暗い感じのしかし柔らかく豊かで美しい声で、とりわけ弱音が素晴らしい。悲しい境遇のレオノーラにはよく合っていたと思う。アズチェーナ役のボヒネクがまた素晴らしい。ワーグナーも歌う強い声で端正に歌ってる感じがするが、この役にはもう少し粗野なところがあっても良いかと思う。でも歌唱は一番と思った。マンリーコ役のエイヴァゾフはネトレプコの旦那として注目されがちだが、なかなかどうして立派だと思う。明るいきれいな声でハイCも楽に歌ってるように聴こえた。3人に比べればフロンターリはベテランなので余裕があったし、コリバンの冒頭のアリアもしっかり聴衆を惹きつけた。

 

アバドの演出は先の「ドン・カルロ」の様式と完全に同じである。現代の軍隊に置き換えているが分からない話のままで読み替えは一切なし。全体にうす暗い舞台で歌手に歌わせることに最大の配慮をしている。音楽を聴くにはこれが相応しいと思う。

 

ヴェロネージの指揮は振り慣れているのか強弱の取り方が見事で歯切れがよかった。合唱もオケもレパートリー公演で手慣れたもの。

 

今シーズンに入って4作目になるが今回が一番良かった。今月はどちらかと言えばポピュラーものばかりだったが、来月は期待の聴きたいものが続く。

 

 


歌舞伎とオペラはよく似ていると言われる。それに関しては永竹由幸著「オペラと歌舞伎」(丸善)が面白い。誕生、興行、役者から個別の作品まで両者を比較した堅苦しくない読み物である。しかし単に楽しむだけの素人にとっては、似てるところは考えなくては分からないが、違うところは舞台を観てるだけで分かる。

 

確かに歌舞伎は読んで字のごとく歌と踊りと演技の芝居で、この点ではオペラも同じである。しかも不思議なことに成立年代も1600年頃で同じと言う。決定的に異なるのは、歌舞伎では役者が歌わないしオペラでは役者が踊らないことで、両者とも役者がやらないところは他の人が受け持つ。こう考えると歌舞伎は観るものオペラは聴くものと思う。但し歌舞伎の伝統は変わらず受け継がれているのに、オペラの方は次々と新しいものが出てくる。

 

観ていて一番苦になるところは歌舞伎の女形とオペラのカストラートの問題である。両方とも風紀上の理由から男が女を演ずるようになったが、その後の発展は全く別の方向を歩んだ。

 

歌舞伎の女形は玉三郎を持ち出せば一番分かりやすいが、女以上に女らしい究極の美しさを表出している。ところがオペラのカストラート(後のカウンターテナー)はバロックの一時期、乳母など女役を演ずることはあっても主体はむしろ男役が多い。モンテヴェルディの「ポッペアの戴冠」を例にとれば、カストラートが演ずるのは主としてネロ、ポッペア、オットーネなど男役の方である。つまり女性の高い声を出す技法だけが残って持て囃され、女を演ずることはなくなってしまった。その代わり逆にオペラでは女が男役、所謂ズボン役を演ずるようになった。

 

ズボン役は演技上も効果的と納得がゆく場合もある。例えば、子供(「ヘンゼルとグレーテル」のヘンゼル)、可愛らしい男(「フィガロの結婚」のケルビーノ、「ばらの騎士」のオクタヴィアン)、或いは男装した女性(「フィデリオ」のレオノーレ、「ホフマン物語」のニクラウス)などでは女性が演じても面白いと思う。しかしリアルな男となるとどうかと思う。例えば、「こうもり」のオルロフスキー公爵、「皇帝ティートの慈悲」のセスト、アンニオなど視覚的にも可笑しく見える。このことは女性の声のカストラートが皇帝とか将軍を演ずる時感ずるのと同じである。オペラ愛好家としてはオペラのひとつの技法と割り切って歌を聴いているから大きな抵抗はないものの、舞台を観る限りにおいて違和感があるのは拭えない。オペラのカストラートやズボン役は歌舞伎の女形とは全然違うように感ずる。

 

オペラは聴くもの歌舞伎は観る者と思う一つの理由でもある。

 

                                   (初稿2014/10/8 改定)

2019.9.15(日)17:30(現地ライブ OTTAVA

出演

ホフマン:ドミトリー・コルチャック(ヨセフ・カンは降板)

ミューズ/ニクラウス:ガエレ・アルキス

リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット:ルカ・ピサローニ

アンドレス/コシュニーユ /フランツ/ピティキナッチョ:ミヒャエル・ローレンツ

オランピア/アントニア/ジュリエッタ:オルガ・ペレチャッコ  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:フレデリック・シャスラン

演出:リヒャルト・ハドソン

 

オッフェンバック生誕200年になるので今年はよく聴くことになる。来月も名古屋二期会がホフマンを上演する。私のいつもの関心は3つの全く異なるタイプの役を歌うソプラノとタイトル・ロールのテノールである。

 

ホフマンは実在の作家だが、「ホフマン物語」は彼の書いた3つの小説を基にしている。そこに登場する主人公はもともと別の人だが、オッフェンバックはそれを女優が演ずる3つの役として一つの作品にした。

 

機械人形オランピア、歌手アントニア、娼婦ジュリエッタは普通3人の歌手が分担するが、オッフェンバックは本来一人に歌わせるつもりで作ったそうである。確かにホフマンを除いて他の役は皆掛け持ちである。この公演は作曲家の意図通りペレチャッコが一人で通した。

 

「椿姫」が難しいと言われるが「ホフマン物語」はその比でない。だからこの3役は普通3人の歌手が分担する。ソプラノでこの3役をずっと歌い続ける人はおらず、若手から円熟にかかる一時期に挑戦する人がいるだけと思う。ペレチャッコもそういう時期にあたるのであろう。この人ロシア人だが、一人で通すのはやはり難しいと思った。ペーザロで歌っていたそうだから転がすのは得意と思うが、声ではアントニアが見た目はジュリエッタが合っていると思った。

 

タイトル・ロールが韓国のヨセフ・カンからコルチャックに代わっていたが、これは大歓迎。この日は4日目だが初日から交代していた。日本にも来ているイケメンでロシア人にしては明るい声で好きだ。しかし後の方は良かったが全般に何か今一つ乗ってない感じを受けた。

 

それより気に入ったのはミューズとニクラウス2役を歌ったガエレ・アルキス。低い声がよく通り、身体つきもズボン役にぴったりで演技もうまい。これを観てて思ったことは、ミューズとはホフマンを想う女性で男に変装して世の誘惑から護ろうとした一途な女性ではなかったか。そう考えると主役はソプラノの3役ではなくこのニクラウスではないかと思った。

 

男声はあまり身を入れて聴いてなくて済まないが、悪役4役のピサローニも召使4役のローレンツも良かったと思う。

 

指揮のシャスランがフランスの薫りを漂わせたハイセンスな演奏で素晴らしかった。ロシア人の歌手とはあまり合うわないのかなぁ(?)

 

この舞台も暗い。会場で細かい仕草や表情が分からないのは仕方ない。しかし映像として見せるにはこれではメリット半減と思うが如何であろうか。

 

生・中継を問わずオペラを1週間に3つ観たのは海外へ行った時以来のこと。地方に住む者にとってOTTAVAのライブストリームは本当にありがたい。

 

 

2019.9.12(木)18:30 (現地ライブ OTTAVA

出演

フィリッポII世:ルネ・パーペ、ドン・カルロ:ファビオ・サルトーリ、

ロドリーゴ:サイモン・キーンリーサイド、大審問官:ドミトリー・ウリヤノフ

エリザベッタ:ディナーラ・アリエヴァ(アンニャ・ハルテロス降板)、

エボリ公女:エレーナ・ツィトコーワ ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ジョナサン・ダーリントン

演出:ダニエレ・アバド

 

ヴェルディの中で「ドン・カルロ」は好きなオペラのひとつだがちょっと特異だと思う。第1に長い。今回の一番短い4幕イタリア語版でも3時間かかる。第2にもろもろの出来事が盛り込まれ過ぎている。主題はドン・カルロとエリザベッタの恋物語と思うが、政治と宗教の社会問題から、個人感情でも恋と嫉妬だけでなく夫婦仲、不倫、友情まで様々絡ませている。それでもストーリーが分かり易いので変化があって退屈しない。

 

この公演で興味を持ったのは豪華な配役である。今回もキャンセルが出ていた。エリザベッタのアンニャ・ハルテロスが若手のディナーラ・アリエヴァに交代していた。調べたらまだ40前のボリショイ劇場のソリストとのこと。よくあることで仕方ないが、それでもこれだけ揃えば大したものだ。

 

主要6人中アリエヴァ、ツィトコーワ、ウリヤノフの3人がロシア系とあって、ロシアン・パワー炸裂の感があった。迫力は凄いが、日本人の感覚からすると演じてる人物の気持ちからずれてるのではと思うことがあった。例えば、終幕エリザベッタがカルロと別れる時も悲しい感じがあまりしないし、エボリ公女がエリザベッタに告白し詫びる時も怒ってるように聴こえてしまう。また大審問官が国王を脅迫して諫める時は宗教の権力と納得しても盲人らしくはなかった。

 

その点パーペは国王の権力だけでなく個人の怒り、つらさ、悩みがよく出ていたし、キーンリーサイドもドン・カルロの同志と国王へのスパイ(?)を上手く歌い分けていたと思う。何といっても最高はタイトル・ロールのサルトーリ。パヴァロッティみたいな体格は外見悪いが、明るい力強い声はこれぞイタリア・オペラの醍醐味と思った。

 

何だかや言ってもこれだけ揃った歌手の熱唱饗宴は滅多に聴けるものでないし、この迫力は日本人には絶対できない。多少バラバラなところもあったがレパートリー公演として小さいところは大目に見なくてはいけない。

 

アバドの演出は読み替えなし。舞台を前側と奥側に分け周りを囲んだだけ。全体に暗いがわずかな照明の変化で場面転換をする。役者の出入りの動きはあるが、歌手の細かい演技はほとんどなし。要するに余計なものを入れない音楽中心の演出で、指揮者の息子らしいと思った。

 

ヴェルディのオペラの中で私なりに3つ選ぶと、この「ドン・カルロ」に「オテロ」と「ファルスタッフ」になる。2つとも来年上演予定になっている。さすが本場ウィーンだ。

 

2019.9.7(土)19:00 (現地ライブ OTTAVA)

出演

ヴィオレッタ:エカテリーナ・シウリーナ(イリーナ・ルング降板)

アルフレード:チャールス・カストロヌーヴォ

ジェルモン:トーマス・ハンプソン  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ジャンパオロ・ビザンティ

演出:ジャン=フランソワ・シヴァディエ

 

OTTAVAのシーズン・チケットを購入したので、これから毎週ウィーン国立歌劇場の公演を観られるようになった。必ずしも全プログラムに興味があるわけではないが、この方が割安でいちいち支払う面倒もない。

 

開幕公演は「椿姫」。本場でもそうなのかと多少うんざりするが、嫌いというのではなくどうせ観るなら他のものの方がよいといったところ。定番ものを観る時の関心事は歌手が誰かと演出がどうかのふたつである。今回は美貌のソプラノ、イリーナ・ルングに釣られたと言ってよい。ところが何とキャンセル。観るまで分からなかった。すっかり興味がなくなったが、シーズン初公演でもあるので資料整理をしながら終わりまで観た。残念ながらあまり書くことがない。

 

華やかな舞台のはずなのに黒一色で暗い。道具はほとんど何もない。ヴィオレッタの衣装も黒。音楽が鳴る前からヴィオレッタは苦しそうにアンニーナに助けられ薬を飲む。外向きの華やかさを一切取り去りヴィオレッタの悲しい境遇、苦しむ心情のみに焦点を合わせた演出であった。

 

主役3人は喝采を浴びていたが特別印象に残る歌唱という程でもなかった。ただレパートリー公演でそんなに稽古はしてないのによく動いていると思う。日本のオペラ歌手が歌う域からなかなか出られないのに、本場では歌いながら自発的に演じている感じがする。伝統の差であろうか。

 

ところで日本にも悲しい椿姫の伝説がある。戦国時代土佐三原村に椿姫という美しい娘がいた。父親の国侍は同じ身分の国侍に嫁がせる約束をしていたが、一方で家老の側室に入れる画策をする。それが発覚して国侍の間で戦が起こる。娘は自分が居なければと思い、桶に入って生き埋めになり自害したという。現在ある御霊神社に椿姫は祀られている。

 

オペラの題は「La Traviata(堕落した女)」になっているが、邦訳するの当たってデュマ・フィスの原作小説「La Dame aux Camelias(椿の花を持つ婦人)」をとったのは賢明と思う。自分が犠牲になるストーリーは日本の椿姫伝説にも似て、如何にも椿の花に相応しいではないか。

 

なお蛇足だが、「椿姫の伝説」というどぶろくが三原村の地域産品として販売されている。また椿は日本原産で学名にもCamellia japonica

と日本が明記されている。


(追記 9月12日)

ウィーンに行ってらっしゃる加藤浩子さんのレポが出ていました。ルングは本番直前のキャンセルでカヴァーも帰ってしまっていた。そこでたまたまそこに居合わせたカストロヌーヴォの奥様が2年前に椿姫を歌っていたので緊急出動になったとのこと。現場の大騒動が想像できます。ルングは3日目には歌って大熱演だったそうです。

 

それと知ってはシウリーナは出来過ぎの大健闘で大喝采も納得です。



 

2019.9.8(日)14:00 横浜みなとみらいホール

上岡敏之(指揮) 新日本フィルハーモニー交響楽団

曲目

シューベルト:交響曲第4番 ハ短調D417「悲劇的」

ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調WAB107(ハース版)

 

折角新国まで来たので翌日何かコンサートがないかと探したら、上岡敏之のブルックナー7番があった。ドイツで評判だったと聞きすぐ飛びついたが、聴いてみて確かに稀有な名演で心から感動した。

 

指揮者上岡敏之を初めて聴いたのはヴェルディのレクイエムであった。心の底から湧き出てくるような音楽に共感し、以来この指揮者にずっと注目していた。プログラムだけでなく会場が行ったことのない横浜みなとみらいホールとあってこれ以上ない条件と思った。

 

プログラムの組み合わせも良かった。はじめのシューベルト4番はハ短調ということでベートーヴェン5番を連想してしまう。確かに第1楽章などベートーヴェンに似ていると思う。しかし上岡は激しい演奏をせず、迫力はあっても美しさを失わない。指揮者自身がプログラム巻頭で「歌心」を聴いてほしいと書いていたが、成程それがよく分かる演奏であった。シューベルトはベートーヴェンを尊敬し死にも立ち会った間柄だから、私の好みとしてはベートーヴェンを彷彿させるような演奏が良いと思う。けれども上岡イズムはそれを許さないのであろう。

 

さて聴きたかったブルックナー7番である。テンポが遅いとは聞いていたがチェリビダッケを超えるぐらい遅いと感じた。特に1,2楽章だけで50分近かったと思うが、感情がこもっているので長いとは感じなかった。第2楽章の美しさなど格別で言葉で表現できない程の感動を覚えた。ブルックナーと言えば普通ホールを満たす大音量が売り物と思いがちだが、上岡はむしろ逆で弱音を極端に強調する。それだけにクレッシェンドの効果が大きいが、内面から搾り出てくるような音で決して外面的でない。音を抑え、テンポゆっくりで、じわじわとくるクレッシェンドは極度に緊張を生む。神の声は天から与えられるのでなく己の心の中から生まれるみたいな精神性を感じた。終わってみたら80分くらいかかったと思うが、間違いなくこれまで聴いた最高のブルックナー7番、この1曲だけでも上京する価値があると思った。忘れがたい感動の名演であった。

 

オケも凄く頑張って終始緩まない好演であった。特に弦が素晴らしいきれいな音を出していた。シューベルトではヴァイオリンとヴィオラを立たせるという珍しい光景を見たが、ブルックナーの第2楽章も弦の美しさに心を奪われた。管特にホルンは大変だったと思うが指揮者によく応えていたと思う。

 

上岡さんは聴衆に挨拶するのに決して指揮台に上らない。指揮台は楽員のためにあるのであって、聴衆には礼を欠くと思っておられるようです。随分前に写真家の木下晃氏から聞いた話ですが、上岡さんは余分なお金を全部慈善寄付しておられるそうです。それもこれも上岡さんの人間味から出るものと思いました。

 

みなとみらいホールは素晴らしいホール。シユウボックス型で定員2000人だが、この日3階席は閉じていた。天井が高く残響が長いだけでなく響きが素直なところが特に良いと思った。正面玄関は道路側だが人の出入りはほとんどなく、裏口にあたるクインズスクエアの地下鉄連絡路を使う人が多い。写真はその入り口。

 

帰りは台風15号が関東接近とあって、新幹線も計画運休するとの情報が流れた。終演後予定を早めて早々と横浜を離れた。駅は大混雑していたがダイヤの遅れもさしてなく無事帰宅できた。


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2019.9.7(土)14:00 新国立劇場オペラパレス

出演(新国立劇場・東京二期会共催

コリンナ:砂川涼子、メリベーア夫人:中島郁子、フォルヴィル夫人:佐藤美枝子、

コルテーゼ夫人:山口佳子

騎士ベルフィオーレ中井亮一、リーベンスコフ伯爵:小堀勇介、シドニー卿:伊藤貴之、ドン・プロフォンド:久保田真澄、ドン・アルヴァーロ:須藤慎吾 ほか

藤原歌劇団合唱部/新国立劇場合唱団/二期会合唱団、東京フィルハーモニー交響楽団

指揮:園田隆一郎

演出:松本重孝

 

藤原歌劇団総力を挙げての公演、と言ってもこれが3度目だから驚かない。毎回ダブルキャストで4年前の公演(Aキャス)はテレビで観たが、今回はそれを凌ぐ素晴らしい出来栄えであった。

 

日生劇場の再演舞台を新国に乗せると小さく見えるが、音楽はそれを吹き飛ばした。大局的に男声に世代交代が進み、女声に表現力が増したと言えるのではないか。

 

コリンナの砂川は最近意識的にレパートリーを増やしているように思うが、この役は1回目から歌っている。軽い喜劇的演技はあまり得意でないようだが、歌唱の方は素晴らしかった。フォルヴィルの佐藤は前回のコリンナより派手な性格のこの役の方がずっとハマっている。メリベーアの中島は二期会所属だが、ロジーナも歌っていてロッシーニが得意のメゾ。二人の男を掛け持ちする役にしてはちょっと真面目だが、実に上手いし声がよく通る。男声で一番目立ったのはベルフィオーレの中井亮一。輝きと艶のある声が独特であるし、日本のオペラでは珍しい喜劇役者でもある。今回初めて聴いたテナー、リーベンスコフの小堀勇介は高い声にしては柔らか味があり無理せず自然に歌って素晴らしい。最も難しいテノール役にこの二人を揃えたのが一番の成果とも言える。シドニー卿の伊藤はノーブルな声が役柄にもあっていて、砂川のコリンナの声との相性も良いと思った。ドン・プロフォンドの久保田はすっかり役に溶け込んでいた。全部は書けないがソロだけでなく次々出てくる重唱もバランスがよく取れて正に大競演であった。

 

園田隆一郎の東京フィルは師匠ゼッダの時よりむしろテキパキして調子が良かったと思う。ハープやフルートのソロも美しく歌唱に花を添えていた。

 

欲を言ったら切がないが、日本のオペラ歌手は総じて真面目だから、この種のドタバタ喜劇はハメを外すような振舞いもできず得意とは言えないと思う。そういう点はあるものの、2日目だったこともありスムーズに進行しよく纏まっていた。特に歌唱が素晴らしく、邦人では今日望みうる最高のものだったと思う。


ワーグナーもよいが心底喜劇のロッシーニもまた楽しい!


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  「ランスへの旅」寄せ書きサイン

1.はじめに

明治の文豪には音楽にかかわりのある人が多い。かかわり方は様々で例えば、鴎外はオペラの台本(オルフェオ)を書いているし、露伴は妹2人が東京音楽学校の教授、藤村は同校選科に1年入学しています。逍遥も音楽劇の台本(新曲浦島)を書いています。また彼等より若いが、荷風に至ってはニューヨーク、パリなどで音楽三昧の生活を送っています。これに比べると漱石は少ない。しかし明治時代の知識人にとって西洋音楽はひとつの象徴みたいなものでしたから、漱石の作品にもピアノとかヴァイオリンという言葉は少なからず出てきます。ただ誰かがピアノを弾くとか、何処からかピアノの音が聞こえるといった程度のことで、音楽そのものに踏み込んだものはほとんどありません。その漱石にワーグナーの曲名が出てきた時は何故と不思議に思いました。このエッセイは両者の接点とその出処を探ったものです。

 

2.漱石とワーグナーの接点

ワーグナーが出てくる作品は「野分」と「それから」の2点だけです。まずはその部分だけを抜き出してみます。

 

「野分」は明治40年(1907)の作です。主人公の高柳が資産家の息子中野に誘われて行った慈善音楽会の華やかな様子が詳しく書かれています。その一部です。

 

高柳君はこんな所へ来なければよかつたと思つた。友はそんな事を知り様がない。

「もう時間だ、始まるよ」と活版に刷つた曲目を見ながら云う。

「そうか」と高柳君は器械的に眼を活版の上に落した。

一、バイオリン、セロ、ピアノ合奏とある。高柳君はセロの何者たるかを知らぬ。二、ソナタ・・・ベートーベン作とある。名前丈は心得て居る。三、アダジヨ・・・パージヤル作とある。四、と讀みかけた時拍手の音が急に梁を動かして起つた。演奏者は既に臺上に現はれて居る。

やがて三部合奏は始まつた。満場は化石したかの如く静かである。

(中略)

途端に休憩後の演奏は始まる。「四葉の苜蓿花」とか云うものである。曲の續く間は高柳君はうつらうつらと聴いてゐる。ぱちぱちと手が鳴ると熱病の人が夢から醒めた様に我に歸る。此過程を二三度繰り返して、最後の幻覚から喚び醒まされた時は、タンホイゼルのマーチで銅鑼を敲き大喇叭を吹く所であつた。

 

次に「それから」ですが、これは明治42年(1909)の作です。主人公の代助は音楽の美しい世界を経験しなければ人間の甲斐がないと自らもピアノを弾く。その代助が兄の家へ行って嫂梅子とその娘にピアノを弾いて見せる場面です。

 

「代さん、此所ん所を一寸遣つて見せて下さい」

代助は黙つて嫂と入れ替わつた。譜を見ながら、兩方の指をしばらく綺麗に働かした後、「斯うだらう」と云つて、すぐ席を離れた。

それから三十分程の間、母子して交るがはる樂器の前に坐つては、一つ所を復習してゐたが、やがて梅子が、

「もう廢しませう。彼方へ行つて、御飯でも食べませう。叔父さんもいらつしやい」と云ひながら立つた。部屋のなかはもう薄暗くなつてゐた。代助は先刻から、ピアノの音を聞いて、嫂や姪の白い手の動く様子を見て、さうして時々は例の欄間の畫を眺めて、(中略)部屋を出る時、振り返つたら、紺青の波が摧けて、白く吹き返す所丈が、暗い中に判然見えた。代助は此大濤の上に黄金色の雲の峰を一面に描かした。さうして、其雲の峰をよく見ると、素裸な女性の巨人が、髪を亂し、身を躍らして、一團となつて、暴れ狂つてゐる様に、旨く輪廓を取らした。代助はヷルキイルを雲に見立てた積りで此圖を注文したのである。彼は此雲の峰だか、又巨大な女性だか、殆ど見分けの付かない、偉な塊を腦中に髣髴して、ひそかに嬉しがつてゐた。が偖出来上がつて、壁の中に嵌め込んでみると、想像したよりは不味かつた。梅子と共に部屋を出た時は、此ヷルキイルは殆んど見えなかつた。

 

とあります。両方ともワーグナの曲に関連した記述であることに気付きます。ここまで書くにはコピーでない限り実際に見聞きしてないと不可能のように思います。漱石は一体これをどこで知ったのでしょうか。

 

3.漱石と音楽のかかわり

漱石と音楽のかかわりについては瀧井敬子「漱石が聴いたベートーヴェン」(中公新書)があります。これは明治の文豪たちと音楽についての著述であり、漱石はその一部でしかも夏目漱石と寺田寅彦をセットにして扱っています。しかしこの書籍が調べ始める上で糸口となりとても参考になりました。

 

漱石は謡の稽古をしていましたが、西洋音楽はやらなかったようです。しかし漱石の弟子でもありヴァイオリンを弾く寺田寅彦(物理学者)の誘いで時々音楽会に足を運んでいます。また娘にはピアノを購入したり音楽会に連れて行ったりしていますから関心はあったのでしょう。寅彦の日記には「夏目先生を誘い上野音楽学校の演奏会に行く」としばしば出てきます。上野音楽学校とは東京音楽学校(今の東京芸術大学の前身)ですから、まずは「東京芸術大学百年史 演奏会編」によって、2つの作品が発表される以前すなわち明治42年(1909年)以前のプログラムを見てみました。

 

4.「野分」の演奏会の出処

はじめに「タンホイゼルのマーチ」ですが、「野分」発表(明治40年)以前に東京音楽学校でタンホイザーが演奏された記録は2回あります。最初は明治36年12月5,6日の定期演奏会です。その日のプログラムには最後に「管弦合奏、合唱 聖壽無窮(タンホイゼル行進曲)」とあります。2幕の入場行進曲に日本の歌詞(鳥居忱作詩 天子は永遠なり)を付けたものでしょう。もう一回は同じ曲が明治37年10月29,30日学友会恤兵(じゅんぺい)音楽会で演奏されています。(プログラム巻末写真1) 当時日露戦争の最中でしたから兵隊の義捐金を集めるために開かれたものです。小説に出てくる慈善音楽会とはこれを指していると思われます。会場の雰囲気は「奏楽堂に入り切れないほどの大盛況、着飾った令嬢や高襟男(ハイカラ)ばかり目立つ、音楽が最高潮に達した時には情激し血沸き三軍堂に大森林を進むの趣があった」と百年史には新聞雑誌の記事も紹介してます。これを見ると「野分」に書かれてる情景とよく符合しています。ただタンホイザー以外の曲がその日のプログラムと全く違います。またこの日演奏会に行ったという記録もありません。漱石は明治34年11月13日を最後にその後明治42年3月28日まで日記を書いていませんし、書簡や寅彦の日記にも出てきません。

 

次に東京音楽学校から離れてみます。当時の演奏会は東京音楽学校の他に、音楽家有志と学生が組織した同好団体による明治音楽会とか、陸・海軍の軍楽隊による日比谷公園の野外演奏会などがありました。そのプログラムの記録が「日本の洋楽百年史」の資料(新聞雑誌記事の集成)として残っています。それによりますと明治39年10月28日、明治音楽会のプログラムにタンホイザー以外の他の曲目が全部載っています。(巻末の写真2) しかもこの日は寅彦の日記に「夏目先生と上野音楽学校なる明治音楽会へ行く」とあります。ただこちらの音楽会にはタンホイザーの演奏がありません。

 

このことから漱石は2年の間隔があるものの、二つの演奏会から曲目を取捨選択して一つに結合し創作したと考えられます。これは歴史ではなく小説ですからよくあることと思います。

 

ここからは推測になりますが漱石は恐らく明治37年の恤兵音楽会にも出掛けタンホイザーを聴いていると思われます。それは音楽に詳しくないのに楽器の名前が出てくるからです。オーケストラの編成は正規でなかったと思いますが、「銅鑼を敲き大喇叭を吹く」という表現は実際に聴いていないと不可能です。また漱石は他の作品でも、情景描写を自身の目で見た上で書いていますから、この音楽会の特異な雰囲気の書き方もその場で体験したことを思わせます。

 

以上「野分」の方の音楽会は、明治37年の恤兵音楽会と2年後の寅彦と聴いた明治音楽会が基になっているというのが結論です。

 

5.「それから」のワルキューレの画の出処

一方ワルキューレに至ってはどこにも全く記載がありません。明治42年以前の演奏会で芸大史にワーグナーが登場するのは5回ですが、前記以外ではタンホイザーの歌合戦入場行進曲、ローエングリン前奏曲、カイザー行進曲の名があるだけです。また陸軍軍楽隊が日比谷公園で幽霊船(さまよえるオランダ人)や神タソガレ(神々のたそがれ)などの一節を演奏した記録は残っていますが、いずれにせよワルキューレは出てきません。当時は管弦楽の演奏がようやく出来るようになった頃ですから、これだけでもむしろ驚きでかなり背伸びしていたと思われます。ならばこれはワーグナーと無関係ではないか。しかしたとえ漱石が聴いていなかったとしても、音楽好きの代助が描かせたとある以上、ここはワーグナーと関係ありとみるのが自然だと思います。以下推論を進めます。

 

(1)留学中の漱石

では留学中はどうでしょうか。漱石は1900年(明33)10月から1902年(明35)12月までロンドンに留学しています。 したがって勉強の合間に音楽を聴く機会はあったと思われます。実際に帰国後「英国現今の劇況」と題した講演を行っていて、その記録が雑誌に投稿されています。そこには

 

今いったカべ(エに濁点)ント・ガアデン座ですが、これは純然たる芝居と言うよりも、寧ろオペラやファンシイ、ボールなどを演る処です。(「歌舞伎」明37./1、8/1)

 

とあって、劇場の様子全般を細かに説明しています。例えば、劇場にはマネージング・デレクター、ステージ・マネジャア、ミウジカル・デレクターがいること、席料がボックスからガレリイといくつかのランクに分かれていること、上等な見物人は皆燕尾服や肩を出した礼服を着ていること、幕の合間には酒とか珈琲を飲むこと、見物人は大変静粛なこと、ガレリイから舞台を見下ろすと山の上から谷底を見たようなこと、ガレリイ席への入り方等々、実に事細かに説明し、観るならガレリイが一番好いと言っています。こうして見ると当然ロイヤル・オペラ・ハウスの体験談と思ってしまいますが、漱石がオペラを観たという記録はありません。

 

漱石が訪れたのはコヴェント・ガーデンにあるHer Majesty’s Theatreで今のRoyal Opera House,Covent Gardenにつながる劇場でした。(現在ふたつの劇場) ただし漱石が留学した時はオペラをやらなくなった直後のことで、シェイクスピアなど演劇や後にミュージカルの劇場になっていました。(オペラ座の怪人で有名) ここで漱石はシェイクスピアの「12夜」を観ていますが、売り切れでガレリイで見たと日記にあります。(明34.2.23) その数年前に立て替えたばかりだったのでさぞかし綺麗だったでしょう。芝居は勉強の内だからかなり観たようで、他にもTheatre Royal,Drury Lainの体験はショックだったようです。このドルアリ・レイン劇場は派手な仕掛けのスペクタルを売り物にした大きな劇場(3000人収容)で、漱石はここでSleeping Beauty(漱石全集の注によれば実際はSleeping Beauty and the Beast 美女と野獣)を観て驚いています。日記には

 

生レテ始メテカカル華美ナル者ヲ見タリ(明34.3.7)

 

と書き、鏡子夫人宛ての手紙(3.8)にも舞台の様子を詳しく知らせています。前記の講演はこのような体験を踏まえて話していると思われます。ところがオペラやコンサートに行った記録は殆どなく、唯ひとつ寅彦宛てに

 

明日の晩は当地で有名なP attyという女の歌を「アルバート・ホール」へききに行く積り小生に音楽抔はちとも分らんが話の種故此高名なうたひ手の妙音一寸聴く様と思ふ(明34.11.20)

 

と書き送った一通があるだけです。パッティは当時のイタリア人ソプラノです。

 

どうせ話の種ならオペラも観ておけばよかったのにと思ってしまいます。ロイヤル・オペラ・ハウスのウェブサイト(Performance Database)によれば、漱石の滞在期間中にワーグナーの主要作品は全部上演されていますからその気になれば観ることが出来たはずです。他の劇場へはロンドン到着後の半年で10回も足を運んでいますからやはりオペラには関心がなかったと思われます。貧乏留学生で生活費の外はほとんど本の購入に当てていたこともあるかもしれません。ならばどうしてワーグナーを知ったのか興味が湧きます。

 

「それから」に出てくるワルキューレの描写は「野分」の演奏会のように具体的でなく、元々頭の中でイメージを膨らませた抽象的なものです。これならたとえ実際に視聴しなくとも人から聞いたり書物から知って書ける類です。逆に仮に「ワルキューレ」第3幕の騎行を聴いていたとするならば書かれているような連想をしても可笑しくないと思います。そうなるとこの後半のエッセイは面白くなくなりますが。

 

(2)明治の文豪とオペラ

明治時代は西洋文明を闇雲に吸収していた時代ですから留学者が多く派遣されています。当然実務分野が多いのですが、それでも明治30年代に入ると文豪たちが自費渡航を含めて次々と海外に出るようになります。鴎外は軍医として明治17年僅か22歳でドイツに渡っていますが、これは例外的で多くは30歳を過ぎてからです。漱石は年齢でなく年時で言えば早い方で明治33年9月にイギリスに出発しています。その後土井晩翠、島村抱月が同じイギリスに渡り、明治35年後半の約半年は3人ともロンドンに居ました。後で述べるワーグナー・ブームの火付け役になった宗教学者、姉崎嘲風もその時期ドイツからロンドンに来ていたのでそれを含めれば4人が揃っていたことになります。荷風は父親の命令で明治36年(24歳)アメリカとフランスに行き、上田敏もかなり遅れて明治41年に両国に留学しています。これらの人たちは多かれ少なかれ現地でワーグナーの楽劇に接しています。漱石はもし交流が深ければこの人たちからワーグナーの話も聞けたはずです。しかしロンドンでは神経衰弱で部屋に閉じこもることが多かったし、帰朝してからも寅彦などの仲間内で懇談するような関係ではなかったようです。ならば残るは書物で知るしかありません。

 

(3)明治のワーグナー・ブーム

ワーグナーの楽劇がフルで演奏されたのは戦後のことですから、明治時代は序曲など極一部しかも不完全な編成での演奏しか出来ませんでした。ワーグナーを完全な形で聴いた最初の日本人は恐らくドイツ留学中の鴎外と思われます。その後明治34年嘲風がベルリンで「ニーベルングの指環」を観るまで約13年間ワーグナーを聴いた日本人は記録になさそうです。(多分演奏家幸田延を除いて)

 

竹中 亨「明治のワーグナー・ブーム」によれば明治の音楽界は活字で感動するワーグナー聴かずのワーグナー・ブームであったと言います。その発端は明治29年鴎外と敏の間で繰り広げられたワーグナー論争です。鴎外は現地の劇場に何度も足を運んだのに対して、敏はその時まだ完全なオペラを観たことがありません。10代から音楽学校の演奏を聴き批評まで書いているとは言え、音楽を聴かずして音楽の議論に挑むのは如何にも乱暴な話です。その5年程後、上に記した嘲風の高山樗牛への私信が雑誌「太陽」に3回にわたって掲載され、これがセンセーションを巻き起こしました。自ら観た楽劇の感想を「全身栗して身の世にあるを忘れし」と感動して伝えていますが、音楽にはあまり触れていません。「ニーベルングの指環」と「タンホイザー」の物語で表されたワーグナーの思想をショウペンハウワとニーチェとの関連において論じた極めて哲学的なものです。この内容について記すことは私の能力を超えるところです。これに関しては中村洪介「日本人のワーグナー受容」に詳しく述べられています。ただここで言いたいのは漱石もこの種の議論を読んでいたであろうことです。漱石は「批評家の立場」と題して、

 

「タンホイゼル」を例に挙げて参考にこんなのもあるといふのは差支えない、けれども斯うなくては面白くないといふ語勢が見えては余り窄め過ぎた遣り方だ。(明治38年5月「新潮」)

 

と書いています。

 

(4)「ニーベルングの指環」の紹介記事

ここからは漱石がワルキューレについて連想できるような記述があるかどうか、「ニーベルングの指環」の内容がどう紹介されているかに止めます。

 

まず嘲風ですが、前述の私信「高山樗牛に答ふるの書」には

 

ニーベルンゲンの第一曲「ラインの黄金」にて、ラインの河底水碧く岩峨々たる間に、悪精アルベリヒがライン龍女の黄金を奪て愛を咒咀する陰鬱凄凉の場より、最後の曲に女主人公ブリュンヒルデが恋人ジークフリードの馬に乗り、其死の跡を追って火葬の猛火に投ずる最後の歌の所謂る「愛の全能の譜」が、総二世繋累慾望紛争を絶して、真の恋、我を棄て慾を抛ちたる真の愛が一切を融和し去る森嚴の終に至るまで、総て是れ人の精神の奥には絶対の力なり、絶対の合一根底あるを描き出して餘蘊あるなし(明治35年2-3月 「太陽」)

 

とあります。最初と最後だけで真中がポカンと空いています。僅か400字足らずのあらすじというより内容を極めて短く表しただけです。今日では絶対書けない名文ですが、ワルキューレの場面を想像させるには至りません。

 

抱月は劇場コンサートに通いつめオペラでも「ワリキューレ」や「神々のたそがれ」を含めかなり観ています。ワーグナー関連の書籍を買い込み逍遥に送った記録がありますが(渡英滞英日記)、自らワーグナーについて書いたものは見つかりませんでした。

 

荷風が観たオペラの数は上記二人の比でなく知識も音楽学者のように広い。「オペラをして最高の芸術たらしめたのは即ちワグネルである」と認めながらも、その思想哲学より愛欲の方に親しみを感じています。小説「あめりか物語」「ふらんす物語」の中にもオペラのことが出てくるほか、「西遊日誌抄」や雑誌記事などにも残っています。抱月と同じく「ワルキューレ」「神々のたそがれ」も観ていますが、「タンホイザー」「トリスタンとイゾルデ」のようには興味を示していません。「ワルキューレ」に関しても「ふらんす物語」の「舞姫」に「ワルキューレの夜には舞踏なければ、われは徒に、ソプラノの姿より数多き女戦士の一人一人を見まもりぬ。」とある程度です。荷風は当時リヨン・オペラ座のバレリーナに惚れ込んでいました。

 

それ以外にも嘲風より早い時期、オペラを観てもいない敏がワーグナーについて書いています。「ワグネルの楽劇」の中で「ニーベルングの指環」にも触れています。しかし「ラインの黄金」はかなり詳しく説明していますが、肝心の3作については

 

これより黄金の崇は全曲の骨子となって、悲壮の葛藤を生じ、主神ヴオタン(ヲに濁点)、其妻フリッカ、智神エルダ、英雄ジイグムント、ジイグフリイト等の物語を以てワグネルの世界観は歌われたり。(明治33年6月「文界」)

 

と書いているだけでブリュンヒルデの名前さえ出て来ません。また啄木も嘲風の書簡に感化され、ワーグナーの全貌を書こうと意気込みましたが結局序論のところで終わっています。

 

以上でわかるように漱石は文豪たちの記事にヒントを得てワルキューレを想像したとは考えられません。無理に考えればワルキューレをラインの乙女と同じに扱ったということですが漱石はそういうことはしないように思います。

 

丸善が洋書目録を刊行したのは明治13年ですから、ワーグナーに関する書籍は渡航者が持ち帰るだけでなく、直接取り寄せることもできたはずです。もう一度最初に戻って「それから」の文章を注意してみますと、そこにはいくつかのキーワードがあります。「大濤」「雲の峰」「素裸な女性の巨人」「暴れ狂う」、これらは「ワルキューレ」の台本を読んだとしてもそれだけでは出てこない、少なくとも大濤とか素裸というのは思いつかないと思います。今日の無茶苦茶な読み替え演出をする時代とは違います。

 

(5)ニーベルング伝説

「ニーベルングの指環」が中世北欧伝説に基ずくことはよく知られています。正確に言えば、中世初め(5~6世紀)の神話伝説を作者は不明だが13世紀にまとめられたものが一般に読まれています。ひとつはドイツ、他の一つは北欧で編纂され、両者は極めて似た内容を持っています。ドイツではジークフリートの英雄物語としてストーリー性のある「ニーベルンゲンの歌」となり、一方北欧(ノルウェイ、アイスランド)では前者程の一貫性はなくむしろそのまま集成した「エッダ」とか「サガ」になっています。また後者には前者にない神々やらワルキューレの話も含まれています。ワーグナーは北欧の「エッダ」の方に重きを置いていますが、「ニーベルンゲンの歌」にも影響されています。それが証拠にジークムントとジークリンデの息子がジークフリートと「ワルキューレ」の中でも「ニーベルンゲンの歌」と同じようにその名前を使っています。さらに石川栄作「<ニーベルングの歌>を読む」によれば、ワーグナーと同時代の作家が何人も「ニーベルンゲンの歌」をベースに戯曲を書いています。例えばフケー「大蛇殺しのジークフリート」もそのひとつで、内容が「ニーベルングの指環」と極めて似ているだけでなく、ワーグナーの指環4部作で「ジークフリート」を先に書いていることもそれを意識してのことと想像させます。

 

話を本筋に戻して、「エッダ」では宇宙から生まれた最初の生命体が神ユミルで巨人であったとしています。その血統を引く主神オーディン(ウォータン)の娘がヴァルキューレ(ワルキューレ)ですから巨人であっても不自然ではありません。彼女らは戦場で死んだ英雄たちをヴァルハル城(ワルハラ城)へ運ぶ勇ましい女戦士ですが、「エッダ」では男に言い寄る美麗の女としても登場します。例えば下記のようです。

 

「フンディング殺しのヘルギの歌」には

 

スヴァリンの高地を支配する勢いさかんな王にグラーンマルという者がいた。息子が多く、長男はヘドブロット、次男はグドムント、三男はスタルカドといった。ヘドブロットは、王の会議に出かけて、ヘグニの娘シグルーンを妻とすることにきめた。しかし、シグルーンはそれを知ると、仲間のヴァルキューレたちと、ヘルギをさがしに駒を空や海に進めた。ヘルギはロギ山でフンディングの息子たちと戦いをまじえたあとであった。(中略)ヘルギは戦いつかれて鷲岩のかげに休んでいた。シグルーンはそこへ来ると彼の頸にとびついて接吻し、ことの次第を物語った。

シグルーンは王が上機嫌なのを見てとった。ヘルギの手をとってくちづけし、身をよろった勇士に挨拶をした。ヘルギの心はシグルーンに惹かれた。

ヘグニの娘は心をかくさず、ヘルギの愛を求めた。その姿を見る前から、ジグムントの子をしたっていたのである。(中略)

ヘルギは軍船を集め、フレカステインめざして出帆したが、海上で大暴風雨におそわれた。空には稲妻が走り、船にも落雷があった。その時、空中に九人のヴァルキューレが馬を進めてくるのが見られ、シグルーンの姿もあった。嵐はしずまり、兵たちは無事に上陸した。

 

また「ヴェルンドの歌」にも

 

フィン族の王に三人の息子がいて、一人はスラグフィド、もう一人はエギル、三番目はヴェルンドとよばれていた。彼らはスキーを使ってけものを追って歩き、狼谷に来てそこに家をたてた。そばに池があって、狼池といった。ある朝早く、彼らはその岸辺で亜麻を織っている三人の女を見かけた。彼女たちはヴァルキューレであった。(中略)

その一人、世にも美しき乙女は、かがやく腕にエギルを抱いた。二番目のスヴァンフヴィートは白鳥の羽根をまとって、スラグフィドを抱き、その妹の三番目の乙女は、ヴェルンドの白い頸に手をまわした。

彼女たちは七冬のあいだ家にいたが、八冬めには心がさわぎ、九冬めになるともうたまらず、暗い森めざして飛び立った。

 

この二つの引用文をはじめに記した「それから」のヷルキイル(ワルキューレ)描写文と読み比べてみるとよく分かると思います。北欧ヴァイキングの国とは切っても切れない荒れる海の大波、神々の血を引く巨人ワルキューレたちの勇ましさと悩ましい女らしさの両面も「エッダ」によって納得の説明がつきます。漱石は「エッダ」を読んで部屋の欄間の画をイメージしたに違いないと思います。漱石がはたして「エッダ」を読んだかどうかは分かりません。しかし蔵書一覧を見ると(東北大学附属図書館漱石文庫データベース)下記のものがありました。

Volsuga saga

the story of Volsunga and Niblungs,w.certain songs from the Delder Edda

Scott library

tr. By E.Magnusson & W.Morris, ed. By H.H.Spar

内容を確認していませんが、ひょっとしたら裏付けがとれるかもしれません。

 

6.おわりに

以上長々と書いてきましたが結論として漱石「野分」の演奏会は実際に聴いた体験から、また「それから」のワルキューレの画はワーグナー作品の基になった「エッダ」から想像したものと考えられます。これが事実を踏まえて推測した結論です。

 

2016年12月9日が漱石没後100年です。それを機に漱石の小説をもう一度全部読み返してみました。と同時に「漱石が聴いたベートーヴェン」に刺激され、音楽をどこまで聴いたか突っ込んでみようと思いました。それが始まりでこのような書き物になった次第です。この程度のことなら誰でも最初に思いつく常識的内容かもしれません。調査としてもまだまだ足りないと思っています。しかし漱石とワーグナーの愛好者として両者を結び付ける意図をもって追い駆けたことに自己満足しています。これは論文でなくエッセイと言った所以です。お読みいただきました方々に感謝申し上げるとともに、もしお気づきの点をお教えいただければ筆者としてそれ以上の喜びはありません。

 

             (2017.2.28初稿、 2019.9.1改訂)




(写真)

漱石文献




 

(参考文献)

1  漱石全集 岩波書店

2  寺田寅彦全集 岩波書店

3  漱石が聴いたベートーヴェン 音楽に魅せられた文豪たち 瀧井敬子 中公新書

4  東京芸術大学百年史 演奏会編 第1巻 音楽之友社

5  日本の洋楽百年史 井上武士監修 秋山龍英編著 第一法規

6  音楽明治百年史 堀内敬三 音楽之友社

7  明治のワーグナー・ブーム 近代日本の音楽移転 竹中 亨 中公叢書

8  西洋の音、日本の耳 近代日本文学と西洋音楽 中村洪介

9  日本人のワーグナー受容 その歴史的展開(上)(下) 中村洪介 

   年刊ワーグナー1989 1990 

10 日欧・日亜比較演劇総合研究プロジェクト成果報告書 早稲田大学演劇博物館 

   明治・大正時代の音楽雑誌とオペラ受容 森佳子 (Web)

11 明治文化史9 音楽演芸編 洋々社

12 ロンドンの夏目漱石 出口保夫 河出書房

13 中央大学宇佐美毅研究室HP 「漱石とロンドン」 2006年11月

14 近代作家追悼文集成(5)夏目漱石 ゆまに書房

15 滝廉太郎 小長久子 吉川弘分館

16 明治文学全集40 姊崎嘲風集(高山樗牛宛書簡) 筑摩書房

17 明治文学全集43 島村抱月集(渡英滞英日記) 筑摩書房

18 定本上田敏全集第3巻(「ワグネルの楽劇」)教育出版センター

19 石川啄木全集第4巻 評論・感想(ワグネルの思想)筑摩書房 

20 荷風全集第4巻 あめりか物語 西遊日誌抄 岩波書店

21  荷風全集第5巻 ふらんす物語 附録 岩波書店

22 抱月のベル・エポック 明治文学者と新世紀ヨーロッパ 岩佐壮四郎 大修館書店

23 近代浪漫派文庫⑫ 土井晩翠 上田敏 新学社

24 ちくま文庫 中世文学全集Ⅲ エッダ グレティルのサガ 松谷健二訳 筑摩書房

25  ちくま文庫 ニーベルンゲンの歌 前後編 石川栄作訳 筑摩書房

26 講談社学術文庫 「ニーベルンゲンの歌」を読む 石川栄作 講談社

 

 

 



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