くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2019年12月

 

2019.12.18(水)19:00 (現地ライブ OTTAVA

出演

オルランド:ケイト・リンジー

ナレーター:アンナ・クレメンティ

天使:エリック・ジュレナス

女王/〈純潔〉/オルランドの子どもの友達:コンスタンス・ハウマン

サーシャ/〈貞節〉:アグネタ・アイヒェンホルツ

シェルマーダイン/グリーン:リー・メルローズ

オルランドの子ども:ジャスティン・ヴィヴィアン・ボ

ウィーン国立歌劇場管弦楽団

指揮:マティウス・ピンチャー

演出:ポリー・グラハム

 

世界初演の現代オペラ。ノイヴィルトはオーストリアの女性作曲家で、作品は19世紀のイギリス女流作家ヴァージニア・ウルフの小説「オーランド」に基づく。ウルフは読んだことないがフェミニズムとかトランスジェンダーに関心が強く、彼女自身も一時期同性愛者だったという。台本はノイヴィルトとアメリカの女流劇作家カトリーヌ・フィユーによるが、フィユーもまたLGBTを題材にした戯曲を書いている。こうしてみるとオペラの内容も少しは想像できると思う。

 

ストーリーは16世紀から20世紀の長い時代を生きた架空のイギリス詩人オルランドが主人公だが、中身はかなりごちゃごちゃしている。一言でいえば、途中女性に生まれ変わって結婚出産するのだが、その間の身辺の出来事を世界史の中で描いた作品と言ったらよいであろうか。その中心をなすのはLGBTのことで、美少年のオルランドが女王に寵愛されたり、女性に生まれ変わったり、ゲイの大公につきまとわれたり、その後バイセクシャル同志で結婚して、産んだ子供がノンバイナリーとかとにかく目まぐるしい。一方詩人としては売れない万年文士で、やっと巡り合った出版社からはディジタル時代はシンプルでないとダメと皮肉られ(まるでこのオペラのことを言ってるみたいで笑ってしまう)、それが突如として文学賞を受賞する。いちいち覚えてはいないがまあ諸々の社会批判が盛り込まれていて、要するに最後は希望をもって一人一人生きたいように生きようということらしい。(ここでも人間ファーストと叫んで笑ってしまう)

 

テーマには共感できないが、音楽と舞台は極めて面白い。だがこれがオペラかと首を傾げてしまう。第一に歌わない長い語りが進行を仕切る。歌手にも台詞があるから歌はむしろ少ない。第二に野外でもないのにマイクをつけている。かと言って演劇ともミュージカルとも違うようだし、ウィーン国立歌劇場が認めたわけだから新しいオペラなのであろう。

 

クラシックの現代音楽は一般に聴き難い感じがするがこれはそうではない。聴いたことのあるクラシックのメロディーが出てきたり、ジャズドラムが盛んに活躍する。電子楽器が多く使われるのも特徴で、音楽というよりむしろ劇の効果音みたいにガンガン響き渡る。聴いてて飽きることはなくエンタテイメントとして面白いと思った。歌手は最近よく目にするようななったケイト・リンジーしか知らないが、こういう新しい試みは若い人でないとやらないと思う。

 

舞台も極めて美しい。注目はコム・デ・ギャルソンの衣装。ファッションショウを見ているかと錯覚するほど形も色彩も新鮮で面白かった。こんなにも多く新調するには相当費用が嵩むのではないか。もう一つは映像の多用。分割されたパネルにさまざまの場面が映し出されて動く。時に景色であったり、歴史上の人物であったり、爆撃機やキノコ雲などなど目まぐるしく変化してとても覚えられない。音楽と同様にこれも見てて飽きることなくエンタテイメントとして面白かった。

 

オペラ「オルランド」は真面目に考えれば社会劇と思うが、あまりにも雑多なことを盛り込み過ぎて主張点がボケてる感じがする。むしろ音楽や衣装、映像技術を駆使したエンタテイメントのように思う。しかし大変面白く楽しめたことは本当である。もう一度観たいとは思わないが。

 

 

 

 

 

2019.12.15(日)15:00 あげつまクリニック Novalium

出演

福本泰之(V)、真弓(P)、真琴(C)、揚妻広隆(バリトン)

曲目

シューベルト:流れの上で(揚妻広隆、P&C)

ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」

 

トリオ・エフは愛知県立芸術大学の福本泰之教授とその娘さんふたりによるピアノ三重奏団。親子で余暇に楽しむなんてものじゃない列記としたプロで、娘さんたちはいくつかの賞を獲得し主に室内楽で活動している若手演奏家である。エフ(F)とはFukumotoでもありFamilyでもあるとのこと。娘たちに楽器を習わせるとき意図があったわけではなく、偶々こういう結果になったとの話があった。全く羨ましい限りと思う。

 

昨年ミュンヘンARDコンクールで葵トリオが日本人初の優勝を果たし話題になった。でも常設トリオはカルテットに比べてずっと少なく、コンサートは臨時に編成して演奏する場合が多い。ソリストとして活躍している各人が集まって火花を散らすのもよいが、本来はこじんまりしたところで静かに味わうものであろう。そう考えたら親子トリオは理想的だと思う。

 

今日の演奏も正にそういうものであった。誰も出しゃばらないし、誰も人任せにしない。互いに呼吸を合わせ音楽の持つ美しさを素直に表現した素晴らしい演奏であった。特に緩徐楽章が味わい深かった。私にとってほんと何十年振りのトリオ演奏会で、レコードを聴いていた若い頃を懐かしく思い出した。

 

この後12月22日同じプログラムで名古屋デビュー・コンサートがある。

 

クリニック院長揚妻広隆先生は開業前主に宗教曲のソリストとして多数出演されていたが、今はシューベルトを中心としたドイツ・リートのリサイタルを自前の音楽ホールや東京ほかで開いている。品位のある温かい声で心情を表現するのに長けている。

 

これで今年のコンサート通いは終了。しばらくはネットやテレビになる。

 

 

 

 


2019.
12.14(土)14:00 パティオ池鯉鮒かきつばたホール

出演

ドン・アンキナーゼ:大久保 亮  ほか学生

愛知県立芸術大学合唱団、管弦楽団

指揮:佐藤正浩

演出:飯塚励生

 

県芸大のオペラはモーツァルトが圧倒的に多いが、その中で今回初めてレアものを取り上げた。4年ほど前に東京で観た覚えがあるが、名古屋地区では多分これが初演と思う。先週の長久手公演に続き3日目になり、学生公演という枠を取り除いてもオペラの総合的充実度は高く大健闘と讃えたい。察するに学生以上に先生の苦労も大変だったと思う。

 

このオペラはモーツァルト18歳の作で今日から見れば未熟だと思う。しかしバロックの延長線上で考えればすごく新鮮味があって、後の傑作「フィガロの結婚」や「コジ・ファン・トゥッテ」の習作という見方も出来るのではと素人は思う。登場人物8人中6人までがテノールとソプラノ。主役脇役を問わず各人の長いアリアと各幕フィナーレの重唱が聴き所ではあるが、舞台の面白さから言えば恋の駆引きが見所ということになる。

 

この種の喜劇は歌うだけでは笑いが誘えない。演技とか相手方との呼吸(打てば響くタイミングの良さ)が重要となるからプロでもなかなか難しいと思う。そんな中で学生には「精一杯頑張ったね」とねぎらいたいと思う。卒業して盛んに活躍している大久保亮を別にして、学生の粒は例年に比べても揃っていたように思う。それ故にひとりひとりの出来よりもアンサンブルの方が光って、各幕のフィナーレが素晴らしかった。ONE TEAMが流行語になったが今年の公演は特にそう感じた。オケと合唱もよく訓練されていて不満はない。舞台装置はいつもながら良く出来ているし、照明も衣装もきれいで良かった。

 

学生公演は営利目的がないから勉強に適したものならばこうしたレアものに今後も積極的に取り組んで欲しいと思う。

 

パティオ池鯉鮒は初めて行った。新国中劇場並みの円形額縁型ホールだが、丁度良い音響と木質の格調高い雰囲気でどこからも観やすくオペラには最適である。難点は駅から遠いこと。臨時バスを運行しているが、ほとんどの人は車で来ていると思う。


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2019.
11.29(金)18:45 愛知県芸術劇場コンサートホール

出演

チェロ:クラウス・カンギーサー、ヴィオラ:マティアス・ブッフホルツ

愛知県立芸術大学管弦楽団

指揮:高関 健

曲目

坂田直樹:《組み合わされた風景》

リヒャルト・シュトラウス:交響詩《ドン・ファン》作品20

             交響詩《ドン・キホーテ》作品35

 

愛知県出身の現代作曲家は意外に多いと思う。冨田 勲、新見徳英も高校は愛知県。最近急に注目されるようになった坂田直樹も愛知県立芸術大学出身、パリ在住まだ38歳である。国内外から委嘱を受け、2020年から3年間名古屋フィルのレジデント・コンポーザーに就任することも決っている。

 

この作品は面白かった。作曲家自ら解説を載せているが、その意図通りに私が理解できたとは全く思わない。しかし見てるだけで楽しかったが、見たこともない打楽器が次々と出てきて、4人の奏者が皆忙しく動き回っていた。それでも音楽の方は派手で大きな音を出すというよりむしろ逆で緊張の頂点を表しているかのようであった。何かに例えれば、笑いのない息を抜く暇もないスパイ映画の緊迫した場面を見てるように感じた。

 

リヒャルト・シュトラウスの2つの交響詩には感心した。将来プロにという意志のある人ばかりだから下手なわけはないが、それにしても管楽器の鮮明な音は見事というほかないし、弦のアンサンブルも良く、全体として色彩豊かな情景描写音楽を上手く演奏していた。

 

指揮者とソリストは本職は他にあるがいずれも県芸大の先生。その意味において、演奏家として自己を打ち出すというより全体の調和を重んじた演奏だったと思う。私個人の主観的感想を述べれば、共感の程度は演奏順に最初の方が大きかった。リヒャルト・シュトラウスは好きでよく聴いたものだが、《ドン・キホーテ》は《ドン・ファン》より長いし、それだけに集中してずっと聴かせられるよう変化をつけるのは難しいと思う。上手にきれいに弾てはいるが破天荒な迫力にはちょっと足りなかったように感じた。

 

リヒャルト・シュトラウス記念の年でもないのに、来年1月にはまたシュトラウス特集でN響名古屋定期がある。シュトラウス違いだが「こうもり」もいくつも続く日程になっている。ワーグナーの「ニーベルングの指環」もそうだが、どうしてこういうことになるのであろうか。好きな人にとっては有り難い話ではあるのだが。

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