くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2020年03月


2014.
12.13(ライブ収録)

出演

ハンス・ザックス:ミヒャエル・フォレ

ヴァルター:ヨハン・ボータ 

エファ:アネッテ・ダッシュ 

ベックメッサー:ヨハネス・マルティン・クレンツレ 

ポークナー:ハンス=ペーター・ケーニヒ

マグダレーネ:カレン・カーギル 

ダフィト:ポール・アップルビー 

夜警:マシュー・ローズ  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ジェームズ・レヴァイン 

演出:オットー・シェンク 

 

良き時代のアメリカとMETを代表するマイスタージンガー。オットー・シェンク、ジェームズ・レヴァイン、早逝のヨハン・ボータ始めキャストが皆揃って音楽も演出も文字通り最高であった。

 

オットー・シェンクの演出でも新しい方に属する1993年の制作。伝統的写実的で豪華なセットは幕が開くだけで拍手が起こる。こういうことは他の演出家ではないと思う。写実的なのは何もセットだけでなく衣装もそうだし、歌手の演技もリアルで自然である。こういう舞台はもう作ろうにも作れないのだから(予算面)オペラ美術の文化遺産として大事に使ってほしいと思う。

 

METの顔として人気のあったジェームズ・レヴァインはセクハラ問題で解雇され今は顔を見せていない。この公演はそれより前、腰痛手術の後のもので、車椅子に座ったまま指揮している。しかし腕の振りは健在で、他の指揮者と違ってオケが敏感に反応し、長年の関係を物語っている。

 

ヨハン・ボータ はこの2年後亡くなっていてMET最後の出演となった。甘く艶があって芯の強い声、まだ50歳前の旬の時だったので、このヴァルターは素晴らしく適役である。癌だったそうでニュースを聞いて驚いたことを覚えている。

 

思い出はさて置いて最も聴き惚れたのはハンス・ザックスのミヒャエル・フォレ。豊かで張りのある声でマイスターの立場と己の悩みに煩悶する役を自然な振る舞いで見事に演じていた。ヨハネス・マルティン・クレンツレが演じたベックメッサーはこの喜劇の要、しっかりした歌唱で素晴らしかった。1幕ではちょっと固いかなと感じたが、2幕以降はわざとらしさがなくて面白かった。ポークナーのハンス=ペーター・ケーニヒは温厚な父親らしく温かい声で役に嵌っていたと思うし、娘のエファ、アネッテ・ダッシュももっと可愛い声を想像していたが声が暗く力強くなって素晴らしかった。ボータとダッシュはワーグナー歌手とは思わないが、その中でヴァルターとエファは歌うに相応しい敵役と思った。

 

個別のことばかり書いたが、この公演の最も良い点は喜劇らしさにあったと思う。古くはクナッパルブッシュ新しくはティーレマンと、重厚なワーグナーとは対極のオペレッタ的な軽快さを感じた。こんなにホームドラマみたいに面白いと思ったワーグナーは初めて聴いた。やはりレヴァインの力だと思う。特にフィナーレが印象的であった。音楽はザックスを賛美することより民衆の楽しさが前面に出ていたし、演出でもエファが寂しそうなザックスの頭に月桂冠をのせて終わるが、この演出の根本解釈を示しているようなほのぼのとしたシーンであった。

 

オットー・シェンクの演出、ジェームズ・レヴァインの指揮、歌手の長所がうまくかみ合ったマイスタージンガーであった。現地で観たかったと思う。

 


2019.11.30  フィルハーモニーホール(現地時間DCH)

出演

テオドール・クルレンツィス(指揮) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ザリーナ・アバーエワ(ソプラノ)、アンナリーザ・ストロッパ(メゾソプラノ)

セルゲイ・ロマノフスキー(テノール)、エフゲニー・ スタヴィンスキー(バス)

ムジカエテルナ合唱団 

 

今春予定だったクルレンツィスとムジカ・エテルナの来日が中止になり残念と思っていたところ、ベルリン・フィルとの共演がDCHで公開された。手兵のオケではないがベルリン・フィル初登場でどんな宗教曲になるか興味があって早速聴いた。

 

これは宗教曲でなく完全に劇的音楽であった。これまでYouTubeでチャイコフスキーとマーラーを聴いたが、全くその延長線上の演奏だった。強弱、緩急、テンポ、アクセント、フレーズの起伏、全く自由自在にいじくり自己流で押し通す。これまで手掛けてきた多くの指揮者の誰とも違う独創的で新鮮な音楽にアッと驚く。あまりにも強烈なショックに打ちのめされ唖然とする。本当に凄い指揮者が現れたものである。丁度ショパン・コンクールで優勝したブーニンが思い出された。

 

ヴェルディのレクイエムはもともと劇的過ぎて宗教曲でないと言った人もいるから、この演奏を最高と思う人も多いと思う。ならモーツァルトやフォーレはどうなるのだろうか。多分一聴して必死の祈りに感動するかもしれない。現にこのヴェルディ冒頭のキリエを聴いた時は何と気持ちのこもった演奏かと感動した。だが曲が進行するにつれ、それは祈りそのものでなく祈りの姿を表してるのではと思うようになった。

 

クルレンツィスがこの路線をずっと継承し続けるならいずれ飽きられるような気がする。標題音楽などあまり思索的でないものならまだよいかもしれないが、例えばブルックナーなどどうなるかと思う。

 

さすがのベルリン・フィルもこの指揮者にはいつものようには合わなかったとみえる。ただソリストと合唱は息がよく合っていた。

 

さはありながら凄い演奏であった。これからどう変わるかも含め目が離せない指揮者である。


2013.
7.5(ライブ収録)

出演

マンリーコ:ヨナス・カウフマン

レオノーラ:アニヤ・ハルテロス

アズチューナ:エレーナ・マニスティーナ

ルナ伯爵:アレクセイ・マルコフ

フェランド:ユン・クワンチュル  ほか

バイエルン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:パオロ・カリニャーニ

演出:オリヴィエ・ピィ

 

メジャー歌劇場が次々と収録作品をストリームで無料開放中、今回はバイエルンの公演から「トロヴァトーレ」を観た。少し古いがカウフマンとハルテロスの共演ということで話題になったもの。

 

演奏は凄い! 正に歌の競演・饗宴であった。その中でも飛び切りだったのはレオノーラのアニヤ・ハルテロス。品位、きれいさ、力強さを兼ねそなえた声と自在にこなす歌唱力は圧巻である。バルトリと共に今聴きたいソプラノのひとりである。マンリーコのヨナス・カウフマンはひっくり返る声が好きでないが、ヴェルディならそれも良かろうと思う。ハイCは出してなかったように思うが、感情のこもった劇的表現力は確かに素晴らしい。アズチューナのエレーナ・マニスティーナは重い声で説得力があり聴き応えがあった。ルナ伯爵のアレクセイ・マルコフもカウフマンに劣らない声量があるし(マイクを通してだが)、フェランドのユン・クワンチュルも正統な歌い方で皆素晴らしかった。ひとりひとりが良いところを出し切っていて、競演・饗宴と言った所以である。

 

指揮のパオロ・カリニャーニはアリアなどテンポを落としてしっかり聴かせようとする。やや感情に走り過ぎと思わないこともないが、オペラ指揮者らしく劇的効果を高めていたと思う。

 

しかし演出はしっくりこない。何かワーグナーを観てる感じがした。現代に置き替えたのはよいとしても、全体に理屈っぽく、しかもいろんな仕掛けをやり過ぎると思う。第1に暗いアングラ劇場のようで、雑多につながった骨組みだけのセットが場面ごとに頻繁に回転する。それに加えて黙役が何人も登場してくる。例えば、亡霊になった裸の老婆、狼と山羊の面で決闘する男、ストリップ紛いのダンサー、脳裏に浮かんだ影の者など。分からない訳ではないが煩わしく感じたし、好きだの憎いだののイタリア・オペラには合わないと思った。独創的解釈があったとは思われないので単に舞台表現上の手段と思うが、何か特別の意味があるのだろうか。

 

ウィーンやMETはどちらかと言えば保守的なので、こういうのを観るとやはりドイツだと思う。

 


2016.
10.8(ライブ収録)

出演

トリスタン:スチュアート・スケルトン

イゾルデ:ニーナ・ステンメ

マルケ王:ルネ・パーペ

ブランゲーネ:エカテリーナ・グバノヴァ

クルヴェナール:エフゲニー・ニキチン  ほか

メトロポリタン歌劇場管弦楽団

指揮:サイモン・ラトル

演出:マリウシュ・トレリンスキ

 

メトロポリタン歌劇場は今シーズン(5/9まで)のすべての公演を早々と中止した。ニューヨークの感染者急増をみると当然と納得できる。その代りとしてライブビューイングの過去収録版を毎日無料で配信している。映画館に行かない者にとっては有り難いと思う。今週はワーグナー週間で「ニーベルングの指環」4部作を含むワーグナーばかりで、これはその初日の2016年「トリスタンとイゾルデ」

 

METの魅力はその豪華さに尽きる。舞台装置にしろキャストにしろ文字通り世界最高である。DVDで初めて観るならMETを選んでおけば間違いない。

 

この演出はプロジェクション・マッピングを多用したモノクロ映画を観てるようで、背後には荒れる海、霧、回想シーンなどが次々映し出される。現代に置き替え、1,2幕が軍艦の中、3幕はどこかの病院でベッドと点滴スタンドがあるだけ。マルケ王の白い軍服とライトだけが強く目に入る。昼と夜に比喩した心理描写ばかりのオペラには相応しいし、本質のところは変えていないので音楽を妨げないのも良いと思う。

 

歌唱はこのキャストを見れば一々言うことはないだろう。最高に満足。ただ一つ従来のイメージと違った印象を受けた点がある。ブランゲーネが侍女というより秘書かマネージャーみたい、またクルヴェナールも忠実な臣下というより単に不良っぽい配属部下に過ぎない感じがした。この演出ではそうなっても不思議でないかもしれないが。

 

サイモン・ラトルの指揮も管を浮き彫りにした明確な色彩に溢れていたし、METのオケも実に上手い。重厚で思索的な響きはないが、これは舞台が暗いだけに却って良かったのではと思う。

 

地方にいてはそんなに多くの舞台に接するわけでないので、無料のライブストリームは有り難い。反面こんなに多いと贅沢にも選択に迷うことになってしまった。

 


2020.3.15(日)18:00 ケルン・フィルハーモニー(現地時間)

バッハ「ヨハネ受難曲」

鈴木雅明指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン

 

創立30周年のバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)がヨーロッパツアー中にコロナウィルスのパンチを真面に受けてしまった。巡業中の序盤を過ぎたところで残りの公演がすべてキャンセル。さてどうするといったところ、ケルンにてCDの制作が急遽決まったとのことである。日頃の真摯な活動に救世主が現れたように思う。

 

これはケルン・フィルハーモニーで行われた無観客の演奏会である。このままCDになるものでないかもしれないが、がらんとしたホールの中に敬虔な音楽が浸み渡っていた。指揮振りは大きいが演奏は劇的なところがなく、むしろ静かに説教を聞き祈るような感じであった。同じ無観客でもベルリン・フィルとは随分違う印象を受けた。

 

ドイツではイースターにバッハ受難曲が演奏されるのが恒例で(パルジファルもそう)バッハ縁りのトーマス教会でも毎年行われている。今はどうか知らないが、拍手もなく静かに始まって静かに終わる。この演奏もホールと教会の違いはあるが、その点は似ていた。

 

今年のイースターは4月10日、それまでに収束する見込みはないが、出来るだけ早く普通の生活が戻りコンサートが再開されることを祈りたい。

 

 

動画はこちら

https://www.facebook.com/KoelnerPhilharmonie/videos/2539446506312210/UzpfSTEwMDAwMDQ4MzIwODg5ODo0MjY5Nzc4ODQ2MzgxNTEz/?q=bcj&epa=SEARCH_BOX

 


2020.
3.12(木) フィルハーモニーホール(現地時間DCH

曲目

ベリオ:8声と管弦楽のための<シンフォニア>

バルトーク:管弦楽のための協奏曲

出演

ノイエ・ヴォーカルゾリステン・シュトゥッツガルト

サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー

 

コロナウィルスの感染拡大でヨーロッパの劇場やコンサートホールは軒並み閉鎖されている。そのため無料ストリームを発信しているところが多いが、ほとんどアーカイブからの収録動画でリアルタイムのライブストリームは少ない。ベルリン・フィルも4/19まですべての公演がキャンセルになっている。そんな中でこれは3月定期の初日に無観客で演奏されたものである。

 

20世紀音楽を2つ組み合わせた珍しいものだが、実は同じプログラムをウィーンで聴いたことがある。大雑把に言えば20世紀前期と後期の代表作かと思うが、後者ベリオは日本では数えるくらいしか演奏されてないと思う。両方ともアメリカのオケの委嘱作品、5楽章40分程の大編成で、素人目には似た感じのする曲である。

 

ベリオのシンフォニアは面白い。8人のヴォーカリストがマイクを使い、語り歌うというよりあたかも一つの楽器の音であるかのように声を出す。弦、管、打楽器と人の声が均等に分担し合い、しかし何かしらごちゃごちゃした複雑な感じがしないでもない。喧騒と祈りが交錯してるような響きでもある。有名作品の一節が多く引用されているというが私にはほんの一部しか聴き分けられない。ベルリン・フィルだからこれ以上の技術はないが、この種の曲はもう少し部分部分がシャープで明晰な演奏の方が楽しめるように思う。

 

バルトークの管弦楽のための協奏曲はベルリン・フィルのスケールの大きさ、音の豊かさ鮮やかさ、アンサンブルなど何をとっても最大限に放出した壮大で素晴らしい演奏であった。言うことなし。人の入ってないホールの残響も一段と演奏を引き立てていた。

 

全世界に蔓延するコロナウィルスに対する不安を感じさせる音楽であったが、これも偶然のめぐり合わせ。それにしてもベルリン・フィルの大音響と無観客のホールとは全く相いれない姿であった。出来るだけ早く元の姿に戻ることを祈るばかりである。


2016.1.21(日) (ウィーン国立歌劇場の現地ライブ映像)

出演

ジークフリート:クリスティアン・フランツ

ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン

グンター:ボーツ・ダニエル

グートルーネ:レジーネ・ハングラー

ハーゲン:エリック・ハーフヴァーソン 〇 (〇印は今年予定されていた出演者)

アルベリヒ:ヨッハン・シュメッケンベッカー

ワルトラウテ:アンナ・ラーション ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:アダム・フィッシャー

演出:スヴェン=エリック・ベクトルフ

 

バイロイト並みに休憩を挟み一日置きに観た。ワーグナーは4部作をひとつの劇「ニーベルングの指環」として完成しバイロイトで初演した。だから通して観る意義は大きいと思っていたが、実際のところ全曲を通したという感激はあまりない。現地とビデオの違いが決定的だが、だいたい日常生活から完全に離れて観るなんてことはできない。作品自体もストーリーに緊密な連続性があるわけでなく時間場所に大きな隔たりがある。結局のところバイロイトのような特殊な環境は別としても、完全な通しチクルスは現実には困難で(今年のウィーンは間に他の演目が入っている)、個別で十分でないかと思った。「ラインの黄金」と「ワルキューレ」も4部作完成の前にそれぞれ単独で初演されている。歌舞伎「忠臣蔵」で何段目かを観るようなものである。

 

そう思わせたのは演出にも一因があるかと思う。この「神々の黄昏」は前3部とはちょっと違った印象を与えた。シンプルなことは確かだが抽象的造形的ではない。形になるものがなく全て真っ黒である。舞台が黒で暗い上に衣装まで黒ばかり。多少色彩があるのは天馬(グラーネ)がぼんやり見えるのとラインの乙女で水の青さが少し表れるのと、あとは最後の炎くらいしかない。やっと分かる程度の照明で人物の動きだけを浮かび上がらせる。その代わり歌手の演技がかなり細かく、歌ってない周りの人も何かしらの演技をしている。ト書きの説明をジェスチャーで表していると言ったらよいかもしれない。余分なものを一切排した演出の極致であると思った。但しフィナーレは気に入らない。炎と川の渦が一緒に回りあまり美しいとは思えないし、せせこましくて感動と長い余韻に浸ることができなかった。ベクトルフのリング演出は全体として良く出来ていると思うし好きだが最後が惜しいと思った。

 

4部作の内タイトルが人名なのは「ジークフリート」だけ、他は事物の名前になっている。それが演ずる上での心構えが違ってくると思う。ジークフリート役は「ジークフリート」では相手かまわず自分を出すが、「神々の黄昏」では相手とのやり取りを表現する。ブリュンヒルデとの愛であったり、グンターやハーゲンとの駆引き、無我夢中の心境だったりする。気持ちの変化が複雑なのでそれだけ神経を使うと思う。ブリュンヒルデの方も幸せ、不安、怒り、決意など様々な心情の変化が多い役である。両者とも最後までスタミナを保たせるのは容易でないと思う。

 

リング・チクルスの通し公演は普通2日目以降1日空けて行われる。それでもジークフリート役は変わることが多い。このウィーンの公演は同一役同一キャストでゆとりをもって2~3日空けている。それでもクリスティアン・フランツには相当きつかったのであろう。「ジークフリート」のような勢いはなく、最後の場面ではスタミナが保てなかったようだ。ブリュンヒルデの方も「ワルキューレ」「ジークフリート」より遥かに厳しい役だから、それに比べるとやはり精彩が落ちていたと思う。ドラマティック・ソプラノとして体力的にきつくなっていると思う。しかしこの動画は4年前だが、今現在でもまだブリュンヒルデを歌っているのは本当凄いと思う。最高はハーゲンのエリック・ハーフヴァーソン。この人のハーゲンは前にも観たことがあるが実に素晴らしい。凄みを効かせた強悪役にこれ以上はないと思う。ワルトラウテのアンナ・ラーションはエルダの方が雰囲気があって良かったと思う。

 

4部作通して観るのはこれが最後になるであろう。楽な姿勢で観たのにかなり疲れた。

 

動画はこちら

https://www.youtube.com/watch?v=d3x3b-TGrGg

                                

2016.1.17(水) (ウィーン国立歌劇場の現地ライブ映像)

出演

ジークフリート:クリスティアン・フランツ

ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン

さすらい人:トマーシュ・コニエチュニー

エルダ:アンナ・ラーション

アルベリヒ:ヨッヘン・シュメッケンベッカー

ミーメ:ヘルヴィヒ・ペコラロ  〇 (〇印は今年予定されていた出演者)

ファフナー:ソリン・コリバン

小鳥の声:アンドレア・キャロル

ウィーン国立歌劇場管弦楽団

指揮:アダム・フィッシャー

演出:スヴェン=エリック・ベクトルフ

 

公演中止になったウィーン国立歌劇場が3月いっぱい過去の収録動画を無料開放すると発表した。びわ湖ホールのライブストリームが先鞭をつけた格好になったが、その流れは各国に広まっている。演目の中には当初予定されていたリング・チクルスも入っているが、演出は同じでもシーズン年とか指揮者ほかキャストが違ったりして通してのものではない。「ニーベルングの指環」を通しで観る意義を実感しているので、見つけたYouTube動画の方を続けることにする。

 

「ジークフリート」は4部作の中で特に密度が高いと思う。始めから終わりまでほとんど1対1の真剣勝負みたいで聴いてて緊張が続く。小鳥の声でやっとホッとするが、初めて聴いた時は一寸退屈した。派手さとか親しみ易さはないが、今では4部作中最も聴き応えがあると思っている。

 

ベクトルフの方向は分かったのでここは考えることなく観ることができた。シンプル化した美しい舞台美術の特徴がよく表れている。第1幕は換気扇と作業台が整然と並んだ鍛冶場。熊は出てこないがその代わりウサギを引っ提げて帰ってくる。第2幕は群がる鹿の彫刻や映像。大蛇の目玉の中に剣を振り回すジークフリートの姿が映る。これは面白かった。第3幕は巨石の横に白のレース状シートで蔽われたブリュンヒルデが横たわる。これで場面の意味は十分理解できるから、あとは役者の演技による。それがまた皆上手い。激しい動きはないがさりげなく自然な振る舞いで、話したり感情表現をしている。良い例がフィナーレ、台本や音楽から察せられるような激情的ではなく、むしろ奥ゆかしさが絵になる演技をしていた。

 

演奏はまさしく歌手の饗宴であった。ここから登場するクリスティアン・フランツを除いたら皆前の1・2作で歌ってる人だがこの日が最も良かったと思う。さすらい人のトマーシュ・コニエチュニーは日を追うごとに歌唱も演技も熱が入った。ちょっと達観した感じのさすらい人でなく、役目が変わっただけと言わんばかりの力強い積極的歌唱で素晴らしかった。ミーメは普通腕っぷしが弱く狡賢い役として演ずることが多いと思うが、ヘルヴィヒ・ペコラロは見た目の体格がいいこともあって悲しそうな演技をしてもそうは見えない。歌を聴かせようとむしろ堂々としたミーメだった。ジークフリートのクリスティアン・フランツはびわ湖のライブストリームでやや不調と感じたが、ここは本領発揮、力強いだけでなくナイーブなところも出て素晴らしかった。バイロイトでも同役を聴いたがまだ若い内なのにオジサンっぽく映るのが残念。ホールで遠くから見たらそれほど感じないかもしれないが。ブリュンヒルデのリンダ・ワトソン、ここでは感情の複雑な揺れを表現するリリックなところなので声の良さが生きていたと思う。

 

全体に歌唱が強かったのでオケの雄弁な美しさが一層効果的であった。

 

まずはこれまで。

 

動画はこちら

https://www.youtube.com/watch?v=28cnKJoXzY4

 

 


2016.1.13(水) (ウィーン国立歌劇場の現地ライブ映像)

出演

ジークムント:クリストファー・ヴェントリス

ジークリンデ:ヴァルトラウト・マイアー

フンディング:アイン・アンガー 〇(〇印は今年予定されていた出演者)

ヴォータン:トマーシュ・コニエチュニー 〇

ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン

フリッカ:ミヒャエル・シュスター ほか

ウィーン国立歌劇場管弦楽団

指揮:アダム・フィッシャー

演出:スヴェン=エリック・ベクトルフ

 

ウィーン国立歌劇場が公演中止になったのでこれは2016年の動画。その年の11月に来日し「ワルキューレ」の上演があった。コスト・パーフォーマンス悪過ぎで観なかったが残念な気持ちは残った。今回素晴らしいキャストで観られて良かったと思う。

 

「ラインの黄金」は前置き、登場人物も多過ぎて歌手をじっくり聴くところは少ない。「ワルキューレ」以降が本番、しかもバイロイト歌手が揃ったキャストはこれ以上ないと思う。ヴォータンのトマーシュ・コニエチュニーは前夜「ラインの黄金」で一寸大人しいと感じたが、この「ワルキューレ」は凄かった。迫力もあるし微妙な心情表現の深さもあってそれは見事であった。ブリュンヒルデのリンダ・ワトソン、実はバイロイトで聴いた時もこの人だったから、それを思うとこれ程馬力が衰えないのは驚きである。高音がきれいなところが好き、衣装の所為もあると思うがスタイルも良くなっていたように見える。ミヒャエル・シュスターも芯のある力強い声で、ヴォータンを叱り飛ばすフリッカをよく演じていた。

 

「ワルキューレ」しか登場しないジークムントとジークリンデの兄妹。ジークムントのクリストファー・ヴェントリスは来日公演でも歌ったが、若くて強い英雄振りで素晴らしかった。ジークリンデは何とヴァルトラウト・マイアー。今や御大と呼ばれる存在だが、4年前でもちょっと若さがないように感ずる。しかし余裕のある歌唱はさすが。それより目についたのはフンディング役のアイン・アンガーが光っていた。前夜のファゾルトも素晴らしかったが、背も高いので兄妹を見下すに充分な凄味がある。ヴェントリス同様第1幕だけで終わるのはもったいない気がした。

 

演出については前に書いたナチとの関連を取り消さなければならない。第2幕のヴォータンとフリッカが話し合う場面でも頭部の金塊が2つ置かれている。それが男女に見えたのでジークムントとジークリンデの死を暗示しているのではと思った。これには先鞭をつけていて、第1幕でジークリンデが箱から馬、人形、十字架を取り出して見せるシーンがある。これも天馬(ブリュンヒルデ)が現れて、兄妹の子が生まれ、やがて死ぬ運命を告げているように見える。つまりヴォータンが剣(ノートゥング)を遺す時に合わせて言いおいたことを表しているのではないか。翻って「ラインの黄金」の多数のばらばら置物も神々の滅亡を意味しているのではと思う。

 

ベクトルフは今日的政治社会思想とは関係なく普通の解釈を舞台でどう見せるかを考えたのだと思う。これは第3幕でも同じで9頭の馬の彫刻が並んでいるのは単にワルキューレの世界を、またフィナーレで炎が列になって横に走るのも、単にシンプル化した美術的美しさを狙っただけことと思う。

 

舞台は「ラインの黄金」と統一感がとれているし、アダム・フィッシャーの音楽も同様。ただこの「ワルキューレ」は歌手陣の素晴らしさが今や旬の男声とワーグナー御大の女声との饗宴のような印象がした。そうは観られない舞台と思う。

 

動画はこちら

https://www.youtube.com/watch?v=I-9I5-mR2OU

 


コロナウィルス感染拡大の影響がヨーロッパまで拡がってきた。ウィーン国立歌劇場も3月10日から4月2日迄全ての公演を中止すると発表した。不運なことに最も観たいと思っていた「ニーベルングの指環」のチクルスがこの期間に嵌ってしまった。誠に残念だが致し方ない。

 

「ニーベルングの指環」のスヴェン=エリック・ベクトルフによる演出は2007~9年にかけての制作だから16年の来日公演「ワルキューレ」を観た人も多いと思う。だからどこかに映像が残ってないかと調べたら16年ウィーン国立歌劇場チクルスのライブ動画がYouTubeにあった。しかも指揮者が同じアダム・フィッシャー、キャストも今回と同じ歌手が結構いる。渡りに船と今回のライブストリームに代えて視聴することにした。まず序夜「ラインの黄金」から 

      

2016.1.10(日) (ウィーン国立歌劇場の現地ライブ映像)

出演

ヴォータン:トマーシュ・コニエチュニー 〇(〇印は今年予定されていた出演者)

ローゲ:ノルベルト・エルンスト 〇

アルべリッヒ:ヨッヘン・シュメッケンベッカー

フリッカ:ソフィー・コッホ

エルダ:アンナ・ラーション  ほか

指揮:アダム・フィッシャー

演出:スヴェン=エリック・ベクトルフ

 

「ニーベルングの指環」を全曲通しで観る機会は極めて少ない。日本では2002年のベルリン国立歌劇場来日公演があるだけで、他はチクルスでも年1作の分割ものになってしまう。ヨーロッパの歌劇場ですら音楽祭を除いて年1回くらいだと思う。

 

私が初めて全曲を観たのはバイロイトであった。冒頭真暗になったホールの床下からコントラバスの静かな唸りが聞こえた時は背筋がゾクゾクしたし、1週間かけて聴き終えた時には感動のあまり身動きできなかったことを覚えている。こういう経験は最初にして最後で、以来「ニーベルングの指環」はマタイ受難曲、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、弦楽四重奏曲と共に、私にとってかけがえのない宝物的作品となった。

 

その時の指揮者がシノーポリの急逝を引き継いだアダム・フィッシャーであった。そこでバイロイト歌手の信頼を得て、今はバイロイトのブタペスト版としてワーグナー・フェスティバルを毎年開いている。人が良いとみえ何かあると直ぐピンチヒッターに起用されるようである。今やヨーロッパ有数の老練指揮者なのに。

 

そんなことで今回一番期待したライブストリームだったのである。4年前のライブ動画だが今回はこれで代用しよう。

 

今度聴いてみてアダム・フィッシャーは評判通りのオペラ指揮者だと思った。変ったことをしないが長時間の音楽を飽きることなく聴かせてくれる。オケがこれぞワーグナーと思う部厚い響き、ライトモチーフを効果的に浮かび上がらせ、標題音楽のように場面を彷彿させる。非常に分かり易いと思う。また歌手とのバランスも上手く取れている。素晴らしい。バイロイトで聴いてから20年も経っているがあの時の感動が蘇ってくる。

 

歌手陣も皆最高だった。やはり世界のメジャーは格が違う。ヴォータンを演じたトマーシュ・コニエチュニー、東京春祭で稀にみる凄いアルベリッヒを聴いた。その時に比べて今回、歌唱は素晴らしいが神々の長としての存在感が一寸薄いように感じた。次の「ワルキューレ」に注目したいと思う。最も目立ったのは一番の難役、ローゲのノルベルト・エルンスト。異色を放った狡猾皮肉の演技で彼に代わる人はいないのではと思う好演であった。「ラインの黄金」は男声中心で女声の活躍する場は少ししかない。しかし皆良かったと思う。エルダ役のアンナ・ラーションは気品があり落ち着いた説得力があるし、フリッカ役のソフィー・コッホもベテランらしくヴォータンの妻として悩む強弱両面の感情が良く出ていた。フライアの清らかな声(カロリーネ・ヴェンボルネ)も良かった。

 

スヴェン=エリック・ベクトルフの演出は抽象的造形的で、ヴァルハラ城も地下坑道もなく、色彩照明で感覚的に想像させるだけである。写実的なものとしては映像の大蛇と小道具の兜、指環と金塊ぐらいしかない。美術作品的な美しさはあるが、何を訴えるのかよく分からないところがあった。例えば人体をばらばらにした多数の頭、胴体、手足の金の置物。ひょっとしたらアルベリッヒとミーメ(地下族)をナチ党と読んでるのだろうか。今後注意してみていきたい。

 

この種の舞台は好きな方だが今回の素晴らしさは音楽に尽きると思った。

 

動画はこちら

https://www.youtube.com/watch?v=0NoNVRhTEl0

 

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