くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2020年04月

                                     

2016.1.14 (ライブ収録OTTAVA

出演

レオノーレ:アニア・カンペ

フロレスタン:クラウス・フローリアン・フォークト

ドン・ピッツァロ:エフゲニ・ニキーチン

ドン・フェルナンド:ボーズ・ダニエル

ロッコ:ステファン・ミリング

マルツェリーネ:ヴァレンティナ・ナフォルニータ

ジャッキーノ:ヨルグ・シュナイダー

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ペーター・シュナイダー

演出:オットー・シェンク

 

今年はベートーヴェン生誕250年に当たる。ウィーン国立歌劇場では本来なら「フィデリオ」の初稿版と通常版を新演出で上演する予定であった。ところがコロナ・ウィルスで今シーズンの公演はすべてキャンセルになっているので、これは何と50年前の1970年プレミエのオットー・シェンクによるものである。

 

「フィデリオ」はウィーン国立歌劇場が再開した時の演目であり、ベートーヴェン第9のオペラ盤的意味合いを持つ。それ故何か記念の節目で取り上げられることが多い。こういう演目は読み替えなどあまり弄くり回さない方が良いと思う。その点オットー・シェンクの演出は伝統的写実的で念入りに造られている決定盤と言える。

 

ペーター・シュナイダーはここ1~2年指揮から遠ざかっているようで、Operabaseの予定にも全く載っていない。この映像でも足元が多少弱っているように見受けられたが、もう80歳を超えているので健康が心配される。オペラ指揮者としてある意味模範でオペラの流れを絶対に乱さない。この「フィデリオ」でもそれがよく表れていたと思う。フィナーレの大合唱の前にレオノーレ3番が挿入されていた。話の展開が途切れるという人もいるが、第9のような壮大さが強調されるので、音楽的には絶対入れるべきである。

 

歌手ではレオノーレ役のアニア・カンペが一番素晴らしい。男装も良く似合うし声がきれいで強くよく通る。フロレスタンと再会した場面は感動的であった。重唱の中でも一番明解に聴こえた。クラウス・フローリアン・フォークトは代わる人がいない純粋な声で、それでワーグナーが歌える力強さがあることは驚嘆に値する。しかしそれがオペラの役柄に合っているかどうかは別問題でローエングリンのような架空の人物とか限られた範囲でしか良さが出ないように私は思う。政敵ピッツァロと戦うフロレスタンの役では美し過ぎて人間臭さがないと思う。そのピッツァロ役のエフゲニ・ニキーチンは極悪さを感情的に出さない、むしろ冷静に理論闘争をしている人間みたいであった。フォークト相手にはこの方がよかったが。ロッコ役のステファン・ミリングは恰幅が良いので善良な牢番というより権力のある監視人のようであった。新発見はマルツェリーネ役のヴァレンティナ・ナフォルニータ。プロポーション抜群で声にも清潔感があって現代娘の役にピッタリだった。

 

オケは弦が16型だったから豊かで力強く、序曲やレオノーレ3番では特に威力が発揮された。フィナーレの合唱も素晴らしかった。

 

ウィーン国立歌劇場の来シーズン・プログラムが先ごろ発表された。興味ある新制作がいくつもあるのでOTTAVA会員を継続しようと思っている。  

 


2015.
12.12 (ライブ収録BSO-TV

出演

ルプレヒト:エフゲニ・ニキーチン

レナータ:Svetlana Sozdateleva

メフィストフェレ:ケヴィン・コナーズ

修道院長:オッカ・フォン・デア・ダメラウ

審問官:ジェンス・ラーセン  ほか

バイエルン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ウラジミル・ユロフスキ

演出:バリー・コスキー

 

2015年新制作プレミエ時の公演。 BSO-TVにはライブでもオン・デマンドに応じたものとそうでないものがあり、これはない方だったのでパスした。観たは経験はプラスになったが演出は好きになれなかった。

 

捨てた男を執拗に追い求める女(レナータ)とその女に惚れた男(ルプレヒト)の物語である。ただ追い求める根底に官能的欲望が潜むというのがこの作品の特徴である。台本を見える形にするのが演出だから、ややもすると全体ではなく部分を刺激的に強調することがある。逆に刺激的内容をマイルドにすることも可能だが現実はあまりない。ということでこの演出はかなりオトコがちらつくきわどい場面もある。

 

舞台は高級ホテルのスウィートルーム。家具の位置を出演者自ら変更して場面転換をはかる。台本と違うところがいくつかあって、例えばレナータは隣の部屋には居らず最初からルプレヒトの部屋に隠れている。伯爵(捨てた男)も登場しないからルプレヒトの決闘がなく自ら暴発でけがをする。一方のレナータも自分を傷つける場面がない 。二人の心理だけに注目した演出と言える。その代わりか踊りが多く入る。それもバレエではなく、ストリート・パフォーマンスとかディスコ・ダンスといった類である。ロマンティックな幻想でなく幻覚症状が起きたような感じを受ける。

 

登場人物は多いけれど各場面1回顔を出す程度の役なので実質は二人だけが出ずっぱりである。バイロイトで問題になったニキーチンの入れ墨がここでは他のダンサーのタトゥーと同じような化粧に思える。レナータも 色気より狂気を感ずる。二人の様子からもこれは夢の話というよりはドラッグに嵌った男女の幻覚の話と考えた方が良さそうである。フィナーレで二人が呆然と立ち尽くす姿もそれを裏付けているようだ。

 

レナータのSvetlana Sozdatelevaは名前を聞くのも初めてで読み方が分からない。(どなたか教えてください) 表情が急変する有様を体当たりで大熱演だった。ニキーチンは性格俳優的な役が合うかどうか。メフィストフェレのケヴィン・コナーズはよくやるわと役者魂を感じた。ウラジミル・ユロフスキはこの繰り返しの多い音楽をリズムだけでなく変化をつけて明解に処理していた。ドアを叩く音とか修道女の狂乱は凄い迫力であった。バイエルンのオケが豊かな響きを出して盛り立てた。

 

この作品は生前演奏される機会がなかったのでプロコフィエフは交響曲第3番として焼き直した。音楽を聴くなら世紀末的なところをあまり感ぜずに聴ける交響曲の方が。私は好きである。

 

 


2018.
10.7(ライブ収録)

出演

メデア:ソーニャ・ヨンチェヴァ

ジャゾーネ:チャールズ・カストロノーヴォ

クレオンテ:イアン・パターソン

ディルケー:エルザ・ドライジグ

ネリス:マリナ・プルデンスカヤ  ほか

ベルリン州立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ダニエル・バレンボイム

演出:アンドレア・ブレス

 

2018/19シーズン新制作開幕公演。ケルビーニは18~19世紀のイタリア出身のフランス人、ギリシャ悲劇詩人エウリピデスの作品を基にした「メデア」はカラスが歌ったことで知っていたが観るのは初めてである。演出は良くも悪くもないが音楽は素晴らしかった。

 

ブレスの演出は読み替えはしてないが現代に置き替えている。倉庫が舞台で中央が回転して部屋に換わる。今日の社会ならクレオンテは国王でなく社長でも一向に差し支えないと思う。メデアは象徴的存在だから魔女でもよいが何か奇異に感ずる。顔から腕迄見えるところすべて茶系に塗りタトゥーまで入れる必要があるのだろうか。他の人物とあまりにも違い過ぎる。異常な女の心理行動なら他と同じでも十分表現できるし人間の話に合うと思うのだが。

 

だが音楽の方は素晴らしかった。特にタイトルロールのソーニャ・ヨンチェヴァはクリーンな声と全くぶれない歌唱でただ一直線に走る雰囲気の役柄に合致していた。演技も細かい動きはあまりせず、一点を見つめた目の表情が凄かった。もう一人メデアの侍女ネリスのマリナ・プルデンスカヤが深い声できれいに歌い忠実な感じがして素晴らしかった。バレンボイムのオケともよく合っていた。ジャゾーネ役のチャールズ・カストロノーヴォは感情的にならずその点却って良かったと思う。バレンボイムの指揮はこれまでの印象とはちょっと違う、普通でないところがほとんどない演奏であった。

 

もともと真面に考えたらあり得ない話だから感情より思想を表しているようにも思う。だから全体にやや冷静な感じがした。

 

ケルビーニは古典派だが「メデア」には現代作曲家ライマンのオペラもあり、これは日生劇場で観た。極めてレアなものを両方観られたのは興味深かった。

 

 

                               

2015.1.17(ライブ収録)

出演

ハンナ:ルネ・フレミング

ダニロ:ネイサン・ガン

ヴァランシエンヌ:ケリー・オハラ

ツェータ男爵:トーマス・アレン  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:アンドリュー・デイヴィス 

演出:スーザン・ストローマン

 

軽いオペレッタでちょっと一息。何度も観ている定番の「メリー・ウィドウ」だが、METのようなメジャー劇場で観るのは初めてである。

 

METらしい華やかな舞台であった。舞台セットも大きく美しいし、何より衣装がゴージャスで舞踏会は見ものである。踊り子も大勢出てカンカン踊りなどブロードウェイならではのノリがあった。目で楽しむには全く申し分ない。

 

オペラとオペレッタの違いは厳密な線引きは難しいが、オペレッタはセリフが多く演劇的であり娯楽性大衆性が強い。こういうところでオペラ歌手が歌うとややもすると型に嵌まるというか構えるところが見えるような気がする。ウィーンでもフォークス・オーパとシュターツ・オーパがあるが、オペレッタの多いフォークス・オーパの方がのびのび歌っているように思う。

 

ルネ・フレミングは華があって素晴らしいが歌にどこか固さが見えるし、トーマス・アレンは真面目過ぎる感じがする。ネイサン・ガンが軽い役を多く演じてるから自然さがあって一番良かったと思う。逆にケリー・オハラはミュージカル畑で、渡辺謙が「王様と私」で共演したことでも知られている。オペラも歌えるのは大したものだが大きい劇場ではちょっと無理のように思う。

 

とは言ってもさすがはMET。華やかで賑やかで活気があり気楽に大いに楽しんだ。

 

 


2011.4.11 (ライブ収録OTTAVA

出演

アンナ・ボレーナ:アンナ・ネトレプコ

ジョヴァンナ・シーモア:エリーナ・ガランチャ

エンリーコ8世:イルデブランド・ダルカンジェロ

リッカルド・パーシー卿:フランチェスコ・メーリ

スメトン:エリーザベト・クールマン  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:エヴェリーノ・ピド

演出:エリック・ジェノヴェーズ

 

2011年プレミエ時の公演、ネトレプコのロールデビューでもあり、当時旬の豪華な歌手を集めて評判が高かった。BRDにもなって販売されている。

 

ドニゼッティ女王3部作と言われる最初の作品。英国16世紀チューダー朝のヘンリー8世(ここではエンリーコ8世)の実話がもとになっている。登場人物に置き換えて言えばエンリーコにとってアンナ・ボレーナは2度目の王妃、ジョヴァンナは3番目の王妃に当たる。因みに他の2作品「マリア・ストゥルダ」「ロベルト・デヴリュー」はヘンリー8世の子エリザベス1世の話で、3部作すべて王朝内の色恋がテーマになっている。

 

舞台セットは現代的な造形だが衣装は当時を彷彿させる豪華なもの。伝統的古典的な演出なのであまり書くことはないが、フィナーレで子供(後のエリザベス1世)を出したのは印象的だったし、断頭台を思わせるドアのところにアンナ・ボレーナが横たわるのも美しい処理であった。

 

アンナがアンナを演ずる奇遇になった。ネトレプコはこの時すでに歌う女優の雰囲気がある。声がきれいとは言えないが感情の入った表現力は凄い。王冠の魅力にひかれ恋を捨てた女の強さを残しつつも、捨てられた女の寂しさ無念さが歌唱によく表れていた。顔の表情も真に迫っていた。国王の愛人ジョヴァンナのガランチャは声が美しいし清潔感もあって素晴らしく、むしろネトレプコより好感が持てた。国王のダルカンジェロは肌理の粗い力強い声で悪人の役によく合っていた。アンナの元恋人リッカルドのフランチェスコ・メーリも甘いきれいな声で純真な気持ちがよく表れていた。クールマンは歌曲の方が向いていると思うが、このスメトンは純情な若い青年役で良かった。

 

ドニゼッティは多作家でオペラが80作くらいあるそうだ。どこからか依頼があったか知らないが、これだけ多ければ似たものが出来ても仕方ない。それにしても女王3部作を続けて観ようとは絶対思いませんね。

 


2013.12.1 (ライブ収録BSO-TV

出演

皇帝:ヨハン・ボータ

皇后:アドリアンヌ・ピエチョンカ

乳母:デボラ・ポラスキ

バラック:ヴォルフガング・コッホ

バラックの妻:エレナ・パンクラトファ  ほか

バイエルン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:キリル・ペトレンコ

演出:クリストフ・ワリコフスキ

 

2013年ぺトレンコがバイエルンの音楽監督に就任した時のプレミアム公演。以前にも放映されたが当時家のネット環境が悪くて観られなかった。読み替え演出で最初戸惑ったが面白かったし、音楽も素晴らしかった。

 

演奏が始まる前スクリーンに恋愛映画が流れるし、終わりもアニメのスーパーマンとかマリリンモンローが映されるので映画界の話らしい。魔界とは現実社会の出来事から遊離した世界と解釈すれば納得がいくし面白いと思う。そうなると魔界の王カイコバルトは映画会社のオーナー、伝令は制作監督、乳母はマネージャー、皇后は女優ということになる。女優は鹿から生まれたような純真な娘で、子供のころからひとりで遊ぶ孤独な環境に置かれ、本当は普通の幸せな家庭を持ちたいと思っている。それにはオーナー(父親)の許しを得なければならないし、代わりの女優がいなければ仕事が続けられなくなる。そこでオーナーは娘とマネージャーをスカウトに向わせることになる。

 

染物師のバラクはクリーング業を営むそこそこの金持ちで子供を欲しがっている。一方その妻は派手好みで夫に少々嫌気がさしている。スカウトはこの女に目をつけ色仕掛で誘い込もうとする。その後いろいろあって、しかし結局のところ妻は踏み切れず夫との普通の生活が良いと改心し、女優の方も自分のために他人を犠牲にしてはいけないと決心する。オーナーの父親は腰の曲がったよぼよぼの老人として黙役で登場するが、行末長くないと思ったのか了解して娘の意思を受け入れる。

 

影とは自分の分身すなわち子供であり、延いては自分と行動してくれる仲間のことを言う。鷹は運命の水先案内人と言ったらよいであろうか、皇帝にとっては皇后と引き合わせてくれた助け人であり、皇后にとっては自分に逆らう存在である。

 

フィナーレが素晴らしくて印象に残る。舞台で大勢の子供たちが嬉しそうにはしゃいでいる。その影が後のスクリーン一杯に映し出される。前の円卓では身分の違う皇帝とバラクの家族が子供と一緒に和やかに談笑している。明るい未来の希望と平和が拡がるようで感動した。

 

読み替え演出はどうしても解釈の記述が主になるが、演奏の方も凄くレベルが高かった。ピエチョンカとパンクラトファが性格上は対照的役だが両者とも圧倒的に素晴らしい。またコッホはしっかりした安定した歌唱と演技で引き立てた。ポラスキはすべて取り仕切る威勢の良さを見せつけるのでなく冷静なところが却って良かったと思う。ボータは出番が少ないしいつもより控え目であったが声は相変わらず美しかった。主役クラスの5人だけではない。顔を見せない中村恵理、タラ・エロウト、ハンナ=エリザベス・ミュラー他も加わっていて、バイエルンの意気込みを示していた。

 

リヒャルト・シュトラウスをかなり観てきたが「ばらの騎士」はバッティングしてパスした。こういう機会はもうないのではと思う。後期の作品をもっと観たいと思う。

 

                               

2016.4.30(ライブ収録)

出演

エレクトラ:ニーナ・ステンメ 

クリテムネストラ:ワルトラウト・マイヤー 

クリソテミス:エイドリアン・ピエチョンカ 

エギスト:ブルクハルト・ウルリヒ

オレスト:エリック・オーウェンズ 

メトロポリタン歌劇場管弦楽団

指揮:エサ=ペッカ・サロネン 

演出:パトリス・シェロー 

 

これを観ずして「エレクトラ」を観たと言う勿れ。ギリシャ神話を現代の感覚で捉えた凄絶なエレクトラであった。

 

男(エギスト)と密通し夫(アガメムノン)を殺した母(クリテムネストラ)に子供(エレクトラ、オレスト、クリソテミス)が復讐する話だが、これを他の男が好きになり夫と離婚した母に子供が不平不満を持つと考えれば、今日でもあり得ることでただ極端な形で表現したに過ぎない。神話、伝説、おとぎ話とは大体そういう意味があると考えるものである。

 

この演出はパトリス・シェロー の遺作に当たる。人生は復讐と考えたエレクトラの激しい意思と達成後の虚無感を対照的に描いた素晴らしいものであった。フィナーレは台本ではオレストが大歓声で迎えられエレクトラは踊りまくって倒れることになっている。しかしここではオレストがひとり寂しく城を去りエレクトラは放心状態で座り込む。これまでしてきたことは何であったか考えさせられる結末であった。

 

タイトルロールを務めたニーナ・ステンメは何とも凄い現在屈指のドラマティック・ソプラノである。始めから1時間45分出ずっぱりの狂気の演技に全身全霊パワー全開で挑んでいる。薄汚い衣装で動き回るだけでなく、顔の表情が何かに取り付かれたように凄まじい。これはライトビューイングでしか観られない迫力である。クリテムネストラを演じたワルトラウト・マイヤーは悪女というより普通の女として良心の呵責に苦しむ面を強く出していた。演出によくマッチしていたと思う。妹クリソテミスのエイドリアン・ピエチョンカは負けずと大きな声を出していたが役柄上優しい感じがして良かった。弟オレストのエリック・オーウェンズも暗く重い歌唱で存在感があった 。

 

エサ=ペッカ・サロネンはピットにぎゅうぎゅう詰めのオケをコントロールし大音量ながらも明解な響きを出していた。それにしてもこれをバックにした歌手のパワーも大変なものと思った。

 

リヒャルト・シュトラウスのオペラでよく舞台に上るのは「ばらの騎士」「サロメ」「エレクトラ」の3つだが、皆初めの頃の作品である。普通なら少なくとも万遍に或いは後期の方が多いと思う。決して劣ることはないのに不思議に思う。単に派手に目立ち一般受けするからであろうか。

 


2018.
5.24 (ライブ収録OTTAVA

出演

伯爵令嬢マドレーヌ:カミラ・ニールント

伯爵:マルクス・アイヒェ

作曲家フラマン:ミヒャエル・シャーデ

詩人オリヴィエ:アドリアン・エレート

劇場支配人ラ・ロッシュ:ヴォルフガンク・バンクル

女優クレロン:アンゲリカ・キルヒシュレーガー  ほか

ウィーン国立歌劇場管弦楽団

指揮:ミヒャエル・ボーダー

演出:マルコ・アルトゥーロ・マレッリ

 

リヒャルト・シュトラウス最後のオペラで好きな作品のひとつ。題材がオペラ論で、副題「音楽のための会話劇」の如く日常会話と議論だけである。それに恋物語を絡ませたところが面白い。プロンプターや裏方まで参加して、ちょっと知的な軽い喜劇と言った作品である。

 

オペラは言葉が先か音楽が先かで詩人と作曲家が揉めている。この二人実は同じパトロンの伯爵夫人に愛を告白している仲である。これに演劇好きの伯爵と女優、演出の劇場支配人が加わって自説を主張する。この中で伯爵夫人だけが自分の考えが定まらず、恋人の選択までも迷っている。そのまま何も決まらず幕となる。

 

オペラファンとしては出来上がったものを観るだけだからどちらかと言えば言葉より音楽と思う。大体語学力がないから言葉は分からないし、台本を見ながら聴いても言葉は聞き取れないことが多い。それはさて置きこのオペラの中では相談してやれということになっている。

 

やはりRシュトラウスの音楽は素晴らしい。この作品はオケがやや小編成で「ナクソス島のアリアドネ」に似ている。清澄で華麗な響き、序奏の弦楽六重奏やホルンの間奏曲など格別の美しさでウィーンならではと思う。ミヒャエル・ボーダーもベテランらしく、ほとんどが音を抑えた静かな伴奏で、歌手をカバーするような美しい演奏であった。

 

このキャストを見たら主役しかいないように思う。確かにすべての歌手に出番があって声を聴かせてくれる。しかしRシュトラウスのオペラはすべて女声が中心だから、当然フィナーレで伯爵夫人の長いモノローグが最も注目を浴びる。カミラ・ニールントはRシュトラウスに相応しい清い声が素晴らしい。長いイーブニングドレス姿は容姿も気品がある。その他もベテランばかりなので全体が上品な集まりに加わっているようで、感情的にならず和やかな雰囲気があった。昨日の強烈女の対決を聴いた後では余計清々しさを感ずる。

 

演出は劇場支配人の主張に合致するような見栄えのするセットであった。舞台はフランス貴族の館、中央が回転して部屋が変わるようにきれいに造られていた。衣装も豪華。

 

一幕もので休憩なしだったのでワーグナーに慣れていても2時間20分は長く感じた。

 

なおプレミエは2008年。2013年の公演がBRDで販売されている。

 


2019.1.12(ライブ収録)

出演

アドリアーナ・ルクヴルール:アンナ・ネトレプコ

マウリツィオ:ピョートル・ベチャワ

ブイヨン公妃:アニータ・ラチベリシュビリ

ミショネ:アンブロージョ・マエストリ

ブイヨン公爵:マウリッィオ・ムラーロ  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ジャナンドレア・ノセダ

演出:デビッド・マクビカー 

  

イタリア・オペラはベルカントとヴェルディ以外あまり観ないが、これはネトレプコとラチベリシュビリが出演とあって興味が湧いた。

 

予想した通り演奏の凄さに何も言うことはない。二人のロシアンパワーには唯々恐れ入った。ネトレプコは今や完全なドラマティック・ソプラノである。ラチベリシュビリはまだ若いのに声の威圧感に圧倒されてしまう。ピョートル・ベチャワは力強く艶のある美しい歌声がひときわ目立った。アンブロージョ・マエストリも温厚な特別の存在感を示した。ノセダの歌唱を生かす指揮も素晴らしい。

 

オペラはすべて男と女がテーマだが、「アドリアーナ・ルクヴルール」はマウリツィオをめぐって女優アドリアーナとブイヨン公妃が争う話である。身分上の違いはあるが、そんなこと関係なく激しくやりあい、最後は公妃がアドリアーナを毒殺してしまう。普通はどちらかが身を引くとか(ばらの騎士)、後悔するとか(アイーダ)あるが、それが全くなく両方とも強烈な性格である。

 

ただ観終わってから思ったが、このオペラを女と女の激情的対決でなく、アドリアーナの方を優しくして(アイーダのように)二人の女性を対照的にしたらどうだろうか。このスタイルでは凄かったなぁの印象しかなく、共感するところがなかったように思うが。

 

また明日からドイツものに戻るつもり。

 

     

2017.4.30 (ライブ収録 OTTAVA

出演

ムスタファ:イルダール・アブドラザコフ、エルヴィーラ:アイーダ・ガリフッリーナ

イザベッラ:アンナ・ボニタティブス、リンドーロ:エドガルド・ロチャ

タッデオ:パオロ・ルメッツ、ズルマ:ラヘル・フレンケル、ハリ:Alessio Arduini

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ヘスス・ロペス=コボス

演出:ジャン=ピエール・ポネル

 

ロッシーニ喜劇の2連発で暫しの気分転換。日本ではロッシーニの名前は有名だが、オペラとなると「セヴィリアの理髪師」しか上演の機会がほとんどない。この「アルジェのイタリア女」も藤原がかなり昔にやったらしいが記憶にない。

 

演出のジャン=ピエール・ポネルは遥か昔に亡くなっているからこれが如何に古い制作のものか分かる。古典的なものだから特筆することは何もない。

 

このオペラはロッシーニの比較的早い時期の作品で、音楽のスタイルは決まっていてもオペラとしての起承転結の変化がはっきりしないと思う。特に第1幕が最後に盛り上がるものの全般に平板な感じがする。演奏もその所為か前半は坦々と進んだが、2幕から生き返ったように素晴らしくなった。

 

ソリストそれぞれに出番があり皆が主役という点ではモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」に似ている。若手が多く入っているので活気があり全体のまとまりが良かったと思う。印象に残った歌手はリンドーロ役のエドガルド・ロチャ。初めて聴いたが近年売り出し中でロッシーニを得意としているそうである。のびやかで輝く歌声が素晴らしく、今後注目したいテノールである。ムスタファ役はアホさを出すのが難しくアブドラザコフにはぎこちなさが残るし、またタッデオ役のパオロ・ルメッツも喜劇に向いてないように思う。しかし二人とも歌唱は安定して良かったし、難しい喜劇のレパートリー公演にしてはよくやるわと思った。イザベッラ役のアンナ・ボニタティブスはメゾでもアルトに近い声なので、気転のきく明るい女性には一寸合わない気がした。しかし2幕冒頭のアリアは感情がこもって、その後しまった展開の起点になったと思う。

 

前日観たMETには到底及ばないが、十分楽しめる公演であった。

 

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