くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2020年04月


2011.4.9(ライブ収録)

出演

オリー伯爵:ファン・ディエゴ・フローレス

アデル伯爵夫人:ディアナ・ダムラウ

イゾリエ:ジョイス・ディドナート

ランボー:ステファン・デグー

養育係:ミケーレ・ペルトゥージ

ラゴンド夫人:スサネ・レーズマーク ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:マウリツィオ・ベニーニ

演出:バートレット・シャー

 

この公演にはいろんな思いがある。2011年3月東日本大震災が発生し津波による壊滅的被害と放射能汚染による健康不安で日本中が大パニックになった時である。それだけでない。たまたまその年の6月METの来日公演が予定され、果たして実現するか危ぶまれる状況にあった。すったもんだの末キャストに大幅な変更があったが何とか開催され、感謝の言葉もなかった。その来日予定にディアナ・ダムラウとファン・ディエゴ・フローレスが入っていたのである。

 

ダムラウは当時乳飲み子を抱えていたので母親が一緒に来日しホテルに籠ったそうである。その話を聞いて感激し赤ちゃんが無事に育つよう縁起物を贈った。一方のフローレスは可笑しな理由をつけてキャンセルしたが、実はこの公演の幕間インタビューで彼にも赤ちゃんが生まれたばかりだったと知った。今でもバリバリの二人であるが、これはそんな若い頃の生気溢れる共演である。

 

舞台はロッシーニ時代、田舎の芝居小屋での劇中劇にしている。METにしては地味に見えるセットだが衣装はなかなか立派なものであった。そんなことは関係ないと言わんばかりに歌手が皆この上なく芸達者でその面白いことと言ったらありはしない。他愛もない喜劇だが、超絶技巧の完璧な歌唱と息の合ったコミカルな演技で、ロッシーニの理想を実現した最高の公演であった。

 

まずはフローレス。張りのある輝かしい声でハイCを何の苦も無く当たり前のように歌っている。仕草が本当にコミカルで特に目のが体以上に演技している。こういうことができるテナーは他にいない。これは劇場で観てては絶対分からないライブビューイングならではの利点である。ダムラウも清らかな声で軽々と歌う。もともとコンスタンツェとかツェルビネッタなど軽い役から出た人だから、それに多少しっとり感が加わって役柄にぴったりである。演技も上手いし、相手との呼吸が打てば響く絶妙のタイミングである。これは喜劇が生き生きするかどうかの重要なポイントである。ディドナートはベルカント技法を楽々とこなし、スタイルも良いからズボン役がよく似合う。この3人のベッドシーンは誠に滑稽で最高の見せ場であった。他の人は3人の陰になってしまったが、普通なら主役として喝采してよいくらい素晴らしかった。

 

時々「ランスの旅」を聴いてるかと錯覚するがそれもそなはず。「ランスの旅」はシャルル10世の戴冠式用に1回しか上演されなかったので、それを基に「オリー伯爵」を作曲したとのこと。でも今日では「ランスの旅」の方がよく上演される逆転現象が起きている。METでもこれが初演らしい。

 

今となってはむしろ懐かしく思えるが本当に面白かった。そんなにお目にかかれない素晴らしい「オリー伯爵」でフローレス、ダムラウ、ディドナートに大ブラボー。

 


2015.
4(ライブ収録BSOシラー劇場)

出演

グルネマンツ:ルネ・パーペ

パルジファル:アンドレアス・シャーガー

アンフォルタス:ヴォルフガンク・コッホ

クリングゾル:トーマス・トマソン

クンドリー:アニャ・カンペ

ティトゥレル:マティアス・ヘッレ  ほか

ベルリン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ダニエル・バレンボイム

演出:ドミトリー・チェルニャコフ

 

このチェルニャコフの「パルジファル」は先ごろ亡くなったクプファーの後がまになるもの。2015年のプレミエ公演でBRDにもなっている。1幕を観てる間は現代社会に置き替えているもののト書き通りと思っていた。ところが進むにつれてまるでスリラー映画のなぞ解きをしてる気になった。面白いと言えば面白いがいくら何でもいじくり過ぎではないですか。

 

各幕毎に経過を追うと分かり難くなるので観終わった後で想像したことを書いておきたい。舞台は人里離れたバラック造り、怪しげなオカルト宗教の秘密結社みたいである。ティトレルはその会長、アンファルタスは社長だが、実際に活動を仕切っているのはグルネマンツ。社内は会長派・社長派に分かれて対立し、グルネマンツは会長派に属する。クンドリーはアンファルタスの美人秘書で愛人、クリングゾルが派遣したやり手である。彼女はクリングゾル、グルネマンツからも言い寄られている。そのクリングゾルは敵対する結社のボスでクンドリーを追い回す変態男、勿論クンドリーは逃げ回っている。パルジファルは人間の姿をした天の声と言ったところである。

 

ここで聖杯は秘密結社のご神体のようなもので、槍は権力を表している。アンファルタスが槍を奪われたのは権力を失ったと同じことである。

 

クリングゾルのティトレルに対する復讐はト書きに書いてあるが、その他に登場する男の間にも各々目に見える見えない敵対するいざこざを想定した。すなわちティトレルとアンファルタスの親子の間のもつれ、クリングゾルとアンファルタス、グルネマンツとアンファルタスの間のクンドリーをめぐる嫉妬、グルネマンツとアンファルタス、クンドリーの後継騒動など、狭い社会の中での愛憎嫉妬、権力争いを軸に話を展開している。これって「パルジファル」かなぁ。

 

実は2幕を観終わった時点では、クンドリーがパルジファルの母の思い出を語っているから、クンドリーは幼い時からパルジファルを知ってるだけでなく好きではなかったかと思った。マグダラのマリアじゃないけれどパルジファルと一緒になってアンファルタスを継ぐのではと思ったが、それはひっくり返った。さて問題のフィナーレだが、クリングゾルから取り戻した槍は誰に回るか。アンファルタスとクンドリーが熱いキスを交わしているとグルネマンツが嫉妬でクンドリーを刺し殺す。アンファルタス亡き後の権力掌握に邪魔になるとも考えたかもしれない。しかしグルネマンツは槍を残したまま部屋を出ていく。一方パルジファルはクンドリーの亡骸を抱えて部屋を出ていく。果たしてこの先どうなるのだろうと未解決のまま幕となる。

 

歌手は見た目も含めて申し分なくこれ以上は望めないと思う。特にクンドリーのアニャ・カンペ、声はきれいで迫力があり表現力も素晴らしい。その上に美人で体当たり演技も上手いときている。衆目を集めたのも当然である。タイトルロールは若手のアンドレアス・シャーガー、体は巨漢でなくむしろ細目でそんなのに大きくないが、太い力強い声で貴重なヘルデンテナーである。ルネ・パーペはスローテンポによく合わせ、深く威厳のある歌唱をじっくりと聴かせてくれた。アンフォルタスのヴォルフガンク・コッホは感情の入った歌唱がカンペと共に最高だった。クリングゾルのトーマス・トマソンは通常のクリングゾルとはまるで違う軽い歌い方で、むしろ演技の方に目が奪われた。パーペの静の演技に対し動の演技、2幕のクンドリーを追い回すところは休みなくよく動けるものと感心した。

 

バレンボイムは自分の音楽に徹していた。ピアニストとしては曲によってあまり好まないものもあるが、ワーグナーの指揮者としては誠に素晴らしい。遅いテンポで弱音が特にきれいなのでロマンティックな場面には極めて効果的である。大きく鳴らす時の迫力も凄い。

 

演出について面白半分勝手に想像したが多分正解ではないと思う。「パルジファル」の完全な解釈はないと思うからあまり難しく考えないでバレンボイムの音楽に浸る方が良いかもしれない。

 

「パルジファル」をこんなに続けて観たのは初めてである。まだストリームで観られるものもあるがさすがに疲れた。オペレッタが観たいと思う。

 

 

2017.4.13 (ライブ収録 OTTAVA

出演

アンファルタス:ジェラルド・フィンリー

グルネマンツ:ユン・クワンチュル

パルジファル:クリストファー・ヴェントリス

クンドリー:ニーナ・シュテンメ

クリングゾル:ヨッヘン・シュメッケンベッカー

ティトレル:Jongmin Park (ヨンミン・パーク) ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:セミヨン・ビシュコフ

演出:アルヴィス・ヘルマニス

 

2017年プレミエ時の公演。読み替え演出は独り善がりのものが多いが、このアルヴィス・ヘルマニスの演出はよく考えられて面白かった。

 

舞台はウィーンの建築家オットー・ワーグナー様式のワーグナー病院。中央にZEIT(時間)の出入口がある。その金網の扉が開閉して場面転換となる。グルネマンツの台詞「ここでは時間が空間になる。」を目視化して面白かった。グルネマンツは精神科部長、クリングゾルは精神外科医と言ったところ。アンファルタスもクンドリーも精神病患者である。パルジファルは人間ではなく、人間の理想、真善美の絶対的思想を実践する架空の姿である。聖杯は脳。真理とか倫理道徳とかを生み出した人間の英知を象徴するものであり、槍はその事象の一つ、精神病の原因を表している。パルジファルの台詞「傷をふさぐのは傷をつけた槍のみ」、すなわちクンドリーは原因が取り除かれて回復し、アンファルタスは外科手術を受けても治癒する見込みがなく最善の救済策である尊厳死を選ぶ。キリスト教色はないが、クリスティン・ミーリッツの前プロダクションより論理的一貫性があって面白く、読み替え演出の秀作と思う。

 

歌手も皆素晴らしかった。歌唱が立派というだけでなく演出とよく融合している。ユン・クワンチュルはこれ迄観た中で最高と思う。温かい人間味溢れるグルネマンツで、パルジファルを追い返すのも優しく諭す感じ、つまり事態が熟するのを見守るかのようであった。カーテンコールでは最も大きなブラボーを浴びていた。ジェラルド・フィンリーはアンファルタスの王の威厳など全くない、病を患った弱々しさと苦しみを必死に訴える姿を歌唱演技の両面で見事に演じていた。パルジファルのクリストファー・ヴェントリスは人間でないから激情的でなく控えめにきれいに歌ったのが素晴らしかった。ニーナ・シュテンメは歌う女優、何をやっても上手い。ここでは千変万化の激しい発作と症状、治った後の幸福感と感謝の気持ちが誠によく表れていた。聖杯の覆いを取ったのがアンファルタスでなくクンドリーなのも演出上良かった。またクリングゾルは普通悪人として演ずるが、ここは医者なので先生らしく歌っていて良かったと思う。

 

指揮のセミヨン・ビシュコフもまた素晴らしい。低音を控え目に重厚さのない明解で美しい音楽であった。聖金曜日のメロディーなど静かで幸せ感いっぱいの響きがしていた。

 

音楽と演出がこれ程マッチしたワーグナーは少ないと思う。もともとワーグナーは理屈っぽいが特に「パルジファル」はそうだから、たとえリアルな舞台であっても理解し難い。その点この演出は読み替えながらむしろすっきりした解釈で分かり易いと思った。

 

 


2015.
4.12 (ライブ収録BSO-TV)

出演

アディーナ:アイリーン・ぺレス

ネモリーノ:マシュー・ポレンザーニ

ベルコーレ:マリオ・カッシ

ドゥルカマーラ:アンブロージュ・マエストリ

ジャンネッタ:エフゲニア・ソトニコワ

バイエルン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:アッシャー・フィッシュ

演出:ダーヴィット・ベッシュ

 

軽いものを挟みたいと思って観たが、これは気に入らなかった。

 

舞台は大型遊園施設。SFに登場するようなロボット乗り物、施設の従業員か落下傘部隊に多数の道化のコスプレが集まっている。あり得ない話であるから、そこで行われるショーの形にしたものであろう。ロボットはなかなか大掛かりな仕掛けで立派なものであった。アイデアとしては面白いと思う。

 

だがショーの中で音楽、演技が溶け込んでいなかった。迫力十分のオケは華やかなら良いのだが重厚な響きで軽喜劇にならない。歌唱も重いし演技ものろい。様になっていたのはマエストリ一人であった。この指揮者にはベルカントは合わないのでないか。

 

ただ終幕にかけてアディーナとドゥルカマーラの二重唱以降はネモリーノのアリアも良かったと思う。残念なのは全体を考えた時笑わせておいてしっとりするというのが喜劇であって、それ単独でいくら良くとも感動半減というところであろう。

 

観方聴き方は人それぞれだから異なる意見の人もいると思うが、私にはぺトレンコのルチアもこのフィッシュの妙薬もドニゼッティらしくないと思う。バイエルンにはもっと良いものが沢山あるのにと思ってしまった。

 


2017.
1.21 (ライブ収録)

出演

ジュリエット:ディアナ・ダムラウ 

ロメオ:ヴィットーリオ・グリゴーロ 

マキューシオ:エリオット・マドール 

ローラン神父:ミハイル・ぺトレンコ

キュピュレット卿:ローラン・ナウリ

小姓ステファーノ:ビルジニー・ベレーズ   ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ジャナンドレア・ノセダ 

演出:バートレット・シャー 

 

豪華なセットと豪華な歌手によるMETらしい公演。時に歌っていることを忘れさせる感情の入った歌唱と迫真の演技でオペラの醍醐味を味わった。プレミエ、ダムラウのロールデビューでも注目された。

 

幕が開くとベネツィアのカーニバルのように大勢の着飾った人々が集まっている。まずはこの景色に目をとられて、後は何も考えることなく舞台の進行に身を任せるだけである。唯々グリークの美しい音楽と舞台で繰り広げられるドラマに釘付けになった。

 

何はともあれタイトル・ロールのグリゴーロとダムラウの奮闘ぶりが凄い。グリゴーロは若くしてイタリアのスターダムにのし上がったテナーだけに、イタリア的感情の過剰表現が半端でない。特に劇的な終幕は感動的であった。ダムラウは1幕のアリアでは若い頃のようにきれいな歌い方だったが、後半はグリゴーロに合わせるかのように劇的になった。相当意気込みが感じられたし、それ以上に演出家の指示というより自分で演じているように感じた。

 

その他脇も二人の陰になってしまったが、皆素晴らしい出来栄えだった。決闘の場面など怪我をしないかと心配になるほど激しく立ち回っていた。

 

カーテンコールでグリゴーロがダムラウを抱き上げてキスしていたが、ついROH来日公演のセクハラ騒動を思い出した。イタリア人らしい感情表現で芝居の延長線上に過ぎなかっのではと思った。現在ヨーロッパ大陸各国で活動が続いているからひとまず決着か。

 

 

 

2015.4.5 (ライブ収録 OTTAVA

出演

アンファルタス:ミヒャエル・フォレ

グルネマンツ:ステファン・ミリング

パルジファル:ヨハン・ボータ

クリングゾル:ボーズ・ダニエル

クンドリー:アンゲラ・デノケ

ティトレル:Ryan Speedo  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:アダム・フィッシャー

演出:クリスティン・ミーリッツ

 

2005年プレミエで随分古い。実はこのプレミエ、指揮と歌手は異なるが、ティーレマン指揮で現地で観たものである。その後2008年にも観たが、演出については全く理解できなかった。ひどく評判の悪かったプロダクションなのに10年も続いたのはこれまた理解できない。

 

部分的には手直しを入れているようだが基本は変わらない。冒頭病院らしき部屋でフェンシング競技姿の騎士が入ってくる。そしてフィナーレはティトレルの棺桶をひっくり返しアンファルタスに攻寄る。聖杯が破壊されクンドリーが昇天して幕。社会を支配するキリスト教をぶち壊すとしか考えられないが、後どうするかは全くない。或いは単にカトリックを否定してプロテスタントを興した宗教改革かとも思うが、そうと思えるような仕掛けがない。

 

ということで関心は音楽だけ。指揮のアダム・フィッシャーはティーレマンのような重厚さはないが自然で良いと思う。強く自己主張しないので歌手には歌い易いだろうし、オケもワーグナーにしては明るく軽くきれいな感じがしてウィーン本来の響きが出てるように思う。

 

歌手でまず注目はヨハン・ボータ。声がすべてのテナーだが、「汚れなき愚者」に相応しい無垢の声で素晴らしい。もう聴けないのが寂しく思う。その分演技の方はアンゲラ・デノケが受け持った感じがする。アンゲラ・デノケのクンドリーは以前ウィーンで観たマイヤー、藤村とは全く印象が異なる。歌唱よりむしろ演技で勝負してるようで、デノケならこうなるだろうと予想できる一寸エロっぽいクンドリーであった。今回の公演はこの二人が特色を出しているように思った。アンファルタス役のミヒャエル・フォレが一番良かった。瀕死の傷を負った弱そうなアンファルタスではなく、威厳のあるまた迫力のある表現が素晴らしかった。グルネマンツ役のステファン・ミリングは声が出ないところが時々あった。2008年に聴いたがそれ程衰える年齢ではないから調子が悪かったかもしれない。でも盛大な拍手をもらっていた。

 

これを観たのは昨日の聖金曜日。毎年イースターの時期は「パルジファル」の公演が多くまだ暫くの間続く。こんな機会はもうないから出来る限り観るつもりでいる。

 


2018.3.4 (ライブ収録 OTTAVA

出演

アリオダンテ:サラ・コノリィ

ジネヴラ:チェン・レイス

ポリネッソ:クリストフ・デュモーンチッチ

ダリンダ:ヒラ・ファヒマ 

ルルカニオ:ライナー・トロスト ほか 

マーラー合唱団、ウィーン国立歌劇場バレエ団、関係エキストラ・オケ  

指揮:ウィリアム・クリスティ   

演出:デイヴィッド・マクヴィカー

 

昨年11月記事に書いたヘンデル「アリオダンテ」を再度観た。但し今度の収録映像はその前年プレミエ時のものである。歌手がかなり違っていて一層迫力があって素晴らしかった。前の記事は下記を参照していただくとして気付いたところだけ書きとめたい。

 

歌手はソプラノ2人チェン・レイスとヒラ・ファヒマは同じだったが、要のズボン役サラ・コノリィとカウンターテナーのクリストフ・デュモーンチッチが変わっているので、それが全体に受ける印象を変えたように思う。タイトル・ロールのコノリィは体形から髪型まで男になりきっていたし、歌唱の表現力が一段と光っていた。またポリネッソを演じたデュモーンチッチは低音が男の地声になるのが気になるが、それだけに悪役には却ってふさわしく良かったと思う。ソプラノの2人は美人で舞台映えするが歌唱は再演時の方が進歩していたと思う。

 

指揮のクリスティは歯切れがよく迫力があって、バロック音楽にありがちなこじんまりした感じがなくドラマを引っ張っていた。またバレエも添え物の感じがせず、劇の中に溶け込んでいた感じがした。

 

前に観た「影のない女」もそうであったが、この「アリオダンテ」も個々の細かい差異は別にして、全体的に息が合って纏まった感じがっする。やはりプレミエは特別の雰囲気があると思う。

 

再演時の記事はこちら

http://klahiroto-diary.blog.jp/archives/4374629.html


2018.
7.8 (BSO-TV

出演

アンファルタス:クリスティアン・ゲルハーゲル

グルネマンツ:ルネ・パーペ

パルジファル:ヨナス・カウフマン

クンドリー:ニーナ・シュテンメ

クリングゾル:ヴォルフガング・コッホ

ティトレル:バーリント・サボー  ほか

バイエルン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:キリル・ぺトレンコ

演出:ピエール・オーディ

 

ミュンヘン・オペラ・フェスティバル2018年で最も注目された新制作公演。ぺトレンコと歌手の錚々たる顔ぶれはバイロイトでもかなわない。最近のバイロイトは演出が独善的なものが多いので、ミュンヘンのワーグナーは評判が良い。

 

何と言ってもぺトレンコの音楽が最高。重く分厚い緻密な音で一瞬たりとも緊張感が緩むことがない。ぺトレンコは自分のスタイルを固守するのでなかなか大変ではないかと思うが、オケは必死に弾いているし歌手にも齟齬は全く感じなかった。情緒的な音楽では必ずしも素直についていけないことがあるが、ワーグナーは良いと思う。

 

ゲルハーゲルは歌曲がメインのバス・バリトンと思っていたが、オペラにも時々顔を出している。いつも完璧な歌唱が称賛されるが、このアンファルタスでは演技も内面の苦悩がにじみ出ているようで目立っていた。パーペは深い品格のある声でザラストロとかグルネマンツはよく合っている。コッホは威圧的迫力が素晴らしく、衣装も手伝って歌舞伎の荒事を観てるようであった。シュテンメは安定して張りのある強い声で、荒くれ、妖艶、敬虔と3様の姿を歌い演じ分けて、やはりこの人のワーグナーは特別。カウフマンのワーグナーは好きでないけれども、今回は声が返るところも数か所しかなく、ドラマティックな歌唱で人気があるのはよく分かる。

 

演出のピエール・オーディはネーデルランド・オペラ芸術監督を長く務め、ワーグナーも多く手掛けている。この「パルジファル」は写実的ではないが本質だけを捉えた芸術表現で私は好きだ。舞台は真黒、2幕は白っぽいが花の乙女は色っぽさを感じない。舞台美術が有名な現代美術家(ゲオルグ・バゼリッツ)だそうで、確かにそういう雰囲気が現れていた。

 

「パルジファル」の物語を一言で言ってしまえば、誘惑に負けたキリスト教国国王(アンファルタス)が救世主(パルジファル)に救われる話である。その道程を描いたものだが、この演出を象徴するのが裸体のぬいぐるみと十字架の槍のふたつである。救世主とは「汚れなき愚者」として現れ、「汚れなき愚者」とは己の皮をはいで生まれた姿に戻ることである。そこで1幕愛餐の儀式では黒の僧衣を脱いで裸体のぬいぐるみ姿になるのである。また2幕花の乙女では女の肉塊で惑わすから同様に裸体のぬいぐるみ姿になる。ただ問題はぬいぐるみ姿が油絵に見るようには美しくない。アニメ的アイデアは良いと思うが上手く形にできなかったのが惜しいと思う。もう一つ槍の十字架は、誘惑に負けて怪我した信仰心を取り戻すためにそう表現したと思う。そう考えると物語の骨格が分かると思う。

 

読み替えは一切してないし、舞台がモノトーンなのも音楽を聴く上でも弊害にはならなかった。ぬいぐるみが油絵の裸体画のようになれば良い芸術的舞台になったと思う。こういう演出は好き嫌いがあると思うがMETのリアルな舞台では観られないものである。ドイツ流アメリカ流とふたつあって良かったと思う。

 


2017.9.25 (ライブ収録)

出演

ノルマ:ソンドラ・ラドヴァノフスキー

アダルジーザ:ジョイス・ディドナート

ポッリオーネ:ジョセフ・カレーヤ

オロヴェーゾ:マシュー・ローズ  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:カルロ・リッツィ

演出:デイヴィッド・マクヴィガー

 

2017年新制作のベッリーニ「ノルマ」。古典的演出だけに新制作でも新鮮味はないがローマ時代を思わせるようなリアルな舞台であった。「ノルマ」は一にも二にも歌唱だから他のことはあまり関心がない。

 

ラドヴァノフスキーとディドナートが圧倒的に素晴らしい。ノルマは最も難しい役とカラスは言っている。確かに母と女の二股役で、男への愛と怒り、仲間への優しさと嫉妬、子への愛情、父への哀願など、あり過ぎるくらいの諸々の感情表現が要求される。ラドヴァノフスキーは何度も演じて評判の役だからくるくる変わる心情の変化を感情いっぱいに歌って素晴らしかった。ディドナートにとってアダルジーザは初役だそうだが、ロッシーニ、ドニゼッティのベルカントが得意なのでさすが歌唱がスムーズであった。ノルマのラドヴァノフスキーとの二重唱は息がぴったり合って感動的。また二人の声の明暗の対比が役柄に合っていて良かったと思う。ポッリオーネは一瞬にして気が変わる「男心と秋の空」のギャグを出すくらい身勝手な役だが、カレーヤの甘い声がアダルジーザとノルマそれぞれの二重唱に生きていた。

 

カルロ・リッツィは歯切れの良いリズム感とメロディーを歌わせる指揮でイタリア・オペラはこうでなくっちゃぁと思った。

 

インタビューはスザンナ・フィリップMETではまだ最若手と思うが、可愛いのと朗らかな感じに好感が持てた。

 

ラドヴァノフスキーとディドナートの尽きる圧巻の名演であった。

 

2016.1.16 (ライブ収録)

出演

レイラ:ディアナ・ダムラウ

ナディール:マシュー・ポレンザーニ

ズルガ:マウリス・クヴィエチェン

ヌーラバット:ニコラ・テステ  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ジャナンドレア・ノセダ

演出:ペニー・ウールコック

 

METは期待を裏切らない。演出は在り来たりの解釈だが豪華だから見応えがある。歌手もオケも最高。さすがはMET

 

東洋を舞台にした所謂異国ものは有名なものでプッチーニの「蝶々夫人」と「トゥーランドット」、それにフランスものとしてドリーム「ラクメ」とこの「真珠採り」がある。私がプッチーニ苦手フランスもの好きというのは個人的趣向の問題ではあるが、東西の違和感もあると思う。つまり舞台になった国と西洋との地理的文化的経済的距離感も関係していると思う。インドやセイロンは昔から胡椒、お茶など西洋との交易が盛んである。

 

ビゼーと言えばまず「カルメン」。「真珠採り」はMETでも100年振りという。ポピュラー並みの親しみ易いきれいな音楽だから一度聴けば好きになると思う。(コルンゴルド「死の都」の如く)

 

これは40代半ば過ぎの最盛期にあたる歌手を揃えた上演なので観たいと思っていたもの。ダムラウは清らかなよく通る高音が特に素晴らしく、レイラの徐々に高まってゆく気持ちをドラマティックに表現し切っていた。ナディール役のマシュー・ポレンザーニは甘い声でアリアも二重唱も感情豊かに歌って素晴らしかった。ズルガ役のマウリス・クヴィエチェンは二重唱は勿論、それ以上にレイラと対する3幕の迫力が凄かった。ヌーラバット役のニコラ・テステはちょっと大人しい感はあるが立派と思う。ノセダとMETオケも良い演奏だった。フルートやハープなど華やかな音がフランスを思わせた。

 

演出のペニー・ウールコックは映画監督とのことで、舞台いっぱいのプロジェクション・マッピングは見応えがあった。冒頭海中を潜る漁師はてっきりどこかの海で撮影したものとばかり思ったら、何とMETバレエ団が宙づりで演じたものと知ってびっくりした。押し寄せる大波も恐怖を覚えるほど迫力があった。ただ3幕で映し出される現代の見すぼらしい集合アパートは前幕からの時の経過を示すものと思われるが、これは一寸奇異に感じた。

 

METの大掛かりな仕掛けを除いてもやはりこの公演はビゼーの音楽を3役そろい踏みで演じた歌唱の魅力が一番であった。

 


 

↑このページのトップヘ