くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2020年05月


2009.
3.21 (ライブ収録)

出演

アミーナ:ナタリー・デセイ

エルヴィーノ:ファン・ディエゴ・フローレス

ロドルフォ:ミケーレ・ペルトゥージ

リーザ:ジェニファー・ブラック  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:エヴィリーノ・ピド

演出:メアリー・ジマーマン

 

MET2009年プレミエ時の公演。当時ベルカント界の双璧をなすスター、ナタリー・デセイとファン・ディエゴ・フローレスの共演と合って関心が高かった。二人は前年「連隊の娘」に出演し、これはライブビューイングの他にNHK-BSでも放送されたから多くの人が観たと思う。10年を経た今となっては懐かしい映像である。

 

デセイは西欧の歌手では珍しい小柄で美人のパリジェンヌ。もとは女優を志願したと言う。まだこれからという時に声帯を壊し2度の手術で長期休養をした。これは復帰後の公演で確かに声には難があったところもある。しかし弱音が特に美しくころがりも滑らかで表現力が良い。2013年にオペラの舞台からは引退したが、軽快な演技が光る稀有なソプラノで今日も並べる人がいないタイプと思う。

 

フローレスは輝かしい声とハイCの絶頂期であり圧倒するような歌唱であった。可愛いデセイとのコンビはそれだけで絵になり他の人では絶対に出来ない。「連隊の娘」はもっと良かったが、これも負けず劣らず素晴らしい。この頃のフローレスを現地で聴き逃したのを残念に思う。

 

ロドルフォ役のミケーレ・ペルトゥージは歌唱も演技も控え目だが、大柄だし貴族の雰囲気があって良かった。リーザ役のジェニファー・ブラックも美人で時に声の固さが気になることもあるが演技で補った。エヴィリーノ・ピドは軽快なリズムと歌手に十分に歌わせる指揮が素晴らしい。

 

メアリー・ジマーマンの演出はオペラのリハーサル室に置き換えたもの。アミーナは歌手、リーザはディレクターになっている。最初は皆私服姿で登場するが、最後は衣装を着けた本舞台となった。その境目は必ずしも判然としていなかったが、その自然な変化も良いところだと思う。前半はリハーサル室でむしろ地味な舞台だが、3幕ではピット上のジャンピング台で演技するし、フィナーレは民族衣装をつけた華やかな祝福ムードで締めた。

 

他の人には陰になって気の毒であったが、デセイとフローレスの二人舞台であった。

 

 


2019.
5.17 (ライブ収録OPERAVISION

出演

マルケ王:フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ

トリスタン:ブライアン・レジスター

イゾルデ:アン・ペテルセン

クーヴェナル:アンドリュー・フォスター=ウィリアムズ

ブランゲーネ:ノラ・グビッシュ

モネ劇場男声合唱団、管弦楽団

指揮:アラン・アルティノグリュ

演出:ラルフ・プレーガー

 

モネ劇場2019年プレミエ時の公演。前年同じ指揮者アルティノグリュの「ローエングリン」が素晴らしかったので引き続いて観たくなった。

 

結論を先に言ってしまえばこの演奏は今一つであった。演出は物語との結び付きが2幕を別にして余りないが、舞台美術は光と影を駆使した美しく芸術性高いものであった。

 

OPERAVISIONYouTubeによるストリーミングなので音質・映像ともHDより劣る。それは我慢するとして、アルティノグリュの指揮は何か表面的で締まった感じがなく平板と思った。「ローエングリン」より一層内面的だから難しいと思う。歌手も同じ。トリスタンのブライアン・レジスターはアメリカのヘルデンテナーで今秋東響とトリスタンを歌うことになっている。イゾルデのアン・ペテルセンはデンマーク出身。二人とも今一感情が伝わってこなかった。クーヴェナルを演じたフォスター=ウィリアムズはイギリス出身、前年の「ローエングリン」テルラムント同様に滑らかな声が私の好みである。

 

演奏より興味を引いたのはドイツのラルフ・プレーガーによる演出。舞台の場面場面で写真や彫刻或いはバレエや能を観てるような気になる。1幕は照明に照らされた鍾乳洞みたいなセット。2幕は愛の群舞の彫刻で、石膏作品と思っていたら10人ほどのダンサーが入っていて踊り出したのには驚いた。3幕は筒状のスポットライトが背面に散りばめられた踊の舞台みたい。この中での人物の動きが極めて遅くバレエか能を観てるようであった。この人は演出家というより振付師ではと思った。観てる分にはきれいで良いが、音楽までそれに合わせたのんびりした感じがしてしまう。だいぶん昔のことだが、ROHで能のような「アイーダ」を観たのを思い出した。

 

それにしても西欧のオペラはいろんな国の人が集まっていると思う。国際的という感覚は多分ないのであろう。

 

オペラは音楽。演出が目新しくきれいで面白いだけではつまらない。

 

 


2018.
4.29 (ライブ収録)

出演

ハインリヒ国王:ガボール・ブレッツ

ローエングリン:エリック・カトラー

エルザ:インゲラ・ブリムバーグ

テルラムント:アンドリュー・フォスター=ウィリアムズ

オルトルート:エレーナ・パンクラトヴァ  ほか

モネ劇場合唱団、管弦楽団

指揮:アラン・アルティノグリュ

演出:オリヴィエ・ピィ

 

ベルギー・モネ劇場2018年プレミエ時の公演。客席数約1000でチューリヒ歌劇場とほぼ同規模の大きさであるが、斬新な演出が話題になることが多い。かって大野和士が音楽監督を務めていたが現在はフランス期待の指揮者アラン・アルティノグリュがその任にある。

 

開幕前演出家自らが解説したそうだがフランス語で全く理解不能。しかし観るだけでも言いたいことが分かったような気がした。読み替え演出で政治的解釈をしたものである。

 

時代を第2次世界大戦に置き換え、民主主義とファシズムの対決として描いている。言うまでもなく前者は国王とエルザ側、後者がテルラムントとオルトルート一派で、ローエングリンは正義の味方さしずめ連合軍総司令官のような存在である。細かいことを言えばいろいろ突っ込みたくなるが、ファシズムを壊滅させ国家(ドイツ)のあるべき真の姿を実現したと言いたかったようだ。ただし戦闘は全くないし、白鳥も単に冥想の中のことであって出てこない。ローエングリンとテルラムントが戦うのも何とチェスの勝負である。(これ理解に苦しむ) 第3幕でドイツのさまざまな分野の文化人がモニュメントとして出てくるので、理想の国は人々が自由に考えを発表出来、それを総合的に取り入れた社会ということであろうか。

 

舞台は戦争によって廃墟と化したビル。円形3階建てで目いっぱいの大きなセットである。それが回転しながら情景が途切れることなくスムーズに場面転換される。立派な造りである。

 

アルティノグリュはバイロイトでローエングリンを指揮してるから十分研究済み。明解な構図の中でどこを浮かび上がらせるべきか心得、ドラマティックな流れがあり情緒も迫力も素晴らしかった。このオペラの決め手はオルトルート。エレーナ・パンクラトヴァはロシアンパワーを発揮したはまり役である。歌唱だけでなく演技が如何にも冷酷な悪女ぶりで凄かった。エルザ役のインゲラ・ブリムバーグは清らかな声が良かった。ネトレプコを聴いたばかりだから余計にそう思った。ローエングリンのエリック・カトラーはこれがロール・デビューとのこと。何か超越したローエングリンではなく人間臭くてこの演出には合っていたように思う。ハインリヒ国王のガボール・ブレッツもロール・デビューとのことで、二人ともしっかりした歌唱であった。テルラムント役のフォスター=ウィリアムズは高めのバリトンで声がなめらか、悪人らしくはないがオルトルートとの対比があって良かったと思う。合唱は舞台3階までずらりと並び、迫力が凄くハーモニーも良かった。オケも弦が美しく、バンダのトランペットも効果的な音を出していた。

 

小さい劇場だからワーグナーは音が薄いのではと思ったが、そんな感じはなく良い響きを出していた。この演出はそれほどでもなかったが音楽が良かったので今後もマークしておこうと思う。

 

 


2011.
12.10 (ライブ収録)

出演

ファウスト:ヨナス・カウフマン

メフィストフェレス:ルネ・パーペ

マルガレーテ:マリーナ・ポプラフスカヤ

ヴァレンティン:ラッセル・ブローン

シーベル:ミシェル・ロズィエ

マルタ:ウェンディ・ホワイト  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ヤニック・ネゼ=セガン

演出:デス・マッカナフ

 

ゲーテの戯曲「ファウスト」による、原作は2部構成だが前半だけを題材にした全5幕のオペラ。バレエを省略しても3時間を一気に観るとさすが長いと感ずる。

 

デス・マッカナフの演出は読み替えはしてないが、原爆が使われた第2次世界大戦に時代を置き換えている。細かくは1945年終戦前後のアメリカで、ファウストを原爆開発者にしている。しかし舞台でそれを観るのは始めと終わりだけで、第1幕のセットが背後に原爆ドームが写っている研究室であることと、フィナーレでファウストが研究室に現われそこで服毒自殺することの2点である。オペラの台本ではファウストは死なないが、原作の結末ではファウストは100歳になり盲目になりながらも理想の国建設に邁進しつつ亡くなる。死に方はまるで反対である。しかし真ん中が全然変わってないからとても理解しやすい解釈で、原爆投下は誤りであったことをアッピールしている。METにしては珍しい政治批判めいた感じがする。

 

歌手はさすがMETらしく素晴らしい。タイトル・ロールのヨナス・カウフマンが大喝采を浴びていたが、私は前から言ってるように声のひっくり返りが好きでない。最近は少なくなったようだが、このファウストではかなり頻繁に出た。メフィストフェレス役のルネ・パーペが最高。普通のスーツ姿だが魔法のバトンを使って演技も良かった。マルガレーテ役のマリーナ・ポプラフスカヤも恥じらう少女、有頂天な初恋、離別の悲しさ寂しさ、キリスト教の罪意識、狂気、昇天と変わり身の多い役をすべて上手くこなした。それにヴァレンティン役のラッセル・ブローンがバリトンでは珍しいくらいに輝いた力強い声とぶれない歌唱で、素晴らしいと思った。

 

レヴァインの後を継いだヤニック・ネゼ=セガンはカナダ人だがMETと極めて良好の関係のようである。このファウストも極めて雄弁な指揮で、ドラマ性とグノーの美しさがよく出ていたと思う。

 

さて次はベルリオーズ「ファウストの劫罰」だが、トマ「ミニヨン」をどこかで流してくれないかと注意している。

 

 


2017.
4.20,24 (ライブ収録)

出演

ウェルテル:ファン・ディエゴ・フローレス

シャルロッテ:アンナ・ステファニー

ゾフィー:メリッサ・プティ

アルバート:アウドゥン・イヴェルセン

チューリヒ歌劇場合唱団、フィルハーモニー・チューリヒ

指揮:コルネリウス・マイスター

演出:タチャナ・ギュルバカ

 

2017年4月プレミエ時の公演でNHK-BSでも放送された。すっかり忘れていたが映像を観て思い出した。ゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」を題材にしているが、イタリア・オペラならもっとドロドロすると思う。その点フランスものは洗練された詩情があって私は好きである。

 

舞台は中央に部屋の箱を置いただけのこじんまりしたもの。ドアから出入りして箱の中で演ずるから演技の密度はかなり高い。少なくともテレビで観る分には親近感があって良いが、はたして現地ではどうであろうか。紙芝居の感じはないだろうか。

 

タチャナ・ギュルバカの演出は読み替えのないオーソドックスなもの。女性らしくなかなか繊細で大きな動きより顔の表情とかどこか映画的なところがあるように思う。本人も美人だが出演者が皆見栄えのする容姿の人ばかりであった。家族に障害者の少女を出したり教会に老人が多く出るのも社会問題を含めていて良かったと思う。

 

歌手はフローレスがひとり圧倒的に素晴らしい。歳をとって潤いの出てきた声は若くて悩むウェルテルにぴったりであった。多少とってつけの感もあるが演技ができるのも彼の取柄である。フローレス以外はこれまで聴いた覚えがない。シャルロッテ役のアンナ・ステファニー英国出身のメゾで、主にチューリヒとロンドンが活躍の舞台のようである。細かくて柔らかい清潔な声で役柄によく合っていた。大人しい役しか向かないと思うが、きれいな声である。若いメリッサ・プティ演ずるゾフィーも良かった。

 

ゲーテ作品を題材にした音楽は極めて多い。その中でオペラに限定すればマスネ「ウェルテル」、グノー「ファウスト」、ベルリオーズ「ファウストの劫罰」、トマ「ミニヨン」など有名なところは全部フランスで、何故か不思議に思う。

 


2018.
9.11 (ライブ収録OTTAVA

出演

マックス:クリストファー・ベントリス

カスパール:トマス・コニエチュニー

アガーテ:アンナ・ガブラー

エンヘン:チェン・ライス

隠者:ファルク・シュトルックマン  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:セバスティアン・ヴァイグレ

演出:クルスティアン・レート

 

2018年6月プレミエの再演。但し指揮、歌手など主要キャストはすべて変わっている。この演出を観るのはもちろん初めてだが、ドイツの伝説が題材だから新演出で新しい解釈が出てくる可能性は高い。

 

読み替え演出で、猟師マックスは作曲家になっている。さてどう展開するかと期待して観ていたが、それ以降はト書き通りであった。つまりアガーテとの結婚は鉄砲の名人が条件であるが、それは正にマイスターでなければ娘エヴァとの結婚はできないという、ワーグナー「ニュルンベルクの名歌手」と同じということになる。ただ条件がマイスターか鉄砲の名人か違うだけで、置き換え演出と言った方が良いと思う。これなら別に作曲家でなくとも棋士でも力士でも何でもよい。作曲家というところがウィーンらしいが何か拍子抜けの感じがした。

 

演奏もウィーンにしては極普通、というより何か締りがないといった感じ。歌手とオケが合わない、合唱がハモラない、ソリストも今一つ熱を感じない、レパートリー公演の不味いところが出てしまったと思う。全体的にはそうだが個別には、比較的若い人が張りがあって良かったと思う。カスパール役のトマス・コニエチュニーは持ち前の力強い声でちょっと性悪の男を、女声ではエンヘン役のチェン・ライスが活発な娘を好演していた。ファルク・シュトルックマンが隠者で出たのにはそんなに馬力が落ちたかと驚いた。歌唱は威厳があって良かったが。指揮のセバスティアン・ヴァイグレはワーグナーのように重い音楽の方が向いているように思う。

 

ウィーン国立歌劇場はトヨタがスポンサーになって日本語字幕が付くようになった。日本人観光客が多い時には場内アナウンスも日本語が入るようである。小澤征爾を音楽監督につけたのはその辺も背景にあったかもしれない。

 

 


2017.
3.25 (ライブ収録)

出演

イドメネオ:マシュー・ポレンザーニ

イダマンテ:アリス・クート

エレットラ:エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー

イリア:ネイディーン・シエラ  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ジェイムズ・レヴァイン 

演出:ジャン=ピエール・ポネル

 

演出で観たいものを選んでいるわけではないが、前回に続いて40年近く前の古い舞台。博物館行きものだがしっかり造りこんであると見え破損もなくきれいに見える。このポネルの演出はパヴァロッティが歌ったものがDVDで販売されている。

 

舞台セットは3幕とも変わらず、ステージ幅いっぱいのステップが奥に向けて上っている。背後にネプチューンの顔とか海が描かれて場面が変わる。左右対称の舞台はセットだけでなく合唱の配置なども同じで動きは極めて少ない。前を向いてほとんど棒立ちで歌うから舞台写真を何枚も見てる感じがする。

 

こういう舞台だからもう音楽だけのオペラである。レヴァインの指揮は軽やかで情緒があり昔流のモーツァルトで素晴らしい。歌手との息もよく合っている。腰を痛めて休養していたが回復後は車いすに座ったままである。パーキンス病を患ってるというが上半身は異常がないように見える。この公演の1年後セクハラで解雇されたので2017年がMET最後になった。最終公演は10月の「魔笛」であった。

 

久々に古典に戻ってモーツァルトを聴くとあまりの心地良さに眠くなる。レヴァインのアプローチが自然体だったので余計そう感じる。歌手ではエレットラ役のエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァーがまだ若手に入るソプラノだが一番良かったと思う。婚約者イダマンテと一緒に脱出する時の喜びと恋敵イリアに負けた時の絶望激怒の両極端を感情たっぷりに歌っていた。拍手も一番大きかったようである。イダマンテ役はアリス・クート、柔らかいきれいな声で控え目な歌い方、エレットラよりイリアの方がお似合いと誰にでも分かるようであった。この二人の歌唱は文句なしに素晴らしかった。タイトル・ロールのマシュー・ポレンザーニは艶のある良い声だが、調子が悪かったのか声が枯れたり転がりが悪いところがあった。でも3幕は立ち直って良かった。イリア役のネイディーン・シエラはこの時28歳だったそうで、声の質が固く暗いし表現力もこれからの感じであった。それにしても20代でMETデビューとは凄いと思う。

 

スター歌手をずらりと並べるMETにしてはむしろ地味な方と思うが、興奮もせず頭も使わず落ち着いた気持ちでモーツァルトに浸れた。レヴァインの事件は残念なことではあるが引退間近の姿を見れたのは良かったと思う。

 


2016.
5 (ライブ収録)

出演

ハインリヒ国王:ゲオルク・ツェッペンフェルト

ローエングリン:ピョートル・べチャワ

エルザ:アンナ・ネトレプコ

テルラムント:トマス・コニエチュニー

オルトルート:エヴェリン・ヘルリツィウス  ほか

ドレスデン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:クリスティアン・ティーレマン

演出:クリスティン・ミーリッツ

 

2016年ドレスデン国立歌劇場におけるアンナ・ネトレプコとピョートル・ベチャワのロール・デビューになる公演。この後バイロイトへの出演が予定されるので試金石みたいになった。

 

ネトレプコはこの時ティーレマンからドイツ語の発音について注文を出されたという話が伝わっている。彼女自身も語学は苦手と言っているし、これが理由かどうか分からないが、もうエルザは歌わないと公言したという話も聞かれる。ところが昨2019年のバイロイト音楽祭でエルザ役に出演予定になっていた。案の定直前にキャンセルし代役にアネッテ・ダッシュが立った。キャンセル魔の彼女だからあらかじめ想定していたと勘繰りたくなる。一方ベチャワはティーレマンに乞われての出演とも聞いたが、その後2018年にローエングリンでバイロイト・デビューを果たしている。二人ともこのドレスデンでは盛大なブラボーを受けていた。

 

話題の二人だが、それはともかく大事なことは役柄に合うかどうかである。残念ながら二人ともどうかと私は思う。エルザ役に絶対必要な条件は清らかさだと思う。ネトレプコの声は暗くて重いし、自己表現が前に出過ぎて存在感があり過ぎると思う。オルトルートと対決する場面など、歌だけでなく顔の表情が相手を負かそうとする態度が見える。彼女は確かに他の人にはない凄い歌唱力のある女優だと思う。次々と新しい役に取り組む意欲は立派と思うが、何でも出来る訳にはいかないから役を選んだ方が良いと思う。ベチャワの方もネトレプコのエルザほどではないが合わないように思う。声が甘く伸びて力強いのは素晴らしいが、声がかえるところがあってイタリアの熱烈な恋愛オペラ向きの感情表現に思える。同じ理由で私はカウフマンのワーグナーも好きでない。

 

ロール・デビューの二人よりもやはりオーソドックスなツェッペンフェルト、コニエチュニー、ヘルリツィウスの方がワーグナーを落ち着いて聴ける。威厳はあっても空威張りでない、誇張はあっても過剰はない、極悪でもヒステリックにならない、こういうのがワーグナーでイタリア・オペラと違うところである。

 

ソロ歌手だけでなく合唱も素晴らしかったし、それより何よりティーレマンのシュターツカペレの演奏に惹き込まれた。ぺトレンコやクルレンツィスのように細部に執着されると新鮮味があって面白いとは思うがくどいと感ずる。太い骨格、重厚豊潤な音、壮大な迫力、ポウズの緊張感、洗練された抒情、滔々とした大河の如く、そういうワーグナーが好きである。

 

ミーリッツの舞台はバロック時代の宮廷画を観るように豪華で衣装も重厚である。繊細に入念に造られていて、今日新規に拵えるのはまず不可能であろう。伝統的演出の模範でオットー・シェンクと同じく、舞台を観るだけでも価値があると思える。こういう環境ではティーレマンの音楽も余計しっくり聴こえる。

 

ネトレプコで一つ思い出した。先頃のMET“At-Home Galaコンサートは大変有意義で興味深い催事であった。出演者の自宅とSNSで繋いで歌う企画であったが、ネトレプコは都合で事前録画を最後に流した。止めた方が良かったと思うし、それにペーター・ゲルブ支配人が特別の賛辞を付けたのは行き過ぎで奇異に感じた。(アンチ・ネトコではないが)

 

 


2012.
2 (ライブ収録 アムステルダム音楽劇場)

出演

ユーリ公:ウラディーミル・ヴァネーエフ

フセヴォロド(ユーリ公の子):マクシム・アクセノフ

フェヴローニャ:スヴェトラーナ・イグナトヴィチ

グリーシカ:ジョン・ダスザック

フョードル:アレクセイ・マルコフ

小姓:マイラム・ソコロヴァ  ほか

ネーデルラント・オペラ合唱団、オランダ・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:マルク・アルブレヒト

演出:ディミトリ・チェルニアコフ

 

この題名は2つの伝承から採ったので正式には「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」と言うらしいが、長ったらしいので簡単に前半分にしている。この映像はBRDで販売されているがその題名も「見えざる町キーテジの伝説」となっている。ネーデルランド・オペラがOPERAVISIONでショスタコヴィッチの「ムツェンスクのマクベス夫人」、リムスキー=コルサコフの「見えざる町キーテジ」と珍しいものを先週から流し始めた。前者は前に観てもう十分とパスし、初めてのこの作品を観た。

 

リムスキー=コルサコフのオペラは20近くあるが、日本ではどれもまず上演されない。この20年上演の記録はないようである。あらすじを簡単に紹介すると、

 

森に棲む娘フェヴローニャが狩りに来たキーテジの公子フセヴォロドと恋に落ちる。フェヴローニャは婚礼に向かう途中でタタール人に襲われ大酒飲みグリーシカと一緒に連れ去られる。フセヴォロドが出陣するが敗れて戦死してしまう。フェヴローニャとグリーシカは隙をみて逃走するが、グリーシカが湖で発狂し失踪してしまう。残ったフェヴローニャはフセヴォロドとの結婚と幸せな生活を夢に見て死んでゆく。

 

キーテジとはロシア正教の伝説上の聖地で、タタール人の襲撃に際して神の力で街全体を見えなくしてしまい、湖の底で生きていると伝えられる。清純無垢の優しい娘に起こった悲劇であるが、フィナーレの夢に見る幸せな家庭と世の中の平穏が言いたいのだと思う。

 

4幕で3時間を超える大作であるが、ワーグナーに慣れていても長いと思う。理由はひと幕の中での変化が少なく4幕4場のオペラを観てる感じがする。その4幕の中でも2,3幕はずっと多人数の合唱による騒然とした場面なので余計そう感ずる。そういう構成上の欠点はあるが、リムスキー=コルサコフの音楽は管弦楽曲で分かるように色彩豊かで美しい。このオペラは始めと終わりが特に良かったのでムツェンスクのような嫌な作品ではなかった。

 

フェヴローニャは性格が良い上に敬虔なクリスチャン、グリーシカは大酒飲みの乱暴者で信心はない。宗教的に見るとこの対照的な二人がオペラの主役であると思う。グリーシカは信心のなかった自分を後悔し罪の意識で鐘の音が耳から離れず湖で発狂する。一方のフェヴローニャは死ぬ間際になっても乱暴者のことを気遣い助かることを願うのである。このフィナーレのシーンは感動的であった。

 

演奏について特筆する人はいなかったが、全体がまとまって皆良かったと思う。中ではフェヴローニャを演じたスヴェトラーナ・イグナトヴィチが役柄に合った清純な感じでフィナーレを締めくり印象に残った。

 

全体に話の中身も音楽もワーグナーを感じたところがあるが、話の展開がスローテンポであまり変わらないので、2,3幕を整理したら却って聴き易くなると思った。

 

 


バレンボイムは過去何度かブルックナーの全曲演奏をしている。日本でも2016年ベルリン国立歌劇場の来日公演で連日の連続演奏会をサントリーホールで開いた。このライブストリーム映像は10年ほど前のベルリンとパリにおける演奏で、5月1日から13日にかけて番号順に1曲ずつ放送された。1番だけは聴き逃したが他は全曲聴くことができた。指揮振りを観ながら聴いたのは初めてで素晴らしい経験であった。

 

バレンボイムがベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任したのは1992年だから、今何と28年になる。昔なら普通のことだったが現在では極めて珍しい。この演奏会が行われた年でも18年になっている。これだけ長ければ当然以心伝心の関係になるであろう。嫌々では続けられる訳がない。

 

バレンボイムはピアノでもそうだが良いと思う時とそうでない時がある。それだけ個性が強いということで、聴く方にとっては好き嫌いがあると思う。強弱の変化が大きいのは良いが、テンポを変えたり、一音一音を跳ねるように演奏することがある。曲によってはそれも面白いが、精神的に高邁で厳かな音楽には合わないように思っていた。

 

ブルックナーの神々しい交響曲は個性がちらつくと良くない音楽と思う。だからバレンボイムにはこれまであまり関心がなかったが、オペラをいくつか聴く中にピアニストでなく指揮者としても曲に対する思い入れがあると思った。そこに偶々全曲演奏のストリーム放送があると知り、チャンスとばかりに一度視聴してみようと思った。

 

聴いていく中に徐々に印象が変わってきた。確かに始めの中はやはりそうかと思ったが、次第にバレンボイム臭を感じなくなった。揺るぎない構築力、一瞬たりともダレることない緊張感、重厚豊潤なクレッシェンドの迫力。特に7番は哀愁を帯びたオペラ的抒情も加わって感動した。その後8,9番は私の聴く気持ちも変わってきたと思うが、バレンボイムではなくただブルックナーを聴いている感じであった。恐らくバレンボイム自身が己を出す必要がないと思ったかもしれない。

 

バレンボイムは2番だけ(1番は分からないが)譜面を置いていたが、3番以降はすべて暗譜で指揮した。腕を大きく振り音楽の表情を引き出すことに全身全霊で集中していた。演奏中に汗を拭きふきの大熱演であった。楽員もそれに応えて全員真剣な面持ちで弾いていた。絃の分厚い響き、管打楽器の個人技とバランスが冴え、さすがはドイツのオケでブルックナーらしい音であった。

 

バレンボイムはパワハラで訴えられたと聞いたが、音楽監督は2027年まで延長されたそうである。極一部の反感を買っただけのようで、秀でた芸術家は往々にして一般常識に欠けるところから起きたのであろう。このブルックナーを聴いたら、聴衆の拍手でも分かるように、ずっと続けてほしいと思った。

 

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