くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2020年05月

                                     

2014.10.23 (ライブ収録OTTAVA

出演 

プリマ/アリアドネ:ソイレ・イソコフスキ

作曲家:ゾフィ・コッホ

ツェルビネッタ:ダニエラ・ファリー

テノール/バッカス:ヨハン・ボータ

音楽教師:ヨッヘン・シュメッケンベッカー

ハルレキン:アダム・プラチェトカ  ほか

ウィーン国立歌劇場管弦楽団

指揮:クリスティアン・ティーレマン

演出:スヴェン=エリック・ベヒトルフ

 

ウィーン国立歌劇場2014年のライブでBRDが販売されている。また2016年の来日公演でも使われた演出だが、実は2012年のザルツブルグ音楽祭がプレミエでその模様はNHK-BSでも放送された。いろんなところで観る機会があったわけでそれだけ評判のプロダクションと言えるだろう。カラフルな衣装できれいな舞台である。

 

NHKも観たが、今回のウィーンの演奏はセットと衣装が同じでもかなり違う。ザルツブルグは初演版で演劇の要素が強いのに対して、ウィーンの方は通常上演される改訂版で音楽が中心になる。もう一つの大きな違いはやはり指揮者からくると思う。ザルツブルグはダニエル・ハーディングで軽快、こちらは重厚なクリスティアン・ティーレマンだから違って当然である。好みの問題もあるが、Rシュトラウスに限って言えばティーレマンが断然良いと思う。

 

「ナクソス島のアリアドネ」は小劇場向けに作曲されたもので、他の作品と違ってオケの規模も小さい。だからと言って区別されることはなく大劇場でも変らず上演されている。ティーレマンのRシュトラウスは定評があるが、このオペラをこじんまりまとめようとはしない。オケが小編成でもティンパニーやピアノを強打したりクレッシェンドを強調したりで、他の作品と同じく華麗で豊かな響きを出している。フィナーレなど特にそう思う。

 

歌手も皆素晴らしい人ばかりである。タイトルロールのイソコフスキ、作曲家のコッホ、ツェルビネッタ役のファリー、この女声3人は一番いい時期という人を集めたと思う。男声ではバッカス役のヨハン・ボータ。日本公演の前に亡くなっているのでこれはとりわけ貴重な映像と思う。3人の妖精もソフトな声できれいなアンサンブル、衣装はメルヘン、容姿もきれいで華があった。

 

Rシュトラウスの中では最も楽しいオペラ、私は好きだから多く観た方だと思う。特にデセイとダムラウ両方のツェルビネッタを観られたのが一番の思い出である。

 


1994.
4 (ライブ収録)

出演

ヴォツェック:フランツ・グルントヘーバー

マリー:ヴァルトラウト・マイアー

大尉:グラハム・クラーク、鼓手長:マーク・ベイカー、アンドレス:エンドリック・ヴォトリッヒ、医者:ギュンター・フォン・カンネン、第1の徒弟職人:ジークフリート・フォーゲル、第2の徒弟職人:ローマン・トレケル、マルグレート:ダリア・シェヒター  ほか

ベルリン国立歌劇場合唱団、児童合唱団、管弦楽団

指揮:ダニエル・バレンボイム

演出:パトリス・シェロー

 

随分と古い1994年プレミエ公演だが、ベルリン国立歌劇場の97年来日時と同じもの。キャストもヴォツェックが代わっていたがほぼ同じ顔ぶれであった。抽象的ながら芸術的には良い演出で何より音楽が最高の大熱演であった。

 

シャトレ座、リリック・オペラとの共同制作らしいがそれ程金のかかった舞台とは思えない。3幕15場、2時間弱のオペラだからリアルなセットは難しいし、やったとしてもかなり忙しない舞台になってしまうと思う。だからほとんど何もない。壁、階段、柱だけの箱で床には何も置いてない。小道具としては木馬遊びに使うほうきだけである。照明も暗く人の動きが分かる程度にしている。

 

この題材はかなり深刻で、貧困、売春、罪といった問題を抱えている。ただしそれをどう解釈するかについて演出家は何も語っておらず、ただ描くだけである。だから観終わって考えさせられる。貧困の中では売春も罪と分かっていても仕方なかった、それを清算するには死しかない、ということだろうか。

 

分からないドイツ語の字幕ではちょっと抵抗があった。しかし私が音楽を聴き始めたころはこれ以上に悪い環境だったと思ったら、音楽に注意がいくようになった。この作品はオペラというより劇的音楽のようで、歌唱よりオケの方に一層惹かれる。バレンボイムは緊張と迫力をもって情景を描き出した。おそらくバレンボイムの最良の演奏でないかと思う。

 

マリーを演じたのはヴァルトラウト・マイアー。勢いのある声で完璧な歌唱と迫真の演技、現在御大と呼ばれるようになった若い頃の姿である。タイトルロールのフランツ・グルントヘーバーもぶれない歌唱で朴訥、孤独な境遇の表情がよく出て、二人とも滅多にお目にかかれない熱演で素晴らしかった。その他端役の男性歌手に今日第一戦で活躍している面々がずらっと並んでいる。これには驚くが、この役では印象に残り難かった。

 

この映像は観て懐かしく感じた。と同時に良いものは時代を超えて良いということを再認識した。

 

 


2014.
4.12 (ザルツブルグ祝祭大劇場ライブ収録)

出演

アラベラ:ルネ・フレミング、ズデンカ:ハンナ・エリザベス・ミュラー

マンドリカ:トマス・ハンプソン、マッテオ:ダニエル・ベーレ

ヴァルトナー伯爵:アルベルト・ドーマン、アデライーデ:ガブリエラ・ベナチェコヴァ

フィアカーミリ:ダニエラ・ファリー  ほか

ドレスデン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:クリスティアン・ティーレマン

演出:フロレンティーネ・クレッパー

 

2014年ザルツブルグ・イースター音楽祭の公演。NHK-BSで観たが記事にはしなかった。このブログは原則として現地公演から数日以内のライブを対象にしているが、現在はどこもすべて閉鎖になっているので過去収録のものについて書いている。再開されればまた戻すつもりでいる。

 

「アラベラ」は「ばらの騎士」と両輪をなすがちょっと細目と思う。ストーリーにマルシャリンのような艶っぽさがないから、音楽もそれに合わせ美しくはあるが華麗さとか複雑な情感が少ない。特にフィナーレの余韻がなくストンと終わってしまう。そうは言っても「ばらの騎士」に比べてのことでやはりRシュトラウスは素晴らしい。

 

伝統的演出で舞台はシンプルだが質感が高い。劇場が幅広なので1幕など部屋が3つも並んでるが、調度品が少なく広々している。衣装もほとんどがイーブニングドレスと燕尾服だから今日の正装だと思う。貴族的雰囲気が漂って演技を見せようとするところがないリアル感がある。

 

歌手はRシュトラウスだから女声の方が良くないと駄目だし確かに実際に良かった。タイトルロールのルネ・フレミングは柔らかく潤いのある声で、心情表現が上手いからこういう品のある役にはぴったりである。METのインタビューでも分かるが、歌唱でもソフトな当たりで親近感がある。ズデンカ役のハンナ・エリザベス・ミュラーはこれがデビュー作らしいが、これ以上のズデンカはないと思った。声がきれいで顔付体型も少年らしく実に可愛い。これは6年前の映像だからいつまでもこのままとはいかず、最近はスザンナやドンナ・アンナ、この11月にはウィーンでアラベラを歌う予定になっている。フィアカーミリ役のダニエラ・ファリーも素晴らしい。「ばらの騎士」テノール歌手と同じく少ししか出ないが、鮮やかなコロラチューラの歌唱で場を盛り上げていた。男声ではマッテオ役のダニエル・ベーレが終始安定して良かったと思う。トマス・ハンプソンはどうしたのかそんな歳でもないと思うが声が出てないところがあった。でもフィナーレのアラベラとの二重唱は良かった。

 

「ばらの騎士」も「アラベラ」もドレスデンで初演された。だからということはないがドレスデンの音は素晴らしい。ティーレマンはこの渋い音を生かして大きな起伏のある滔々とした流れをつくっている。「ばらの騎士」ならウィーンの華麗な音の方が相応しいと思うが、「アラベラ」はそれ程派手な内容でもないからこれはこれでまた上手いだけとは違う雰囲気の良さがある。

 

ティーレマンはどこも長続きしないようだが、フルトヴェングラー以来のドイツ本流をいく指揮者だから、バイロイトとドレスデンはずっと続けてほしいと思う。

 

                                     

2015.3.10 (ライブ収録OTTAVA

出演 

エルヴィーラ:オルガ・ペレチャッコ

アルトゥーロ:ジョン・テジエ

リッカルド:カルロス・アルバレス

ジョルジオ:パク・ヨンミン  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:マルコ・アルミリアート

演出:ジョン・デュー

 

ベルカント・オペラの内ロッシーニとドニゼッティは極めて多作家だが、ベッリーニは少なくよく演奏されるのは5作品程度である。しかしベッリーニ・ファンは結構多いと思う。私もその一人で特に「清教徒」はストーリーも音楽も素晴らしく最も好きなものである。

 

清教徒とは英国のプロテスタント教の中で英国国教会に対抗する教派のこと。17世紀チャールズ1世の時代政治対立に発展し、国教会の王党派と清教徒の議会派の闘争の母体となった。実際は議会派が一枚岩でなかったためこのオペラのようなことも起こり得た。オペラに出てくる后はチャールズ1世の王妃であり、クロムウェルは清教徒軍の司令官的存在である。内戦は清教徒側の勝利に終わりチャールズ1世が退位し清教徒革命と言われる。

 

オペラ「清教徒」はこの内戦を舞台にした議会派の娘エルヴィーラと議会派でありながら穏健なアルトゥーロの恋物語である。アルトゥーロには恋敵リッカルドがおり、リッカルドはアルトゥーロが后の逃亡を助けるのをわざと見逃しながら、後に議会派への裏切りと非難し処刑するつもりでいる。結局は議会派が勝ったのでアルトゥーロも無罪になる。ところがここから先がジョン・デュー演出の変わったところとなる。エルヴィーラとアルトゥールが抱き合うのを見てリッカルドはアルトゥーロを嫉妬から刺殺してしまい、そこにエルヴィーラが倒れ崩れて幕となる。この方が確かに悲劇性が増すと思う。

 

歌手は素晴らしかった。ペレチャッコは出始めの頃ロッシーニ・オペラ・フェスティバルで磨いたそうで、今ベルカントを聴くには一番良い時と思う。アルトゥーロのジョン・テジエはベルカントにしては珍しいくらいソフトな声で穏健派に相応しいと思った。リッカルド役はベテランのカルロス・アルバレス、すっかり安定した歌唱でむしろ引き立て役に回っていた感がある。ジョルジオ役のパク・ヨンミンを聴くのは2度目だが、5年も前から活躍してるとは知らなかった。ここではちょっと声だけのところがあるが、リッカルドとの二重唱は風格すらも感じさせ素晴らしかった。マルコ・アルミリアートはテキパキとオケを引っぱっていた。ホルンが良い音を出していた。

 

全体に音楽は素晴らしかったが演技の方が今一つ棒立ちの感がある。ペレチャッコもよく動いてはいたが狂った感じがあまり出ていなかったと思う。レパートリー公演なので高望みをし過ぎてはいけないが。

 

さて次はどれを観ようかと迷うこの頃である。

 

 


2010.3.27(ライブ収録)

出演

ハムレット:サイモン・キーンリーサイド 

オフィーリア:マルリス・ペーターゼン 

クローディアス:ジェームス・モリス 

ガートルード:ジェニファー・ラーモア   ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ルイ・ラングレー 

演出:パトリース・コリエ モーシュ・ライザー

 

シェイクスピアの戯曲をオペラ化したものは全て名作である。取分け「ハムレット」は人間の心理状態を極限まで抉ったストーリーは勿論のこと、音楽として超難コロラチューラの歌唱が聴けて一段と魅力的である。METの2010年新演出で少し古いが、キャンセルしたナタリー・デセーを期待した人も多かったと思う。しかしマルリス・ペーターゼンが非常に素晴らしく、代役と言えない代役であった。

 

舞台は周りを囲っただけですっきりしている。僅かに2幕で晩餐会のテーブルと、4幕で居間のソファーがある程度。照明も全体に暗く人物だけに照準を合わせたやり方で心理劇に相応しい演出であった。細かいところで、劇中劇は余興に相応しく殺人をコミカル風にしたり、父の亡霊に手助けされて義父を刺すフィナーレの場面などハムレットの戸惑いが出て良かったと思う。

 

歌手ではタイトルロールのサイモン・キーンリーサイドが最高。歌唱の迫力も感情表現も過剰過ぎることがなく如何にもリアルな感じがした。演技では晩餐会の狂乱振りなど歌手とは思えなかった。休憩時間のインタビューでルネ・フレミングが「舞台では歌手と俳優のどちらに重きを置いてるか」と質問したくらい迫真の熱演であった。オフィーリアのマルリス・ペーターゼンは透明で丸みがある声で表現力も素晴らしい。演技も後に「ルル」が評判になったが、この狂乱の場でも純白のドレスに鮮血が流れる凄まじい演技は鳥肌が立った。義父クローディアスのジェームス・モリスはちょっと張りがなかったし、母ガートルードのジェニファー・ラーモア もMETでは普通の感じであった。

 

ラングレー指揮のオケはいつもより素晴らしかった。明解、ドラマティックで上手いことに変わりはないが、薄いオブラートをかけたような雰囲気があってヨーラッパの音を感じた。

 

びわ湖ホール「神々の黄昏」の中止以来丁度2か月が経った。その後欧米のオペラハウスも次々と閉鎖になり過去収録のストリームを解放するようになった。その間に観たオペラの数は通常の実に10倍にも達した。テレビでの観劇では臨場感がないけれども、中にはその場にいるのと変らない気持ちになったものもある。それしかないとなれば十分に感動出来るものと思った。

 


2014.3.1(ライブ収録)

出演

イーゴリ公:イルダール・アブドラザコフ

ヤロスラーヴナ:オクサナ・ディーカ

ヴラヂーミル:セルゲイ・セミシュクール

ガーリツキィ公:ミハイル・ペトレンコ

コンチャーク汗:ステファン・コツァン

コンチャーコヴナ:アニータ・ラチヴェリシュヴィリ  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ジャナンドレア・ノセダ 

演出:ディミトリ・チェルニアコフ

 

MET2014年新制作公演。METでも2回目らしいしライブビューイングはもちろん初めてである。管弦楽曲として「ダッタン人の踊り」は有名だが、オペラが上演される機会はほとんどない。私もNHKでボリショイの公演を一度観ただけである。もともと未完の作品でいろんな版があるそうだが、そこまで関心がないので今回観た感想をメモとして残しておきたい。

 

舞台セットは素晴らしかった。第1に舞台一面の真っ赤なポピー畑。イーゴリ公が捕らわれた出来事は幻想であると捉え、そこで起きたことを夢のようなポピー畑で演じさせたのである。第2にイーゴリ公の館がダッタン人の攻撃で破壊される場面。舞台セットの天井が本当に爆弾で粉々になる様に崩れるのである。けが人が出るのではと思った。静的な美しさと動的な迫力を一度に見せるMETらしい凄い舞台であった。

 

歌手は主なところすべてロシア系、演出もそうだからまるでマリンスキーかボリショイが引っ越したみたいである。聴きどころの低音パワーが暗く重苦しい音楽を一層重苦しくする。その3人の歌手、イルダール・アブドラザコフ、ステファン・コツァン、ミハイル・ペトレンコがとりわけ素晴らしい。それぞれ捕らわれて悩むイーゴリ公、勝利したコンチャーク汗の貫禄、やりたい放題の悪人を見事に演じていた。強い女のラチヴェリシュヴィリと坊ちゃんタイプのセミシュクールの愛し合う二人も良かった。それと合唱が素晴らしい。しばしば出番があって重要な役割を果たしていた。

 

イタリア人がロシアものを指揮するのは珍しいと思うが、ジャナンドレア・ノセダはゲルギエフの下で指導を受けたのであまり意識してないようである。過去にボリスも指揮している。しかし国民性も違うからロシアンパワーとイタリアのきれいさ明るさとは合うのかなぁと思う。でも音楽は淀みなく良かったと思う。

 

幻想的なポピー畑を入れて人間の心理面を強調したが、それでも労音がコンサートを企画した時代に育った者にとって、このオペラは社会主義信奉がちらつく。こういうものこそ大幅な読み替えをやってもらいたいと思う。

 

 

 


2019.
6.21・23 (ライブ収録)

出演

ナブッコ:ミヒャエル・フォレ

アビガイッレ:アンナ・スミルノワ

ザッカーリア:ゲオルク・ツェッペンフェルト

イズマエーレ:ベンジャミン・ベルンハイム

フェネーナ:ヴェロニカ・シメオーニ  ほか

チューリヒ歌劇場合唱団、フィルハーモニア・チューリヒ

指揮:ファビオ・ルイージ

演出:アンドレアス・ホモキ

 

チューリヒ歌劇場昨年の新制作でNHKでも放送された。すっかり忘れていたが2人の女の子を観て思い出した。シンプルな演出と感情豊かな演奏で素晴らしかった。

 

冒頭2人の女の子が仲良く遊んでいる。周りの多数の女性たちも子供と同じ花柄の衣装を着けている。幕が開くと中央の頑丈な壁が舞台を分けている。このオペラを知っている人なら二人がフェネーナとアビガイッレであることは直ぐ分かる。昔は周りの人々共々皆幸せな生活をしていたのに、それが仲たがいして対立していることを表している。この状況で人間の心理だけに焦点を当て、国王ナブッコも単に一人の人間として扱っている。聖書の話は離れて、アビガイッレとナブッコ、フェネーナ、イズマエーレの個人的対立を浮き彫りにしている。相手国に寝返った国王の権威などどうでもよいこととした。この方が却って理解し易いと思う。

 

こうなると対立を仕掛けたアビガイッレが中心になる。アンナ・スミルノワはロシアのドラマティック・メゾで、アビガイッレの他アムネリスやエボリ公女を得意としている。怖いほど強烈な怒りをぶっつけるが最後に後悔するという役柄が共通している。このアビガイッレでもロシア・パワーがさく裂して凄い迫力であった。また一転してナブッコとフェネーナに謝って息絶えるところも感動的であった。

 

ナブッコの役はフィナーレで盛大に持ち上げられるわけでも惜しまれる死を遂げるわけでもない、タイトルロールながら変な扱いと思う。特に今回は演出もあって受け身の立場にある。ミヒャエル・フォレも多少良いオヤジ風で遠慮気味だったようだ。男声ではザッカーリア役のゲオルク・ツェッペンフェルトが堂々と風格があって素晴らしかった。イズマエーレとフェネーナは大人しい役で目立たないが純真な感じが出て良かったと思う。

 

ファビオ・ルイージはキレの良いリズム感としっかり歌わせる抒情性がある、ヴェルディを知り尽くした指揮者と思う。3幕の合唱「金色の翼に乗って」はゆっくりとしたテンポで寂しさが溢れ感動的であった。イタリア人だがずっと海外で活躍し漸くメーターの後任としてフィレンツェに落ち着いたようだ。

 

チューリヒ歌劇場はメジャー劇場にしては小さいが、出演者は決して引けを取らない。大規模なセットは組み難いがビデオで観るなら全く問題ない。出し物も多いので要チェックである。

 

 

                                     

2018.11.4 (ライブ収録OTTAVA

出演  

エネ(トロイアの英雄):ブランドン・ヨヴァノヴィッチ 

カサンドル(トロイアの王女):アンナ・カテリーナ・アントナッチ 

コレーブ(その婚約者):アダム・プラチェトカ 

ディド(カルタゴの女王):ジョイス・ディドナート 

アンナ(その妹):Szilvia Voeroes

ナルバル(カルタゴの高官):パク・ジョンミン

イオパス(詩人):パオロ・ファナーレ  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、バレエ団、管弦楽団

指揮:アラン・アルティノグリュ

演出:デイヴィッド・マクヴィカー

 

2018年新制作プレミエ時の公演。滅多に上演されない演目で、前に一度NHKで観たことがある。その時同様このオペラは好きになれない。

 

第1の理由は長い。ワーグナーに慣れた者にとってもこれは饒舌で退屈する。素人目で言うと別の話をふたつくっ付けて後ろに足しただけの感がある。カサンドルとコレーブ、ディドとエネ、二つの恋物語を結ぶ糸があまりにも細過ぎる。トロイの木馬で知られるギリシャ詩人ウェルギリウスの長大な叙事詩「アエネーイス」(ここではエネ)を題材にベルリオーズ自らが台本を書いた。ワーグナーが北欧神話を題材に台本を書いた「ニーベルングの指環」と共通したところがある。ただしベルリオーズはそこから恋の話をふたつ部分的に抜き出しただけで、ワーグナーのように全体をオペラ化したわけではない。これが大きな違いで文学的才能にレベル差があったと推測する。もっともべリリオーズはワーグナーより10歳年長で、お互いに相手の作品が初演されたのは自分の死後なので実際に相手の作品を聴くことはなかった。ベルリオーズがワーグナーに影響を及ぼしたかどうかは私が知る由もない。

 

他の理由もある。バレエの挿入が多過ぎる。フランスのグランドオペラの特徴だそうだが、ここまでくると邪魔である。合唱も多く、オペラを観ているというよりはスペクタクル・レビューを観てる感じがする。

 

しかし舞台は立派で見栄えがした。ロイヤル・オペラ、スカラ座、サンフランシスコ・オペラとの共同制作だそうだ。木馬ならぬ鉄廃材を溶接したスケスケの金属馬で、これでは中に人が隠れることなどできないと茶々を入れたくなる。確か日本の美術家でこういうタイプの作品を創ってる人がいたように思う。もう一体エネの彫像でも登場し、ふたつとも相当な重量になる力作である。他にカルタゴの街の模型とか錨の太い綱とか、どれも写実的ではないが美術品みたいで、全体が芸術的香りのする舞台であった。

 

歌手ではディドを演じたジョイス・ディドナートが驚愕の大熱演。肌理の細かい声で知性的正確な印象を持っていたが、これ程まで激情的に歌うとは思っていなかった。二重唱の恋の甘さと捨てられた時の怒りの変わり様ったら凄かった。カサンドル役のアンナ・カテリーナ・アントナッチも素晴らしかった。ただ前半の出番なので損するし、ちょっと張りがなかったようにも思った。エネ役のブランドン・ヨヴァノヴィッチはどこと言って特徴の目立つことはないが、ディドナートとの二重唱は息があってとても良かった。韓国でまた一人楽しみな歌手が出た。パク・ジョンミンは初めて聴いたがロシア人みたいの力強いバスで、これから活躍すること間違いないと思う。オケについては先入観かもしれないが、フランスものはウィーンの潤いのある音よりもスカッとした音の方がよく合うように思う。

 

この「トロイアの人々」、ベルリオーズ生前中には後半だけが初演された。スポンサーが長過ぎて嫌がったのも分かる気がする。一つの作品としてまとまりが悪いから、カサンドラの恋を大幅に省略しバレエを少なくしたら3時間程度に収まると思う。誰か考える人はいないかしら。

 

↑このページのトップヘ