くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2020年06月


2018.
1.28(世界初演ライブ収録)

出演

シンデレラ:ブリオニー・ドワイヤー 

王子:パヴェル・コルガティン   ほか

ウィーン国立歌劇場専属管弦楽団(ヴァイオリとピアノは作曲家自身)

指揮:ヴィットルフ・ヴェルナー

演出:ビルギット・カイトナ

 

「シンデレラ」ついでにもう一つの話題。アルマ・ドイチャーは2005年英国生まれの作曲家。21世紀におけるモーツァルトの再来と言われ、この「シンデレラ」はわずか8歳に書き始めた作品だそうである。2017年版がBRで発売されていてその解説によれば次のようにある。

 

アルマは3歳の時に聞いたR.シュトラウスの歌曲『子守歌』に感動し、4歳で頭の中で様々なメロディが浮かぶようになり、5歳で「ドン・アロンゾ」の話によるオペラを、6歳でピアノ・ソナタを作曲。9歳の時にはヴァイオリン協奏曲を、12歳でピアノ協奏曲を書き、それぞれ自らが独奏者となって初演。このオペラ(「シンデレラ」)はアルマが8歳から作曲をはじめたもので、10歳の時に室内楽版が完成され、2015年にイスラエルで初演。その翌2016年に、ウィーンで構成と編成を拡大した版が何とズービン・メータの支援のもとに実現し、センセーションを巻き起こした(上演はドイツ語)。

 

今回配信されたのは2018年世界初演となっていて整合性がないが、どちらかが間違いか或いは版が異なってるのでしょうか。

 

この「シンデレラ」は設定が少し変っている。舞台はシンデレラの継母が経営するオペラ・カンパニーで、シンデレラは天才作曲家、意地悪の姉2人は才能のないソプラノ歌手になっている。王子は詩人で、シンデレラは王子の詩とは気づかずにその詩に音楽をつける。それを姉たちが盗んで王子の前で披露するが上手く歌えず、ついにシンデレラがその歌を歌いあげる。シンデレラが去った後王子はその美しいメロディを頼りに探し出し、2人は結ばれる。

 

会話付きの歌オペラで1時間ちょっとの子供向け公演。ポピュラーソング並みの親しみ易い音楽であった。終了後にステージに呼ばれたが本に可愛い少女である。世の中にはとんでもない大天才がいるものである。

 

 


2018.
4.28 (ライブ収録)

出演

サンドリヨン:ジョイス・ディドナート

王子:アリス・クート

アルティエール夫人:ステファニー・プライズ

パンドルフ:ロラン・ナウリ

妖精:キャスリーン・キム  ほか

メトロポリタン歌劇場管弦楽団

指揮:ベルトラン・ド・ビリー

演出:ロラン・ペリー

 

METの新制作。童話のオペラ化と言うコンセプトの演出で、歌唱もオケも素晴らしかった。

 

シンデレラ(サンドリヨンはフランス語)は誰でも知ってる話だから、注目はロラン・ペリーの演出である。フランスの演出は洗練されて好きだが、特に彼は衣装も同時に手掛けているので一層特徴が顕著である。

 

幕が開くといきなり3方一面が童話文章の壁、そこに観音開きの扉が沢山連なっている。歌手が扉から入り演技し終わると扉から出ていく。また場面によって小さい寝室とかベランダが挿入されサブ・ステージになる。まるで飛び出す絵本のページをめくるような感じである。衣装は童話の挿絵のように形も色もきれいである。特に魔法の杖を持った妖精の真っ青な衣装が目を引いた。装置、衣装と共に演技も童話的(アニメ調)でコミカルに動く。シンデレラが舞踏会に向かう場面、馬の仮面をかぶった4人の御者が馬そっくりに足を動かして面白かった。

 

サンドリヨンが夢に見た世界は現実を見せることによってその違いが鮮明になる。裏返せば現実の世界も鮮明になるということである。この演出ではむしろ現実社会の人間らしさが印象に残る。可哀そうな娘とあわれな父親が見せる真の愛情にはほろりとさせられるし、王子の方も国王の強制に嫌な思いをしている気弱な男に同情したくなる。

 

歌手は皆素晴らしかった。サンドリヨンのジョイス・ディドナートは侍女、娘、お姫様と変化の多い役を上手く演じていた。お姫様になり切れない優しい気持ちが表れて、その優しさは父親とのデュエットにも一層よく出ていたと思う。お相手の王子役アリス・クートも同じで、コミカルなところもあるが、本質は浮いた王子様でなく人間臭い苦労している男のように演じていた。一番鮮やかだったのは妖精のキャスリーン・キム。見事なコロラチューラの歌唱、魔法の杖を派手に振り回した演技と共に申し分なかった。小柄でもあり以前「ホフマン物語」の人形オランピアも可愛かったが、こういう役には誠によく合っている。父親パンドルフのロラン・ナウリは真面目な人で演技はあまり得意でないようだが、ここは父親の優しさを地で行くようで良かった。憎まれ役ではあるが継母アルティエール夫人のステファニー・プライズは滑稽な衣装も手伝って見事な意地悪役を果たした。

 

合唱の一人一人の演技が休むことのないよく練られた動きでここまで細かく仕上げたのは凄いと思う。普通ボーと立ってるのが多いのに感心した。オケも力まず透明な音で素晴らしかった。

 

子供向け題材のオペラは「ヘンゼルとグレーテル」もそうだが、大人が観るのはちょっとと言う感もあるが、これは演出が素晴らしく観て良かったと思う。

 

 


2019.
5.29 (ライブ収録)

出演

ダントン:トマーシュ・コニエチュニー

カミーユ:ベンジャミン・ブルンズ

リュシール:オルガ・ベスメルトナ

ロベスピエール:トマス・エーベンシュタイン  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ミヒャエル・ボーダー

演出:ヨーゼフ・エルンスト・ケップリンガー

 

ゴットフリート・フォン・アイネムはベルクより少し後のオーストリアの作曲家。「ダントンの死」はビューヒナーの同名の戯曲によるが、彼はベルク「ヴォツェック」の原作者でもある。ダントンとは実在のフランス革命の主導者でロベスピエールと対立し断頭台に送られた。こういう説明がいるくらい珍しいオペラで観たのは初めてだった。

 

アイネム生誕100年に当たる2018年ウィーン国立歌劇場の新制作。4幕あるいは4場の構成だが、照明を落とすだけで出演者が小道具を動かし途切れることなく1時間45分で終わる。

 

むかし世界史で習ったロベスピエール率いるジャコバン党とジロンド党の抗争の話で、ジャコバン党の独裁体制の有様を描いている。ただし舞台は反ロベスピエール派のダントン、カミーユと妻リュシュールを中心に進行する。フィナーレでリュシュールが“国王万歳”と発するのは立憲君主制を擁護するのかもしれないが、全体を観た印象としては独裁の恐怖を描いたもののように思う。

 

音楽はベルクより聴き易いと思った。それはソロより合唱重唱が多く目立ち、群衆の罵倒、ヤジ、声援を激しくぶっつけ合うところが多い所為もある。極端に言えば音楽の迫力と言うより集団の叫びを感覚的に聴いてる感じさえする。勿論ソロでもダントンを演ずるトマーシュ・コニエチュニーが裁判で群衆に訴える迫力とか、リュシール役のオルガ・ベスメルトナの不安な心情表現など聴きどころもある。しかしそれも歌唱そのものと言うより劇としてのポイントと言った感じがした。

 

このオペラで感じたのは独裁政治の恐怖と共に一般民衆の変わり易い意識の愚かさで冷静にならなければと思った。

 

ストーリーも音楽もストレート過ぎて私には良いとは思えなかった。こういう機会がなければ多分観なかったし、もう一度観たいとも思わない。

 

 


2018.10.20 (ライブ収録)

出演 

サムソン:ロベルト・アラーニャ

デリラ:エリーナ・ガランチャ

大祭司:ロラン・ナウリ

ヘブライの長老:ディミトリ・ベロセルスキー

ガザの太守アビメルク:イルヒン・アズィゾフ  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、バレエ団、管弦楽団

指揮:マーク・エルダー

演出:ダルコ・トレズニヤック

 

METの新制作、ガランチャの素晴らしさが眩い公演であった。

 

ガランチャの魅惑的なことったらこれ以上ない。声も容姿も演技も唯々見惚れた。歌唱は完璧。深々としたふわっと包み込むような柔らかい声と長い息で表情が極めて豊かである。お馴染み2幕のアリアはテンポもゆったりで聴き惚れてしまった。また演技も実に細かい。演出家の指示があったかどうか知らないが、デリラは心底ではサムソンが好きなのだが自国の為そうせざるを得なかったと読んで演じていた。サムソンを優しく或いは心配そうに眺めたり、大祭司の言葉にドキッとしたり、在り来りにせずなかなかよく考えていた。

 

サムソンのアラーニャもまた素晴らしかった。感情的な表現だけでなくフランス人だけに言葉の響きがよく、デリラが好きになるのも分かるイケメンがよく似合っていた。ただ怪力の風采は無かったと思う。ダゴンの大祭司、ローラン・ナウリもフランス人で言葉が柔らかくジェントルマンだからデリラを操る悪役にはあまり見えなかった。

 

100名を超すと見える合唱が観もの聴きものである。このオペラでは重要な役割を果たし、1幕では囚われたヘブライ人の苦しみと祈りを、3幕では反対のペリシテ人の祭りの喧騒とダゴン賛歌を歌い舞台を豪華にしていた。指揮はイギリスのナショナルオペラ音楽監督をしていたマーク・エルダーだが、ドイツ的ながっちりした音楽でフランス的な鮮やかさはなかった。

 

舞台はMETらしい高さと奥行きが目いっぱいの大規模なセット。中央奥からの長い階段を役者が降りてくる姿は目を引く。(遠過ぎて歌わないが) 3幕でも人型の神殿門が大掛かりである。ただ壁も門も丸い穴のパンチング鉄板(?)で出来ていて、レースみたいに透けて見える効果はあるが大きくても何か安っぽい感じがする。フィナーレで神殿が倒壊する場面もなく、奥から強い光を当てて目を晦ましたのも良くなかったと思う。

 

2001年MET来日公演でドミンゴとボロディナの「サムソンとデリラ」を観た。その演出はサムソンが長大な柱を倒すフィナーレだったが、上から覗いていた所為か前評判ほどの迫力がなかった記憶がある。このシーンを舞台で見せるのは難しいと見える。

 

「サムソンとデリラ」は3幕構成で、ストーリーは骨太、合唱もバレエもあって大規模な割りに時間は意外と短く2時間ない。有名なアリアもあり取っ付き難いオペラではないのに、日本ではどうしてか舞台にほとんど上がらない。最近は映像を上手く使った演出もあるから何処かで考えてくれないかしら。

 

 


2016.
12.3 (ライブ収録OPERAVISION

出演

クレオパトラ:ダグマー・マンツェル

シルヴィウス:ドミニク・ケーニンガー

パムピルス:ドミニク・ホルヴィッツ

シャーミアン:タルヤ・リーベルマン

アントニー:ペーター・レンツ  ほか

ベルリン・コミッシェ・オーパ合唱団、管弦楽団

指揮:アダム・ベンズヴィ

演出:バリー・コスキー

 

全く知らなかった作品である。オスカー・シュトラウスはレハールと同い年のウィーンの作曲家だが、ヨハン・シュトラウス一族とは血縁がない。オペレッタが多いが、バレエ、映画の音楽もある。

 

クレオパトラは言うまでもなく古代エジプト女王のこと。オペレッタには重過ぎる題材と思うが、それは切り離して単に名前を借りただけと思った方が良い。尻が軽いが人間味もあるクレオパトラがローマの軍人シルヴィウスと執政官アントニーを相手に繰り広げる色事ドタバタ喜劇。かなり下世話な話で「メリー・ウィドウ」のような洗練された上流社会の雰囲気はない。歌唱は確かにウィーン風だが、音楽、台詞、ダンスの3つが同じウェイトで、ダンスには「アイーダ」の演奏があったりもする。

 

クレオパトラを演じたのはドイツの女優声優ダグマー・マンツェル。当然マイクをつけている。歌は少なく大部分は台詞でそれも猫の指人形を片手に声色を使った話術と、猫がいない時は演技で通す。クレオパトラのいわば秘書役パムピルスもテレビ俳優で、こちらも歌はなく台詞ばかり。語学力がないので英語の字幕では笑いのニュアンスを理解することが出来なかった。オペレッタの歌手らしいのは軍人シルヴィウスのドミニク・ケーニンガーとその恋人シャーミアンのタルヤ・リーベルマンくらいなものである。主役があまり歌わないし、それにラインダンスが極めて多いから、これってオペレッタかなぁと思った。時代も現代なので何かコスプレ集団の演芸大会を高級にしたみたいだった。

 

平土間やロージェの客席まで広く使って、カラフルで目を楽しませる舞台だったので観てはとても愉快で面白かった。

 

 


2016年5月(ライブ収録)

出演

ペレアス:ジャック・インブライロ

メリザンド:コリン・ウィンタース

ゴロー:カイル・ケテルセン

アルケル:ブリンドリー・シェラット

ジュヌヴィエーヴ:イヴォンヌ・ネフ

イニョルド…ダミアン・ゲーリッツ(ボーイ・ソプラノ) ほか

チューリッヒ歌劇場合唱団、フィルハーモニア・チューリッヒ

指揮:アラン・アルティノグリュ

演出:ドミトリー・チェルニャコフ

 

フランスの作曲家として一番にドビュッシーを上げる人は多いと思う。フランスが最も輝いていた19世紀後半から20世紀初頭は急速な近代化が進み、植民地も英国に次いで2位の経済的繁栄を謳歌していた時である。フランス革命100年記念でパリ万博が開催され、エッフル塔や地下鉄などが建設された。芸術文化はこういう豊かな時代に開花するもので、ドビュッシーもモネ、ルノワールもこの時期に活動している。

 

印象派とは絵画につけられた呼び名だが、音楽にも印象主義の言葉が使われる。ドビュッシーは印象派の絵画を念頭に作曲したわけでないが、結果的に雰囲気が似ていることは確かである。両方とも幻想的、ぼんやりした、謎めいたといった表現が共通して当てはまると素人には思える。しかしモネやルノワールは絵画の人気ランキング上位に上がること間違いないと思うが、ドビュッシーは果たしてどうだろうか。そういう私もドビュッシーを好きになったのはかなり後になってからである。接する機会が少なければ好きになる機会も少ないとは思うが。

 

さてフランス代表のオペラ「ペレアスとメリザンド」、この公演は読み替え演出だったが非常に面白かった。題名と異なりゴローの方を主役に仕立てていた。森の中に住む裕福な家族。長男ゴローは精神科医で妻を亡くし息子、両親、弟ペレアスと暮らしている。メリザンドは恐怖症の患者で治療を受けに来る。時が経ってゴローは若さの魅力に取りつかれたかメリザンドと結婚する。ところがペレアスとメリザンドの関係に疑いを持つようになり、医者でありながら自分の方が妄想狂に陥ってしまう。メリザンドは身篭って出産するがゴローはペレアスの子と思い込んでいる。メリザンドは真実を話せと強要される中で息を引き取る。森の泉も海辺の洞窟もなくすべて家の中で進行し、終始人間の心理描写だけに焦点を当てていた。

 

歌手ではゴローのカイル・ケテルセンが圧倒的に素晴らしかった。医者の冷静さから疑念を抱き狂気に至るまですべてを出し切っていた。ペレアスのジャック・インブライロとメリザンドのコリン・ウィンタースは若い二人の気持ちが変わっていく様を好演していたと思う。指揮者のアラン・アルティノグリュもダラダラせず全体に霞がかかったような響きで良かった。

 

この種の心理描写は大劇場よりもチューリヒのような小振りの劇場の方が、舞台装置の面からも歌手と共感できる距離感からも相応しいと思った。チューリヒらしい極めて良質の公演であった。

 

 


2019.11.23(ライブ収録)

出演:

アクナーテン:アンソニー・ロス・コスタンゾ

ネフェルティティ:ジャナイ・ブリッジス

太后ティイ:ディーセラ・ラルスドッティル   ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:カレン・カメンセック

演出:フェリム・マクダーモット

 

フィリップ・グラスはアメリカの現代作曲家。「アクナーテン」はMET初演になる。2011年にガンジーの半生を描いた「サティアグラハ」を観たからこれは2作目になる。短いフレーズの繰り返しばかりだが意外に訴えるところがあり、聴き終わった後暫く音が耳から離れなかった。

 

「アクナーテン」は紀元前14世紀エジプト王朝アクナーテン王の生涯を描いたもの。黄金のマスクで有名なツタンカーメン王の父王に当たるファラオで、それまでの多神教から太陽神アテンだけを信仰する宗教改革を行ったが、民衆などの反感によって殺害され、子のツタンカーメン王になってすぐ元の多神教に戻ってしまった。

 

このオペラも「サティアグラハ」同様、歌手の台詞で物語が進行することはない。要所で語りが入るが、それ以外は字幕がないし舞台を観て想像することになる。音楽は砂浜に波が打ち寄せては返っていくような感じで、強弱緩急の少ない音の繰り返しが延々と続く。音だけなら退屈するところだが、舞台を観ているとメロディーと言うより効果音のように聴こえ眠くなることはなかった。

 

歌手ではタイトルロールのカウンターテナー、アンソニー・ロス・コスタンゾが女声のようにきめ細かい清らかな声で何とも素晴らしい。太陽神アテンに祈るアリアが一際目立った。スキンヘッド、重そうな衣装で超スローモーの動き、歌唱も速いパセージがない。ここまですべてが遅いと緊張を強いられると思う。王妃ネフェルティティのジャナイ・ブリッジスの太く深い声も良かった。アクナーテンとの2重唱はその対比がよく出て、男女逆様にすら感じた。この場面は視覚的にも素晴らしく、二人が長い真っ赤な衣装を引き摺りながら舞台両袖から入って対面する姿は目を見張る美しさであった。また合唱の元気がよくソロ以上に活躍の場があるが、言葉が分からなくともその場の雰囲気は察しが付いた。

 

この公演で最大の見所は隙のない舞台の美しさだと思う。古代エジプトの壁画が額縁の中で踊っているような感じでゆっくり動く。それと反対にボールやバトンを使ったジャグリングの曲芸には驚いた。民衆の楽しそうな気分や反抗する様子を表現していて凄く面白いと思った。それが全幕で頻繁に出てくるので落としはしないかと心配になったが上手いものである。

 

フィナーレではアクナーテンが美術館に展示され、死んでも現代の歴史の中で生きていることを表現して、これも面白いアイデアと思った。なおベルリン美術館には美女の王妃ネフェルティティの胸像があるそうである。

 

(追)

世界初演は「サティアグラハ」が1980年、「アクナーテン」が1984年、いずれもロッテルダムである。

 

 


2017.4.27(ライブ収録)

出演

カーチャ・カバノヴァ(チホンの妻):アンゲラ・デノケ 

ボリス(ヂコイの甥):ミーシャ・ディディク 

カバニハ(カバノフ家の未亡人):ジェーン・ヘンシェル 

ヂコイ(実業家):ダン・パウル・ドゥミトレスクー 

チホン(カバニハの息子):レオナルド・ナヴァロ 

クドリャーシ(科学者):トーマス・エベンシュタイン 

ヴァルヴァラ(カバノフ家の養女):マーガレット・プランマー   ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:トマーシュ・ネトピル 

演出:アンドレ・エンゲル 

 

2011年プレミエの「カーチャ・カバノヴァ」。こういう役を演じたら天下一品のアンゲラ・デノケである。「マクロポリス事件」を観たばかりだが、同じ作曲家を続けて聴いてみると新たに気付くこともある。

 

ヤナ―チェックのオペラは特殊な環境や特殊な人間関係ばかりである。普通ではオペラとして面白くないからある意味当然でもある。設定場所では「マクロポリス事件」の弁護士事務所とか「死者の家から」の監獄とか、人間関係では普通の男女間での色恋とか愛情よりも「カーチャ・カバノヴァ」の嫁姑や「イエヌーファ」の母娘のように女同志のもつれが多い。

 

それでヤナーチェックの境遇はどんなだったかと興味を持ち、ネットサーフしたら成程と思ったことが書いてあった。結婚したズデンカとは彼が母親と同居を望んだことから当初からまずく、ズデンカが実家へ戻るなど破綻状態であった。その後も別居こそしてないが、60歳を超える頃38歳下の2人の子持ちカミラと知り合い、生涯にわたって熱烈な手紙を送り続けたと言う。相手は家庭があるので肉体関係は無かったとされている。

 

「イエヌーファ」はズデンカと結婚後に、「カーチャ・カバノヴァ」はカミラと知り合った後に作曲されている。これから想像するに作品の成り立ちはヤナ―チェックの境遇と無関係ではないように見える。

 

「カーチャ・カバノヴァ」は以前NHK-BSで放送されたザルツブルグ音楽祭1998の録画があった。その時カーチャ(嫁)とカバニハ(姑)を演じたのは今回と同じ。20年近く前になるのにアンゲラ・デノケもジェーン・ヘンシェルも今の体型はほとんど変わっていない。二人ともかなりの年齢になっているが、それを感じさせない歌唱と演技は見事と言うしかない。それ程役に嵌っているということであろう。

 

舞台は今現在に置き換えているがオーソドックスな演出。テーマが不倫、嫁姑、マザコン、子離れのできない母、金を握ったものの強みなど今日と変らないから何の違和感もない。ただ無宗教の日本人には不貞が自殺しなければならない程罪深いという意識はなかろう。以前観たものも同様分からなかった。姑が自殺した嫁から指環を抜き取り遺体を蹴飛ばすフィナーレだが、他に作品から引き出すものはないのかと思った。

 

指揮はチェコ若手のトマーシュ・ネトピル。お国ものが得意らしいが、明解さと情緒があって良かったと思う。「マクロポリス事件」よりずっと聴き易かった。

 

 

 


2011.
2.26(ライブ収録)

出演

イフィゲニア:スーザン・グラハム

オレスト:プラシド・ドミンゴ

ピラード:ポール・グローブス  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:パトリック・サマーズ

演出:スティーヴン・ワズワース

 

「タウリスのイフィゲニア」は古代ギリシャ詩人エウリピデスの悲劇に基づくオペラであるが、METはドミンゴとグラハムの二大スターによって聴き応えのあるものにした。

 

ギリシャ神話は音楽、文学、絵画など多方面の芸術文化の題材となっている。今日我々が知る神話は古代ギリシャ詩人の残した作品を通してであるが、オペラもそれによっている。昔大学受験で丸暗記したので、古代ギリシャ詩人はホメロスに始まって3大悲劇詩人アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスとその名前だけは直ぐ出てくる。イフィゲニアはミケーネ王アガメムノンが生贄として捧げた王女だが、彼女には妹弟がおり、それがエレクトラとオレストである。二人はRシュトラウス「エレクトラ」にでてくる。つまりグルック「タウリスのイフィゲニア」もRシュトラウス「エレクトラ」も同じギリシャ神話を基にしている。ただその出典が異なり前者はエウリピデスから後者はソフォクレスから採っているだけである。

 

「タウリスのイフィゲニア」に話を戻して、イフィゲニアは女神の憐れみによって生贄を逃れタウリスで祭司長となって生きている。そこへ母親を殺したオレストが流れ着いて、タリウス王によって生贄に供するよう命じられる。最後はイフィゲニアが頼んだ援軍が来て救われるという話である。イフィゲニアとオレストが姉弟と分かるまでの感情の高揚と一緒に流れ着いたオレストとピラードの自己犠牲的友情が観どころである。

 

グルックの音楽は話の中身がこの上ない緊迫感があるのに意外におっとりしていると感ずる。ドミンゴとグラハムの心情表現は確かにすばらしいが、今一絶望的叫びが聴こえてこない。根本は音楽と話がマッチしてないのではと思った。そこがRシュトラウスと違うところで演奏機会の多少にも表れていると思う。

 

これまで何気なく観ていたものが整理できた。



2015.
12.20(ライブ収録)

出演

エミリア・マルティ:ローラ・アイキン

アルベルト・グレゴル:ルドヴィット・ルーダ 

ヤロスラフ・プルス:マルクス・マルカルト

コレナティ:ヴォルフガンク・バンクル  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ヤクブ・フルシャ

演出:ペーター・シュタイン

 

ヤナ―チェック「マクロプロス事件」はこれがウィーン国立歌劇場初演になる。ハプスブルグ家のオーストリア=ハンガリー帝国の時代はチェコもウィーンも同じ国だったから不思議に思う。因みにウィーン初演は1938年のアン・デア・ウィーン劇場。

 

ヤナ―チェックがチェコのミステリー舞台を観てオペラ化した。300年生きる美貌の女性という虚構のフィクションである。演劇とオペラでは台詞の量がまるで違うからミステリーをオペラにするのはかなり無理があるように思う。オペラにスリラーはあってもミステリーは他にないのではと思うが自信はない。作者が言いたいことは主人公エミリア・マルティの最後の台詞にあるが、これを表現するのにミステリーが適しているかどうか疑問に思う。

 

ヤナ―チェックの器楽曲はシンフォニエッタとかクヮルテットも好きだが、複雑なストーリーのオペラが苦手なのでこの「マクロプロス事件」は好きでない。それだけでない。レチタティーボばかりみたいな音楽は苦にならないにしても、常にオケが威勢良く鳴っていて歌唱と合わないと感ずることが多い。歌手との呼吸が取り難いと思う。

 

歌手はローラ・アイキン一人舞台の感が強い。言い寄る3人の男への冷淡なあしらいとフィナーレの人間味溢れる姿との対照が面白かった。男声では力強い声で冷静な弁護士を演ずるヴォルフガンク・バンクルが良かった。エミリアに惚れこんだ係争渦中の二人、アルベルト・グレゴルとヤロスラフ・プルスを演ずるルドヴィット・ルーダとマルクス・マルカルトも好演であった。しかし女一人を取り巻く格好では分が悪い。

 

演出はオーソドックス。1幕弁護士事務所、2幕劇場、3幕ホテルとそれぞれに立派なセットが拵えてあった。最近では珍しいくらい見栄えの良い舞台だったと思う。主人公エミリア・マルティを節度ある妖艶さに控えたり、長く生きて疲れたとの振りをさせたり、外面よりも内面を重視したのが良かったと思う。ただし似た名前が多く出てくるのでそれを事前に承知してないとこのストーリーは理解し難いと思う。

 

日本人歌手による公演は多分まだないと思うが、海外ではそれ程珍しくはない。テレビやストリームだがザルツブルグ音楽祭とかバイエルン歌劇場の公演を観たことがある。詳しいことは覚えていないが、主役ソプラノの奮闘が凄いとは思っても内容に共感したことはない。今回も同じであった。

 

 

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