くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2020年06月


2018.
3.10 (ライブ収録)

出演

セミラーミデ:アンジェラ・ミード

アルサーチェ:エリザベス・ドゥッショング

アッスール:イルダール・アブドラザコフ

イドレーノ:ハヴィエル・カマレナ

オローエ:ライアン・スピード・グリーン

アゼーマ:サラ・シェーファー  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:マウリツィオ・ベニーニ

演出:ジョン・コプリー

 

驚くべき「セミラーミデ」であった。ソリスト、合唱、オケの見事さと舞台衣装、セットの豪華さ、どれも素晴らしい出来栄えでオペラの醍醐味を満喫した。これがどちらかと言えば若手を中心にした2年前の新制作だからMETの底力は凄い。

 

昨日に続いてのロッシーニ、METの「セミラーミデ」はこれが2度目の制作と言う。フランスの文学者ヴォルテールの悲劇に基づいているが、「アルミーダ」と同じくヘンデルのオペラもある。もっともヘンデルの方が100年も前であるが。古代バビロニア時代、夫を殺して女王となったセミラーミデが行方不明になった息子をそれと知らず好きになってしまうという話である。それにいろいろと枝葉がついて長大な作品となっている。

 

歌手ではまずタイトルロールのアンジェラ・ミード。高低音どこでも淀みなく声が出てコロラチューラの技術も歯切れが良い。声だけ聴けば実に上手いと思うが、巨漢だから今の時代役柄が限定されるのが惜しいと思う。息子アルサーチェを演じたエリザベス・ドゥッショングの歌唱力も素晴らしい。低めの声で重量感がありズボン役軍司令官にぴったりであった。男声の方は息子の許婚者を好きになったイドレーノ役のハヴィエル・カマレナは鮮やかな声でハイCを連発した。フローレスの陰になっているがもっと知られて良いテナーである。セミラーミデと組んで国王を殺したアッスール役は分の悪い悪役だが、イルダール・アブドラザコフ端正な歌い方でロッシーニに相応しいと思った。さらに事実をすべて知っている祭司長オローエ役のライアン・スピード・グリーンは凄みのある声のバス、シチュエーションにより歌い方を変えていた。登場人物の役を知っただけでも話の複雑さ想像できる。

 

大勢の合唱の素晴らしさも見逃せない。ステージ一杯に衣装を揃えて並ぶ姿は壮観でもあった。でもやはり一番は指揮者だと思った。マウリツィオ・ベニーニはイタリア・オペラの名匠、中でもベルカントが得意でロッシーニ・オペラ・フェスティバルにも呼ばれている。ロッシーニの軽快さも迫力も歌い回しもすべて心得てオケを自在にリードしていた。

 

舞台は絵画的美しさがあった。周りを高く囲んだセットだが色彩に高級感があり衣装が豪華さを引き立てていた。歌手はステージに出る時に目を見張るが、後は細かい演技は殆どなく棒立ちで歌う。昔のイタリア・オペラを豪華にして観てるような感じであった。

 

今一番勢いのある人たちを集めた、滅多に聴けない公演。オペラはやはり歌手だと改めて思った。

 

 


2010.
5.1 (ライブ収録)

出演

アルミーダ:ルネ・フレミング

リナルド:ローレンス・ブラウンリー

ゴッフレード:ジョン・オズボーン

ジェルナンド/カルロ:バリー・バンクス  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、バレエ団、管弦楽団

指揮:リッカルド・フリッツァ

演出:メアリー・ジマーマン

 

ロッシーニを日本で聴くことは「セヴィリアの理髪師」を除いてほとんどない。最近「チェネントラ」「ランスの旅」が上演されたが、次はいつになるであろうか。それ故欧米のストリームは有り難い機会を与えてくれている。先頃のMET「オリー伯爵」はダムラウとフローレスが揃って本当に素晴らしかった。

 

ロッシーニのオペラはブッファ、セリア、グランドの3種類に分類される。オペラ・セリアは比較的に内容が深刻で軽いお笑い劇でないものを言うが、それは特に聴く機会が少ない。今回METが「アルミーダ」と「セミラーミデ」を配信してくれるので楽しみにしていた。

 

「アルミーダ」はイタリアの詩人タッソーの叙事詩「解放されたエルサレム」を題材にしている。脚色が大分違うがヘンデルの「リナルド」にもなっている。十字軍騎士リナルドが美貌のダマスクス女王アルミーダ(魔法使い)の誘惑に負け、それを諫めた仲間を決闘で殺し罰せられることになる。アルミーダの魔法によって二人が逃走し、美しい楽園で陶酔に耽っていると、そこへ兵士が現れリナルドに軍に戻るよう説得する。逃げたリナルド達を追ってアルミーダが復讐に向かうところで幕となる。

 

ソプラノ1人とテノール6人という特異なオペラで、珍しくはあるが演奏はかえって難しいと思う。技巧の超優れた歌手がコロラチューラとハイCで聴衆を唸らせない限りやはり惰性に流されがちになる。ルネ・フレミングはこの役柄に合わないように思った。リリックな歌唱は素晴らしく華があって良いが、反面色っぽさに欠けるし魔女の不気味さも感じない。リナルド役のローレンス・ブラウンリーは上手くても声が曇って鮮やかさがない。同じような声質では面白くないのは確かだが、主役が最も目立たなくてはならないと思う。むしろ声ではジェルナンド/カルロのバリー・バンクスの方が魅力的だった。

 

リッカルド・フリッツァのオケは迫力があって素晴らしかったし、ホルンの音が美しく響いた。もうひとつ作品そのもののことだが2幕がアリアを挟んでバレエだけ、それもバレエの公演かと思う程長かった。原作がこうなのだろうが一部は省略しても良いと思う。

 

演出はオーソドックスで特に言うことはない。しかし公演は残念ながら歌唱も好みに合わず退屈してしまった。

 


2017.
2.11 (ライブ収録)

出演

ナブッコ:レオ・ヌッチ

アビガイッレ:アンナ・スミルノヴァ

ザッカリア:ロベルト・タリアヴィーニ

イズマエーレ:ブロール・マグヌス・テーデネス

フェネーナ:Ilseyar Khayrullova  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ギレルモ・ガルシア・カルヴォ

演出:ギュンター・クレマー

 

昨年10月に引退したレオ・ヌッチの「ナブッコ」2001年の新制作。このプレミエ時もヌッチが歌っていて、その公演はNHK-BSでも放送された。最後のオペラ舞台は昨年9月スカラ座の「リゴレット」だったが、それと共にヌッチが最も長く演じた役である。

 

20年近くも経つから当然だが確かにパワーは衰えたと思う。プレミエのお相手はグレギーナだったから、それは凄味があった。しかしこの公演も顔の表情など大人しくなったが、年老いた国王の味が出ていて素晴らしかったと思う。アビガイッレ役のアンナ・スミルノヴァはロシアン・パワーだけでなく、2幕の過去を懐かしむアリアも感動的であった。ザッカリア役のロベルト・タリアヴィーニは祭司らしい説得力のある歌唱で良かった。如何にも若くみえるブロール・マグヌス・テーデネス(20代らしい)も魅力的な声のイズマエーレであった。

 

「モーゼとアロン」に続きこれも旧約聖書が題材になっている。イスラエルがアッシリア(イラク北部)に占拠されていた紀元前の話で、見える神バアルを信仰するアッシリアと見えない神エホヴァを信仰するイスラエル(ユダヤ教)の民族対立の中で、最後はアッシリアの国王ナブッコがユダヤ教に改宗することになる。国と地域と民族それぞれの名前があって、戦争で離れたりくっついたりしているヨーロッパは島国日本人には分かり難い。しかしそういうことは背景として理解しておいて、国王の権力の衰えと二人の娘(それぞれ正妻と奴隷女との子)の仲違いを描いたオペラとして観た方が楽しいと思う。

 

舞台は王冠のケースと数点の子供のおもちゃだけの簡素なもので照明で効果を出していた。

3幕有名な合唱場面のシルエットがとても美しかった。

 

 


2015.
4.19 (ライブ収録 OTTAVA

出演

モーゼ:ロバート・ヘイワード

アロン:ジョン・ダスザック  ほか

ベルリン・コミッシェ・オーパ合唱団、管弦楽団

指揮:ウラジミル・ユロフスキ―

演出:バリー・コスキー

 

アウシュヴィッツ解放70周年記念公演。旧約聖書の出エジプト記「金の仔牛像」に基づきシェーンベルグ自身が台本を書いた。3幕構成のつもりが2幕までで未完に終わっている。モーゼがイスラエルの民を改宗させることが出来ず悲嘆にくれるところで終わるが、それなりに余韻が残りこれもいいのではと思う。

 

ナチスによるユダヤ人虐殺の回想と現在の民衆を導いてゆく難しさをセットにした読み替え演出、バリー・コスキーの傑作であると思う。因みに彼はユダヤ系オーストラリア移民を受け継いでいる。舞台は現代どこかのイヴェント会場、3密の極致のようなところで、モーゼとアロンはマジックを披露し人々を引き付ける。聖書にある杖を蛇に変えたり、手にできた疱瘡を治す芸を見せる。トリックと分かっているもので人々の考えを変えられるかどうかは措いといて、一旦はその気にさせることに成功してもすぐ元に戻ってしまう。未完のフィナーレはモーゼの嘆きで長いポーズの後静かに幕が下りる。

 

モーゼとアロンの二人とその他大勢のオペラだが、その他大勢の活躍が素晴らしい。民衆の動揺や内部対立、またモーゼとアロンへの反抗など、合唱が新興宗教の儀式紛いの演技で凄い迫力であった。それとオケのドラマティックな演奏もユロフスキ―の牽引力が十二音音楽を映画音楽のように効果的にしていた。アロンはモーゼの代弁者だから歌唱が多く、ジョン・ダスザックは威勢の良い歌いっぷりで良かったと思う。またモーゼ役のロバート・ヘイワードは歌唱が始めと終わりだけで、その他多くの場面では演技の方に集中していた。二人ともどこで練習したかマジックのテクニックは相当なものであった。

 

見える神と見えない神の宗教思想論争が本命題だが、バリー・コスキーは集団の思想を変えることの難しさと共に洗脳された集団の怖さの現代的意味に重点を置いて表現したかったのだと思う。素晴らしい取り組みでどこかの国を思いながら観た。

 


1992.
1.10 (ライブ収録)

出演

ボーマルシェ:ホカン・ハーゲゴール

マリー・アントワネット:テレサ・ストラータス

サミラ:マリリン・ホーン

ベジャールス:グラハム・クラーク

伯爵夫人ロジーナ:ルネ・フラミング、アルマヴィーヴァ伯爵:ピーター・カザラス

スザンナ:ユディス・クリスティン、フィガロ:ジーノ・キリコ

フロレスティン:トレーシー・ダール、レオン:ニール・ローゼンシェイン  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:ジェイムズ・レヴァイン

演出:コリン・グラハム

 

METピーター・ゲルブ総裁がライブビューイングを始める以前に収録された記念すべきものでDVDになっている。ジェイムズ・レヴァインがアメリカの現代作曲家ジョン・コリリアーノに依頼して創作された。こういっては失礼だが、ボーマルシェ3部作の内残されたひとつをオペラ化した意義の方が大きいように思う。

 

ボーマルシェは18世紀フランスの劇作家。有名な「セヴィリアの理髪師」、「フィガロの結婚」を書いた人で、3部作としてもう一つ「罪ある母」がある。これを題材にして「ヴェルサイユの幽霊」が創られている。前2作に出てくるアルマヴィーヴァ伯爵、伯爵夫人ロジーナ、フィガロ、スザンナのその後の出来事をルイ王朝マリー・アントワネットと結び付け、ボーマルシェ自身が主役となるように仕上げられている。

 

話は複雑である。ボーマルシェはマリー・アントワネットの処刑が可哀そうと思い救出作戦を立てる。彼はアントワネットの首飾りをアルマヴィーヴァ伯爵を使ってイギリス大使に売りつけ脱出資金に充てようとする。フィガロとスザンナはその話を知らされないのでその後いろいろあるのだがそれは省略して詰まるところ伯爵に協力することになる。伯爵には不倫の娘フロレスティンがおり、一方夫人ロジーナにもケルビーノとの間に息子レオンいて、二人は愛し合っている。伯爵は夫人の不貞に怒って二人の結婚を認めようとせず、勝手に親友ベジャールスとの婚約を進めてしまう。そのベジャールスというのがアントワネットを処刑にする革命指導者だったのである。最後はフィガロの働きによって伯爵一族はパリを脱出するが、アントワネットはボーマルシェに愛を告白して処刑台に向かう。二人は天国で結ばれる。

 

悲劇の話を可笑しな喜劇にしたような舞台であった。ボーマルシェがルイ王朝貴族の為に作った劇を劇中劇として挟み込んだ形になっているが、その区分が判然とせずにつながっていく面白さがある。ボーマルシェが冗談を入れたり、ルイ16世が焼きもちやいたり、面白い場面があって会場の笑いが絶えなかった。トルコのレセプションの場は大掛かりなディズニーのセットのようで観てて仕掛けが楽しかった。

 

音楽は要するに所謂クラシックの現代音楽と言うよりポピュラー音楽の感じがした。オペラと言うよりミュージカルを観てるようで、例えば、ロジーナとスザンナの二重唱とかボーマルシェの愛の告白とか、その他いくつも親しみ易いメロディーがあって良かったと思う。歌手で素晴らしかったのは歌姫サミラのマリリン・ホーン。1幕のレセプションに出番があるだけだが、愉快なソロで舞台から下がっても拍手が止まず再度出てきて聴衆に応えていた。美貌のテレサ・ストラータス、レパートリーが広いソプラノだったがこんなに小柄でスリムとは驚いた。悲劇のマリー・アントワネットに相応しく声もきれいであった。ルネ・フラミングはこの頃METデビューして数年の若い頃の姿で、モーツァルトの伯爵夫人でオペラデビューしていたからリリック一筋の適役だったと思う。バイロイトのヘルデンテナー、ベジャールス役のグラハム・クラークも懐かしい名前である。主役のホカン・ハーゲゴールは知らなかったが、スウェーデンの音大の先生だったらしい。

 

話が矛盾だらけでまとまりがないと思うが、ポピュラーのメロディーのように共感するところがあり大変面白いオペラであった。

 

 


2014.
7.27 (ライブ収録プリンツレゲンデン劇場)

出演

オルフェオ:クリスティアン・ゲルハーゲル

エウリディーチェ:アンナ・ヴィロヴランスキー

ムジカ/スペランツァ:アンジェラ・ブラウアー

プロセルピナ:アンナ・ボニタティブス

プルトーネ:アンドリュー・ハリス  ほか

モンテヴェルディ・コンティヌオ・アンサンブル、チューリヒ・ジング-アカデミー

バイエルン国立歌劇場メンバー

指揮:アイヴォー・ボルトン

演出:ダーヴィット・ベッシュ

 

2014年ミュンヘン・オペラ・フェスティバルの新制作。モンテヴェルディにはかなり多くのオペラがあるが、比較的知られているものは年代順に「オルフェオ」、「ウリッセの帰還」、「ポッペアの戴冠」の3つである。「オルフェオ」は現在上演されるオペラの中で最も古いバロック初期の作品。話は後ほど面白いが一度最初に戻ってみようと思って観た。

 

ギリシャ神話によるが同じ題材で作曲されたものにグルックの「オルフェオとエウリディーチェ」がある。こちらは森鴎外が日本に初めて持ち込んだもので、日本が知ったという意味ではこちらが一番古い。最後をハッピーエンドにしているのでこの方が楽しむには良いと思う。

 

現代に置き替えた演出。ラフな若者がボロボロのワゴン車で森に乗り付けて結婚パーティを始める。ビールもラッパ飲みで何か悪のお騒がせキャンプみたいである。この後の黄泉の国の出来事は普通に進んで、最後はオルフェオがリストカット自殺して終わり。工夫のないつまらない演出と思う。

 

歌手はタイトルロールのゲルハーゲルがひとり気を吐いていた。このオペラで聴かせるのは難しいとは思うが、ヴィロヴランスキー、ブラウラー始め他の人は今一つ訴えるものがないように感じた。合唱は元気があって良かったと思う。

 

久々に聴いたがやっぱりこのオペラは短いのに退屈する。


2016.
5.13 (ライブ収録)

出演

ボリス・ゴドノフ:ルネ・パーペ

シュイスキー:ノルベルト・エルンスト

ピーメン:クルト・リドゥル

グリゴリー:マリアン・タラバ  ほか

ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:マルコ・レトニャ

演出:ヤニス・ココス

 

もう30年も昔の話だが、仕事上付き合いのあった方からオペラの招待を受けた。お互い音楽好きでたまたまの機会でそうなったが、それがボリショイの「ボリス・ゴドノフ」であった。その頃は詳しい記録をとっていないのでキャストなど全く覚えていない。それまで観たドイツ、イタリアのオペラと比べ男ばかりで暗いという印象しかない。以来ロシアものはどうも好きになれない。

 

このウィーンの公演も先入観が覆えることはなかった。ただ大幅にカットしボリス個人に焦点を絞った演出だったので、聴き易くなっていたしオペラとしてもまとまりが良くなったと思った。帝政とか宗教とかの問題は置いてボリスの精神的苦悩だけを描いたものだった。それでも場面転換が多く気がそがれる。

 

プーシキンの戯曲「ボリス・ゴドノフ」による。ロシアのオペラはチャイコフスキー「エフゲニ・オネーギン」をはじめ、プーシキンの戯曲によるものが多いがこれもその一つ。ボリス・ゴドノフは16世紀ロシア実在の人物で、下級貴族ながらイヴァン4世の信任が篤くツァーリ(皇帝)にまでのし上がった権力者である。ただ世間ではイヴァン4世の急逝を継いだフョードル1世を殺害して皇帝についたとの噂があった。真偽は分からない。

 

登場人物は極めて多いが多くは舞台に少し上がるだけである。したがってタイトルロールのルネ・パーペ一人舞台みたいになる。ボリスは民衆に押されて帝位につたのにその後疑惑と反乱に振り回され、最後は息子の将来を心配しながら失意の内に死んでいく。そんな姿を感情をこめて見事に演じ素晴らしかった。その他ではかってボリスのライバルであったシュイスキー、ノルベルト・エルンストが慇懃で奥に憎しみをこめた感じがよく出ていた。また修道僧ピーメンのクルト・リドゥルも実直な存在感があって良かったと思う。

 

舞台は現代に置き換えた簡素なもの。だが物凄く暗く人物が分かる程度。いつのプレミエか分からなかったが、心情表現にはその方が良いとは思う。そういうのが流行みたいな時があったようも思う。

 

これだけ多くのオペラ・ストリームがあると段々ネタが切れてくるとみえる。最近はレアなものがかなり出てきて有難く思う。

 

 


2008.
12.20 (ライブ収録)

出演

タイス:ルネ・フレミング

アタナエル:トーマス・ハンプソン

ニシアス:ミヒャエル・シャーデ

パレモン:アラン・ヴェルヌ  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団(ヴァイオリン:デイヴット・チャン)

指 揮:ヘスス・ロペス=コボス

演 出:ジョン・コックス

 

2008年プレミエのマスネ「タイス」、METでは2度目の制作と言う。ヴァイオリンの瞑想曲だけ極端に有名だが、オペラは「マノン」や「ウェルテル」にくらべ何故か上演の機会が少ない。アメリカのスターふたりを揃えたのでニューヨーカーが喜びそうな公演である。スタンディング オベーションが凄かった。

 

ノーベル文学賞を受賞したアナトール・フランスの小説「舞姫タイス」による。娼婦と修道僧の話と聞くとマグナダのマリアを連想してしまうが関係ない。ふしだらな生活から脱却しようとする娼婦とそれを手助けする身でありながら逆に魅力に引かれてしまう修道僧。二人の葛藤の道程を描いたものである。それぞれが反対の方向に進んでいるのだが、一瞬交差してお互い純粋な気持ちが通い合うところがある。そこで止まればよいのに二人は離れ、最後は女は修道女となって解脱し息を引き取る。一方男は修道院を出てしまう。どっちが幸せだったろうか。原作は他の作品も含めカトリック教の禁書になったが、今日では日常茶飯事と思うかもしれない。

 

模式化した伝統的舞台3幕7場でかなり頻繁にセット替えがある。ストリーミングではその模様が見られて面白かったが、会場はその間待たされることになる。最近はセットを簡単にし出演者自ら舞台を入れ替えることが多くなったが、昔は暗い中で随分待たされたものである。

 

歌手は皆良かった。タイトルロールのルネ・フレミングは息の長い歌唱が美しいし容姿も華やかでスレンダー、娼婦と言っても場末とは違い高級大金持ち相手だから伯爵夫人に見えても不思議でない。修道僧アタナエルのトーマス・ハンプソンは見た目スポーツ選手のようで演技が固いと思うことがあるが、この役は声ともよく合っていたと思う。ニシアス役のミヒャエル・シャーデの声は相変わらず素晴らしい。この人も下品な遊び人の感じはしない。3人とも演技の感情表現は控え目で歌唱重視だったと思う。

 

瞑想曲はコンサートマスターがピット内で立って弾いたが客席から見えるだろうか。カーテンコールでも舞台上に一人だけ呼ばれた。楽員全員ならしばしばあるが一人だけと言うのは初めて見たし、本人も嬉しそうであった。

 

METの拍手が早いのはいつものことだがこの日は極端であった。いくら贔屓の歌手でも歌が終わると直ぐ始めてしまうのは如何なものかと思う。こういうことはヨーロッパでは絶対ないし、気楽に楽しむことと音を立てることは違うのだが。

 

 

 

2017.11.18 (ライブ収録)

出演

レティシア:オードリー・ルーナ

ルチア:アマンダ・エシャラズ

シルヴィア:サリー・マシューズ

レオノーラ:アリス・クート

ブランカ:クリスティーネ・ライス

フランシスコ:イェスティン・デイヴィーズ 

医師:ジョン・トムリンソン ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:トーマス・アデス

演出:トム・ケアンズ

 

2016年ザルツブルグ音楽祭で世界初演されたトーマス・アデス「皆殺しの天使」。物騒な題名だが1962年ブニュエルの同名の映画をオペラ化したものである。音楽祭の委嘱作品だが翌年ロンドンROHMET で同じプロダクションを引き継いでいるので始めからその計画だったのではと思う。

 

映画は観てないがこれはオペラでもスリラー映画を観てるようなドキドキ感があった。あらすじは15名の紳士淑女がオペラの後の晩餐会に集まるところから始まる。ところが夜遅くなっても何だかや言って誰一人帰らない内に邸宅に閉じ込められてしまう。何日も過ぎ水も食料もなくなると幻覚症状でパニックに陥り殺人まで侵しそうになる。そこへ天使が現れて救い出すという話である。

 

15人が一斉に舞台に出てくるので誰が誰だかさっぱり分からなかったが、舞台の進行とともに徐々に分かってくる。天使となるレティシアを歌うのがオードリー・ルーナ。「テンペスト」でも超高音の金切り声を上げていたが、今回アクロバットな演技はないけれども歌唱は同様に驚嘆させる。シルヴィア役のサリー・マシューズもまた超高音の美しい声を出していた。またがんで苦しむ患者レオノーラ役アリス・クートの幻覚に襲われた歌唱、ブランカ役クリスティーネ・ライスのピアノを弾きながらの見事な歌唱も素晴らしかった。男声陣は皆をまとめて助けようとする医師役ジョン・トムリンソン。かってのウォータンもおじいさん役を演ずるようになったかと懐かしいがさすが存在感がある。カウンターテナーのイェスティン・デイヴィスは誠実なところが良かった。総じていえば女声の方が活躍の場が多いと思うが、誰が主役と言うことはない。「テンペスト」ではルーナひとりが目立ったが、このオペラは15人が演ずるオペラと言う感じが強い。15人が一か所に閉じ込められているのだから当然である。カーテンコールでは一人ずつではなく15人全員が一斉に出て拍手に応えていた。

 

「テンペスト」同様「皆殺しの天使」も現代ものと言うハンディーを取り除いても、キャスト面から簡単に上演することは難しいと思う。このMET公演も指揮者を始め主要なところはザルツブルグと同じで、掲載した中で異なるのはアリス・クートだけである。トーマス・アデスの音楽は「テンペスト」の抒情性はないが、映画音楽として聴けばより親しみやすいのではと思う。

 

なかなかお目にかかれない良い経験をした。ライブビューイングも自宅で同時期に観られるようにしたらMETのトータルの収入は増えると思うがどうであろうか。

 

 

 


2015.11.21 (ライブ収録)

出演

ルル:マルリース・ペーターセン

ゲシュヴィッツ伯爵令嬢:スーザン・グラハム

シェーン博士/切り裂きジャック:ヨハン・ロイター

アルヴァ:ダニエル・ブレンナ

シゴルヒ:フランツ・グルントヘーバー

画家/黒人:ポール・グローヴス  ほか

メトロポリタン歌劇場管弦楽団

指揮:ローター・ケーニクス 

演出:ウィリアム・ケントリッジ

 

「ルル」はこれまでに数回観ているがあまり記憶が残っていない。このケントリッジの演出は画家の空想を描いていて安心して観られるし演奏共々素晴らしかった。

 

舞台一面にブラシで殴り書きしたルルの裸体画が次々と現れる。黒一色の力強い線の絵で魔性の女とは思えない。また舞台の脇にはいつも仮面をかぶったもう一人のルルが控えている。ということはルルが日常見せる姿とは別の本性があることを物語っている。マルリース・ペーターセンもホットパンツで美脚を大胆に披露するが悩ましい感じはしない。犠牲者を顧みず人間の欲望に狂った社会を批判したものと思う。

 

マルリース・ペーターセンの一人舞台であった。このオペラはそうならなければいけないし、それが自然だと思う。幕間インタビューでこの公演が最後のルルと言っていた。乞われていつまでも続ける人もいるが、引く時期は自ら決めるのが正当と思う。ゲシュヴィッツ役のスーザン・グラハムはあまり目立たなかったが、意識的にそうしてたのかもしれない。男声は入れ替わり立ち代り多くの人物が登場するが、キーマンは舞台でも一番長く出るアルヴァである。子供の頃から兄妹のように知っているし、ルルを利用しようとは思わない唯一の男である。ただアルヴァ役ダニエル・ブレンナは純真真面目と言うか、そういう点が明確に出ると良かったと思う。しかしながら一同好演だったことは確かである。

 

ドイツの指揮者ローター・ケーニクスはあまり知られていないが素晴らしい。このオペラはもともと歌唱の多くが話をしてるようで惹きつけるところが少ない作品だが、反対にオケが魅力的で独立した組曲になっていくらいである。METのオケも鮮明で迫力のある良い響きを出して素晴らしかった。

 

舞台オペラは音楽と演出の両方があるから、例え馴染みないレアものでも楽しみ方はいろいろある。前回のアデス「テンペスト」も今回の「ルル」もメロディーに聴き惚れるところはなくとも演出が素晴らしかったし、それ以上に主役ひとりの個性ある大奮闘に感嘆した。

 

 

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