くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2020年07月


2011.3.19(ライブ収録)
出演
ルチア:ナタリー・デセイ
エドガルド:ジョセフ・カレーア
エンリーコ:ルドヴィック・テジエ
ライモンディ:ユン・クワンチュル  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:パトリック・サマーズ
演出:メアリー・ジマーマン

このMETの映像も10年程前のものだが、今はオペラを引退して舞台では観られなくなったナタリー・デセイの名演である。デセイはオペラ歌手としてまだ若い方と思うが、彼女のレパートリーから考えてこれ以上続けるのはマイナスと自ら判断したのであろう。周囲の要望はまだ強かったと思うが、グルベローヴァのようにまだやれると言われるのを好まなかったと思われる。自尊心の強いフランス人らしいと思う。

2011年3月19日の公演。これは東日本大震災が起きた1週間後であり、その6月には来日も予定されていた。来日公演が危ぶまれる中歌手のキャンセルが相次ぎ大騒動になったことを覚えている。ペーター・ゲルブの努力によりキャスト変更はあったものの予定通り開催でき、以来METへの感謝の気持ちは忘れない。その時の演目の一つが「ルチア」であった。

実はこのメアリー・ジマーマンの演出は来日公演でも使われていたが、実際の舞台装置は明らかに仕上がりが違う。METの方はフェルメールの絵を見るように高級感に溢れている。それより前の来日公演「サムソンとデリラ」でも前評判ほど豪華とは思えなかったから、同じ演出でも場所が変われば違うものらしい。今回観た演出はフィナーレでルチアの亡霊が出てエドガルドの自殺に手を貸すシーンがある。演技の方は記憶が定かでないが、これも来日公演ではなかったような気がする。

演技は人が変わればある程度違うのは仕方ないと思う。デセイの狂乱の場は階段から転げ落ちる迫真の演技があって怪我するのではと心配になった。兄を恋人と思ってすがるルチアの姿はあまりにも可哀そうで涙を誘う。フレミングのインタビューでデセイは何時もこれが最後の舞台と思って演じていると答えていた。女優になるのが希望だったそうで、こういう演技ができるのは彼女を置いて他にない。

デセイのための「ルチア」みたいではあったが、他の男声歌手も皆素晴らしかった。中でもルチアを憐れむユン・クワンチュルの悲しそうな歌唱には心を打たれた。エドガルド役のジョセフ・カレーアは愛と裏切られたと思う憎さを、兄エンリーコのルドヴィック・テジエは冷ややかなところを演じてとても良かったと思う。

METにおけるデセイの名演として「連隊の娘」と「ルチア」は喜劇悲劇の双璧として残ると思う。デセイはこの秋来日の予定だが恐らく中止になるであろう。ガランチャもダムラウも中止になった。これが最後ということもないだろうから次回を待つことにしよう。

 

 

 


2月から5ケ月コンサートから遠ざかっている。ここ1月くらい前からぼちぼち再開の動きが出ているが、元の状態に戻る見通しは全く立っていない。地元でも10月から公演を再開すると言っているが、そのトライアルとして名フィルの弦トップによる四重奏の会があった。曲目には関心がなかったが会場の雰囲気を知るために行ってきた。

まずホールに通ずるエレベーターが定員4人になっている。箱の4隅に一人づつの勘定で、これではエスカレーターを使う人が多い。マスク着用義務、ホール入り口に消毒液、案内の女性はマスクにフェイスガードと完全防備。チケットは自分でもぎって箱に入れ、置いてあるプログラムをとる。客席は一人置き定員の半分、ホール職員が挨拶するのもマスクを着けたまま。クロークもカフェも開いてない。コンサートホールに窓はないので2階サイドの扉は開放のまま。ホール内の会話は控え、ブラボーも禁止と案内している。さすが演奏者はマスクを着けていないが、いつもよりかなり広く間隔を空け立ったまま演奏する。終演後は混雑緩和のため案内により順次退場となる。

こんな感じでどれも聞いていた話ばかりだが、自分で実際その場に行って体験してみると正直あまり楽しくない。でも今の状態で開くとなると避けて通れないことである。ならば行って良かったと思えるコンサートはどんなであろうか。根本的にはどんな状態であれ音楽が感動を与えることが出来ればそれは小さな問題である。むしろ悪い環境がその演奏の記憶を一層強くすると思う。

演奏者の立場もソリストとアンサンブルでは違うであろう。オーケストラは規模が大きくなればなるほど困難になる。オペラなど上演不可能と思われる。人数の問題もさることながら第一抱き合う演技もできやしない。やり易いのはリサイタルか室内楽になってしまう。大ホールは室内楽に好ましい環境でないから中~小ホールでのコンサートが中心になると思う。

演奏を職業としている音楽家は収入減を絶たれて深刻と思う。単に趣味として音楽を聴くだけの者にとっては、コロナが収まるまで待ちそれ迄は録音で我慢することもできる。私などむしろこの類に属するが、行くとしても相当選択した上になると思う。

今年はベートーヴェン生誕250年に当たる。それを記念する演奏会があちこちで企画されていたがほぼ中止になっている。この際ベートーヴェンのピアノ・ソナタか弦楽四重奏曲の連続演奏はどうであろうか。特にピアノなら音も大きいし、ひとりで自由に個性を発揮できるから最も適していると思う。これなら迷うことなく出かけるのだが。




2010.1.9 (ライブ収録)
出演
マルシャリン:ルネ・フレミング
オックス男爵:クリスティン・ジグムントソン
オクタヴィアン:スーザン・グラハム
ゾフィー:クリスティーネ・シェーファー
ファニナル:トーマス・アレン  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:エト・デ・ワールト
演出:ナタニエル・メリル

それほど昔でもない10年前の公演だが、今ではもう観ることが出来なくなっている豪華キャストの「ばらの騎士」である。アメリカの国民的オペラスターであるフレミングとグラハムは現在インタビューアとして元気な姿を見せているが舞台にはあまり出ていない。トマス・アレンは勿論、ジグムントソンとシェーファーもオペラベースに予定がない。とすればこれはMETの記念すべき公演である。

このナタニエル・メリル演出の「ばらの騎士」は2001年来日公演時の演目の一つであったから、少なくともそれ以前の新制作になる。如何にもMETらしい豪華な舞台である。2幕など幕が開くと同時に拍手が起きたくらいである。衣装も18世紀ウィーンを思わせるように華やかである。

音楽もこれ以上なかなか望めないと思う。その当時皆円熟した年代になっていたから味わいの深いリリックな素晴らしい歌唱である。中でもフレミングは最も役柄に合って華があり、フィナーレ3重唱のしんみりくる寂しさも感動的である。男声ではオックス男爵のジグムントソンが良い。オクタヴィアン役の長身グラハムよりもかなり大きいから見栄えがする。この役は歌唱以上に演技力が要求されるがそれも凄く様になっていた。

過去の遺産ともいえる録画はどうしても比較対象が出てくる。「ばらの騎士」にはあのクライバーとオットー・シェンクの伝説的名盤がある。舞台セットも歌手も優劣つけ難い、むしろ相対的には良いではないかと思われるが、醸し出される雰囲気は違う。指揮者とオケの違いだけでなく、歌手の個性も関係すると思う。それにその時の出演者一同の意識も影響する。これら全てが重なって全体の印象が違ってくると思われる。METのは陳腐な言い方だがアメリカ的と感ずる。

私は聴いてる最中はなるべく音楽に浸ることにしている。素人にとっては最終的には好き嫌いしかないと思うが、これはこれで名演だったと思う。

 

 


2020.1.25 (ライブ収録OPERAVISION
出演
カチャロフ将軍:ステファン・クルト
イトウ:タンセル・アクザイベック(Tansel Akzeybek
リディア:ヴェラ-ロッテ・ベッカー
ロデリッヒ:ドミニク・ケーニンガー
タチャーナ:アルマ・サディ(Alma Sade)  ほかダンサー多数
ベルリン・コミッシェ・オーパ管弦楽団
指揮:ジョーダン・デ・サウザ
演出:バリー・コスキー

ヴァインベルガーはユダヤ系チェコの作曲家、レハールより20年程後の生まれである。ナチを逃れてアメリカに亡命したが、作品が認められず貧困で自殺した。ググっても細かな情報はあまり得られないので現在もあまり評価されていないようである。オペレッタ「春の嵐」はヒットラーが独裁政権を握る直前に初演されたが、それ以来何と87年振り二度目の上演とのことである。

ストーリーは日露戦争中の満州を舞台に日本人将校イトウのスパイ活動を描いたものである。彼は中国人料理人に変装してロシア軍に入り込みカチャロフ将軍の信頼を得ていた。一方でロシアの若い未亡人リディアと恋仲になり、彼女に気のある将軍から秘密暗号を聞き出すことに成功する。しかし貰った暗号が偽で捕らえられてしまうが、そこで終戦となる。イトウは帰国して結婚するが、平和交渉団として再び訪れリディアと再会する。そこで誤解が解けリディアは二人の生活を始めたいと話すが、イトウには一緒に来ている日本人妻がいることを知り身を引く。イトウもリディアに未練を残しながらも妻のもとに戻ろうとするが、その時妻も傍から離れて居なくなっていた。これが本筋だが、それにもう一組将軍の娘タチャーナとドイツの従軍記者ロデリッヒの恋を絡ませて面白く仕上げている。

戦争真只中の軍内部の話をオペレッタにするセンスが平和ボケした日本人には分からないが、それだけ戦争が普通の世の中であったのだろう。結末が寂しいオペレッタも珍しいと思うが、それにもう一つ驚いたのは日本人のスパイが主役になっていること。「蝶々夫人」の30年程後になるが外国オペラとしてこれも珍しい。その意味でも日本人に記憶されてよい作品と思う。

バリー・コスキーの演出は実に楽しい。役者の動き回ることと言ったらたらこれ以上ない。その中でもセリフだけの将軍役ステファン・クルトの働きが目覚ましい。この公演では明らかに舞台の牽引役というだけでなく、歌うイトウ以上の存在感がある中心役者になっている。それにダンスの見事なこと。レビュー公演でもないのに頻繁に登場し、場面転換でも舞台が空くことはない。相当練習したとみえ10人のラインダンスはよく揃っていた。その他にも中国芸のドラゴンの舞が出たりして華やかである。とても戦場とは思えない。

歌手は知らない人ばかり、歌だけでなく演技で大奮闘だった。皆マイクをつけていたがその所為かセーブしたような歌い方であった。イトウのアリアがひとつの聴きどころで、リリカルな歌唱は素晴らしかった。ただ発声がクラシックでないように感じたところがある。

音楽に感動するところは少なかったがこれ程面白いと思ったこともなかった。最も良かったのはセリフ役のステファン・クルトの笑わせる演技とダンサーの方々だと思う。カーテンコールでもバリー・コスキーほか演出陣に最も大きな拍手が送られていた。同感である。

作曲家も作品も知らない初めての演目だったが本当に笑わせる楽しいオペレッタであった。

興味のある方はこちらからどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=NM6EYDhgQLg





2020.2.21 (ライブ収録 OPERAVISION
出演
女家庭教師:サラ・タイナン
プロローグ/召使クィント:ニコラス・ワッツ
家政婦グロース夫人:ヒーサー・シップ
前任女家庭教師ジェッスル:エリーノー・デニス
少年マイルズ:ティム・ゴスーレック
少女フローラ:ジェニファー・クラーク
オペラ・ノース管弦楽団
指揮:レオ・マクフォール
演出:アレッサンドロ・タレヴィ

オペラ・ノースは英国イングランド北部リーズのオペラ劇場。リーズは産業革命の中心地だったから劇場も伝統的で美しい。リーズ大学は佳子さまの留学されたところでもある。メジャーでない地方のオペラ劇場だから日本ではほとんど知られていないが、リングのチクルスもやっている本格的な劇場である。

「ねじの回転」はヘンリー・ジェイムズの同名小説をオペラ化したものだが、内容も音楽も類のない特異なものである。内容は極めて哲学的、意識とは何ぞやを幽霊を使って追求している。それは置くとしても、女家庭教師(この人物のみ名前がないので先生とする)が親を亡くした二人の子供たちの面倒を見る話だが、それが難解である。幽霊として登場するのは自殺した前任女家庭教師ジェッスルと当時雇われていた死んだ召使クィントである。彼らが子供たちに与えた悪影響が核心のようだが、それが何かは明確に示していない。先生はそれが分からないまま子供たちを必死に守ろうとする。頼まれただけなのに何でそれほど真剣になるのであろうか。それも気にしないことにしても最大の不可解な点がある。少年マイルズは最後にクィントを罵倒するが、クィントの幽霊が去ると同時に彼は先生の胸の中で死んでしまう。一体全体何であろうか。

作家ヘンリー・ジェイムズは精神分析医フロイトと同世代であり、当時は性に関心を持ち物事を性的にとらえるのが流行していたようである。ブリテン自身も同性愛者であった。その線上で考えると、先生は頼まれた後見人に思いを寄せていて彼のためなら何でもする心境だったと想像することが出来る。また少年マイルズは召使クィントと少年愛の関係にあって、それがもとで学校を退学させられたとも思える。それにクィントは前任先生ジェッスルとも恋愛関係にあったので両性愛者であり、ジェッスルが自殺したのもそれが原因と考えることが出来る。そうなるとどうしても分からないのはマイルズが先生に抱かれて死ぬことだけである。

音楽の方は特異だが明解で聴き易い。オケがピアノを含めて13人、歌手は6人だけという極めて小規模である。ソロが繋がっていくような感じさえして極めて効果的である。裏方を除いて総員20名というオペラは他にないと思う。

歌手はヨーロッパの地方オペラとして好演だったと思う。プロローグとクィントの2役を歌ったニコラス・ワッツは声が柔らかくきれいで素晴らしかった。ボーイソプラノのマイルズ役ティム・ゴスーレックはちょっと幼過ぎる感があるが、声の美しさと崩れない歌唱でとても可愛かった。先生のサラ・タイナンは話の深刻さを感じない純粋な優しいお姉さんそのものであった。演出の狙いがないのでこれで良いかどうか分からない。

ストーリーが分かり難いのでただ聴かせるには難しいオペラである。訳が分からないことを前提にしたオペラみたいだが、こういうのはある観点を強調した演出にすれば面白いのではないかと思う。

なおこの公演は珍しく言葉がはっきり聴こえた。オペラは本来こうあるべきと思った。

 

 


2020.1.22&23 (ライブ収録)
出演
ヴィオランタ:アンネマリー・クレーマー
アルフォンソ:ノーマン・ラインハルト
シモーネ・トロヴァイ:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
ジョヴァンニ:ペーター・ソン
乳母:アンナ・マリア・キウリ  ほか
トリノ王立歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ピンカス・スタインバーグ
演出:ピエール・ルイージ・ピッティ

コルンゴルド17歳の作、1時間15分の1幕ものでこれがイタリア初演という。ドイツのヴェリズモとも言われ、ストーリーは単純過ぎて面白くないが音楽は実に美しい。

妹がアルフォンソに弄ばれて自殺した復讐として、ヴィオランタは夫シモーネと共に殺そうと計画するが、逆に甘言に誘惑されて好きになってしまう。シモーネがアルフォンソを殺そうとした瞬間に割って入り自分が刺されて死ぬという阿保らしい話である。

舞台はカーニバルが開かれているヴェネツィアの軍司令官シモーネ・トロヴァイの館である。深紅の部屋に丸窓があり、その向こうにゴンドラが行きかう。女性たちはカーニバルに出かけるためマスク姿で着飾っている。ヴェネツィアと一目で分かるセットである。

歌手は普通といった印象。このオペラなら感情を露骨に表現した方が良いと思うが上手に歌ってる感じがする。ヴィオランタのアンネマリー・クレーマーは憎しみから愛に変わる心情の変化が官能的でなく日本的で大人しい。歌唱も何か平板に聴こえた。アルフォンソのノーマン・ラインハルトは声質から致し方ないがこの役柄にはもっと甘美な声の方が合うと思う。シモーネ役のミヒャエル・クプファー=ラデツキーは新国のピッツァロでもそう思ったが人の好いおじさんタイプで強さがないように聴こえる。乳母のアンナ・マリア・キウリは良かったと思う。全体としてちょっと物足りない感じが抜けない。

コルンゴルドはナチを逃れてアメリカに亡命し映画音楽で活躍した。このオペラでも美しいメロディーはロマンス映画の香りがする。特にテノールのアリアが「死の都」と同じく甘くて素晴らしい。

多分日本ではまだ上演されてないと思うが、
OPERAVISIONではこういうレアものがたびたび配信されて有難い。





2009.5.9 (ライブ収録)
出演
アンジェリーナ:エレーナ・ガランチャ、王子ラミーロ:ローレンス・ブランリー
マニフィコ:アレッサンドロ・コルベッリ
ダンディーニ:シモーネ・アルベルギーニ、アリドーロ:ジョン・レリエ
クロリンダ:ラケーレ・ダーキン、ティスベ:パトリシア・リズリー  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:マウリツィオ・ベニーニ
演出:チェーザレ・リェーヴィ

またシンデレラかと思うがガランチャに惹かれて観た。彼女だけでなく皆好演で凄く面白かった。ロッシーニの「チェネントラ」は童話が題材でも馬車もガラスの靴もないからメルヘンな感じはあまりせずドタバタ喜劇になっている。

演出はオーソドックスで特に変わったところはない。マニフィコ男爵の家がソファーが壊れたり破れたりで没落貴族を極端に描いていた。単に喜劇だからここまでしなくてもよいと思った。

今から10年も前の公演だがガランチャが飛び抜けて素晴らしい。柔らかい声で転がりも実にスムーズ、その上品の良い美人である。継父マニフィコはドタバタにふさわしい芸達者。偽の王子(実は従者)のアルベルギーニは俳優の様な美男子で姉妹が奪い合うのも無理はないはまり役である。姉妹のダーキンとティスベもお笑い芸人みたいに面白かった。

ただ王子のローレンス・ブランリーは歌唱はいいがミスキャストだと思う。ガランチャと並んだ姿は絵にならず一目ぼれの感じなど全然しない。アメリカ的キャストとは思うが黒人の人権と芸術は別問題である。奴隷制時代の大統領像を壊すなどアフガンの世界遺産爆破と同じである。

ガランチャの声に聴き惚れたのと観て面白い公演であった。簡単な記録にとどめる。



2020.1.11 (ライブ収録)

出演
ヴォツェック:ペーター・マッティ
マリー:エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー
鼓手長:クリストファー・ヴェントリス
大尉:ゲルハルト・ジーゲル
医者:クリスチャン・ヴァン・ホーン  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ヤニック・ネぜ=セガン
演出:ウィリアム・ケントリッジ

コロナ閉鎖前最後のライトビューイング。「ヴォツェック」は20世紀初めのオペラだがそのテーマ貧困は極めて今日的である。このMETの公演は観て楽しくはないけれどもなかなか観られない芸術的に素晴らしいものであった。

第1次世界大戦中の荒廃した社会のようである。家は廃墟の後に建てたバラック小屋、医者も軍医、負傷兵や防毒マスクの兵が登場するし、マリーの子供も防毒マスク姿の人形である。演出を担当したウィリアム・ケントリッジは著名なビジュアル・アーティストで、日本でも昨年高松宮世界文化賞を受賞している。背後のスクリーンに木炭の素描を散らして投影した、装置か映像か分からないような暗い舞台である。カーテンコールで明るくなり、つづら折りの足場を組んだMETにしては珍しく簡単なセットであった。1時間45分で15場という場面転換が多いオペラ、しかも暗い話なので、暗い舞台で映像で換えていく方法は相応しいと思った。

歌手は歌唱、演技ともに素晴らしい。ヴォツェックのペーター・マッティもマリーのエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァーもこれがロールデビューとのこと。それだけに気の入れようが普通でないように見えた。ペーター・マッティは長身のイケメンだから汚れ役はあまりやってないと思うが、極貧のみすぼらしさと背徳のマリーへの憎しみを見事に歌っていた。ヴァン・デン・ヒーヴァーはマッティより変化が少ないと思ったが、鼓手長と陽気に振舞った後自戒するシーンなど哀れに思えた。その他大尉のゲルハルト・ジーゲルが暗い話の中でひとり軽い個性的な歌唱で印象に残った。演技力にも圧倒される。暗い舞台だから演技は目立つように大きい。ヴォツェックがマリーを刺す場面など本気かと思うほど迫真に満ちた迫力があったし、マリーが鼓手長を家に誘うのも振り回すように強引であった。

それにもまして劇的だったのはネぜ=セガンのオケだと思う。鮮明で起伏の極めて大きい名演であった。ピットに溢れんばかりの大編成のオケが最強音を鳴らした時の迫力は言いようがない。通常のオペラより場面転換の間奏が多いのでオケの威力が一層発揮されたと思う。

「ヴォツェック」を観たのは何年振りか分からないくらい前のことである。社会の貧困を抉りだすようなオペラは続けて観たいとは思わないが、たまのことなので一層強烈な印象を受けた。

 

 


2012.
3.16 (ライブ収録)
出演
フランチェスカ:エヴァ=マリア・ウェストブルック
パオロ:マルチェロ・ジョルダーニ
ジャンチョット:マーク・デラヴァン
マラテスティーノ:ロバート・ブリューベイカー  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:マルコ・アルミリアート
演出:ピエロ・ファッジョーニ

フランチェスカ・ダ・リミニは実在の人物。13世紀ラヴェンナ領主の娘で争っていたリミニ領主の息子と政略結婚させられる。息子ジャンチョットは足が不自由で醜かったのでイケメン弟のパオロを代理に式を済ませるが、二人は愛し合い不倫の関係に陥る。それを知ってジャンチョットが二人を殺害するという事件が起きた。この話はダンテの「神曲」第5曲色欲の罪人に取り上げられ、以降多くの文学、美術、音楽の題材となってきた。最も有名なのはロダンの「接吻」である。

作曲したザンドナーニはマスカーニの弟子でプッチーニ「トゥーランドット」の補筆を受けることになっていた。これは実現しなかったが、このことからどういう作曲家は見当がつく。このオペラは彼の代表作だが、それでも上演されることはほとんどない。METでは30年ぶりとのことである。

演出は「神曲」などさらさら念頭になく、この事件を生々しいヴェリズモ・オペラにしたものと思う。舞台セットは大規模で、侍女たちが戯れる華やかな場面、攻城戦の激しく壮大な場面、その一方で兄弟、恋人への愛情、憎しみなどの人間感情を暴露するリリックな場面がある。いろいろと変化が大きく、オペラの醍醐味を楽しむにはもってこいの舞台になっていた。

歌手もさすがMETだけあってハイレベルな陣容である。タイトルロールのエヴァ=マリア・ウェストブルックはヴェリズモ・オペラの過激な感情表現はしなかったが、力強い声で美しく歌って良かった。どちらが正しいという問題ではないが、体が大きいので内に秘めたというよりは積極的なフランチェスカのように見えた。昨年急逝したマルチェロ・ジョルダーニは2015年新国のウェルテルを交通事故でキャンセルしたり、昨年のMETのラダメスも体調が悪かったりで不運な人の感じがする。しかしこの2013年のパオロでは不安も感じさせずイタリア的歌い方で素晴らしかった。兄弟のジャンチョット役マーク・デラヴァンとマラテスティーノ役ロバート・ブリューベイカーも良かったし、特に後者はなかなかの芸達者で最も役に嵌っていたと思う。侍女たちが皆美人で花を添えた。

作品自体は私の好みの合わずそれほど魅力的とも思わないが公演は良かったと思う。イタリア・オペラらしい露骨な感情表現はなかったが、METらしい豪華な舞台であった。

ここのところまたコロナの感染者が増え始めている。当初半年たてば収まると思っていたがどうも怪しくなってきた。コロナ対策をしたうえでの9月再開もこの調子でははっきりした見通しが立たない。シーズンが終わってストリーム配信も減ってきたようだし、これでは関心をオペラから室内楽に向けなければならないかと思っている。

 

 


キャスト

ジークムント:ジェス・トーマス
ジークリンデ:ヘルガ・デメッシュ
ヴォータン:テオ・アダム
ブリュンヒルデ:アニア・シリア
フンディング:ゲルト・ニーンシュテット
フリッカ:グレース・ホフマン  ほか
NHK交響楽団
指揮:トーマス・シッパース
演出:ヴィーラント・ワーグナー

8年間酷使したパソコンが壊れて買い替えることになった。それでほぼ1週間空いてしまったがその間に見逃したものもいくつかある。これは復帰後最初に観た1967年大阪でのバイロイト初の海外公演である。映像があるとは知られていたがなかなか見つからず、FBで紹介されてるのを知って早速観た。モノクロで声と口の動きが合わないから別々に撮ったものと思う。何せ50年以上前のことだから映像も音もその当時のものと思って視聴しなければならないが、記念すべき公演の雰囲気は十分に伝わってくる。

演出はヴィーラント・ワーグナー。最近のバイロイトは演出家の独善と偏見によるワーグナーの原作を無視したものが多いから、こういう時は一度過去の評価の定まった制作に戻るのが良いと思う。懐古趣味がないわけではないが、良いものは良いと理解するのが鑑賞の基本原則だと思う。好き嫌いの問題とは違う。

舞台は真っ平らで何も置いてない。背景に幕ごとにトネリコの大木、枯れ木を組んだような部屋と森、天馬が飛び交うような雲や燃え盛る炎。それもパネルに描いたか、映像で見せるだけである。舞台は極めて暗く照明をスポット的に当てている。小道具も槍、剣、斧と蜜を飲む角杯だけで極めて少ない。衣装だけはそれなりに拵えてあった。こうした中で歌手の演技を中心に進行するが、それも皆大げさな動きはない。しかし棒立ちではなく、立ち位置と仕草はよく考えられていると思った。よく見る両腕を広げたり拍子をとるような動きは一切なく、相手と向き合うとか目を合わせるとかの日常見られるような普通の姿であったし、舞台上の移動も機械的でなく感情の起伏が感じられるような動きをしていた。特に印象に残った場面としては、ヴォータンがブリュンヒルデを抱きながら告別を歌ったのが感動的だったし、ワルキューレの騎行をシルエットとして浮かび上がらせたのも美しかった。

当然のことだが歌手で現役で残ってる人は一人もいない。驚くのはキャストが滅茶苦茶に若いこと。ジークリンデ、ブリュンヒルデはまだ20代、最年長のフリッカだって46歳。ヴォータンのテオ・アダムも当時まだ41歳であった。体つきも皆若々しい。ジークムントのジェス・トーマス(40歳)は筋肉マンで両脚を曝け出しても見事だし、ブリュンヒルデのアニア・シリアは今時のオペラ歌手では見られないスリムな姿である。因みにアニア・シリアは10歳で舞台に立ち20歳でバイロイトでゼンタを歌ったという伝説の人だが、クリュイタンス、ドホナーニと結婚しヴィーラントとも関係があったといわれる。それはともかく歌唱は皆、声量の程は分からないが素直で癖のある人はいなかったと思う

トーマス・シッパースは情緒のある指揮で素晴らしかったし、N響も多分これが最初の「ワルキューレ」ではなかったか凄く熱のこもった演奏であった。

この大阪公演はバブル時代とは言えチケット代が初任給1か月分くらいだったと記憶する。今なら20万円に相当するが、実際会場で聴いた恵まれた人も今では少なくなったと思う。そんな昔の話である。

尚その時のもうひとつの演目はブーレーズの「トリスタンとイゾルデ」であったが、これも観てみたいと思っている。また「ワルキューレ」に興味のある方は次のURLからご覧ください。

 

https://www.youtube.com/watch?v=q2ICeaFM1iE&feature=share&fbclid=IwAR3d-lb5pCD2hbdrf5gmX0_aj1Bnp79Em15cbU2zCxzHPqakTj1k3f8o1VU

 

 

 

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