くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2020年08月


2010.12.11 (ライブ収録)
出演
ドン・カルロ:ロベルト・アラーニャ
王妃エリザベッタ:マリーナ・ポプラフスカヤ
国王フィリップ2世:フルッチョ・フルラネット
ロドリーゴ:サイモン・キーンリーサイド
エボリ公女:アンナ・スミルノヴァ  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:ニコラス・ハイトナー

ヴェルディの30近いオペラの中で最後から5番目の最高傑作。シェイクスピアによる3つの作品と同じく、こちらはシラーの戯曲「ドン・カルロス」を基にしている。多くの版があり5幕フランス語版は3時間半とスケールが大きくワーグナー並みに長いが、冗長の感じは全くしない。日本では4幕版が普通で5幕版の上演は数回しかないのではと思う。びわ湖ホール(イタリア語)、東京芸術劇場(フランス語)、それにMET2011来日公演(イタリア語)くらいではないか。

さすがはMETらしい豪華キャストである。この半年後に来日公演があったが、演出も違うし、キャストもポプラフスカヤを除いて皆異なっていた。NHKホールで観たが大震災の直後とて出演者は揃っていても何となくどさくさの組替え公演みたいであった。それでも来日してくれただけでも感謝の思いであった。しかし演奏は今回配信の方が圧倒的に熱気があった。

歌手は皆素晴らしかった。だがどちらかと言えば男声陣の方が良かったと思うが好みの問題かもしれない。タイトルロールのロベルト・アラーニャは情熱的で演技も剣で闘うシーンなど真に迫っていた。一方ロドリーゴのサイモン・キーンリーサイドは誠実理知的で気持ちを隠すのと爆発させる時の違いが何とも素晴らしかった。二人の友情の二重唱は最高。国王のフルッチョ・フルラネットは4幕の有名なアリアから大審問官とのやり取り迄、苦悩がにじみ出て感動的であった。暗さとド迫力が生きるバスの競合はこのオペラに聴きどころでもある。王妃のマリーナ・ポプラフスカヤは声が清いのは若い王妃によく合っていると思う。悲壮感があるし、宝石箱が無くなったと国王に駆け込む場面も慌てふためく感じがよく出ていた。エボリ公女のアンナ・スミルノヴァのパワーは凄い。しかしあり過ぎて王妃に後悔して詫びる場面など怒ってるように聴こえる。二人ともロシア人で控え目に演ずるのは日本人と気性が違うかもしれない。来日公演のエカテリーナ・グバノヴァもそうであったから。

指揮のヤニック・ネゼ=セガンは「カルメン」に継いで2作目のMET登場になる。昨日聴いた就任公演「椿姫」に比べると随分と粗削りの感がある。シンフォニーが多かったから舞台の歌手との一体感の点でまだ慣れていなかったのかと思う。

演出は読み替えがなくオーソドックスだが舞台セットは造形的であった。しかもそれが幕によって程度が違いリアルな部分もあり、また衣装が伝統的でリアルであるから必ずしも統一が取れているとは言い難い。規模は大きいが豪華ではなかった。少なくとも高級感がなくてはMETらしくないと思う。

ということで歌手の素晴らしさに尽きる公演だった。

 

 


2018.12.15 (ライブ収録)
出演
ヴィオレッタ:ディアナ・ダムラウ
アルフレード:ファン・ディエゴ・フローレス
ジェルモン:クイン・ケルシー  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:マイケル・メイヤー

ダムラウとフローレスを聴きたくて観た。だが演出面もちょっと変わったところがあった。

「椿姫」のソプラノは一人出ずっぱり、しかもコロラチューラ、リリック、ドラマティックとすべてを歌うわけだから3役を一人で歌うようなものである。ダムラウはベルカントで世に出たが、その後次々と幅を広げていった。2010年のインタビューで将来歌ってみたい役にヴィオレッタを挙げていたが、3年後にMETロールデビューを果たした。今や最高の円熟期に入り、歌唱が美声で表情豊かで完璧、その上繊細な演技でも目を見張るものがある。この公演でも感涙の素晴らしい歌唱、演技でもアルフレードと再会するフィナーレなど涙ぐんで役になり切っていたように見えた。こういう細かい表情は大写しの画面でないと分からない。

アルフレード役のフローレスはベルカントで余人に代え難い存在だが、このアルフレードでは印象が薄い。普通の歌手に聴こえ、これならベチャワの方がドラマティックで良いと思った。(この時だけかもしれないが)

指揮のヤニック・ネゼ=セガンは
MET音楽監督就任後初のピット入りで、インタビュー時にリハーサルの模様が流れていたが、随分念入りに準備を重ねたようである。緻密で丁寧な感情表現に注力していると思った。祝賀の意味もあると思うが、開幕でピットに入ると同時に盛大な拍手が沸いた。またMETでは異例と思うがカーテンコールでオケ楽員を舞台に上げて労っていた。カナダ人だがレヴァインを継ぐにはアメリカ人が相応しいのだろう。

舞台は伝統的部類に入ると思うが
METにしては節約型で全幕同一セット、照明だけで場面転換していた。演出でちょっと変わった点は2つ。ひとつは冒頭ヴィオレッタの亡骸をアルフレード、ジェルモン他が見守るシーンから始まる。つまり回想としてオペラの幕が開く形にしている。もう一つはアルフレードの妹が黙役として登場すること。2幕ヴィオレッタを説得する場面でジェルモンが妹を伴い、また3幕では死の床にあるヴィオレッタの背後を妹がウェディング・ドレスで通ったり、見舞ったりする。妹の結婚のために起きた悲劇であることを見える形にしていた。確かに話の移り変わりがよく分かるとは思うが、それ程新鮮味は感じなかった。

ある意味記念演奏であるが、ダムラウだけが印象深く素晴らしい公演だった。




ダムラウに関して過去書いた記事
http://klahiroto.livedoor.blog/archives/2010-03-13.html
http://klahiroto.livedoor.blog/archives/2013-03-16.html



2018.4.14(ライブ収録)
出演
ルイザ・ミラー:ソニア・ヨンチョバ
ロドルフォ:ピュートル・ベチャワ
ミラー:プラシド・ドミンゴ
ヴァルター伯爵:アレクサンダー・ビノグラードフ
ヴィルム:デミトリ・ベロセルスキー  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ベルトランド・ビリー
演出:エライジャ・モシンスキー

METヴェルディ・ウィークの3日目だがもう飽きてきた。ヴェルディはほとんどすべてが愛と憎しみの話で、たとえ愛の形が違っても感情を描くことに留まっている。例外はシェイクスピアが原作になっている「マクベス」や「オテロ」の場合で、愛憎というより人間の業とか欲望がテーマになっている。(「ファルスタッフ」は喜劇だから別にして) 要するにいろんな状況の中での色恋を扱っているだけである。それが悪いと言っているのでなく、同じような話が続けば退屈するということである。中を空ければそういうことはないと思う。そういうことなので歌手に関心が向いてるうちは良かったが、せいぜい半分で後半はながら聴きになってしまった。

タイトル・ロールのソニア・ヨンチョバは若手ソプラノらしく娘役に合う容姿とベルカントな声で素晴らしかった。それ以上に適役はロドルフォのピュートル・ベチャワ。真面目で一途な恋人役には最高だと思う。感情の籠め方が半端でなく、怒る時は声も演技も迫力がある。父ミラー役ドミンゴのバイタリティーは凄い。インタビューでまだ引退は考えていないと言っていたが、テノールからバリトンに変わったとはいえいったいどこまで歌い続けるのだろうか。観なかったがこの前のストリームではロドルフォで出演していたから親子の世代を歌ったことになる。来年MET50年だそうである。ヴァルター伯爵のアレクサンダー・ビノグラードフは領主を奪った悪人には見えず、むしろ秘書ヴィルムに脅されてやったような感じがした。そのヴィルムのデミトリ・ベロセルスキーの方は凄味があった。

舞台セットもオケもすべてが揃ったMETらしい豪華な公演だったと思うが、申し訳ないが集中力が持たなかった。

明日は「仮面舞踏会」だが歌手にもあまり関心がないのでパスすることにする。


2015.10.3 (ライブ収録)
出演
レオノーラ:アンナ・ネトレプコ
マンリーコ:ヨンフン・リー
ルーナ伯爵:ディミトリ・ホヴォロストスキー
アズチューナ:ドローラ・ザジック
フェルランド:ステファン・コツァン
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:マルコ・アルミリアート
演出:デイヴィット・マクヴィガー

「トロヴァトーレ」はヴェルディの中で最も多く観ているオペラである。話は滅茶苦茶だから突っ込まないことにして素晴らしい音楽だけ聴くことにしている。ストーリー最低音楽最高だが、感動的アリアが次々出てこんなに転換の速いオペラも少ない。

そういうオペラだから何はともあれ歌手が揃うことが絶対必要条件である。開幕前にペーター・ゲルブ総裁が最高のキャストと自慢げに話していたが、成程凄いと思う。ネームバリューでなく実際に聴いた上での感想である。これは間違いなくMET屈指の名演でだと思う。

皆これ以上望めないと思う感銘を受けたが、中でも光っていたのはアンナ・ネトレプコ。暗く曇ったような声は好みでないが表現力は確かに当代随一と思う。感情の籠ったドラマティックな歌唱は役に溶け込んだ大袈裟でない演技も伴ってさすがはディーヴァの存在感を見せつけた。

マンリーコを歌ったヨンフン・リーの成長には驚いた。2011年MET来日公演でヨナス・カウフマンの代役としてドン・カルロを歌った。その時はまだ30代の若さでこれからだと思った。それがふっくらした声ではないが、力強い歌唱が直球勝負で挑むように訴えかけてくる。すっかり主役に収まって韓国出身歌手の実力には恐れ入る。

ルーナ伯爵のホヴォロストスキーは脳卒中から回復途上のMET復帰とのことで、登場するや否や大拍手が起こり演奏を中断する羽目になった。彼の方も軽く笑顔の会釈で返していた。残念なことに2年後脳腫瘍悪化で急逝した。55歳であった。白髪のスポーツ選手みたいな体格で正にバリトンのスターであった。カーテンコールでオケ楽員から白い花が一斉に投げ込まれたが、日本人には供花のように思えた。

アズチューナのドローラ・ザジックはMETデビュー25年だそうで、それ以来ずっとはまり役になっている。形は粗野なジプシーだが声には母親らしい優しさがあって素晴らしい。フェルランドのステファン・コツァンは昨日スパラフチレを聴いた時と同じで、凄みのある指揮官ぶりで冒頭だけでほとんど終わりなのが惜しい気がする。

マルコ・アルミリアートの指揮はきびきびしたリズム感と歌心があって「トロヴァトーレ」には特に相性が良いと思う。

演出はオーソドックスで特記することはない。暗いがMETらしい大規模な舞台であった。フィナーレがマンリーコが牢から連れ出されるだけで炎が全くないのも統一感があって良いと思った。

花形歌手の競演饗宴超名演を十分堪能した。METは凄い。




2013.2.16 (ライブ収録) 

出演
リゴレット:ジェリコ・ルチッチ
ジルダ:ディアナ・ダムラウ 
マントヴァ伯爵:ピュートル・ベチャワ
スパラフチレ:ステファン・コツァン
マッダレーナ:オクサーナ・フォルコヴァ  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ミケーレ・マリオッティ
演出:マイケル・メイヤー


METストリームは今日から1週間ヴェルディ・ウィークで初日は「リゴレット」。あまり好きな方のオペラでないが演出が面白そう。

METにしては珍しい読み替え演出で現代のラスベガスを舞台にしている。演出のマイケル・メイヤーはブロードウェイ・ミュージカルの著名な演出家だそうで、オペラはこれは初仕事とのこと。如何にもアメリカ的でネオン瞬く派手な舞台である。マントヴァ伯爵はカジノのオーナーで歌手。リゴレットはそこで働く芸人、せむし男と違って見栄え良い。脇のモンテローネ伯爵はカジノで遊ぶアラブの金持ちである。殺人者スパラフチレもはびこるマフィアの世界である。金、セックス、恨みは普遍的問題なので不自然さはなく、その中で父娘の愛情を描く。

歌手は歌唱力が皆素晴らしいが、役柄には適不適があったように思う。リゴレットのジェリコ・ルチッチとジルダのディアナ・ダムラウは2008年ドレスデンの映像をNHK-BSで観た。ダムラウは出産で見た目10代の娘らしくないが、清潔な声と表情豊かな表現力はいつも通り完璧。ルチッチもドラマティックで感情が溢れ素晴らしい。マントヴァ伯爵のピュートル・ベチャワは甘い声がこの上ない魅力だが誠実な容貌で悪の遊び人には見えない。役柄に最も嵌っていたのはスパラフチレのステファン・コツァン。ドスの効いた低音とマフィアっぽい形振りで申し分なし。マッダレーナのオクサーナ・フォルコヴァもナイス・バディで目を引いた。

指揮のミケーレ・マリオッティはオペラが起伏をもってスムーズに流れ良かった。

アメリカらしい演出と素晴らしい歌声の公演であった。簡単にメモとして残しておく。


2015.4 (プレミエ・ライブ収録OPERAVISION
出演
アルチェステ:カルメラ・レミージョ
アドメート:マーリン・ミラー
イスメーネ:ズザーナ・マルコワ
エヴァンドロ:ジョルジオ・ミセリ  ほか
フェニーチェ歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ギョーム・トゥルニエール
演出:ピエール=ルイージ・ピッツィ

グルックの「アルチェステ」は多分日本で舞台に上がったことがないのではと思う。エウリピデスのギリシャ神話に基ずくオペラで、瀕死の王のため王妃が生贄になるが神の宣託で救われるという話である。夫婦の愛と思えば現代に通ずる。

フェニーチェ歌劇場2015年4月の新制作公演。イタリア語版だが一般には大改定の行われたフランス語版の方が評判が良いそうだ。ベニスでやるのだからイタリア語版は当然であろう。イタリア語版は王の友人が王妃を冥土から取り戻す場面がなく、皆が喜ぶフィナーレを除けば喜怒哀楽の哀しかないように感ずる。バレエも挿入されないから舞台演技が一色になってしまう。それで全体がほぼ同じ長さだからイタリア語版が饒舌に思えても無理はない。

演出は読み替えのないオーソドックスな解釈だが舞台は革新的である。白と黒だけの直線的幾何学的舞台。一部例外的にベージュのカーテンと窓枠のアーチがあるだけである。フロアーが白黒のチェス盤模様で鮮烈な印象を受ける。衣装も白か黒一色の長いローブで、ここまですべてを統一すると芸術的に美しく見える。

残念なのは音楽が単調なこと。作品自体の問題もあるが、歌唱もオケも平板と思う。王妃アルチェステには母親と妻という二つの立場があるが、カルメラ・レミージョの歌唱はリリックではあるが悲しみと苦しみの感情が一色に聴こえる。王のマーリン・ミラーの方が感情の起伏が感じられた。オケも悲しい響きはしても、ずっと同じ調子が続く。結局は指揮者がいけないのだと思う。作品の変化があまりなくともそれを上手に聴かせるのが指揮者の役目である。

この公演で印象に残ったのは舞台美術で音楽は単調であった。イタリアの歌劇場はスカラ座でも最近パッとしないようだが、オペラが最初に盛んになったベニスも勢いがない。ドイツがミュンヘン、ベルリン、ドレスデンと3か所も盛況なのとは随分開きがある。これも国力の差だと思う。イタリアへ行くならシーズン公演より音楽祭の方が特徴があって良いかもしれない。




2019.10.11 パルマ王立歌劇場 (ライブ収録OPERAVISION
出演
フランチェスコ・フォスカリ:ウラジーミル・ストヤロフ
ヤコポ・フォスカリ:ステファン・ポップ
ルクレツィア・コンタリーニ:マリア・カツァラヴァ
ヤコポ・ロレダーノ:フランチェスコ・プレスティア  ほか
パルマ王立歌劇場合唱団、トスカニーニ・フィルハーモニー
指揮:パオロ・アルヴァベーニ
演出:レオ・ムスカート

ワーグナー、ヘンデル、現代オペラを聴いてヴェルディを聴くと直観的に素直についていける。特にこの「二人のフォスカリ」は2時間と短いし、場面毎に琴線をゆするアリアや重唱があって聴き易いと思う。

イギリスの劇作家が書いた「二人のフォスカリ」をオペラ化したもの。フランチェスコ・フォスカリは15世紀ヴェネツィア共和国の実在する元首。ヴェネツィア1000年の歴史の中で最も長く元首の地位のあった人物である。恋愛ものが多いイタリア・オペラの中でこれはヴェネツィア共和国の政治体制の中で元首の地位と家族愛の葛藤に苦しむ物語である。フランチェスコの息子ヤコポは政敵の謀略で無実の罪を着せられ、父フランチェスコが元首として息子を裁く立場に立たされる。妻の嘆願にもかかわらず、十人委員会の決定に従って流刑されてしまう。元首も失意と老齢で業務遂行不能と判断され解任される。その後息子の潔白が分かるが時すでに遅く息子が死んだ後であり、元首も直後に死んでしまう。政敵ロレダーノが喜ぶ中幕となる。


元首は日本なら首相に当たるから息子を助けることぐらい出来そうに思うが、当時のヴェネツィアはそうはいかなかった。終身元首を目ろんだマリーノ・ファリエルの陰謀以来、元首の権力は十人委員会により厳しく監視されていたのである。

舞台セットは牢獄以外は極めて簡単なもの。委員会の開かれる宮殿は歴代元首を想わせる素描の壁だけ。牢獄とて地下に下りる階段と鎖が下がっているだけで、触れると揺れてしまう。コロナ演出ではないが面会に行っても手を握ることすら出来ない。衣装はヴェネツィアの絵にあるような長いマントかドレスでそれなりに見栄えよく作られている。だが黒を着ることが多く、カーニバルでも黒一色に白の仮面で統一している。これはこれで舞台美術上の色彩と考えればよいと思う。ヴェルディはある意味で歌だけでも演技できるようなオペラだから場面が想像できればそれでよいと思う。

歌手はウラジーミル・ストヤロフとステファン・ポップが良かった。元首のストヤロフは腰が曲がり杖を持った姿で登場し、元首の威厳はどこへやらひたすら息子を心配する父親の気持ちを歌っていた。それだけに悲しみが一層よく伝わってきた。息子のポップはルーマニア出身の若いテノール。声に艶があって感情を曝け出す歌唱が如何にもイタリア的で素晴らしく、これからのホープである。開幕早々のアリアはちょっと乗ってなかったようだ。妻のマリア・カツァラヴァはどこか詰まったような声で好きでない。政敵のフランチェスコ・プレスティアはイタリア人だが、争うようなパワーを感じない大人しい声であった。パオロ・アルヴァベーニ指揮のオケはリズム感があり、歌手を生かすような演奏で良かったと思う。

この公演はドカーレ宮殿の豪華さとは正反対の暗い舞台であったが、サン・マルコ広場、宮殿に入る中央階段、豪華な大広間、運河を挟んでつながる牢獄などを思い浮かべながら観ていた。日本ではまず上演されないオペラを観るには外国に出掛けるしかない。その点生ではないが一歩我慢してストリームは有り難いと思う。



2017.6/30&7/6 (ライブ収録)
出演
ハムレット:アラン・クレイトン
オフィーリア:バーバラ・ハンニガン
クロ―ディアス:ロッド・ギルフリー
ガートルード:サラ・コノリー
先王の亡霊:ジョン・トムリンソン  ほか
グラインドボーン合唱団、ロンドン・フィルハーモニー
指揮:ウラジーミル・ユロフスキー
演出:ニール・アームフィールド

これも以前NHK-BSで放送されたが記録に残さなかったので簡単に書いておきたい。オーストラリアの現代作曲家ブレット・ディーンがグラインドボーン音楽祭から依嘱された、言うまでもなくシェイクスピアの「ハムレット」をオペラ化したものである。イギリスだからシェイクスピアに拘るのも分かるが、既にトマの名作があるのに現代オペラで挑戦するとはやはり芸術家と思う。

音楽は深刻な雰囲気の緊張と迫力があったが、メロディーは無調なので聴き難い。強弱はあっても緩急があまりなく同じテンポで会話してるかのように進む感じがする。しかしオケの音の拡がりが合唱も含めて豊かである。合唱などステージに上がってない時にも聴こえるからPAを使っているか特殊な配置にしているのであろうか。ただ気になったのはカウンターテナーが2人国王の側近になっていたが、現代オペラで使う意味がどこにあるのだろうかと思った。

シェイクスピアのストーリー通りで読み替えはないし現代に置き換えただけなので特記することはない。舞台がかなり暗く御前舞台などうっすらと見えるくらいだが、悲惨な結末の心理劇には相応しいと思った。衣装が普通のスーツやドレスなのに王冠だけが金ぴかのアニメ調で浮いてしまっていた。 

歌手はリリックなメロディはないが感情が籠っていたのはよく分かった。だが歌唱よりも迫真の演技の方で強烈に伝わったと言ってよい。ハムレットのアラン・クレイトン、特にオフィーリアのバーバラ・ハンニガンの狂気ぶりが抜きんでて素晴らしく、このオペラは二人で見せたようなものである。亡霊のトムリンソンは白く塗った上半身裸で登場したがどこか滑稽な格好で亡霊には見えなかった。

深く感動するところまでは至らなかったが歌手は皆健闘したと思う。コロナで芸術関係は財政が困窮している。グラインドボーンも例外ではなく配信に際し寄付を仰ぐ広告を出していた。



2008.3.22(ライブ収録)
出演
トリスタン:ロバート・ディーン・スミス
イゾルデ:デボラ・ヴォイト
ブランゲーネ:ミシェール・デ・ヤング
クーヴェナル:アイケ・・ヴィルム・シュルテ
マルケ王:マッティ・サルミネン  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:ディター・ドルン

MET2008年の「トリスタンとイゾルデ」はNHK-BSでも放送された。レコードは別の芸術で音楽は生で聴くものと思っていたから記事にもしていない。しかしこのコロナ下では生は困難だし、この先コンサートに出かけられなくなる時が来たら録画しか頼るものがない。現在の状況ではコロナの影響も続くからストリームを記事にするしかないと思っている。

この公演は音楽がすべてで演出はライトビューイング用特別制作としても全く駄目である。これではオペラの舞台を観るのでなく映像を観てるようだし、第一音楽の邪魔になる。

舞台はシンプルな造形、照明がきれいである。左右対称で1幕はバックに船の帆、2幕は中央に高い塔、3幕は狩や耕作をしているミニチュア模型が散らばっている。抽象具象の統一感がないがこれだけならまだ良いにしても、分割映像が頻繁に出できて気が散ってしまう。観る者にとっては生の舞台を観たいのを映像で我慢しているわけだから、あくまで舞台を見せるものでなければならないと思う。前にも書いたことがあるが8Kの高精密映像が可能になったのだから舞台全体を映す固定画像で必要ならオペラグラスで観たらよいと思ってるくらいである。

これに対して音楽は素晴らしかった。レヴァインの音楽はドイツ的重厚さはないが、甘さあり迫力あり活気あり、極めてドラマ的で感情豊かである。ソロを強調するのも分かり易いし、奏者も気が入ると思う。外観的ともいえるがこれもオペラらしい一つの活き方であると思う。

歌手も素晴らしい。トリスタンのロバート・ディーン・スミスは急遽呼び出されたそうで、1,2幕はややセイブ気味とも感じられたが3幕は渾身の熱演であった。イゾルデのデボラ・ヴォイトは何とMETロールデビューとのこと、今更のように思うが凄く気が入っているのが感じられた。リンダ・ワトソンと共にアメリカの誇るドラマティック・ソプラノだが、終始変わらぬ力強い声は流石である。ただフィナーレの愛の死は強過ぎてすべてが終わった淋しさが却って薄れる感じがした。この時はダイエットした後で舞台姿も見栄えが良くなった。マルケ王のマッティ・サルミネンも歳を重ねてすっかり品のある温かいマルケ王にはまっていた。ブランゲーネ役ミシェール・デ・ヤングもクーヴェナル役アイケ・ヴィルム・シュルテもこの人にとっては普通に演じていた好演だったと思う。

METもストックが減ってきたとみえ前世紀の古い名演が多くなってきた。これから観るオペラも減ってくるかもしれない。



2005.8.14&17 (ライブ収録グラインドボーン歌劇場)
出演
ジュリアス・シーザー:サラ・コノリー
クレオパトラ:ダニエル・デ・ニース
コルネリア:パトリシア・バードン
セスト:アンゲリカ・キルヒシュラーガー
トロメーオ:クリストフ・デュモー、ニレーノ:ラジド・ベン・アブデスラム
アキッラ:クリストファー・モールトマン、クーリオ:アレクサンダー・アッシュワース
グラインドボーン合唱団、エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団
指揮:ウィリアム・クリスティ
演出:デイヴィッド・マクヴィガー

ヘンデルの「ジュリアス・シーザー」で真っ先に出てくる言葉は長いである。物理的時間ならもっと長いワーグナーがあるのにそう感ずるのは理由がある。物語の展開が遅い上に密度が均一で多くのアリアがどれも非常に長い。ヘンデルで最も有名なオペラとは言えもう少し構成を工夫をした方が良いと思うのだが。

しかしこの公演はマクヴィガーの演出がユーモアに溢れて面白い。多くの場面で入るダンスの振り付けが上手いし衣装を何度も変えたりして目を楽しませた。だからこれまで抱いていた印象程には退屈しなかった。マクヴィガーのヘンデルはウィーン国立歌劇場この春のストリームでも観たが、やはりダンスが多く入っていた。意味がないと思うこともあるが、ヘンデルの華やかな宮廷音楽にはよくマッチして良いと思う。

物語は言うまでもなくシーザーとクレオパトラの歴史的事実が基になっている。エジプト王朝では血族結婚が普通で、クレオパトラは弟のプトレマイオス13世と結婚している。ただこれは形式で実際どうかは別なので、ここでは単に姉クレオパトラと弟トロメーオとして登場している。だからトロメーオがコルネリア(ポンぺイウスの未亡人)に求婚しても今日の不倫の感覚とはちょっと違う。(同じと思っても一向にかまわないが) さてこの演出の素晴らしさはクレオパトラ、トロメーオ、コルネリアの3者に極端に異なる性格付けをしたところにあると思う。クレオパトラは破天荒な陽気者、トロメーオは性的異常者、コルネリアは内向的で貞淑な女。この対照がオペラを極めて面白くしている。場面転換が素速いのも素晴らしい。

歌手で飛び切り目を引いたのがクレオパトラのダニエル・デ・ニース。インド系美人でスタイルも良くダンスもプロ並みに見事なもの。踊りながら歌っているのか、歌いながら踊っているのか区別がない本格的なミュージカル歌手のようである。実はダニエル・デ・ニースはこの公演に急遽代役で出演したそうであるが、とてもそうは思えない堂に入ったものである。これが大評判になって一気にスターになったのも分かる。声はきれいとは言えないがこういうポップス的役では最高と思う。タイトルロールのサラ・コノリーはグラインドボーン合唱団出身でヘンデルのエキスパート、真面目な歌い方である。長身なのでズボン役が似合い、この春ウィーンの「アリオダンテ」でもタイトルロールを演じていた。声が良いと思ったのはコルネリアのパトリシア・バードン。低目の柔らかい声はこのコルネリアのキャラにピッタリであった。それともう一人ベテランのアンゲリカ・キルヒシュラーガー。「ばらの騎士」のオクタビアンを観て以来ファンだが、セスト役にはもう少しパワーがあった方が良いと思った。カウンターテナーのクリストフ・デュモーとラジド・ベン・アブデスラムは共に女っぽい変態を上手く演じていた。残る二人のバリトンも問題なく良かったと思う。それぞれ皆演出の意図を良く受け入れて非常に息があっていた。特に全員が揃ったフィナーレは喜びに満ちた重唱で素晴らしかった。

指揮のウィリアム・クリスティは古楽の巨匠。人柄が現れたような軽く生き生きした温かさと華やかさがある。オケの管が宮廷音楽らしい華やかな音で素晴らしい。

このグラインドボーンの映像は2日に分けて観た。この春中止になった新国立劇場の公演はいずれ上演にかかると思うが、これくらい面白ければ観に行ってもよいと思う。


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