くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

2020年10月


2020.9.20 ガーシングトン・オペラハウス (ライブ収録OPERAVISION
出演
レオノーレ:キャサリン・ブロデリック
フロレスタン:トビー・スペンス
ロッコ:スティファン・リチャードソン
ピッツァロ:アンドリュー・フォスター=ウィリアムズ
マルツェリーネ:ガリーナ・アヴェリーナ  ほか
ガーシングトン・オペラ合唱団、フィルハーモニア管弦楽団
指揮:ダグラス・ボイド
演出:ぺータ・マムフォード

イギリス夏の音楽祭はグラインドボーンが有名だが、ガーシングトンもそれに劣らず格式高くドレス・コードがある。休憩時間には広大な領園の庭でピクニック気分の食事をとることも同じと言う。今夏はコロナで中止になったので9月に遅れてセミステージ形式で「フィデリオ」が上演された。

まずはオケが入ってきて驚いた。フィルハーモニアとあったのでそこそこの人数はいると思ったが、何と全てのパート1名で総員13名しかいない。合唱も5名であった。徹底したコロナ仕様でオケも歌手も一人一人2メートルくらいは完全に離れていた。ヨーロッパでは国によって規制が違うがイギリスは厳しい方かと思う。その中でこれが上演できる最善の形だったのだろう。

演出と言っても背後のスクリーンに映像と字幕に変わる解説がつき、モノクロの照明が多少変わるくらいであった。「フィデリオ」の内容にも相応しいし、コロナの暗い雰囲気に明かりを射すという意味でも良かったと思う。歌手は普段着のような衣装で演技はほとんどせず正面を向いて歌う。セミステージだからもちろん暗譜である。

歌手は皆ヴィブラートの少ない純粋な声で良く歌っていた。中でもレオノーレのキャサリン・ブロデリックはブリュンヒルデも歌ってるようできれいな声で力強く素晴らしい。若い人でマルツェリーネのガリーナ・アヴェリーナも同じようなきれいな声で可愛らしかった。男声ではロッコのスティファン・リチャードソンが温かい歌唱で良かった。ここで感じたことにちょっと広いサロンでオペラを聴いてる感じで歌唱が極めて鮮明に聴こえた。普通なら気にならないことが分かってしまうので歌手にとってはむしろ厳しい環境だったと想像する。

指揮のダグラス・ボイドはガーシングトン・オペラの芸術監督で情熱的であると共に歌手が歌い易い自然の流れがあって良かったと思う。フィルハーモニアの一人一人が皆上手いしアンサンブルも良く、特に管が素晴らしい音を出していた。フィナーレはとても室内オケとは思えない迫力があった。カラヤン時代の昔レコード録音で評判だったからそれがまだ生きてる感じがした。

コロナ禍でのひとつの形ではあったが、むしろ20名そこそこしか舞台に出てないので普通のオペラとは違った新鮮な感じを受けた。コロナ時代でなくとも日本の小さい劇場で上演する場合には参考にしてよいと思う。ピアノ伴奏よりは絶対に良いと思う。



2017.5.13 (ライブ収録)
出演
元帥夫人:ルネ・フレミング
オクタヴィアン:エリーナ・ガランチャ
ゾフィー:エリン・モーリー
オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
ファニナル:マルクス・ブリュック
歌手:マシュー・ポレンザーニ   ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
演出:ロバート・カーセン

MET2016~17シーズン最終公演でピーター・ゲルブが案内人として出てきた。この日はルネ・フレミングの元帥夫人とエリーナ・ガランチャのオクタヴィアン、それぞれの歌い納めの舞台になった。それ以外に歌手役として1曲歌うだけのマシュー・ポレンザーニがスーツに着替えインタビュー役を務めていた。何時もと違う特別の日になったのである。

写実的な演出ではオットー・シェンクに敵うものはないと思っていた。でもこのロバート・カーセンの演出はウィーンの華やかな香りを残しつつも今日的解釈を加味したなかなか素晴らしいものであった。舞台はワインレッドの貴族風館、当時流行を取り入れた高級邸宅、それにちょっと如何わしい遊興サロンと変わるが、いずれも壁が一面大きな絵画で埋め尽くされている。奥行きが極めて深く、中幕を使って部屋の中と外を見せるセットは良いアイデアと思った。1、2幕が動きにフォーマルなところが多く喜劇としてどうかとも思ったが、全体を観終わった時その良さが分かった。

新鮮に映ったところを列挙すると、第1に本物の大型犬が登場し豪華さに花を添えたこと。第2に解釈として新しいと思ったことに、庭に大砲が置かれファニナルが武器商人として財を成したこと。第3に制服の兵士が多数夜の街を楽しんでいるので戦争時代を想定していること。第4にフィナーレで元帥夫人がファニナルでなく兵隊長と腕を組んで出ていくこと。第5に同じくフィナーレで子役がハンカチを拾うのでなくシャンパンを降りかけて兵士が倒れるところで幕となることなど何かと想像をかきたたせて面白いと思った。全体に華やかな中に戦争の影を感じさせる舞台であった。

歌手はこれ以上望めないキャストである。歌手役にポレンザーニを充てるくらいだから察しが付く。METの大御所的アメリカン・スター、ルネ・フレミングは舞台引退が囁かれる中この公演が元帥夫人の歌い納めになるそうである。一体この役で何回舞台に立ったのだろうか。それだけに彼女の最後の名唱は人生のはかない移り変わりを感ぜずにはおかない思いであった。もうひとりの歌い納めは今絶頂期にあるエリーナ・ガランチャ。17歳の男役オクタヴィアンは本人がもう限界と感じたのであろう。観る者にとってはそれを全く感じさせない若々しさで、歌ってなくても舞台にいる限りずっと動き続けていた。最初から最後まで出ずっぱりで歌うだけでも大変なのに、その上男と女を頻繁に移り変わる役は演技にも神経を使い、スタミナ維持が相当きついと想像する。

ゾフィーのエリン・モーリーも若く素晴らしいソプラノで清純な声がゾフィーにピッタリ、三重唱でもディーヴァ二人に全く引けを取らなかった。ただ金持ちの箱入り娘ではなくしっかり者の現代っ子であった。ちょっと役柄的にどうかと思ったのはオックス男爵のギュンター・グロイスベック。風采が立派過ぎて下品な感じがあまりしなかった。しかしこれも考えようで、貴族だから風格があって当然とも言える。下品さはなくとも面白い動きはしているからひとつの演じ方とも言える。ポレンザーニはちょっと聴くだけでは如何にももったいない気がした。

ヴァイグレは構成力のあるドイツ的演奏。ドイツ人指揮者のMET登場は少ないと思う。2幕までは一寸ぎこちないところがあったが3幕は見事な演奏であった。終わり良ければ全て良しとしよう。

オットー・シェンクとは一味違う華やかな舞台でさすがはMETである。フレミングとガランチャのこの役最後の記念すべき舞台を観れたのが何より最高の思い出になる。


                                      
2020年9月 聖ルカ教会 (ライブ収録YouTube
出演
青ひげ公:ジェラルド・フィンリー
ユディット:カレン・カーギル
ロンドン交響楽団
指揮:サイモン・ラトル

今秋の来日が中止になったラトル&ロンドン響が予定されていたプログラムのひとつを日本向けに配信してくれた。演奏の前後に日本の聴衆に向けて挨拶があったし、日本語の字幕までついて特別の心配りがあった。

通常のコンサートホールでなくビデオ収録用に制作したもので、歌手は指揮者と同じくオケを前にして歌っている。すなわち指揮者と歌手の正面をオケの後ろからずっと撮っている。オペラとして珍しい映像と思う。演奏会形式で譜面は置いているが左右に設けられた階段の踊り場で演技もしていた。

「青ひげ公の城」はバルトーク唯一のオペラである。表面的には何人も妻を殺した青ひげ公を徐々に追い詰めていくようなストーリーになっている。だから普通は一貫して暗く不気味で張り詰めた演奏が多いように思う。ところがラトルの演奏はロマンティックでドラマティックな感じがして、これまでの演奏と随分違う印象を受けた。セリフの上では殺人を臭わせているだけだから、見方によっては惚れた男の過去を知りたいと思う女の心情を描いたと考えられなくもない。ラトルの演奏はそれに近かったのではと思う。

青ひげ公のジェラルド・フィンリーは何かを隠しているようなナイーブな表情が出ていたと思うし、ユディットのカレン・カーギルはギスギスしたところのない感情的な歌い方であった。つまりフィンリーは普通のカーギルはラトル流になっていたと思う。

このオペラは男女二人だけの人間心理描写だから、舞台上演にしてもあまり変わらないと思う。コンサートに取り上げるには適したオペラである。

オケはマスクをつけずソーシャル・ディスタンスを充分とっていたので、縮小した弦5部だけで通常のステージを埋めるくらいになっていた。この状態を守るとコンサートホールでは無理だから後期ロマン派以降の大編成管弦楽は当面聴けないであろう。一体何時迄待つことになるであろうか。


2018.3.31 (ライブ収録)
出演
フィオルディリージ:アマンダ・マジェスキー、ドラべッラ:セレーナ・マルフィ
フェルランド:ベン・ブリス、グリエルモ:アダム・プラヘトカ
デスピーナ:ケリー・オハラ、ドン・アルフォンソ:クリストファー・モルトマン
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:デイヴィッド・ロバートソン
演出:フェリム・マクダーモット

コニーアイランドを舞台にした現代演出。舞台装置にメリーゴーラウンドやコーヒーカップの乗り物が出るのは分かるが、火吹きやコントーションなどの曲芸まで見せるのでプロのパーフォーマンスをもう一つ見てる感じがする。本物のヘビまで登場するが歌手が首に巻くのはさすが作り物だから、これならはじめからやらない方がよい。オペラは歌とオケの音楽を基本とする芝居だから、ここまでやると行き過ぎと思った。オペラは娯楽のアメリカ的と言えば確かにそう思う。

解釈上で面白い点もあった。戦争に行く場面で2組だけでなく合唱団のペアも多く参加させて本当に別れを惜しむように見せていたのと、フィナーレで元の鞘に収まる前にさらに別の相手と組んだりして人の心は変わり易いものということを表して良かった。

キャストは新進歌手を中心にしたもので知らない人が多かった。その中で声に張りのあったグリエルモのアダム・プラヘトカが印象に残った。フィオルディリージが宙吊りのゴンドラ気球に乗ってアリアを歌ったが不安定でさぞ難しかろうと思う。デスピーナのケリー・オハラは軽快な動きがミュージカル・スターらしいし、ドン・アルフォンソのクリストファー・モルトマンは仕切り屋として存在感があった。デイヴィッド・ロバートソンの指揮は軽くスカッとした響きを出しこの演出にはよく合っていた。

この公演はブロードウェイのようでMETらしくなかったと思う。歌唱も普通の感じがするが、若手で皆よく頑張っていたと思う。歌手の皆さん容姿も見栄えするし本当に楽しいオペラであった。




2020.10.16 フィンランド国立歌劇場(OPERAVISION)
出演
デスピーナ:カリタ・マッティラ
劇場支配人:サンナ=カイサ・パロ Sanna-kaisa Palo  ほか
フィンランド国立歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:エサ=ペッカ・サロネン
演出:Mark Vaisanen
台本:Minna Lindgren

モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」ならぬ「コヴィッド・ファン・トゥッテ」。コヴィッドがコロナ・ヴィイルスのことは言わずもがなだが、どんな話になっているかと興味が湧いた。

音楽はコジそのままだがセリフが全面的に書き直され、昨今のコロナによって生じた様々な社会現象を繋げてストーリーを作っている。ロックダウン、隔離、ワクチン開発、経済不況などを題材にオムニバス風のパロディーとして仕上げている。

登場人物は同じだが、女声は歌劇場のオペラ歌手、男声は感染症の医師から始まって様々な役に置き換えられ変わっていく。他にセリフだけの劇場支配人がオペラの進行役として、また演技だけでコロナ・ヴィイルスも登場して笑わせる。

オペラは「ワルキューレ」のリハーサル中に突然支配人が現れ公演中止を告げるところから始まる。その後はモーツァルトの音楽にのせてコロナに振り回される人々の様子を描いてゆく。結末は様々な対策を打っているが要するにコロナは分からないので出来るだけの用意をしてオペラを再開しようという話である。オペラにしてしまおうと思うのが何とも面白い。

歌手ではカリタ・マッティラ、役者ではサンナ=カイサ・パロが舞台を賑やかにしていた。マッティラが演じたデスピーナは原作のコケティッシュなキャラがこの置き換えでも生かされていた。ただ歌手もセリフが多くフィンランド語だったので英語の字幕を追っていては会場の笑いについていけないところもあった。

舞台もピットもソーシャル・ディスタンスをとっての公演。フィンランドは高負担高福祉の国だが国民は幸せと満足してる人が多いという。そういう国だから深刻な状況までオペラにする余裕があるのであろう。日本は糞真面目な国だからこういうものは作れないと思う。

動画はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=LwNz8C33JOc



2016.4.16 (ライブ収録) 

出演
ロベルト・デヴリュー:マシュー・ポレンザーニ
エリザベス1世:ソンドラ・ラドヴァノフスキー
サラ:エリーナ・ガランチャ
ノッティンガム伯爵:マリウシュ・クヴィエチェン  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:マウリツィオ・ベニーニ
演出:デイヴィッド・マクヴィカー

 

ドニゼッティの英国王朝3部作は「アンナ・ボレーナ」がヘンリー8世、「マリア・ストゥルダ」と「ロベルト・デヴリュー」がその子エリザベス1世のいずれも狂った愛を題材にしている。嫉妬や猜疑心から処刑してしまう非道の話は気持ちの良いものでなく、好きなオペラでない。こういう作品を3つも書く感覚が知れないが、単に大衆の興味に合わせた結果だろうか。METがこの3部作を一挙連続して配信したので一番新しい作品ひとつを観た。

歌手の凄さに尽きると思う。中でもエリザベス1世を演じたソンドラ・ラドヴァノフスキーが別格に目についた印象が強い。個性的で極めて力強い声、その上コロガリも完璧にこなす人はいないと思う。その声は杖をついた年老いた女王の姿に合わないとは思うが、感情を露にした歌唱は如何にも劇的である。狂乱の場の演技も良かった。それと対照的にサラ役エリーナ・ガランチャがまた素晴らしい。決して崩れない歌唱はこのベルカントでも発揮された。深い声と同情を集める控え目の演技に惹きつけられた。タイトル・ロールのマシュー・ポレンザーニは甘いリリックな声で適役である。2幕監獄のアリアはとりわけ感動的であった。ノッティンガム伯爵のマリウシュ・クヴィエチェンはエリザベスに比べるとちょっと大人しい感じがするが、何をやっても上手くこなす歌手だと思う。

マウリツィオ・ベニーニは顔も温厚だが指揮もそんな感じがする。オケを引っ張ろうとする態度が見えないのにオケと歌手の息が自然にあってしまう不思議な指揮者である。

演出は劇中劇の形をとって、舞台は王宮内の劇場、左右に観客席がありそこに合唱が入っている。アリアが終わると劇中と劇場の両方から拍手が起きる。終演後の挨拶も両方にする。場面転換は後方の壁を変えるのと玉座や執務デスクを持ち込むだけのシンプルなもの。だが繊細に仕上げられて見栄えがした。歌手が演じているのを観るのでなく歌手が演じている様子を観ていることになり、話の生臭さが多少軽減されるように感じた。これは良かったと思う。

ラドヴァノフスキーは200回目のMET出演になるそうで、いかに多くの役に出ているかを物語っている。ポレンザーニと共にアメリカ出身だからひときわ大きな拍手を受けていた。



ドイツのエイズ基金のためのガラ・コンサートは1994年から毎年開かれ、名だたる歌手が集まってオペラ・アリアを歌う豪華なコンサートである。寄付金集めが目的でセレブが多く出席するから格式が高いようである。皆ブラック・タイとイーブニング・ドレスの正装であった。チケットは相当高いそうである。

CD
が発売されているが、華やかな雰囲気は映像でないと分からない。たまたまYouTubeで見つけて観たが、極めて鮮明なHDの映像だったから正規に配信したものかと思う。

出演者は男声女声5名づつの歌手とローレンス・フォスター指揮のベルリン・ドイツ・オペラ合唱団と管弦楽団。ローレンス・フォスターはアメリカ出身のオケ指揮者であまり情緒的な演奏ではないし、特にベルカント・オペラは重い感じがした。曲目は最後のレハールを除けばイタリアものが中心でドイツものはワーグナー1曲だけだった。

べチャワ、サルミネン、マランビオ、ストヤノヴァ、マチャイゼの歌唱が印象に残った。プログラムは下記。

因みにティーレマンも過去に指揮したことがある。またローレンス・フォスターはN響に客演したことがある。


プログラム:

Gioachino Rossini: Overture from L'ITALIANA IN ALGERI

Gioachino Rossini: “La calunnia è un venticello” from IL BARBIERE DI SIVIGLIA (Štefan Kocán, bass)

Giuseppe Verdi: “Sempre libera” from LA TRAVIATA (Marina Rebeka, soprano & Pavol Breslik, tenor)

Jules Massenet: “Pourquoi me réveiller” from WERTHER (Piotr Beczala, tenor)

Umberto Giordano: “Nemico della patria” from ANDREA CHÉNIER (Franz Grundheber, baritone)

Umberto Giordano: “La mamma morta” from ANDREA CHÉNIER (Angela Marambio, soprano)
Richard Wagner: “Mannenruf” from GÖTTERDÄMMERUNG (Matti Salminen, bass & Chorus of the Deutsche Oper Berlin)

Giacomo Puccini: “O mio babbino caro” from GIANNI SCHICCHI (Agnes Baltsa, mezzo-soprano)

Gioachino Rossini: “Cruda sorte“ from L'ITALIANA IN ALGERI (Agnes Baltsa, mezzo-soprano)

Gaetano Donizetti: “Una furtiva lagrima” from L’ELISIR D'AMORE (Pavol Breslik, tenor)

Giacomo Puccini: “Sì. Mi chiamano Mimì” from LA BOHÈME (Krassimira Stoyanova, soprano)

Vincenzo Bellini: “Ah! Non credea mirarti... Ah! Non giunge” from LA SONNAMBULA (Nino Machaidze, soprano & Chorus of the Deutsche Oper Berlin)

Franz Lehár: “Lippen schweigen” from DIE LUSTIGE WITWE (Pavol Breslik, tenor)

Franz Lehár: “Freunde, das Leben ist lebenswert” from GIUDITTA (Piotr Beczala, tenor)

Franz Lehár: “Dein ist mein ganzes Herz” from DAS LAND DES LÄCHELNS (Nino Machaidze, Angela Marambio, Marina Rebeka & Krassimira Stoyanova, soprano; Agnes Baltsa, mezzo-soprano; Piotr Beczala & Pavol Breslik, tenor; Franz Grundheber, baritone; Štefan Kocán & Matti Salminen, bass)

 

映像はこちらから

https://www.youtube.com/watch?v=MSTILEgMDnQ




2019.12.17&20 (ライブ収録)
出演
ホフマン:エリック・カトラー
オランピア/アントニア/ジュリエッタ/ステルラ:パトリシア・プティボン
ニクラウス/ミューズ:ミシェル・ロジエ
リンドルフ/コぺリウス/ミラクル/ダッペルトゥット:ガーボル・ブレッツ  ほか
モネ劇場合唱団、管弦楽団
指揮:アラン・アルティノグリュ
演出:クシシュトフ・ヴァルリコフスキ

「ホフマン物語」はオッフェンバックの未完作品でもあり、3つの失恋物語を寄せ集めた感が強い。そこで観る側が想像力を働かせて何かを読み取るのことになるが、この演出はそれを一つのストーリーとして完成させた素晴らしいものであった。

ポーランド出身のクシシュトフ・ヴァルリコフスキは演劇界の奇才とのことである。バイエルン国立歌劇場でペトレンコ指揮の「影のない女」、「サロメ」の演出を担当している。ストリームで観たが随分いろいろとアイデアを出す演出家だと思った。この「ホフマン物語」では場所をハリウッドの映画界にしている。ホフマンは落ちぶれた映画監督で酒浸りの生活を送っている。ニコラウスはホフマンの助手を務めていた。オランピア、アントニア、ジュリエッタは映画のヒロインで、ホフマンはそれを演じた女優に恋をしていたという設定である。オランピアは人形だが人形のように可愛らしい娘らしい。ジュリエッタが要求するホフマンの影とは彼が制作した映画の著作権のことである。随分欲の深い女優ステルラである。その女優はオスカー賞を受賞するスターになったが、ホフマンは仕事のない哀れな身分に陥っている。人生の悲喜を感じさせる見事な演出だと思う。

ヒロイン3役はパトリシア・プティボンひとりで演じた。この設定なら当然そうあるべきと思う。オランピアの可愛らしさ、ジュリエッタの哀しさ、アントニアの妖艶さ、3様のキャラを演じ分け素晴らしかった。オランピアはゴツゴツした機械の動きをしない。今の時代AIで人間らしい動きはできるのだが、死んでストレッチャーに寝かされているところからも娘と理解した方が良いと思う。3役を分担するとニコラウスが主役に見えることがあるので、オッフェンバックの意向通りに一人で演ずるのが良いとこの演出を観て思った。プティボンの歌唱も円熟していて、声の転がりも滑らかで美しかった。ニクラウスのミシェル・ロジエも素晴らしい。安定した歌唱ときびきびした動きで立ち姿が目立って良い。

さてホフマンのエリック・カトラーだが、この演出はちょっと難しいように思う。それは監督と俳優の2つの仕事を持っていることによる。映画製作で音どりをする時は隅っこにいて、演技する時は同じ衣装で行うから見た目女優とのバランスが極めて悪い。タイトルロールでありながら目立たない。この点の工夫があればと思った。

合唱、ダンスも華やかな衣装で良く動いていた。オペラの筋には関係ないがダンスや曲芸を入れて雰囲気作りをするのはヴァルリコフスキの特徴のようだ。

それにしてもフランスの女性オペラ歌手は皆スタイルの良い美人ばかりである。この舞台でも男性を含めてデブはひとりもいない。パリの街を歩いてもそう見えるから洗練された国民性ということだろうか。観ても楽しいオペラであった。



2020.10.11(日)15:00 豊田市コンサートホール
曲目
J.S.バッハ/鈴木優人編:管弦楽組曲第1番ハ長調 BWV1066
W.F.バッハ:2台のチェンバロのための協奏曲ヘ長調 F.10
J.S.バッハ:前奏曲とフーガイ短調 BEV543(オルガン鈴木雅明)
      トッカータとフーガニ短調 BWV565(オルガン鈴木優人)
      2台のチェンバロのための協奏曲第2番ハ長調 BWV1061a
(アンコール)
クープラン:クラブサン曲集第2巻第9より 2台のチェンバロのためのアルマンド
C.P.E.バッハ:デュエット第2曲ヘ長調 Wq.115-2
J.S.バッハ:カンタータ第147番「主よ人の望みの喜びを」

2月以来8か月ぶりのコンサート。当初プログラムを変更しての開催である。本来ヴィオラのアントワン・タメスティとチェンバロの鈴木優人によるデュオ・リサイタルの予定であったが来日できず、父鈴木雅明とのチェンバロ・リサイタルになった。バッハ・プロに変わりなければ問題ない。更に直前ソロ曲目をオルガンで弾くことに変更になったがこれはむしろ歓迎したい。多分世界的に評価の高いブランボーのオルガンがあったからと思う。

コロナ禍の収容数は半分の500名。普通ならチェンバロには少し大き過ぎるホールでも多少響きが良くなったかそれ程音が遠いとは感じなかった。チェンバロ曲では最後に演奏された協奏曲2番が一番良かったと思う。単にバッハと言えばJ.S.バッハのことだが、父親があまりにも偉大だったので息子の方は影が薄い。前半の協奏曲ヘ長調は次男の作だが、初めてであまり印象に残らなかった。それに反し後半の父バッハは同じく初めて聴いても生き生きした生命感があって素晴らしかった。管かと思うような音が出て驚いた。管弦楽組曲は若い頃よく聴いた曲なのにチェンバロ編曲ではそのイメージがあまり湧いてこなかった。管弦楽のピアノ版は多くあるが、やはり楽器の表現能力の差かと思う。

同じ道を歩む鈴木の父と息子だが、チェンバロでは2台の曲ばかりなのでその違いが判らなかった。しかしオルガンの演奏で随分違うと思った。父の方はオーソドックスで学究的、息子の方は現代的解釈を加えた明解な演奏であった。

オルガンとチェンバロを同時に聴いたのは初めて。チェンバロからオルガンに変わった時点ではやはりチェンバロの音が如何にも貧弱に思えた。しかし後半オルガンからチェンバロに変わった時にはそれを全く感じなかった。それだけチェンバロ曲が良かった所為だが、考えてみればオケでもフォルテシモとピアニシモが共存するのでそれは音楽次第ということであろう。

リサイタルは演奏者にとってコロナの影響がほとんどないと思われるが、オペラやオケコンは通常の演奏に戻るにはまだ暫く時間がかかりそうである。ベートーヴェン生誕250年記念の年だからピアノ・ソナタなどもっと機会があってもいいのにと思う。



1990.5.5 (ライブ収録)
出演
ジークフリート:ジークフリート・イェルザレム
ブリュンヒルデ:ヒルデガルト・ベーレンス
ハーゲン:マッティ・サルミネン
ヴァルトラウテ:クリスタ・ルードヴィヒ  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

「二ーベルングの指環」4部作の最後になる「神々の黄昏」は物語を発展させて締めくくるだけでなく、過去の出来事を想起させる部分も含む集大成である。それ故に続けて観る場合は例えばノルンの序幕などストーリー的になくても良いではないかと思う。しかし単独で上演するにはこれがあると作品の重みが違う。

演出はこれまでの3作を観て新しいものが出てくるとは思えないので音楽に集中するだけである。ただ細かいところで、アルべリヒだけは4部作の最初から最後まで登場するので時系列が分かる衣装になっていたのに感心した。

「神々の黄昏」で初登場する重要な役はハーゲンだが、マッティ・サルミネンが強烈な存在感を示して凄かった。ドスの利いた声、体格容姿とも悪役ピッタリでこれ以上の人はいないと思う。ファフナーも演じていたから都合3人も殺害したことになる。成程と思うキャスティングである。イェルザレムは「ジークフリート」の勢いをそのまま持ち続けてこなしてしまうのは何とも凄いパワーと思う。ブリュンヒルデのベーレンス、ここでは喜び、怒り、恐怖、不安、不信、寂しさ、諦観、決意とこれ程様々な気持ちの変化がある役も他にあるかと思う。持ち前の美貌美声と歌唱力それに演技力もあるベーレンスならではの魅力がある。フィナーレの自己犠牲は心の奥底に響く名唱であった。クリスタ・ルードヴィヒもフリッカよりこのヴァルトラウテの方が一層素晴らしかった。

4部作を休みを入れず4日続けて聴いたのは実はこれが初めてである。確かにこの歳になると体力的に可成りきつい。当分聴きたくないと思っても可笑しくないのだが、ますます好きになるところがワーグナーの不思議な力である。

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