歌舞伎とオペラはよく似ていると言われる。それに関しては永竹由幸著「オペラと歌舞伎」(丸善)が面白い。誕生、興行、役者から個別の作品まで両者を比較した堅苦しくない読み物である。しかし単に楽しむだけの素人にとっては、似てるところは考えなくては分からないが、違うところは舞台を観てるだけで分かる。

 

確かに歌舞伎は読んで字のごとく歌と踊りと演技の芝居で、この点ではオペラも同じである。しかも不思議なことに成立年代も1600年頃で同じと言う。決定的に異なるのは、歌舞伎では役者が歌わないしオペラでは役者が踊らないことで、両者とも役者がやらないところは他の人が受け持つ。こう考えると歌舞伎は観るものオペラは聴くものと思う。但し歌舞伎の伝統は変わらず受け継がれているのに、オペラの方は次々と新しいものが出てくる。

 

観ていて一番苦になるところは歌舞伎の女形とオペラのカストラートの問題である。両方とも風紀上の理由から男が女を演ずるようになったが、その後の発展は全く別の方向を歩んだ。

 

歌舞伎の女形は玉三郎を持ち出せば一番分かりやすいが、女以上に女らしい究極の美しさを表出している。ところがオペラのカストラート(後のカウンターテナー)はバロックの一時期、乳母など女役を演ずることはあっても主体はむしろ男役が多い。モンテヴェルディの「ポッペアの戴冠」を例にとれば、カストラートが演ずるのは主としてネロ、ポッペア、オットーネなど男役の方である。つまり女性の高い声を出す技法だけが残って持て囃され、女を演ずることはなくなってしまった。その代わり逆にオペラでは女が男役、所謂ズボン役を演ずるようになった。

 

ズボン役は演技上も効果的と納得がゆく場合もある。例えば、子供(「ヘンゼルとグレーテル」のヘンゼル)、可愛らしい男(「フィガロの結婚」のケルビーノ、「ばらの騎士」のオクタヴィアン)、或いは男装した女性(「フィデリオ」のレオノーレ、「ホフマン物語」のニクラウス)などでは女性が演じても面白いと思う。しかしリアルな男となるとどうかと思う。例えば、「こうもり」のオルロフスキー公爵、「皇帝ティートの慈悲」のセスト、アンニオなど視覚的にも可笑しく見える。このことは女性の声のカストラートが皇帝とか将軍を演ずる時感ずるのと同じである。オペラ愛好家としてはオペラのひとつの技法と割り切って歌を聴いているから大きな抵抗はないものの、舞台を観る限りにおいて違和感があるのは拭えない。オペラのカストラートやズボン役は歌舞伎の女形とは全然違うように感ずる。

 

オペラは聴くもの歌舞伎は観る者と思う一つの理由でもある。

 

                                   (初稿2014/10/8 改定)