もう20年近く前になるがHP(ブログはまだなかった)を立ち上げて間もない頃、ベルリン・フィルとウィーン・フィルの初来日の思い出を書いたことがある。つい先日両オーケストラを聴いて当時の演奏会の模様を懐かしく思った。ここにその文を一部改めたがほぼそのまま再掲したい。プログラムは大部分処分してしまったが、これは残しておいたので写真とともに。(ウィーン・フィルは次回に)
当時のプログラムを見てみると驚くことばかりである。僅か20日足らずの間に、北は仙台から南は福岡まで8都市で15回もの演奏会を開いている。新幹線も高速道路もない時代だから、東京・名古屋間ですら夜行列車を使うことが多かった。日本へ来るにも、東西冷戦の最中でシベリア上空を飛ぶことは出来ないから、大きく迂回することになる。北回りでも30時間以上かかっていたと思う。その上での国内の強行軍である。100人以上もの団員がよくぞ耐えたものと感心してしまう。
もっと驚くことには、プログラムが11種類も用意されていて、しかも曲目の重複があまりないのである。プログラムはいわゆる超名曲もあったが、ワーグナー、リヒァルト・シュトラウス、ストラビンスキーなども入っていて、今日とあまり違わないバラエティーに富んでいた。私が4管編成のオーケストラを聴いたのは、この時が初めてである。
名古屋では市公会堂で2回の公演があった。ところがステージが狭くて楽員が収まりきらない。急遽木製の角材と板を使って客席の方へステージを拡げてあった。初めて見たステージいっぱいに並んだオーケストラの姿は壮観であった。(後で聞いたエピソードだが、練習中に蒸気機関車の汽笛が聞こえ、列車を止めろとカラヤンは怒ったそうである。)
ステージ後方に日独両国旗を掲げ、演奏に先立って楽員が起立し(チェロは座ったまま)国歌を演奏した。はじめに「君が代」が、次にドイツ国歌が。日本外務省とドイツ大使館が後援していたこともあり、このスタイルはその後も継承され、2年後のウィーンフィルの時も、5年後のコンセルトへボーの時も同じであった。
私の席は1階前方右寄りのところで、カラヤンの指揮がよく見えた。それまで見たこともない指揮ぶりで拍子など全然とっていないのである。その時はゼスチャーとしか思えなかったが、それでいて演奏はピタリと合うのだから不思議だった。
私が聴いたのは初日の方で、ベートーベンの7番、モルダウ、タンホイザー序曲であった。各パートがあたかも1人でひいているかのようによく合っていた。私の席からよく見えたが、第1ヴァイオリンの腕の角度と動きがひとつの機械のように同期して上下していた。迫力も凄かった。それまで聴いたオーケストラは、クレッシェンドでフォルティシモになると音が汚くなってしまったが、それが全然変わらずにどこまでも大きくなっていった。
ベートーベンの7番では第3楽章中間部で木管のゆったりしたテーマが出てくるが、カラヤンが首をちょっと左に傾けて両腕を胸の前で表情たっぷりに回していたのがとても魅力的であった。また終楽章フィナーレのコントラバスのうねりとフォルティシモの迫力には興奮の虜になった。今でも7番を聴くと自分で音を作って興奮してしまう。タンホイザー序曲もあの朗々としたホルンの響きと奥深い力強さに酔った。モルダウの激流の迫力といい、プログラムが感動というより興奮さすような曲を集めたものだった。しかし音楽でこれ程までに衝撃を受けたことはその後もない。
この演奏会はまたひとつの区切りになった。それまで作品だけを聴いていたが、演奏による違いを聴くようになった。大学に入ってからは主にレコードでいろんな演奏を聴くようになり、その中で自分の好みも次第に固まっていった。
(初稿2002/9/13改定)
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