2019.11.24(日)16:00 愛知県芸術劇場コンサートホール

出演

ケイト・ロイヤル(ソプラノ)、アリョーナ・アブラモヴァ(メゾ・ソプラノ)

オリヴァー・ジョンストン(テノール)、ミラン・シリアノフ(バリトン)

スウェーデン放送合唱団、京都市交響楽団

指揮:広上淳一

曲目

フォーレ:レクイエム ニ短調 op.48(ネクトゥー&ドゥラージュ校訂)

モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626(ジェスマイヤー版)

 

ふたつのレクイエムを同時に聴くのはもちろん初めてである。過去にそういうプログラムがあったかどうか知らないが、スウェーデン放送合唱団だから一度くらいなら良いであろうと思う。

 

モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの3大レクイエムの中年代から始めと終わりの2曲の演奏会。3曲とも優劣つけがたくどれも感銘を受けるが、死者を弔う音楽と考えると浄土教の我が家にとってはフォーレの方が相応しいように思う。第一、「怒りの日」に最後の審判を受けることもないし、天国に行けるよう神に向かって祈るだけでなく、死者に向かって祈る場があり親近感がもてる。つまりフォーレには通常含まれる「怒りの日」がないし、曲の終わりに出棺に際して死者に向けた言葉が付け加わっている。

 

今回のフォーレのレクイエムは通常の第3稿によるのではなく、それ以前のヴァイオリンがオケにない版であった。音楽的に地味になるが祈りの雰囲気がよく出るようになるし、モーツァルトと抱き合わせでは変化の際立つ方が良いと思う。

 

最も素晴らしかったのは勿論スウェーデン放送合唱団。清澄な声の美しさは比類がないし、それと同時にオケを凌駕するような迫力もある。弱音が特にきれいだから、テンポを遅くした静かなフォーレで一層その良さが生きたと思う。4人のソロ歌手は皆声がよく通り素晴らしかったが、中でもケイト・ロイヤルが良いと思った。ただ特に女声の方だがパンチが強いので宗教曲よりオペラに向いている感じがした。

 

広上淳一の指揮ぶりは失礼ながらここまでやるかと笑えてしまうこともあるがオケのコントロールは実に上手い。京響とは10年以上の付き合いだから相性が良いのだろう。

 

昔はレクイエムと言えば挨拶も拍手もなかったが今では普通のコンサートと変わりない。演奏は素晴らしく盛大や拍手が贈られたが、正直なところ聴いていて後半は集中力が多少途切れた。やはりレクイエムは1曲だけで他の曲と組み合わせた方が良いと思う。白身の刺身ばかり食べてるようで食傷気味なのは否めない。指揮者もその雰囲気を感じたのか、聴衆に「お腹一杯ですか」と言葉をかけていた。