2019.5.11 (ライブ収録)
出演
ブランシュ:イザベル・レオナード
コンスタンス:エリン・モーリー
修道院長クロワシー:カリタ・マッティラ
新修道院長リドワーヌ:エイドリアン・ピエチョンカ
マザー・マリー:カレン・カーギル  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:ジョン・デクスター

プーランクはフランスの20世紀作曲家。代表作「カルメン修道女の対話」は音楽が美しく分かり易いのに演奏される機会は少ない。日本では小澤征爾のサイトウ・キネン松本と新国研修生公演などあるが、それ以降ここ10年近くないと思う。内容が宗教の話で馴染みにくいのと、登場人物がほとんど女声ばかりと特異なことも要因と思う。

カルメン修道会はカトリックの修道院で現在もある。18世紀のフランス革命で貴族と聖職者の支配に対して民衆の蜂起がおこり、革命政府が修道院を没収し修道僧を処刑した史実がある。この物語はカルメン派女子修道院の出来事で、オペラの中で出てくるマザー・マリーが生きて書き残した「証言」に基づいている。処刑に至るまでの修道女たちの心理状況だけを描いた全く暗い話である。

この演出は1977年制作とのことだが、今観ても全く古さを感じない。舞台は真暗な中に真白の十字架を形づくった床が浮かび上がっている。そこにベッド、作業台、面会の柵などひとつあるだけの極めてシンプルなもの。修道女は黒一色の僧衣だが、俗世の人や革命兵の衣装は対照的に色彩豊かで美しい。それ以上に美しいと思ったのは人物の動きが統制されていたことである。修道院や軍隊は規律を重んずるからと言えばそうだが、それにしてもマーチング・バンドの競技みたいに幾何学的に整然としていた。オペラでここまで徹底したのは観たことがない。特に印象が強かったのは修道女一人一人が十字姿でうつぶせに十字型に整列したシーンは床も入れると三重の十字架になっていた。絶対的に神への殉教を意味したものと思う。それとフィナーレの断頭台に向かう修道女と執行兵の動きが執拗に繰り返され観てていたたまれなくなる。

歌手は主役5人が渾身の熱演であった。修道院長のカリタ・マッティラは取り乱した死に際が真に凄い演技で、ここまでできるオペラ歌手はそうはいない。これに対し新修道院長のエイドリアン・ピエチョンカは凛とした振る舞いで、これはまた対照的に素晴らしい。もう一人逃げたブランシュを追った為に生き残ったマザー・マリーを演じたのはカレン・カーギル、指導しておきながら共に殉教に命を捧げることが出来ない慟哭の演技は誠に真に迫っていた。若いブランシュとコンスタンスは性格が異なるもののイザベル・レオナードとエリン・モーリーの二人とも若く美人でとても清楚だから断頭台に向かう姿が余計に憐れみを誘った。

ヤニック・ネゼ=セガンはMET音楽監督に就任した最初のシーズンの最終公演を飾ったことになる。フランス的な響きの美しさというよりオペラを極めて劇的に表現した。とりわけフィナーレが最も強烈に印象に残る。一人一人が断頭台に向かう音楽とギロチンの音が延々と繰り返され残酷なシーンを観ていないのにそれ以上に悲しみがこみ上げ涙を禁じ得ない。

信仰、生と死の問題を真剣に考えさせられるオペラで娯楽性は全くない。それ故しばしば観るものでないが、この公演は演出音楽共に最高であった。METの聴衆もこの悲しい舞台では何時になく静かであった。楽員も泣きながら弾いていたそうである。