くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

カテゴリ:ネットオペラ > ドイツ


2018.3.31 (ライブ収録)
出演
フィオルディリージ:アマンダ・マジェスキー、ドラべッラ:セレーナ・マルフィ
フェルランド:ベン・ブリス、グリエルモ:アダム・プラヘトカ
デスピーナ:ケリー・オハラ、ドン・アルフォンソ:クリストファー・モルトマン
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:デイヴィッド・ロバートソン
演出:フェリム・マクダーモット

コニーアイランドを舞台にした現代演出。舞台装置にメリーゴーラウンドやコーヒーカップの乗り物が出るのは分かるが、火吹きやコントーションなどの曲芸まで見せるのでプロのパーフォーマンスをもう一つ見てる感じがする。本物のヘビまで登場するが歌手が首に巻くのはさすが作り物だから、これならはじめからやらない方がよい。オペラは歌とオケの音楽を基本とする芝居だから、ここまでやると行き過ぎと思った。オペラは娯楽のアメリカ的と言えば確かにそう思う。

解釈上で面白い点もあった。戦争に行く場面で2組だけでなく合唱団のペアも多く参加させて本当に別れを惜しむように見せていたのと、フィナーレで元の鞘に収まる前にさらに別の相手と組んだりして人の心は変わり易いものということを表して良かった。

キャストは新進歌手を中心にしたもので知らない人が多かった。その中で声に張りのあったグリエルモのアダム・プラヘトカが印象に残った。フィオルディリージが宙吊りのゴンドラ気球に乗ってアリアを歌ったが不安定でさぞ難しかろうと思う。デスピーナのケリー・オハラは軽快な動きがミュージカル・スターらしいし、ドン・アルフォンソのクリストファー・モルトマンは仕切り屋として存在感があった。デイヴィッド・ロバートソンの指揮は軽くスカッとした響きを出しこの演出にはよく合っていた。

この公演はブロードウェイのようでMETらしくなかったと思う。歌唱も普通の感じがするが、若手で皆よく頑張っていたと思う。歌手の皆さん容姿も見栄えするし本当に楽しいオペラであった。




2020.10.16 フィンランド国立歌劇場(OPERAVISION)
出演
デスピーナ:カリタ・マッティラ
劇場支配人:サンナ=カイサ・パロ Sanna-kaisa Palo  ほか
フィンランド国立歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:エサ=ペッカ・サロネン
演出:Mark Vaisanen
台本:Minna Lindgren

モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」ならぬ「コヴィッド・ファン・トゥッテ」。コヴィッドがコロナ・ヴィイルスのことは言わずもがなだが、どんな話になっているかと興味が湧いた。

音楽はコジそのままだがセリフが全面的に書き直され、昨今のコロナによって生じた様々な社会現象を繋げてストーリーを作っている。ロックダウン、隔離、ワクチン開発、経済不況などを題材にオムニバス風のパロディーとして仕上げている。

登場人物は同じだが、女声は歌劇場のオペラ歌手、男声は感染症の医師から始まって様々な役に置き換えられ変わっていく。他にセリフだけの劇場支配人がオペラの進行役として、また演技だけでコロナ・ヴィイルスも登場して笑わせる。

オペラは「ワルキューレ」のリハーサル中に突然支配人が現れ公演中止を告げるところから始まる。その後はモーツァルトの音楽にのせてコロナに振り回される人々の様子を描いてゆく。結末は様々な対策を打っているが要するにコロナは分からないので出来るだけの用意をしてオペラを再開しようという話である。オペラにしてしまおうと思うのが何とも面白い。

歌手ではカリタ・マッティラ、役者ではサンナ=カイサ・パロが舞台を賑やかにしていた。マッティラが演じたデスピーナは原作のコケティッシュなキャラがこの置き換えでも生かされていた。ただ歌手もセリフが多くフィンランド語だったので英語の字幕を追っていては会場の笑いについていけないところもあった。

舞台もピットもソーシャル・ディスタンスをとっての公演。フィンランドは高負担高福祉の国だが国民は幸せと満足してる人が多いという。そういう国だから深刻な状況までオペラにする余裕があるのであろう。日本は糞真面目な国だからこういうものは作れないと思う。

動画はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=LwNz8C33JOc



1990.5.5 (ライブ収録)
出演
ジークフリート:ジークフリート・イェルザレム
ブリュンヒルデ:ヒルデガルト・ベーレンス
ハーゲン:マッティ・サルミネン
ヴァルトラウテ:クリスタ・ルードヴィヒ  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

「二ーベルングの指環」4部作の最後になる「神々の黄昏」は物語を発展させて締めくくるだけでなく、過去の出来事を想起させる部分も含む集大成である。それ故に続けて観る場合は例えばノルンの序幕などストーリー的になくても良いではないかと思う。しかし単独で上演するにはこれがあると作品の重みが違う。

演出はこれまでの3作を観て新しいものが出てくるとは思えないので音楽に集中するだけである。ただ細かいところで、アルべリヒだけは4部作の最初から最後まで登場するので時系列が分かる衣装になっていたのに感心した。

「神々の黄昏」で初登場する重要な役はハーゲンだが、マッティ・サルミネンが強烈な存在感を示して凄かった。ドスの利いた声、体格容姿とも悪役ピッタリでこれ以上の人はいないと思う。ファフナーも演じていたから都合3人も殺害したことになる。成程と思うキャスティングである。イェルザレムは「ジークフリート」の勢いをそのまま持ち続けてこなしてしまうのは何とも凄いパワーと思う。ブリュンヒルデのベーレンス、ここでは喜び、怒り、恐怖、不安、不信、寂しさ、諦観、決意とこれ程様々な気持ちの変化がある役も他にあるかと思う。持ち前の美貌美声と歌唱力それに演技力もあるベーレンスならではの魅力がある。フィナーレの自己犠牲は心の奥底に響く名唱であった。クリスタ・ルードヴィヒもフリッカよりこのヴァルトラウテの方が一層素晴らしかった。

4部作を休みを入れず4日続けて聴いたのは実はこれが初めてである。確かにこの歳になると体力的に可成りきつい。当分聴きたくないと思っても可笑しくないのだが、ますます好きになるところがワーグナーの不思議な力である。


1990.4.26 (ライブ収録)
出演
ジークフリート:ジークフリート・イェルザレム
さすらい人:ジェイムズ・モリス
ブリュンヒルデ:ヒルデガルト・ベーレンス
ミーメ:ハインツ・ツェドニク  ほか
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

「ワルキューレ」の男と女から一転「ジークフリート」は男と男の対決の場がほとんどである。だから漫然と感覚的に観ていると退屈することになるが、言い合いの内容に注意して歌唱を聴くとその場の感情の表し方が凄く面白いと思う。はじめは難しいかもしれないが、このMETのような素晴らしい歌手にかかると4部作の中でも最も聴き応えのある作品になると思う。

演出は「ラインの黄金」と同じく動物をどう処理するかだが、熊はぬいぐるみでも暗い小屋の入り口に少ししか出ないからリアルに見えたし、大蛇は(実際は竜であった)目と口と尻尾だけが動き周囲の岩とうまく溶け込んでいた。小鳥は姿も見せずジークフリートが追い駆けるようになっていた。他にもよく作り上げたと思うのは刀を鍛える場面のリアルな迫力とジークフリートが火の山に向かってブリュンヒルデを発見する時の場面転換が極めて自然に見えた。

歌手は前にも書いたようにこれ以上はない最高の陣容。ここで特に目立ったのは当然男声の方で、名前もジークフリートのイェルザレムが声だけでなく精悍なスタイルとイケメンで如何にも英雄の姿らしい。さすらい人のモリスもヴォータンの時より朗々として一層素晴らしかった。ジークフリートに槍を折られて舞台を去る後姿がとても印象的だった。ブリュンヒルデのベーレンスはどうしたか少し声のかすれるところがあったが、目覚めから歓喜に至るまでの気持ちの変化に惹きつけられた。レヴァインがこの目覚めの場面でテンポを随分と落したが、これが彼のスタイルであろう。

明日は最終日、イェルザレムとベーレンスの日になると信じている。


1989.4.8 (ライブ収録)
出演
ヴォータン:ジェイムズ・モリス
ブリュンヒルデ:ヒルデガルト・ベーレンス
ジークリンデ:ジェシー・ノーマン
ジークムント:ゲイリー・レイクス
フリッカ:クリスタ・ルードヴィヒ
フンディング:クルト・モル  ほか
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

「二ーベルングの指環」は4部からなり全体を通すと15時間もかかる。だから1作ずつ分けて上演されるのが普通で、それもキャストを統一して行うことは不可能に近い。このMETの公演は間隔は空いていても同一キャストで上演された稀有なものである。30年前だから出来たのかもしれない。

4部作のうち第1夜「ワルキューレ」は最も抒情的だから単独で上演されることも多い。8人のワルキューレを除けば歌手は僅か6人で、兄妹、夫婦、親子を二人で演ずるから親しみ易い。レヴァインはこの種のロマンティックな曲が特に素晴らしい。前夜の「ラインの黄金」より遥かに起伏に富んだ演奏をしていた。特に耳に残ったのはジークムントのウェルゼの叫びやフィナーレなど息の限界まで引張っていた。劇的効果満点であった。

歌手は今はもう聴けない往年の豪華メンバー。これだけ揃えられるのはMETしかない。特に個性的な声で印象が強かったのはジェシー・ノーマンとヒルデガルト・ベーレンス。ノーマンは高音の清らかさと低温の迫力でジークリンデの感情表現が見事だったし、ベーレンスはどの音域でも変わらない声の柔軟さ、取り分けキンキンしない高音がきれいで痺れてしまった。容姿も良くこういうブリュンヒルデはなかなかいない。

オットー・シェンクの舞台も前夜同様暗めで深い落ち着きがあり、天馬を出さなかったのも却ってリアリスティックで良かったと思う。ワルキューレの衣装も女性と戦士の両立姿を見栄えよくデザインしていた。この4部作はDVDも販売されているが写真しか観たことがないので明日からも楽しみである。

このMET映像、「ワルキューレ」のBestestである。


1990.4.23 (ライブ収録)
出演
ヴォータン:ジェイムズ・モリス
フリッカ:クリスタ・ルードヴィヒ、エルダ:ビルギッタ・スヴェンデン
ローゲ:ジークフリート・イェルザレム、ドンナー:アラン・ヘルド
アルべリヒ:エッケハルト・ヴラシハ、ミーメ:ハインツ・ツェドニク
ファフナー:マッティ・サルミネン、ファゾルト:ヤン=ヘンドリック・ロータリング 
ほか メトロポリタン歌劇場管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

ジェイムズ・レヴァインは1982年バイロイトに初登場以来10年続けて「パルジファル」を指揮した。その後1994年から5年「ニーベルングの指環」を指揮し、当時バレンボイム、シノーポリと共にバイロイトの中心的指揮者であった。このMET公演はバイロイト・リングより前に行われたものだが、歌手が端役に至るまで素晴らしい人を揃えている。

30年も前のもので今日の技術水準からみれば画質も録音も悪いが、オットー・シェンクの舞台はもう観られないから貴重な映像である。昨日観た「タンホイザー」と違って普通の人間でないものが登場するから興味があったがよく出来ていると感心した。アルべリヒやミーメの地下族が類人猿のような衣装を着けていたのが面白かったし、巨人の姿も電信柱のようにならずよく出来ていた。大蛇に変身する場面も煙と照明を上手く使い、作り物が自然の洞窟から浮いた感じがしなかった。乙女を追いかけて岩から滑り落ちるところもよくぞ再現したと思う。

技術の進歩は30年も経てば一変してしまうが、人間の声は収録されたものを聴く限りそんなに変わらないものだと思った。歌手は主役だけでなくエルダやドンナーほか周りの人も変わらない声を出していたのは凄いと思う。レヴァインの指揮は昨日の「タンホイザー」と比べるとまだ起伏が小さく坦々としたところがあり、オケも今のMETの音と比べるとまだの感はあると思った。

「ラインの黄金」はストーリーの前置きで短い話が次々と移っていくので物語の感動はあまりない。オケの大音響に酔うのが良かろうと思う。


2015.10.31(ライブ収録)
出演
タンホイザー:ヨハン・ボータ
エリーザベト:エヴァ=マリア・ウェストブルック
ヴェーヌス:ミシェル・デ・ヤング
ヴォルフラム:ペーター・マッテイ
ヘルマン:ギュンター・グロイスベック  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

オットー・シェンク1977年新制作の「タンホイザー」。40年も前のものがいまだに精彩を放つのは歴史的遺産と言える。伝統的で写実的な深い色彩の絵を見るようである。舞台セットも衣装も照明も入念に仕上げられた完璧な完成品である。ト書き通りの演出は詰まらないと思うこともあるが、ここまで質感の高い舞台なら何度観ても良い。

レヴァインの指揮も素晴らしい。深く重厚なドイツ的響きとは違うが、起伏のあるロマンティックな感情表現で劇的効果を創出する。別の言い方をすると思索的でなく描写的だから直観的に訴えかけてくる。これもオペラ指揮者としてのひとつの長所と思う。合唱も素晴らしいし、指揮、オケ、歌手が真に一体になっていた。

演出も指揮も特異性がない環境では歌手も歌い易いと想像するし、しかもワーグナーを得意とするベストな人が揃って申し分ない。皆思う存分真価を発揮していた。個別に感想を言うのはよそう。と言うよりそんなこと言うことが出来ない感動が残った。

「タンホイザー」の映像では最高のひとつであると思う。明日からはレヴァイン&シェンクのリング4部作である。



2020.9.3&5 新国立劇場オペラパレス (二期会YouTube
出演
フロレスタン:福井 敬
レオノーレ:土田優子
ドン・フェルナンド:黒田 博
ドン・ピッツァロ:大沼 徹
ロッコ:妻屋秀和
マルツェリーネ:富平安希子  ほか
二期会&新国立劇場合唱団、東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:大植英次(ダン・エッティンガー来日不可)
演出:深作健太

ベートーヴェン生誕250周年記念公演。コロナがなければ観に行くつもりであったが、指揮者が変わったり、演出もコロナ仕様、おまけに観客数半分とかいろいろ制約があって高齢者には無理と止めてしまった。幸い二期会がYouTubeで配信してくれたので観ることが出来た。

一番の興味は深作健太の演出である。「ダナエの愛」と「ローエングリン」がよく考えた素晴らしいものだったのでどう趣向を凝らすか期待して観た。しかしコロナ禍での制約があって残念ながら良い印象は持てなかった。この演出は世界を二分する壁からの解放に注目したもので、着眼点は良いのだがこなれた舞台になっていなかった。ナチスやスターリンの強制収容所、ベルリンやパレスチナの壁など、その他目に見えないものも含めて何時の時代にも抑圧の壁が存在する。それを打破しようと奮闘する姿を描くのは良いのだが、何も第2次大戦から今日までの歴史をスクリーンに映すことはないであろう。観客に理解させるつもりかもしれないが、これでは説明過多の解説になってしまう。第一舞台と説明が合致していない。オペラは解釈の結果を舞台で見せるもので文章で説明するものではない。ナチス鍵十字の腕章を見ればそれで十分と思う。

それ以上に物足りないかったのは自由解放の歓喜の感動を味わえなかったことである。大勢の合唱を舞台に出すことが出来なかったのが最大の原因と思う。ベートーヴェン第9の説明を入れたりFREIHEIT(自由)の看板を掲げたりでは如何にも理屈っぽいと思った。むしろ最近流行の映像を使った方が良かったのではと思う。序曲にレオノーレ3番を充てその演奏中役者が無言で演技したが、これは新しいアイデアとして良かったと思う。

歌手の皆さんはこの困難な状況の中でよく健闘されたと思う。演技面を除いて歌唱だけ聴いても初日の映像かもしれないが全体に今一つリアルな感情が伝わってこなかった。その中でフロレスタンの福井さんが別人かと思うくらい細くなられたので驚いたが、声の強さはひとり抜きんでていた。ロッコの妻屋さんはいつもの如くそつなく演じられていたが、必ずしも適役とは思えなかった。レオノーレの土屋さんは最近聞くようになった新進ソプラノで一番頑張っていたように見えた。大植さんは歌手とあまりしっくりこない感じがする。序曲とフィナーレは迫力があって良かったので、やはりコンサート指揮者かと思う。

この半年間ウィーンやMETを中心に100本以上のオペラ映像を観た。この状況下では致し方ないが、それに慣れてしまってこのストリームと比較するとやはり物足りなさは残る。実際会場へ行った雰囲気の中で聴くと違う印象を持つと思うが、この形態が続く限り遠出するのは控えようと思う。少しでも早く普通の公演が出来るよう祈るばかりである。

率直に厳しいことを書いたが、この困難な時によくここまでこぎつけたと思い、そのご努力に敬意を表したい。



2012.12.1 (ライブ収録)
出演
ティート:ジュゼッペ・フィリアノーティ
セスト:エリーナ・ガランチャ
ヴィッテリア:バルバラ・フリットリ
アンニオ:ケイト・リンジー  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ハリー・ビケット
演出:ジャン=ピエール・ポネル

ローマの古代遺跡フォロ・ロマーノにはティトスの凱旋門が残っているが、皇帝ティートとはそのローマ帝国皇帝ティトゥスのことである。塩野七生「ローマ人の物語」によれば
「もし公僕という表現が存在したとすれば、この人ならばそれを心から信じ、公僕に徹しようと努めたにちがいない。国民が望まないとなれば、生涯の恋もあきらめる人である。」と書いてある。このオペラの中でもいとも簡単に身を引く皇帝として描かれている。愛知万博の時豊田市美術館で展示されたティトゥスの彫像を見たが、随分と温和な面をしていた。

その万博が開かれている最中の2005年、初めて連れのないヨーロッパ単身旅行をした。その時チューリヒで観たのがこのオペラであった。ティートを演じたのはヨナス・カウフマンだったが、今日のようになるとは全く思わなかった。

前置きが長くなったがこのMET公演について付け加えておく。そんな昔に聴いたカウフマンを持ち出しては何だが声の質は先天的のもので大きくは変わらない。ティート役はジュゼッペ・フィリアノーティでリリックな声だから普通なら威厳がないと思うかもしれない。しかし上記の如くティートの優しいキャラを考えればこの方がむしろ合っているのではないかと思った。

昨日観た「コジ・ファン・トゥッテ」の女声陣も良かったがそれとはまた格段に素晴らしかった。ヴィッテリア役のバルバラ・フリットリは品があって必ずしも悪役に向いてないように思うが、歌唱の方はさすが違うと思う。エリーナ・ガランチャとケイト・リンジーは当時若手のスターとして急伸中でズボン役がよく似合っている。ガランチャは今やメゾのトップスターだが、今年の来日がコロナでキャンセルになって残念である。

舞台セットもMETらしく豪華、美男美女が揃っているので見た目凄く引き立つ。演技力が今日の要求から見ると若干物足りないが、それ以外は最高と思う。

映画館のライトビューイングを観ることはほとんどないが、この「皇帝ティートの慈悲」は例外の一つである。モーツァルト最後のオペラになるが日本で上演される機会は極めて少なく、コジと共に好きなオペラなので久し振りにもう一度観た。ライトビューイングの感想はその時書いているのでもし関心があれば下記からご覧ください。

http://klahiroto.livedoor.blog/archives/2013-01-07.html





2014.4.26 (ライブ収録)
出演
フィオルディリージ:スザンナ・フィリップス
ドラべッラ:イザベル・レナード
フェランド:マシュー・ポレンザーニ
グリエルモ:ロディオン・ポゴソフ
デスピーナ:ダニエル・ドゥ・ニース
ドン・アルフォンソ:マウリツィオ・ムラー
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:レスリー・ケーニッヒ

「コジ・ファン・トゥッテ」はモーツァルトの中で最も好きなオペラで恐らく3大オペラより多く観ていると思う。テーマが人間の心の揺れから幸せに至る讃歌、落語のようなストーリーの中で男女6名が均等に個性を発揮、それをモーツァルトの美しい音楽が繋げてゆく、その結果単に面白いだけの喜劇でない感動が残る。こういうオペラって他にないと思う。

ジェイムズ・レヴァインの病気復帰後初の公演で、ピットに現れた瞬間大きな拍手が湧き嬉しそうに応えていた。車椅子に座ったままであったが、指揮ぶりは変わらず元気そうであった。ホンワカした雰囲気はないが現代的にキビキビしてディナーミックが大きいドラマティックな演奏であった。

6年前の映像で当時のMETとして若手(特に女声)を中心にしたキャストであった。女声陣は溌溂として個々の歌唱にはバラツキもあったけれどもアンサンブルは素晴らしかったと思う。フィオルディリージとドラべッラ姉妹を演じたスザンナ・フィリップスとイザベル・レナードは特に相性が良かったと思う。二人とも美人で美しい声、10代の娘らしい若さが感じられたし、顔も声も両方とも違いがはっきりしていたのが余計分かり易くて良かった。デスピーナのダニエル・ドゥ・ニースはもっとオーバーに演じてもよいと思ったが、衣装が別人と見えたのでこれくらいで良かったのかもしれない。

男声陣は女声に比べるとちょっと大人し過ぎると思った。フェランド役マシュー・ポレンザーニとグリエルモ役ロディオン・ポゴソフは声の明らかな違いがあったのは姉妹同様混同せずに観られて良かった。ポレンザーニの甘い声は素晴らしいが声が返るのはモーツァルトに相応しくない。ドン・アルフォンソ役マウリツィオ・ムラーはこの芝居の仕切り役としては一寸押しがないと思う。

舞台は全くオーソドックス。METの豪華さはないが色彩的に自然できれいだし、それなりに入念に作られていた。ただし姉妹の住いが田舎風の粗末なもので女中がいるような階級には見えなかった。しかしこれも姉妹の素朴さが出て良かったかもしれない。

一言で言えば若手美人歌手の活躍が目立った公演であったと思う。


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