くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

カテゴリ:ネットオペラ > フランス


2024.1.14~28 ミラノ・スカラ座(YouTube)
出演
メデマリーナ・レベカ
ジャゾスタニスラス・デ・バルベイラック
クレオンナウエル・ディ・ピエロ
ディルセマルティナ・ルッソマンノ
ネリスアンブロワジーヌブレ  ほか
ミラノ・スカラ座合唱団、管弦楽団
指揮ミケーレ・ガンバ
演出:ダミアーノ・ミエレット


スカラ座ではマリア・カラスの伝説的メディアから60年以上経って漸く「メデ」上演された。だがカラスのイタリア語版でなく言葉のセリフが入るフランス語版。それもこの新演出のために書き改めたもので予め録音したフランス語がスピーカーから流れた。このYouTubeは何故か字幕がついてない。(あってもイタリア語やフランス語ではどうしようもないが) 対訳本が手元になかったし、あらすじは知っていてもスピーカーの言葉が分からないから十分には理解できない。残念だったが仕方なく字幕がなかった時代に戻った気分で観た。

ダミアーノ・ミエレットはイタリアの演出家で新国でも何度か演出を担ったことがある。この「メデ」はギリシャ悲劇を現代に読み替え、メデのシャゾンへの復讐というよりメデと子供たちの愛情の観点から描いている。メデはシャゾン(夫)に捨てられた妻で二人の子供はシャゾンが連れ出しシッターが面倒を見ている。その子供たちは父親よりも母親の方を慕っている。クレオンは差し詰めオーナー会社の社長と言ったところで、仕事の出来るシャゾンと娘ディルセを結婚させ事業を継がせたいと考えているようだ。メデはシャゾンと話し合うが冷たくあしらわれるので、最後の手としてクレオンの娘を殺し自分も子供たちを道連れに母子心中を図るのである。

序曲が演奏される中メデが乳母車を引いてステージを横切ると幕が開く。舞台は淡いパープルのリビングルームで白いソファーが置かれている。中央奥にひとつのドアがありそれを開けると子供部屋が見える。衣装もきれいでフランス流の洗練されたカラーは内容に不釣り合いのように思うが、現代の金持ちの見栄を張る趣味かもしれない。

舞台は終始このリビングルームで進行する。シャゾンが手に入れた金羊毛は高価な調度品として置かれ、メリーゴーランドなどのおもちゃがあちこちにある。黙役の子供たちが遊ぶ場面が頻繁に出てきてこの子供たちが舞台の中心になっている。ギリシャ悲劇の残虐な描写はなく、ディルセが焼き殺されるシーンもなければ、子供たちを刺殺するのも甘いシロップをあやすように飲ませている。(それも映像で) ただメデが贈るティアラに火の魔法をかけるシーンはあるが、これはメデの心境を表したものであろう。細かいことを先に書いてしまったが、エレットが表現したかった基本線は次の場面に集約されていると思う。2幕で「MAMAN FOUS AIME(ママはあなた達が好き)」と手書きされた壁が3幕で崩れ天井から瓦礫が落ちてステージを埋める。そしてフィナーレではオーケストラの大音響が響く中、シャゾンが子供部屋のドアを叩き、メデはソファーに倒れて幕となる。

歌手ではメデマリーナ・レベカが子供たち、シャゾン、クレソンと相手によってそれぞれ歌い方も演技も変え、時々の感情が籠って素晴らしかった。ビデオで見ると特に怒った時の顔の表情が凄い。もう一人メデに寄り添ってシッターのネリスを演じたアンブロワジーヌブレ、優しい控え目な雰囲気が出て良かったと思う。しかし最も印象が強かったのは可愛い2人の子役たち。2時間以上も舞台に出るのだから相応の経験があるに違いない。カーテン・コールで一番拍手をもらったのはこの子供たちであった。劇の中で子供たちを怒ったディルセマルティナ・ルッソマンノがカーテン・コールで抱っこして引き下がったのは微笑ましい光景だった。この人きれいで舞台映えがする。

ミケーレ・ガンバの指揮はダイナミックであった。ノン・ヴィブラートの固い音で情緒的なところはなくシンフォニックな厳しい演奏だった。オーケストラだけの時は迫力があって素晴らしいが歌が入るとちょっと出過ぎの感があった。(録音の所為かもしれないが)

新演出にも拘らず演出家が顔を見せなかったから初日ではなかったように思う。投稿された日付から想像すると2日目の17日の収録ではないかと思う。第2幕冒頭で支配人が出て何か喋ったが、多分誰かが調子が悪いけど続けるということだったろう。その後を聴いても気付かなかった。

マリーナ・レベカと子役の活躍が見ものだった。注目された公演ではあったが総じて音楽も演出もまずまずと言ったところだと思う。スカラ座で敢てフランス語版を使ったのはカラスを意識してのこととは思うが聴衆の反応も今一つだったようだ。



2023.12.31 エルプフィルハーモニー大ホール(NDR Klassik)
出演
オルフェ:マルク・モイヨン、ユリディス:タマラ・ブナズー
ジュピテル:アレクサンドル・デュアメル、アリステ―プリュトン:エリック・ヒューシェ
世論:オード・エクストレモ  ほか
NDRヴォーカルアンサンブル、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団
指揮:マルク・ミンコフスキー
演出:ロマン・ギルバート 
 
不穏な年明けになってしまった。元日の能登大地震、2日の羽田日航機衝突事故、3日の小倉商店街火災と正月早々3日続いての大惨事であった。こんなことは経験したことがなく、被害を受けた方々の苦悩は察するに余りあり、ただ1日も早い回復を祈るばかりである。

これによりウィーン・ニューイヤー・コンサートのNHK放送は当然中止になった。そればかりか観たいと思ったバイエルンの「こうもり」も(バリー・コスキーの新演出でダムラウがロザリンデ役)ARTE配信が日本では観ることが出来なかった。ということで正月の予定が空いてしまった。

いつものようにゆったりと視る気分ではなかったが、ウィーンの「こうもり」の他に何かないか当たっていたらいろいろ見つかった。フランス国立管のニューイヤー、ゲヴァントハウスのベートーヴェン第9、NDRの「地獄のオルフェ」が目についた。一番面白かったのがこの「地獄のオルフェ」だった。

この公演はセミ演奏会形式。舞台装置や衣装に特別なものはなく演技だけが付いたもの。オーケストラの周りのステージと一部客席も使っていたが、動きや仕草がとても演劇的で良かった。歌手はミンコフスキーが連れてきたか、主役どころは全てフランス人でオペレッタや軽い役が持ち役の比較的若い人中心。フランス語のオペレッタの軽妙な味を出すにはフランス人でないと出ないと思うから、その点皆なかなか上手かった。ただ全員がマイクをつけていたのでセリフには良かったが歌唱が強く響き過ぎて聴き苦しかった。

オッフェンバックの「地獄のオルフェ」は(「天国と地獄」と言った方が日本人には馴染み深い) ギリシャ神話「オルフェウスの悲劇」が基になっている。これにはグルックの「オルフェオとエウリディーチェ」があるが、オッフェンバックはそのパロディ版と言ったらよいと思う。本来純真な夫婦愛がダブル不倫の話に変わる。愛の神と主神の導きにより最後はハッピー・エンドになるところ、奔放な妻ユリディスは夫はおろか最初の不倫相手アリステも捨て主神ジュピテルに走り、夫オルフェも好きな女のところに戻れて別の意味のハッピー・エンドになる。神々の恋のドタバタ劇と言ったところ。「こうもり」と同じく、真の意味は置いといて年末年始には持って来いの楽しさ極まるオペレッタである。

全部通しては観てないがウィーンの「こうもり」はシモーネ・ヤング指揮でカミラ・ニールントがロザリンデ役ということで気にはなった。しかし立派な演奏とは思うが、オットー・シェンクの伝説的舞台でアドリブもなかったようでマンネリ化の感がした。ヨーロッパの年末第9は初めてだったが、ホーネックの指揮振りがクライバー似で、演奏もオーソドックスで素晴らしいと思った。

この正月我家の家族が揃ったのは年末で年明けは時間があったけれどもゆったり音楽に浸る雰囲気ではなかった。連休明けには通常の生活に戻りたいと思っている。



2023.9.14 モネ劇場(operavision)
出演
カサンドラ:カタリーナ・ブラディック、アポロジョシュア・ホプキンス
サンドラジェシカ・ナイルスブレイクポール・アップルビー  
ヘカベ/ヴィクトリアスーザン・ビックリ プリアモス/アレクサンダーギドン・サックス
ナオミ:サラ・デフリ 
モネ劇場合唱団、管弦楽団
指揮大野和士
演出マリー=イヴ・シニェロール 

モネ劇場が新作の世界初演でシーズンを始めた。カサンドラとはギリシャ神話に登場するトロイの王女。トロイの崩壊を警告したのに無視され預言通りになった。サンドラは現代の氷河研究者。温暖化による氷河の融解を予測し環境保護活動をしている。ところが経済優先の一般社会になかなか受け入れられず、このままでは人類の滅亡に繋がるとバラエティ番組流に面白く啓蒙に努めている。このオペラは神話の話と現代の話を対比しつつ並行に展開する形を取っている。預言と科学的予測は違うと思うが人間の受け止め方の点では共通している。

ベルナール・フォクルールはベルギーのオルガニスト作曲家でこの「カサンドラ」が最初のオペラ作品になる。モネ劇場元音楽監督でもある彼の新作で開幕とはこの夏の異常高温や大洪水の広がりを見ると誠にタイムリーと思う。

マリー=イヴ・シニェロールはフランスの女性演出家。洗練されたシンプルさと合理性のあるすっきりした舞台で、神話の世界は大きな書庫、現実はミツバチの巣、研究と啓蒙は氷柱でもって象徴していた。せっせと働く人間をミツバチに例えたのは面白い。それに近年流行のステージ・カメラマンの映像などを使って小じんまりしたセットを補い大きく見せていた。衣装もすっきりして質感があった。2時間近く休憩なしの舞台を暗転によって素早くスムーズに切り替えていた。

フォクルールの音楽は映画のBGMの如くその場の様子を感覚的に表現して聴き易かった。例えば侵攻時の大混乱や悲鳴の描写はよく分かったし、ミツバチの集団羽音は擬音と思ってしまった。全編に流れる合唱の響きも警告を鳴らしているようで効果的だった。大野和士の指揮も新国の藤倉大「アルマゲドンの夢」を彷彿とさせる雰囲気と迫力のある密度の高い音を出していた。それに加うるに歌手陣が素晴らしく、歌唱だけでなくそれ以上に舞台俳優並みの演技力があった。先ず神話の世界ではカサンドラカタリーナ・ブラディックが深い声で預言者らしし、彼女を誘惑するアポロジョシュア・ホプキンスも魅力的な声と容貌が役柄にマッチしていた。現実の世界ではサンドラジェシカ・ナイルスが凄い。アメリカの若いソプラノだが歌唱も感情の入れ方が半端でなく、演技でもスピーチから大胆なベッドシーンまで大奮闘で、カサンドラ以上に目を惹きつけた。彼女の恋人ブレイクは気候研究者でポール・アップルビーが、サンドラの妹役ナオミはサラ・デフリスが姉とは対照的な女をそれぞれ控え目に好演した。カサンドラとサンドラ両方の父母2役を演じたギドン・サックススーザン・ビックリーはふたりとも知らずに観たら分からないほど姿も歌唱も全く違って脇ながら素晴らしかった。

昨シーズンもサンサーンス「ヘンリー8世」を取り上げるなどモネ劇場は珍しい演目に意欲的である。そこで今回大野和士が開幕を受け持っただけでなく締めくくりにも登場することになっている。これなら音楽監督並みの扱いと思う。ヨーロッパで活躍しないと一流とは認めれれないから国内に留まらず続けて欲しいと思う。出来ればドイツかフランスで。

地球温暖化は重要な問題ではあても近い将来のことでないから差し迫った緊迫感はない。そこがトロイの崩壊とは違うところである。 現代の新作でも音楽と演出がよくマッチしているし舞台が洗練されているので飽きずに観ることが出来た。ただしこのオペラは1幕プロローグと13場からなり展開がかなり速いから一度見ただけでは細かいところまでは理解できなかった。観る時は登場人物の関係とテーマくらいは知っておかないと追えないように思う。フィナーレがカサンドラとサンドラの二重唱で終わるのは歴史に学べということだろうか。


2023.5.24 ウィーン国立歌劇場(WSO-LIVE)
出演
ブランシュニコル・カー、騎士フォルスベルナール・リヒター
クロワシ夫人ミカエラ・シュスターリドワーヌ夫人マリア・モトリジナ
マリーイヴ=モー・ユボーコンスタンスマリア・ナザロヴァ
フォルス侯爵ミカエル・クラウス神父トーマス・エベンシュタイン  ほか
ウィーン国立劇場合唱団、管弦楽団
指揮ベルトラン・・ビリー
演出ダレーナ・フックスベルガー


ウィーン国立歌劇場22/23シーズンの新制作。あまり上演されない演目だけに注目された。三河市民オペラで「アンドレア・シェニエ」を観たばかりだが、「カルメン修道女の対話」もフランス革命を背景にしたオペラである。不思議とつながりのあるものが続く。このオペラは以前METのストリーム配信で観て記事にした。(下記参照) 気の重くなるオペラだがこれが最後かもと思って観た。

フランス革命は市民階級による王政の壊滅と捉えられるが、元々は特別階級のカトリック教会への反発から起きたものである。旧体制ではカトリック教はフランス国教であり、聖職者は貴族や平民より高い身分を保証されていた。税金の交付まで受け、土地の大部分を所有していたのである。それで革命政府による土地の没収や聖職者弾圧があったのだが、勿論現在のフランスは政教分離でカトリック信者が依然最も多い。カルメン派修道女の処刑は実際にあった話に基づいている。

フックスベルガーはオーストリアの演出家。大きな読み替えはないが多少設定を変えていたと思う。ブランシュは単に世の中に溶け込めない性格というのでなく、その恐怖心は妄想に襲われる病的なものと解釈している。仮面の動物やアニメ調の騎士が出てくるのはそれを表している。騎士フォルスもブランシュの伯父ではなく恋心を抱く青年になっていた。女性ばかりの話でなく普通のオペラのように恋愛感情を入れたかったのであろう。更にフィナーレは遅れて来たブランシュが断頭台に上るのでなく自害にしていた。それ以外気付いたところはない。

修道女の対話が場所を頻繁に変えて演じられるので回り舞台を採用していた。中央に柱だけの2階建て建物があり、それが回転してフォルス家の館や修道院の部屋に変わる。場所は屋根の上部にある天井画で区別するのだが、小道具としても小さなベッド、椅子、マリヤ像があるだけ。心理劇だから演じる人物が分かればそれで十分と思う。ただしフィナーレの断頭台の場だけは二層の別拵えで、その高い台上から黒の装束に金色の光背を付けた修道女がひとりひとり去って行く。何の罪もないものが殺されるのだからいたたまれない。

このオペラの見どころは修道女それぞれの異なった役柄がどう発揮されるかである。しかも正反対の面もあるから難しい。ブランシュクロワシ夫人マリーコンスタンス、主役どころ4人ともそうである。ブランシュのニコル・カーはオーストラリアの若手。当初予定されたサビーヌ・ドゥヴィエルの代役でリドワーヌ夫人役から横滑りした。第1声の悲鳴を聞いてどう演ずるかと興味が湧いたが、意外と普通で恐怖に襲われる時もそうでない時も劇的に大きな変化はなかった。素晴らしかったのはクロワシ夫人ミカエラ・シュスター。ワーグナーやR.シュトラウスで活躍しているだけあって取り乱した死際の迫力はさすが凄かった。マリーイヴ=モー・ユボーは厳格な中に優しさがのぞく役で他から特に目立っていた。コンスタンスマリア・ナザロヴァも明るい性格で無邪気なのに一瞬真剣になるところがあり可愛らしく思える。ビリーのオーケストラは徐々に調子を上げフィナーレは鬼気迫るものがあった。

ウィーンの新作だから好演には違いないが、好きになれないオペラなので余程驚かされる演奏でもない限り惹かれることはない。METの方が良かったように思う。


2023.5.16 モネ劇場(operavision)
出演
ヘンリー8世:ライオネル・ローテ
キャサリン王妃:マリー=アデリーヌ・アンリー
アン・ブリーン:ノラ・グビッシュ
ドン・ゴメス:エド・リオン
ノーフォーク公爵:ウェルナー・ヴァン・メヘレン、クラマー:ジェローム・ヴァルニエ
枢機卿キャンピーアス:ヴァルサン・ル・テジエ  ほか
モネ劇場合唱団、交響楽団
指揮:アライン・アルティノグリュ
演出:オリヴィエ・ピィ

モネ劇場の新制作で当初2021年プレミエのはずがコロナで遅れた。作曲家サン=サーンスもイギリス国王ヘンリー8世も有名なのにこのオペラは日本で上演された記録が見つからない。多分ないのではないか。私が観るのもこれが初めてである。

ヘンリー8世はネロと共に歴史上悪名高き元首である。結婚離婚を繰り返し6人の妻のうち2人を処刑にしている。ローマ教皇と対立しイギリス国教会として分離する原因になった。オペラ「ヘンリー8世」は最初の妻キャサリンと2人目のアン・ブリーンとの話である。因みにドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」はここに出てくるアン・ブリーンのことである。

演出のオリヴィエ・ピィはこの権力、情愛、嫉妬の暗いドロドロした話をルネッサンス絵画の美的舞台にした。ヴェネツィア画家ティントレットの「キリストの磔刑」や「キリストの復活」が宮殿壁画として使われ、「受胎告知」の天使の翼がキャサリンの肩で羽ばたく。バレエ(ダンス)はその絵から抜き出たように踊る。舞台は暗く衣装もほとんど黒である。例外として国王が儀式で着る豪華な金赤黒の正装、アン・ブリーンが国王の愛を受けてる期間の赤いドレス、カトリックの赤い法衣などは黒の中でよく映える。ストーリーは暗いが舞台は絵画的で美しい。

ピィの演出はアイデア豊富で面白いけれども、分からないところも煩わしいと思うところもある。例えばダンス。オペラに挿入されているバレエの他に黙役として登場させ場面の説明をさせている。処刑のシーンでは車輪に両手両足を縛って回転させるサーカス紛いのことをしたり、ダンサーが執行人になって腕を斧代わりに踊って表現したりする。舞台上の残酷シーンを見ずに済んで良かったと思う。一方本来のバレエはステージから切り離して休憩時間に劇場前の広場で行っていた。息抜きに余興みたいにバレエを入れるのはストーリーの連続性をなくすからこれは良い方法である。それでもステージのダンスがいろんなところに多過ぎて無くてもいいではないかと思うこともある。分からない筆頭は機関車が壁を打ち抜いて突っ込んでくること。一体なんだろう。

歌手は容貌からして比較的若い人が多かったようで強い印象を残した人はいない。しかし皆均質でそれぞれ好演だったと思う。人間のドロドロした感情はあまり出ていなかったが、それは名画のように過去の話としてリアルな面を控えた演出にあったかもしれない。全体に男声の方が温和だったように思う。マリー=アデリーヌ・アンリーが演じたキャサリン王妃は同情を一身に浴びる唯一の役で拍手も多かったが、歌唱は高音がちょっと苦しかった。アン・ブリーン役のノラ・グビッシュはくぐもった声が野心家らしくて良かったし、境遇変化の激しい難しい役を良く演じたと思う。ヘンリー8世のライオネル・ローテは台詞が残忍でも気品の方が目立つ感じがした。馬に乗って姿を見せた時は見惚れた。歌唱は力強く最も安定していたが役柄に合ってないのではないか。ドン・ゴメスのエド・リオンは歌唱も演技も大人しいが、アン・ブリーンに振られる役にはちょうど良かったかもしれない。アルティノグリュの指揮、オーケストラ、合唱とも特別言うことはない。モネ劇場のストリーム配信は何度も観ているが、ローカル劇場にしてもレベルは高い。特に演出で面白いものが出るところである。

このオペラは解釈は普通でも舞台表現に工夫を凝らしていた。名画の中にダンスを取り込んだ演出だったが、「ヘンリー8世」初体験の意義は十二分にあった。このオペラがレアに留まるのはベル・カントの技巧もないし親しみ易いメロディーもない、要は心に残るアリアがないのと、内容が受けない為と思った。これを日本でやろうという人は出てこないと思う。


2023.4.10 チューリッヒ歌劇場(ARTE concert)
出演
ジュリエットジュリー・フックス
ロメオベンジャミン・ベルンハイム
キャピュレット卿:デヴィッド・ソアロラン神父ブレント・マイケル・スミス
メルキュシオユーリイ・ハジェッツキーティボルトオメル・コビリャク
ステファノスベトリーナ・ストヤノヴァジェルトリュードカティア・ルドゥー   ほか
チューリッヒ歌劇場合唱団、フィルハーモニア・チューリッヒ
指揮:ロベルトフォレス・ベセ
演出:テッド・ハフマン

チューリッヒ歌劇場の新制作。これ程何もないオペラを観たことない。にもかかわらず演技が大きくリアルで舞台が生きていた。こういうすっきりしたのは好きである。

三方を扉がついた灰色のパネルで囲み椅子が並んでるだけ。館、バルコニー、修道院、墓場を思わせるものは何一つない。強いて言えば1幕両サイドの椅子の列はモンタギュー、キャピュレット両家の対立、3幕奥に並んだ列は教会、何もなければ墓場を表しているようだ。小道具も小さなナイフと薬瓶くらい。その上衣装だってタキシードかドレスで特別誂えたものではないように見える。セットも衣装もこうだから金は掛かっていない。しかしそこで演ずる人々はガランとしたスペースを目一杯使いショウ的に計算された動きをするし、演技もリアルだから極めて劇的であった。両家の乱闘は迫力があったし、ふたりのラブシーンも真実味があった。演技力の他に照明が巧みに使われパネルに映る影も絵になって、何もなくてもみすぼらしくはない。

だがこの舞台は誰でも知ってる物語だから出来たかもしれない。オペラの台本には台詞だけでなく場面の説明もついているから、台詞と演技で全てが理解できるとは限らない。どのオペラにも通用するかというと、何らかの補足が必要と思う。

この「ロメオとジュリエット」はふたりのタイトル・ロールが特に素晴らしかった。ロメオベンジャミン・ベルンハイムは明るく輝かしい声でパワーもあり若いロメオにピッタリ。ジュリエットジュリー・フックスはチューリッヒの若いスターでロール・デビュー。内気さがない現代娘の感じで、歌唱は幕が進むにつれて自然になり良くなった。この人は演技力が凄いからオペラにもってこいである。二人はともにフランス人だからこのコンビは続くと思う。その他では女性の方が印象が強かった。ステファノスベトリーナ・ストヤノヴァはシャンソン1曲で人気が取れる得な役だがズボン役が良く似合う。可愛らしさがありケルビーノを聴いてみたいと思う。乳母のカティア・ルドゥーは存在感があった。これに比べ男声陣はちょっとパンチが弱かったと思う。神父のブレント・マイケル・スミスはロール・デビュー、声は良いが若過ぎてジュリエットの友人のように見える。ロベルトフォレス・ベセはスペイン出身でフィンランドで学んだ指揮者だが、かって名フィルを指揮したこともある。ドイツ的堅固な演奏で、ちょっとムードに欠けフランス的洗練された響きはなかった。

久し振りのグノーで大いに満足した。金を掛けなくても素晴らしい舞台が出来る見本みたいで、それを可能にしたのは演技力と思う。しかし「ロメオとジュリエット」だから出来たことで、ここまで簡略しては一般的に通用するとは言えないように思う。

 


1998年 リヨン歌劇場(medici.tv)
出演
エウリディーチェ:ナタリー・デセイ
オルフェオ:ヤン・ブロン
ジュピテル:ローラン・ナウリ
プルトン/アリステウス:ジャン=パウル・フーシェク
世論:マルテン・オルメーダ、キューピット:カサンドル・ベルトン  ほか
リヨン・オペラ合唱団、管弦楽団、グルノーブル室内管弦楽団
指揮:マーク・ミンコフスキー
演出:ローラン・ペリー

ギリシャ神話オルフェオを題材にしたオペラは30を超えるとも言われて、有名なものだけでもモンテヴェルディ、グルック、オッフェンバックと3作品がある。この中オッフェンバックは純粋な愛の物語を互いに愛人がいる夫婦の滑稽な風刺劇に変えてしまった。日本では「天国と地獄」の題名になっているがドタバタ騒ぎには上手い訳だと思う。カンカン踊りは運動会徒競走のBGMで誰でも身近に聞いている。

この映像はデセイ若い頃のもので俳優志願だった彼女の面目躍如たるところが見える。デセイは現在舞台オペラを引退し女優業をしているそうだが、コンサートには出演していて来月来日してオペラの曲を歌うことになっている。

オペレッタは軽快さが命。それが音楽だけでなく演技にも不可欠で、特に舞台上の打てば響くような会話と生き生きした動きがないと面白くない。歌唱優位のオペラとはそこが違う。ローラン・ペリーの舞台は地味な色のセットでメルヘンチックな衣装を着け表情豊かに動き回るので観ていて実に楽しい。バレエや曲芸で目を楽しませたり、台詞が漫才コンビの口調のように聴こえた。

古い映像なので深入りしないがデセイのオペラ歌手とは思えない顔の表情や身のこなし、オルフェオのヤン・ブロンの甘い声と美形、オッフェンバックの体制批判とはっきり分かる世論マルテン・オルメーダのひとり真面目な姿が印象に残っている。パリの街を歩いてもメタボな人はほとんど見ないが、歌手もご多聞に漏れずスタイルの良い人ばかりであった。

音楽の方は演技と一体になった歌手の歌唱よりもミンコフスキーのオケの方に気が行った。きびきびしたリズム感と歌心があり言うことなしの素晴らしさだった。

デセイがお目当てではあったが他の人も皆素晴らしく、これほど心底から楽しめるオペレッタもそうないと思った。英語字幕で観たが字幕なしでフランス語が分かればもっと楽しかったと思う。

なおヤン・ブロンもオペラ歌手では若いのに舞台オペラからは引退と伝えられている。デセイと同じく自分の殻を守って身を引くというのも潔いと思う。ついでにもう一つ。日本で初めて上演されたオペラはグルックの「オルフェオとエウリディーチェ」であった。東京音楽学校の公演でその時のエウリディーチェは三浦環であった。


2022.9.12 ウィーン国立歌劇場(WSOweb)
出演
カルメン:エリーナ・ガランチャ
ドン・ホセ:ピュートル・ベチャワ
エスカミーリオ:ロベルト・タリアヴィーニ
ミカエラ:スラヴカ・ザミクナイコーヴァ(Slavka Zamencnikova)  ほか
ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:イヴ・アベル
演出:カリクスト・ビエイト

ウィーン国立歌劇場の2022-23シーズンが開幕した。演目が「ボエーム」「カルメン」「魔笛」と続き何だか日本のオペラ公演みたいである。このカリクスト・ビエイト演出による「カルメン」は昨年ウィーン初演のウェブ配信を観た。その時のカルメンはラチヴェリシュヴィリ、今回はガランチャ、ドン・ホセは同じでベチャワである。で今回の興味はガランチャだけだった。

もう一つ演出の問題がある。ガランチャのカルメンは最近ヴェローナ野外公演でも観たばかりだが、エロと暴力の演出でどう演ずるかに興味があった。解釈と共に舞台セットの違いも関係する。ヴェローナは極めて評判の高いゼフィレッリの伝統的写実的で大規模な美しい舞台。他方ビエイトは周囲真っ暗で装置と思しきものは1~2あるだけの極めてシンプルな舞台である。こうなると演技だけで見せなければならない。

同じ演出で歌手が違う時と同じ歌手で演出が違う2通りを見たことになる。オペラは音楽と芝居の両面があるから舞台上の演技は大きな要素である。役者には適不適があって、同じ歌手でも年齢と共に役が移って行くのも普通のこと。中には自分の殻に閉じこもる人もいるが極めて少ない。したがって同じカルメンでも解釈が違ってくればそれに適した歌手も変わってくる。オーソドックスな舞台では歌手の個性の影響はそれほど大きくないと思うが、特異な解釈の場合には誰でもと言う訳にはいかないと思う。

歌手自身の演技力の問題もある。オペラ歌手は音大出身で音楽の勉強が主であって演劇を習んできた訳でないから演技力には個人個人の差が大きい。(日本人は国民性もあって演技が得意でない人が多い) 歌唱と演技の2つの面で歌手を相対比較した場合、歌唱優位の人と演技優位の人に分けることが出来る。尤も歌唱力においてもオペラ向きと歌曲向きがあると思うが、演技はそれ以上の大きな違いが出る。

色々述べたが何が言いたいかというとガランチャとラチヴェリシュヴィリの違いである。まずエロチックで裏社会に場を設定したビエイトの演出ではラチヴェリシュヴィリの方が艶っぽさがあって良かった。ガランチャは歌唱演技容姿の3拍子揃った理想的なオペラ歌手だが、ビエイトの演出では品位が抜けきらないと思った。彼女にはオーソドックスなゼフィレッリの演出の方が断然見栄えがした。

ウィーン国立歌劇場は観たい演目が当分ない。12月に新制作のマイスタージンガーがあるがライブ配信してくれないかなぁ。劇場は通常復帰したがライブ配信がコロナ以前の週一ペースに戻るのは何時になるであろうか。待ち遠しい。

(追)
ビエイト演出「カルメン」ウィーン初演の記事は
2021年02月24日 : くらはしのクラシック日記 (blog.jp)

ヴェローナ ゼフィレッリ演出「カルメン」は
ヴェローナ野外音楽祭 : くらはしのクラシック日記 (blog.jp)

 



2022.8.14 アレーナ・ディ・ヴェローナ(ZDF YouTube)
出演
カルメン:エリーナ・ガランチャ
ドン・ホセ:ブライアン・ジャッジ
エスカミーリオ:クラウディオ・スグラ
ミカエラ:マリア・テレサ・レヴァ  ほか
アレーナ・ディ・ヴェローナ合唱団、バレエ団、管弦楽団
指揮:マルコ・アルミリアート
演出:フランコ・ゼフィレッリ

野外音楽祭の雄ヴェローナは舞台から観客の数までその大きさはスケールが違う。音響は良くマイクなしで演奏されるが、それより最大の魅力はアレーナの幅いっぱいを使った大規模な舞台を観ることであろう。あまりにも広いから大勢の合唱バレエが出るオペラでないと場が持たない。アイーダ、カルメンなどお勧め演目である。

このYouTube映像1時間半に短縮編成されていた。Raiが配信しているが残念ながらイタリア本国しか観られない。オペラを聴くなら劇場ホールの方が望ましいのだが、ただ野外舞台の感じを観る目的ならこれで十分楽しめる。

このゼフィレッリの演出は特に評判の良いものである。広いアレーナを上手く使った写実的な舞台で登場人物が物凄く多く、しかも一人一人が生き生きと動いている。ダンスも華やかだし、本物の馬が10頭くらい出て、実にスペクタクルで素晴らしい。

このところガランチャを聴くことが多いが意識して追いかけているわけではないので彼女の活躍が目立つということであろう。カルメンも彼女の得意演目で、容姿、声、演技と3拍子揃ってこのスケールの大きな派手な舞台の中でも際立って存在が目立つ。他の人が悪いわけではないがガランチャに比較すると歌手より舞台の方に気を取られてしまう。オペラハウスで演じたらもっと歌唱の方に注意が行くと思うがエンタテイメント性の強いアレーナでは仕方ない。

聴衆はやや少ないように見えた。今年はガランチャの初登場とかネトレプコの出演で普通ならもっと湧くはずであるが、やはりコロナの影響があると見える。

 

 


2021.4.29(木) ウィーン国立歌劇場(ライブ収録)
出演
ファウスト:ファン・ディエゴ・フローレス
メフィストフェレス:アダム・パルカ
マルグリーテ:ニコール・カー
ヴァランタン:エティエンヌ・デュピュイ
ワグナー:マーティン・ヘスラー
ジーベル:ケイト・リンゼイ  ほか
ウィーン国立歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ベルトラント・ドゥ・ビリー
演出:フランク・カストルフ


ウィーン国立歌劇場無観客のストリーム配信用映像。プレミアとあるが共同制作でシュトゥットガルト歌劇場で何年も前に上演済のものである。ファン・ディエゴ・フローレスが初役ファウストをどう演ずるかが一番の興味であった。

フローレスはベルカント・オペラから徐々に役を拡げているがファウストはこれまでアリアを歌うくらいでオペラの舞台上演は初めてである。共演のメフィストフェレス役アダム・パルカもマルグリーテ役ニコール・カーもまだ若い30代半ばでウィーン国立歌劇場初登場。その意味で新鮮な「ファウスト」になるかもと期待した。だがカストルフの演出がいけなかった。バイロイトの「ニーベルングの指環」も大方評判悪かったが、この「ファウスト」も表現がかなり刺激的でしかもごちゃごちゃしている。

時代は20世紀中頃フランス植民地戦争の最中、場所はパリ、地下鉄スターリングラード駅周辺の街中。舞台は駅出入口近くのカフェ、アパルトメント、教会が一体になった場末の感じがするセットで回転して場面が変わる。ここでメフィストフェレスは悪徳の占い師、マルグリーテはモデルのようだ。ジーベルは本来男役だがここではマルグリーテを慕う同性愛者である。そして主人公のファウストは博士でも普通の老いた男になっている。ゲーテの原作は哲学的であるが、オペラになった第1部は欲望と誘惑に弱い人間の弱さを描いてると思う。それなら色々の想定が可能でありこの演出も可笑しくはない。ただその表現が視覚的に過激でありホラー映画みたいなところがある。

第一血の見せ場が多過ぎる。多くの帰還兵が生首をぶら下げて入ってきたり、ヴァランタンが血を飲んだり、メフィストフェレスが吸血鬼だったりする。酔っぱらった幻想で戦争の恐ろしさを訴えたかったかもしれないが、物語の本質とは何の関係もない余計な付け加えだと思う。フィナーレもぞっとする。マルグリーテがヘビ(大きな本物)に巻きつかれる場面があるがこれでは地獄に落ちろと言わんばかりで神に救われるとは到底思えない。もうひとつ決定的にいけないのはビデオカメラが執拗に付きまとい、細かい表情を映したり、見えないセックス場面とか街中の様子などを頻繁にスクリーンに流す。煩わしいことこの上ない。

演出はさておき歌唱の方は皆素晴らしかった。フローレスが深刻な役柄を演ずるのは滑稽さが出てしまい演技的に合わないと思うが、芝居から離れて歌だけ聴いていると申し分ない。持ち前の美声でマルガリーテへの思いを感情豊かに歌った。ウィーン初登場の二人は相当熱が入っていた。ニコール・カーはちょっと暗めの力強い声で本来の清純なマルグリーテではなかったが、この演出ではそれで良かったと思う。この人ヘビ好きか、よくやるとプロ意識に感心した。アダム・パルカはシュトゥットガルト初演でもメフィストフェレスを演じた。豊かな低音を安定して歌える凄いバスと思う。この舞台で歌唱演技とも嵌っていたのはケイト・リンゼイ。ここは女役であったがズボン役でも似合う人である。

「ファウスト」はアリアも多く好きなオペラである。ただ「二ーベルングの指環」と同じく架空の人物が登場するので舞台オペラにするのはなかなか難しい。こういうのは何もない抽象的舞台が適していると思う。

ウィーン国立歌劇場は5月19日から再開すると発表した。先回の無観客ライブ「パルジファル」のプレミアがarteで観られなかったので是非流してほしい。これは凄いキャストが揃っている。


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