くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

カテゴリ:ネットオペラ > フランス


2019.12.17&20 (ライブ収録)
出演
ホフマン:エリック・カトラー
オランピア/アントニア/ジュリエッタ/ステルラ:パトリシア・プティボン
ニクラウス/ミューズ:ミシェル・ロジエ
リンドルフ/コぺリウス/ミラクル/ダッペルトゥット:ガーボル・ブレッツ  ほか
モネ劇場合唱団、管弦楽団
指揮:アラン・アルティノグリュ
演出:クシシュトフ・ヴァルリコフスキ

「ホフマン物語」はオッフェンバックの未完作品でもあり、3つの失恋物語を寄せ集めた感が強い。そこで観る側が想像力を働かせて何かを読み取るのことになるが、この演出はそれを一つのストーリーとして完成させた素晴らしいものであった。

ポーランド出身のクシシュトフ・ヴァルリコフスキは演劇界の奇才とのことである。バイエルン国立歌劇場でペトレンコ指揮の「影のない女」、「サロメ」の演出を担当している。ストリームで観たが随分いろいろとアイデアを出す演出家だと思った。この「ホフマン物語」では場所をハリウッドの映画界にしている。ホフマンは落ちぶれた映画監督で酒浸りの生活を送っている。ニコラウスはホフマンの助手を務めていた。オランピア、アントニア、ジュリエッタは映画のヒロインで、ホフマンはそれを演じた女優に恋をしていたという設定である。オランピアは人形だが人形のように可愛らしい娘らしい。ジュリエッタが要求するホフマンの影とは彼が制作した映画の著作権のことである。随分欲の深い女優ステルラである。その女優はオスカー賞を受賞するスターになったが、ホフマンは仕事のない哀れな身分に陥っている。人生の悲喜を感じさせる見事な演出だと思う。

ヒロイン3役はパトリシア・プティボンひとりで演じた。この設定なら当然そうあるべきと思う。オランピアの可愛らしさ、ジュリエッタの哀しさ、アントニアの妖艶さ、3様のキャラを演じ分け素晴らしかった。オランピアはゴツゴツした機械の動きをしない。今の時代AIで人間らしい動きはできるのだが、死んでストレッチャーに寝かされているところからも娘と理解した方が良いと思う。3役を分担するとニコラウスが主役に見えることがあるので、オッフェンバックの意向通りに一人で演ずるのが良いとこの演出を観て思った。プティボンの歌唱も円熟していて、声の転がりも滑らかで美しかった。ニクラウスのミシェル・ロジエも素晴らしい。安定した歌唱ときびきびした動きで立ち姿が目立って良い。

さてホフマンのエリック・カトラーだが、この演出はちょっと難しいように思う。それは監督と俳優の2つの仕事を持っていることによる。映画製作で音どりをする時は隅っこにいて、演技する時は同じ衣装で行うから見た目女優とのバランスが極めて悪い。タイトルロールでありながら目立たない。この点の工夫があればと思った。

合唱、ダンスも華やかな衣装で良く動いていた。オペラの筋には関係ないがダンスや曲芸を入れて雰囲気作りをするのはヴァルリコフスキの特徴のようだ。

それにしてもフランスの女性オペラ歌手は皆スタイルの良い美人ばかりである。この舞台でも男性を含めてデブはひとりもいない。パリの街を歩いてもそう見えるから洗練された国民性ということだろうか。観ても楽しいオペラであった。



2016.7.30 プリンツレゲンテン劇場(Operavision
出演
ファティム:アンナ・プロハスカ  ほか
ダンス・オブ・エストマン、バルタザール・ノイマン合唱団、ミュンヘン祝祭管弦楽団
指揮:アイヴォー・ボルトン
演出:シディ・ラルビ・シェルカウィ

音楽とダンスがほぼ対等にあるバロックのオペラ・バレエ作品。DVDも販売されているが、Operavisionが配信したのを観た。

内容は恋人たちの愛をテーマにしたもので、本来トルコ、ペルー、ペルシア、未開アメリカを舞台にした3時間に及ぶプロローグと4幕の作品である。ただしこの演出は国の枠を取り払った現代風アレンジで、今日のどこかで起きた話にしている。衣装も全く普通の服。歌手はアンナ・プロハスカしか知らない若手中心の公演だが頑張っていたと思う。

正直この作品どこが良いか分からない。総じてバロック・オペラは単調だが特にこの作品はメロディーにも魅力がない。となると演出だが歌手の演技が極めて地味で、むしろ周りがデスクやベンチなど小さい演台を頻繁に動かしたり、激しいダンス(ヒップホップダンス?)をするのが目立つ。これがまた歌唱の単調さを助長してしまう。ボルトンの指揮はハキハキしてバロック音楽として聴き易いのだが、ダンスがこれに合わせてしまって、それが為に歌唱の良さが出てこない。

実は昨年NHKでパリ・オペラ座の公演を見たが、同じ現代風でも衣装が多少舞台用だったり、ダンスもより変化があって良かったように思う。一般にフランスの演出は洗練された感性があるのにドイツは理屈が勝ってる感じがするので、一寸見ではフランスの方が観易いと思う。

いずれにしてもこの作品は好きになれないオペラである。



2013.1.5 (ライブ収録)
出演
エネアス:ブライアン・ヒメル
カッサンドラ:デボラ・ヴォイト
ディドー:スーザン・グラハム
コレーブ:ドゥウェイン・クロフト、エレニュス:エドアルド・ヴァルデス
ナルバル:クワンチェル・ユン、アンナ:カレン・ガーギル
イオパス:エリック・カトラー  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、バレエ団、管弦楽団
指揮:ファビオ・ルイージ
演出:フランチェスカ・ザンベッロ

ベルリオーズ「トロイ人」全曲はこの5月ウィーン国立歌劇場のストリームで観た。作品についてはその時書いたので省略するとしてとにかく好きなオペラではない。今度はMETだからさぞかし立派な舞台が観られるかと期待したが特に感心したことは何もなかった。

読み替えのない普通の演出で舞台セットはやや抽象的。後方一段高いところにも左右に貫く舞台があり、その前に大きな円形の窓のついた不規則な網目状の囲いがある。トロイの木馬もそこに現れるからちょうど窓越しに見る形になり、想像したよりお粗末であった。舞台床が一部石畳になって上手に円形の火の祭壇が設けられていた。平土間の1等席からは見えないと思う。カルタゴの宮殿も市街模型の上に玉座が置いてある。分からなくはないがありきたりで質素である。フランチェスカ・ザンベッロはワシントン・ナショナル・オペラの芸術監督で、2016年「二ーベルングの指環」後半2作品を観たことがある。大味で良いとは思わなかった。

しかし歌手は素晴らしかった。エネアスのブライアン・ヒメルは当時33歳のMETデビューで、マルチェロ・ジョルダーニの代役として10日前に呼ばれたそうである。その前年ネーデルランド・オペラでロール・デビューをしていた。若々しい艶のある声で、終幕ディドーと別れイタリアへ出発する時の心の揺れが特に良かったと思う。カッサンドラのデボラ・ヴォイトも一貫した信念のあるところを演じて良かったが、第1部だけだから損な役ぶりである。やはり最高は第2部登場ディドーのスーザン・グラハムである。時を追っての心情変化が素晴らしいし、しかもトリを務めるから余計注目を浴びる。その他の歌手もそれほど強い印象は残らないがMETだから好演なことに変わりがない。

オペラは言葉によってストーリーが展開していくものだが、ベルリオーズは間奏、バレエ、合唱が多くて芝居の密度が低くなり、どうしても退屈してしまう。上演機会が少ないのも当然と思う。日本での公演はマリンスキーの来日公演(カットありコンサート形式)と読売日響100回記念公演(第2部のみカットありコンサート形式)だけである。今後もまずなかろうからその意味で2度も聴いたのは貴重な機会であった。


ウィーン国立歌劇場のストリームはこちら。
http://klahiroto-diary.blog.jp/archives/2020-05-02.html



2008.11.22 (ライブ収録)
出演
ファウスト:マルチェロ・ジョルダーニ
メフィストフェレ:ジョン・レリエ
マルグリート:スーザン・グラハム  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、バレエ団、管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:ロベール・ルパージュ

この映像はかってNHK-BSで放送された。その頃は生演奏に拘り、一歩譲ってテレビでもライブ中継しか観なかったので記録がない。ここに簡単に記しておきたい。

実はロベール・ルパージュの演出による「ファウストの劫罰」は小澤征爾が1999年サイトウキネン松本で上演している。関心はあったが高価だしチケット確保も難しかったので観ていない。当時のブログを見るとこのMETの演出と同じと分かった。サイトウキネンより9年も後だから共同制作ではないと思う。この場合著作権がどうか知らないが、それはともかく舞台美術の出来栄えはきっとMETの方が優れていたと推測する。

METでは映像を駆使する演出はこれが初だそうだが、その規模の大きさとか質感は並外れて凄いと感心する。4層の枡目状演技台がステージ目いっぱいに広がり、その背後に映像が映し出される。凄いのはアクロバットが大活躍すること。映像と宙吊りでの演技が完全に一体化している。例えば息をする泡の映像とアクロバットの水中遊泳のシルエット、駆ける馬と宙吊り騎士の手綱さばきなど見事という外ない。真横になって垂直の壁を歩くのが内容と何の関係があるか分からないが、サーカスを見てる感じがする。

ベルリオーズは色彩豊かなオーケストレーションが魅力だが、オペラとなるとオケの方が目立ち歌唱を食ってしまう感がある。この「ファウストの劫罰」は管弦楽曲として作曲したものを改編して劇的音楽にしたもので、本来コンサートで演奏されるものである。だから話が断片的でストーリー性が乏しいと言わざるを得ない。オペラならグノーの「ファウスト」の方が良いと思うし聴き易くもある。そういう曲だから歌としてはマルグリートの夢見るようなアリアを除けばあまり良いとは思わない。むしろ合唱の方が聴き応えがあると思う。

マルグリートのスーザン・グラハムはサイトウキネンでも歌っているが最高に素晴らしかった。歌唱だけでなくマルガリートが昇天するフィナーレで垂直の梯子を舞台てっぺんまで登ったのには驚いた。命綱があるとはいえ高所恐怖症ならとても出来ない技である。歌い始めもてっぺんだから大変な役をよくぞやったと思う。ファウストのマルチェロ・ジョルダーニは老齢の博士より若者になってからの方が声が合って良かったと思う。またメフィストフェレのジョン・レリエも声も姿も悪魔ぶりが良く似合った。

音楽よりも映像とアクロバットに目を奪われた。面白くはあったがここまでやられては音楽が二の次になる感じがしてしまう。この曲は本来のコンサートで聴いた方がベルリオーズの音楽が生きると思う。

 

 


2017.1.21 (ライブ収録)
出演
ロメオ:ヴィットーリオ・グリゴーロ
ジュリエット:ディアナ・ダムラウ
マキューシオ:エリオット・マドール、ステファーノ:ヴィルジニー・ヴェレーズ
ローラン神父:ミハイル・ペトレンコ、キュピレット:ロラン・ナウリ  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ジャナンドレア・ノセダ
演出:バートレット・シャー

シェイクスピアを原作とするオペラは多くの作曲家が手掛けているが、フランスが最も多い。オペラの本場イタリアがヴェルディひとりなのにフランスはベルリオーズ、トマ、グノー、サンサーンス、マルタンと5人もいる。同じラテン系なのに不思議だが、その時代は文学、絵画など文化活動一般がフランスの方が盛んであったと思われる。

話としては「オテロ」「マクベス」の方が奥が深くて面白いと思うが、音楽の美しさではこの「ロメオとジュリエット」が一番と思う。それは取りも直さず歌の魅力にある。ストーリーはロメオとジュリエットの出会いから死までを描いたもので、この二人の熱愛以外は何もないと言えるオペラである。必然的にほとんど二人だけが注目される。特に二重唱が多く節目毎つまり出会い、バルコニー、婚礼、死の場面で感動的な二重唱がある。

ロメオのヴィットーリオ・グリゴーロはイタリア人、ジュリエットのディアナ・ダムラウはドイツ人で、国が違うと気質が違い感情の表現もちょっと違ってくるように思う。グリゴーロはイタリアものとフランスものがレパートリーで感情をそのままストレートに出す方である。この「ロメオとジュリエット」は始めあまり良さが出なかったが、後になるほど真価を発揮した。特に終幕ジュリエットの墓を訪れる場面からの激情的歌唱は素晴らしかった。演技の方でも剣闘は迫力があったし、愛の場面も凄く情熱的であった。カーテンコールでダムラウを抱き上げたのも彼らしかったと思う。

一方のダムラウはドイツものとベルカントのコロラチューラから徐々にリリックに変わってきた。いつもの如く絶対に崩れない完ぺきな歌唱、感情表現でもちょっと理性が見える。10代の清純な娘を演ずるには艶が出てしまったが、そこは軽く跳び回る演技で充分にカヴァーしていた。1幕の有名なジュリエットのワルツも良かったが、それより毒薬を前に恐怖や不安を歌った場面がよく考えられて素晴らしかった。二人の二重唱はどれもこれも息があって気持ちが通じてるようであった。

他の歌手では小姓ステファーノのヴィルジニー・ヴェレーズが目に留まった。初めて知った若い人で歌は上手いし容姿がスリムで可愛らしい。来年1月ウィーンでケルビーノを歌うことになっているがこれは楽しみである。指揮のジャナンドレア・ノセダがまた素晴らしい。「ロメオとジュリエット」は初めてだそうだが、歌手を邪魔しない領域を超えて歌手を引き立てるようにリードしていたと思う。オペラ指揮者として理想的である。

バートレット・シャーの演出も伝統的ながらも新奇な創意があって良かったと思う。舞台は劇中劇のようなセットになっている。中央にかなり広い演技ステージがあって装置は基本的にその周りに置いて背景とか場面を説明している。バックはヴェローナ名所の家より立派である。歌手はほとんどの場合このステージ上で、しかもよく計算されて動くので余計に目立つ。場面転換を見せるのも劇中劇の一部になっていて面白い。例えばジュリエットの寝室を作るのに演技ステージ全体を被う大きな白いシーツをオリンピック旗を運ぶように持ってくる。またそのシーツが次の婚礼ドレスになり更に死装束になるというのも驚きの新機軸であった。

ロメオとジュリエットの愛のテンコ盛りのようだが、グリゴーロとダムラウの大熱演に釘付けになった素晴らしい舞台であった。



2009.12.19(ライブ収録)

出演
ホフマン:ジョセフ・カレーハ
ミューズ/ニクラウス:ケイト・リンジー
オランピア:キャスリン・キム
アントーニア:アンナ・ネトレプコ
ジュリエッタ:エカテリーナ・グバノヴァ
リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダッペルトゥット:アラン・ヘルド ほか
メトロポリタン合唱団、管弦楽団
指揮:ジェイムス・レヴァイン
演出:バートレット・シャー

先頃配信のMET「ホフマン物語」が期待外れだったので、プレミエ時にNHK-BSで放送された録画があったのでもう一度観た。ミューズとニクラウス役のケイト・リンジーを除いてキャストはすべて変わっている。女声4役の格が違うと言えばそれまでだが、確かにプレミエは音楽が表情豊かで生きている名演である。

再演の歌手が下手というわけではないから、歌手の能力の他にいくつか理由があると思う。ひとつ大きいのは指揮者。レヴァインがピットに入ると音が違うとよく言われる。指揮者個人の音楽的能力の豊かさもさることながらそれを受け止めるオケの適応力も大きい。長年にわたって培ってきた阿吽の呼吸があると思われる。実際にこの「ホフマン物語」でもレヴァインの音楽に耳を取られることがしばしばあった。

二つ目はプレミエにおける演出家を含めた意思統一である。キャストの入れ替わった再演ではこれが十分行えないことが多い。指揮者は単に交通整理で終わってしまい、歌手それぞれの考えで演ずることも多いと思う。例えそうでも個々人の熱意が競い合って名演になることもあるが、そうならず無難な出来栄えになることも多い。

女声歌手の格が違うといったが男声の方も役柄への相応性が違った。プレミエ時ジョセフ・カレーハのホフマンもアラン・ヘルドの悪役4役も再演時のグリゴーロやハンプソンよりずっと良いと思う。

公演の良否と関係ない細かいことだが、アントニアと女優の衣装が大分違っていて、ネトレプコのはずいぶん豪華であった。どちらが原案か知らないがこの辺りは歌手の意見も聞いて変わっていくのかもしれない。逆にオランピアは衣装だけでなく細かい演技までほとんど同じで、そうなると最初の方の印象が強く残る。

再現芸術は詰まるところ一発勝負だから結果に若干違った評価が出てもやむを得ない。同じところの上演で極端な差が出ることもなかろうから、観なければよかったと思う程でなければ仕方ないと思っている。



2015.1.31 (ライブ収録)
出演
ホフマン:ヴィットリオ・グリゴーロ
ミューズ/ニクラウス:ケイト・リンジー
オランピア:エリン・モーリー
アントーニア:ヒブマ・ゲルツマーヴァ
ジュリエッタ:クリスティン・ライス
リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダッペルトゥット:トーマス・ハンプソン ほか
メトロポリタン合唱団、管弦楽団
指揮:イーヴ・アヴェル
演出:バートレット・シャー

2009年新制作「ホフマン物語」の再演。演出は同じだがキャストはほぼすべて変わっている。如何にもアメリカン・テイストの舞台であった。

まずステージに上る人数の多さに驚く。プロローグの酒場など野外の大規模ビア・ガーデンみたいである。またオランピアの人形も一人でなく同じ衣装を着けたバレリーナが何人も一列になって踊ったりする。その他にも多くの場面で花を添えるダンスが入ったり、ビキニ姿のコンパニオンが動き回ったりする。オペラの筋とは関係ない華やかなレビューを観てるかのようである。演出のバートレット・シャーはオペラの他にミュージカルも手掛けているので楽しませるのは得意のようである。しかし外面だけを狙った舞台でもない。オーソドックスな演出の中にも芸術家ホフマンの傍を片時も離れないニクラウスの存在に重きを置いていた。これを観ているとニクラウスはホフマンに心を寄せる女性の仮の姿だと思った。

「ホフマン物語」は女声4役をひとりで演ずることも稀にある。作曲者オッフェンバック自身も興行者の立場からそう考えていたと言われるが、観る方からは3人で分担してくれた方が変化も大きく断然面白いと思う。オランピア役のエリン・モーリーは難しいコロラチューラを楽にこなしていたが、機械仕立ての役柄からは歌唱演技とももっとシャープな切れの良さが欲しいと思った。アントーニア役のヒブマ・ゲルツマーヴァは柔らかいリリックな歌唱が素晴らしいが病身には見えないし、ジュリエッタ役のクリスティン・ライスも華やかさに乏しい。そんな感じだからこれならいっそのこと一人で演じた方が注目されると思った。グリゴーロもハンプソンも今一つ熱が感じられなかった。そんな中でミューズ/ニクラウス役のケイト・リンジーだけが自然な振舞いながら声も立ち姿もきれいで印象に残った。

全体としてオペラを観たというより目を楽しませる派手な舞台を観た感じが強い。豪華なスター歌手の競演を売り物にするMETにしては期待外れであった。

 

 


2018.
4.28 (ライブ収録)

出演

サンドリヨン:ジョイス・ディドナート

王子:アリス・クート

アルティエール夫人:ステファニー・プライズ

パンドルフ:ロラン・ナウリ

妖精:キャスリーン・キム  ほか

メトロポリタン歌劇場管弦楽団

指揮:ベルトラン・ド・ビリー

演出:ロラン・ペリー

 

METの新制作。童話のオペラ化と言うコンセプトの演出で、歌唱もオケも素晴らしかった。

 

シンデレラ(サンドリヨンはフランス語)は誰でも知ってる話だから、注目はロラン・ペリーの演出である。フランスの演出は洗練されて好きだが、特に彼は衣装も同時に手掛けているので一層特徴が顕著である。

 

幕が開くといきなり3方一面が童話文章の壁、そこに観音開きの扉が沢山連なっている。歌手が扉から入り演技し終わると扉から出ていく。また場面によって小さい寝室とかベランダが挿入されサブ・ステージになる。まるで飛び出す絵本のページをめくるような感じである。衣装は童話の挿絵のように形も色もきれいである。特に魔法の杖を持った妖精の真っ青な衣装が目を引いた。装置、衣装と共に演技も童話的(アニメ調)でコミカルに動く。シンデレラが舞踏会に向かう場面、馬の仮面をかぶった4人の御者が馬そっくりに足を動かして面白かった。

 

サンドリヨンが夢に見た世界は現実を見せることによってその違いが鮮明になる。裏返せば現実の世界も鮮明になるということである。この演出ではむしろ現実社会の人間らしさが印象に残る。可哀そうな娘とあわれな父親が見せる真の愛情にはほろりとさせられるし、王子の方も国王の強制に嫌な思いをしている気弱な男に同情したくなる。

 

歌手は皆素晴らしかった。サンドリヨンのジョイス・ディドナートは侍女、娘、お姫様と変化の多い役を上手く演じていた。お姫様になり切れない優しい気持ちが表れて、その優しさは父親とのデュエットにも一層よく出ていたと思う。お相手の王子役アリス・クートも同じで、コミカルなところもあるが、本質は浮いた王子様でなく人間臭い苦労している男のように演じていた。一番鮮やかだったのは妖精のキャスリーン・キム。見事なコロラチューラの歌唱、魔法の杖を派手に振り回した演技と共に申し分なかった。小柄でもあり以前「ホフマン物語」の人形オランピアも可愛かったが、こういう役には誠によく合っている。父親パンドルフのロラン・ナウリは真面目な人で演技はあまり得意でないようだが、ここは父親の優しさを地で行くようで良かった。憎まれ役ではあるが継母アルティエール夫人のステファニー・プライズは滑稽な衣装も手伝って見事な意地悪役を果たした。

 

合唱の一人一人の演技が休むことのないよく練られた動きでここまで細かく仕上げたのは凄いと思う。普通ボーと立ってるのが多いのに感心した。オケも力まず透明な音で素晴らしかった。

 

子供向け題材のオペラは「ヘンゼルとグレーテル」もそうだが、大人が観るのはちょっとと言う感もあるが、これは演出が素晴らしく観て良かったと思う。

 

 


2018.10.20 (ライブ収録)

出演 

サムソン:ロベルト・アラーニャ

デリラ:エリーナ・ガランチャ

大祭司:ロラン・ナウリ

ヘブライの長老:ディミトリ・ベロセルスキー

ガザの太守アビメルク:イルヒン・アズィゾフ  ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、バレエ団、管弦楽団

指揮:マーク・エルダー

演出:ダルコ・トレズニヤック

 

METの新制作、ガランチャの素晴らしさが眩い公演であった。

 

ガランチャの魅惑的なことったらこれ以上ない。声も容姿も演技も唯々見惚れた。歌唱は完璧。深々としたふわっと包み込むような柔らかい声と長い息で表情が極めて豊かである。お馴染み2幕のアリアはテンポもゆったりで聴き惚れてしまった。また演技も実に細かい。演出家の指示があったかどうか知らないが、デリラは心底ではサムソンが好きなのだが自国の為そうせざるを得なかったと読んで演じていた。サムソンを優しく或いは心配そうに眺めたり、大祭司の言葉にドキッとしたり、在り来りにせずなかなかよく考えていた。

 

サムソンのアラーニャもまた素晴らしかった。感情的な表現だけでなくフランス人だけに言葉の響きがよく、デリラが好きになるのも分かるイケメンがよく似合っていた。ただ怪力の風采は無かったと思う。ダゴンの大祭司、ローラン・ナウリもフランス人で言葉が柔らかくジェントルマンだからデリラを操る悪役にはあまり見えなかった。

 

100名を超すと見える合唱が観もの聴きものである。このオペラでは重要な役割を果たし、1幕では囚われたヘブライ人の苦しみと祈りを、3幕では反対のペリシテ人の祭りの喧騒とダゴン賛歌を歌い舞台を豪華にしていた。指揮はイギリスのナショナルオペラ音楽監督をしていたマーク・エルダーだが、ドイツ的ながっちりした音楽でフランス的な鮮やかさはなかった。

 

舞台はMETらしい高さと奥行きが目いっぱいの大規模なセット。中央奥からの長い階段を役者が降りてくる姿は目を引く。(遠過ぎて歌わないが) 3幕でも人型の神殿門が大掛かりである。ただ壁も門も丸い穴のパンチング鉄板(?)で出来ていて、レースみたいに透けて見える効果はあるが大きくても何か安っぽい感じがする。フィナーレで神殿が倒壊する場面もなく、奥から強い光を当てて目を晦ましたのも良くなかったと思う。

 

2001年MET来日公演でドミンゴとボロディナの「サムソンとデリラ」を観た。その演出はサムソンが長大な柱を倒すフィナーレだったが、上から覗いていた所為か前評判ほどの迫力がなかった記憶がある。このシーンを舞台で見せるのは難しいと見える。

 

「サムソンとデリラ」は3幕構成で、ストーリーは骨太、合唱もバレエもあって大規模な割りに時間は意外と短く2時間ない。有名なアリアもあり取っ付き難いオペラではないのに、日本ではどうしてか舞台にほとんど上がらない。最近は映像を上手く使った演出もあるから何処かで考えてくれないかしら。

 

 


2016年5月(ライブ収録)

出演

ペレアス:ジャック・インブライロ

メリザンド:コリン・ウィンタース

ゴロー:カイル・ケテルセン

アルケル:ブリンドリー・シェラット

ジュヌヴィエーヴ:イヴォンヌ・ネフ

イニョルド…ダミアン・ゲーリッツ(ボーイ・ソプラノ) ほか

チューリッヒ歌劇場合唱団、フィルハーモニア・チューリッヒ

指揮:アラン・アルティノグリュ

演出:ドミトリー・チェルニャコフ

 

フランスの作曲家として一番にドビュッシーを上げる人は多いと思う。フランスが最も輝いていた19世紀後半から20世紀初頭は急速な近代化が進み、植民地も英国に次いで2位の経済的繁栄を謳歌していた時である。フランス革命100年記念でパリ万博が開催され、エッフル塔や地下鉄などが建設された。芸術文化はこういう豊かな時代に開花するもので、ドビュッシーもモネ、ルノワールもこの時期に活動している。

 

印象派とは絵画につけられた呼び名だが、音楽にも印象主義の言葉が使われる。ドビュッシーは印象派の絵画を念頭に作曲したわけでないが、結果的に雰囲気が似ていることは確かである。両方とも幻想的、ぼんやりした、謎めいたといった表現が共通して当てはまると素人には思える。しかしモネやルノワールは絵画の人気ランキング上位に上がること間違いないと思うが、ドビュッシーは果たしてどうだろうか。そういう私もドビュッシーを好きになったのはかなり後になってからである。接する機会が少なければ好きになる機会も少ないとは思うが。

 

さてフランス代表のオペラ「ペレアスとメリザンド」、この公演は読み替え演出だったが非常に面白かった。題名と異なりゴローの方を主役に仕立てていた。森の中に住む裕福な家族。長男ゴローは精神科医で妻を亡くし息子、両親、弟ペレアスと暮らしている。メリザンドは恐怖症の患者で治療を受けに来る。時が経ってゴローは若さの魅力に取りつかれたかメリザンドと結婚する。ところがペレアスとメリザンドの関係に疑いを持つようになり、医者でありながら自分の方が妄想狂に陥ってしまう。メリザンドは身篭って出産するがゴローはペレアスの子と思い込んでいる。メリザンドは真実を話せと強要される中で息を引き取る。森の泉も海辺の洞窟もなくすべて家の中で進行し、終始人間の心理描写だけに焦点を当てていた。

 

歌手ではゴローのカイル・ケテルセンが圧倒的に素晴らしかった。医者の冷静さから疑念を抱き狂気に至るまですべてを出し切っていた。ペレアスのジャック・インブライロとメリザンドのコリン・ウィンタースは若い二人の気持ちが変わっていく様を好演していたと思う。指揮者のアラン・アルティノグリュもダラダラせず全体に霞がかかったような響きで良かった。

 

この種の心理描写は大劇場よりもチューリヒのような小振りの劇場の方が、舞台装置の面からも歌手と共感できる距離感からも相応しいと思った。チューリヒらしい極めて良質の公演であった。

 

 

↑このページのトップヘ