くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

カテゴリ:ネットオペラ > その他

                                      
2020年9月 聖ルカ教会 (ライブ収録YouTube
出演
青ひげ公:ジェラルド・フィンリー
ユディット:カレン・カーギル
ロンドン交響楽団
指揮:サイモン・ラトル

今秋の来日が中止になったラトル&ロンドン響が予定されていたプログラムのひとつを日本向けに配信してくれた。演奏の前後に日本の聴衆に向けて挨拶があったし、日本語の字幕までついて特別の心配りがあった。

通常のコンサートホールでなくビデオ収録用に制作したもので、歌手は指揮者と同じくオケを前にして歌っている。すなわち指揮者と歌手の正面をオケの後ろからずっと撮っている。オペラとして珍しい映像と思う。演奏会形式で譜面は置いているが左右に設けられた階段の踊り場で演技もしていた。

「青ひげ公の城」はバルトーク唯一のオペラである。表面的には何人も妻を殺した青ひげ公を徐々に追い詰めていくようなストーリーになっている。だから普通は一貫して暗く不気味で張り詰めた演奏が多いように思う。ところがラトルの演奏はロマンティックでドラマティックな感じがして、これまでの演奏と随分違う印象を受けた。セリフの上では殺人を臭わせているだけだから、見方によっては惚れた男の過去を知りたいと思う女の心情を描いたと考えられなくもない。ラトルの演奏はそれに近かったのではと思う。

青ひげ公のジェラルド・フィンリーは何かを隠しているようなナイーブな表情が出ていたと思うし、ユディットのカレン・カーギルはギスギスしたところのない感情的な歌い方であった。つまりフィンリーは普通のカーギルはラトル流になっていたと思う。

このオペラは男女二人だけの人間心理描写だから、舞台上演にしてもあまり変わらないと思う。コンサートに取り上げるには適したオペラである。

オケはマスクをつけずソーシャル・ディスタンスを充分とっていたので、縮小した弦5部だけで通常のステージを埋めるくらいになっていた。この状態を守るとコンサートホールでは無理だから後期ロマン派以降の大編成管弦楽は当面聴けないであろう。一体何時迄待つことになるであろうか。


2020.2.1 (ライブ収録)
出演
ポギー:エリック・オーウェンズ
ベス:エンジェル・ブルー
クララ・ゴルダ・シュルツ
セリナ:ラトニア・ムーア
マリア:デニス・グレイヴス
クラウン:アルフレッド・ウォーカー
スポーティング・ライフ:フレデリック・バレンタイン  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:デイヴッド・ロバートソン
演出:ジェイムズ・ロビンソン

ワシントンの有名な桜並木の脇にキング牧師の純白でとてつもなく大きな記念像がある。それを見て米国の人種差別問題が如何に大きいかを肌で感じた。最近また黒人の人権問題で揺れている米国でこのオペラが上演される意味は大きいと思う。

リンカーンの奴隷解放宣言が1863年、キング牧師の黒人差別違憲判決が1956年。このオペラが作曲されたのは1935年だから、黒人が奴隷ではないが厳しい差別を受けていた時代のことである。昨今白人警察官の黒人射殺ニュースを見ると、罪人容疑で検挙するにしてもその扱いは酷過ぎるように思う。このオペラを観ると根本はまだ変わっていないように思った。

出演者は警官を除いてすべて黒人である。大合唱団もエキストラを集めたと思われるが一人残らず黒人。作曲者が黒人以外歌ってはならないと言い残したのを忠実に守っていることになる。ヨーロッパの上演もそうかは知らないが、読み替え置き換え演出が普通だからあっても可笑しくない。因みに日本では小さい団体での上演記録がある。

話は黒人社会で起こる事件の悲哀を描いたもので、舞台はみすぼらしい2階建ての長屋、一部にドアがあっても壁がなく中が見える造りになっている。ミュージカルともいわれるオペラだからリズミカルで賑やかなダンスが随所に入る。

このオペラを特別有名にしているミュージカル・ナンバー「サマータイム」は前奏が終わるや否やいきなり漁師の若妻クララによって歌われる。生まれた赤児を抱いて歌う悲しそうなメロディーは黒人の悲劇そのもののようである。これは2幕でも歌われ、さらに3幕では情婦ベスによって繰り返される。同じアリアが3度も歌われるオペラは他にないと思う。この曲以外にも有名なナンバーがいくつもあって親しみやすく分かり易いのと、重くて強い黒人パワーの声の凄さに圧倒される。

歌手ではポギーのエリック・オーウェンズが深みのある声で純粋で善良な悲しい男を演じて素晴らしい。特にフィナーレの去っていったクララを追いかけるアリアは可哀そうで泣けてくる。いつものドスのある声は控え目でさすがと思った。内縁の妻ベスのエンジェル・ブルーはかってミス・ハリウッドの美人。ポギーを思う純真さと麻薬にはまった性的快楽の複雑な役を良く演じた。オペラとしては両方の違いをもっと出した方が良かったかと思うが、ポギーに告白する二重唱では涙の跡が見え感動した。サマータイムだけならクララのゴルダ・シュルツの声の方が透明で良かったと思う。しかし役柄からキャストの入れ替えはありえない。マリアのデニス・グレイヴスを含め3人とも似た体形の美人で見間違えてしまう。最も感情が籠っていたのはセリナのラトニア・ムーア。のどの強い黒人らしいアリアは夫を殺された慟哭がひしひしと伝わってきた。拍手もこの人が一番大きかったと思う。殺人者クラウンのアルフレッド・ウォーカーと麻薬売人スポーティングのフレデリック・バレンタインは極悪人ぶりを発揮した。

「ピーター・グライムズ」も「ポギーとベス」も社会問題が露骨に見えて頻繁に観たいとは思わない。しかし現代ものは異質だからたまには良いものだと思う。

METの観客は白人が多いと思うが、カーテンコールに出た白人の警官には冷ややかであった。ここではトランプの選挙戦は不利なように見える。 




2008.3.15 (ライブ収録)
出演
ピーター・グライムズ:アンソニー・ディーン・グリファー
エレン:パトリシア・ラチェット
バルストロード:アンソニー・マイケル=ムーア 
アウンティ:ジム・グローブ  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ドナルド・ラニクル
演出:ジョン・ドイル

ブリテンは完全に20世紀に生きた作曲家で、それも主要作品が第2次大戦後の作になる。その意味で現代作曲家の代表として著名であると同時に演奏される機会も多い。この「ピーター・グライムズ」も終戦直後に初演されたものである。何せ暗澹たる悲壮な話なので、好きでよく観るという人は少ないであろうが、深い感銘を受ける素晴らしい作品と思わない人もいないであろう。

このMETの公演は最高、これ以上ののものはなかなか望めないと思う。音楽と演出が完全に一体となり、オペラであるのに演劇を観てるような感覚になる。それくらい直接的な緊張感切迫感があった。

それにはいろいろ要因があると思う。先ずは話の深刻さにある。噂が広まり追い詰められて自殺するという話は今日のネット社会でもある。真実を追求しない無責任な社会の犠牲者と考えれば不幸なことに今日ありふれた話である。ドラマの緊迫感は音楽の特質にもあると思う。音楽と言葉のリズムが実によく合っていて、歌っているのに会話をしてるかのように訴えてくる。私の語学力ではこう感じたのはオペラはこれまでない。

それに演出もよく考えられていた。舞台セットは全面壁しかない。ドアや窓が多くついて出入りしたり窓際で覗いたりする。その人数がまた物凄く多い。閑村の漁港とは思えないが、閉塞した現代社会を表すような威圧を感ずる。

無論この中で演ずる人々ひとりひとりの力がまとまって発揮されなければこのような素晴らしい結果は不可能である。ドナルド・ラニクルは英国の指揮者で所謂お国ものになるが、この作品の本質を良く捉えていたと思う。これでもかと叩きつける豪放な音楽には恐怖を覚える。因みに演出のジョン・ドイルも英国人だから息があったと思われる。

主役の歌手二人はそれぞれ対照的な役柄がよく出て強い印象が残った。タイトルロールのアンソニー・ディーン・グリファーは力強く表現力もあって粗野な男を大熱演した。インタビューでグライムズが有罪か無罪かは観る人が決めることだと言っていた。確かに100%白と書いてあるわけでないが、白と考えた方がドラマの悲劇性が増すし、3幕の悲壮な独唱も生きてくる。そうなると子供への虐待ぶりが矛盾するようにも見えるが、逆に村人の疑いは理解できるように思った。グライムズをひとり助ける立場だったエレン役のパトリシア・ラチェットは優しさがにじみ出て同じく素晴らしかった。最後は善良なバルストロードと共にグライムズに自らけじめをつけるように説得することになる。観てて複雑な思いが湧くが世の中こんなものと暗い気持ちになる。

この二人だけでない。周りの人達が皆演技の上手いこと。まるで俳優のようで演劇を観てるように感じた理由の一つでもある。

オケも普段ピットで聴く音とは違う豪勢な響きで盛り上げた。各幕の長い間奏曲も素晴らしく聴き応えがある演奏であった。

豪華を売り物にするMETとは違っていた。しかしシンプルながら大規模のセットと大合唱の圧力をバックにあらためて人間を考えさせられる「ピーター・グライムズ」の超名演であることは確かである。



2017.6/30&7/6 (ライブ収録)
出演
ハムレット:アラン・クレイトン
オフィーリア:バーバラ・ハンニガン
クロ―ディアス:ロッド・ギルフリー
ガートルード:サラ・コノリー
先王の亡霊:ジョン・トムリンソン  ほか
グラインドボーン合唱団、ロンドン・フィルハーモニー
指揮:ウラジーミル・ユロフスキー
演出:ニール・アームフィールド

これも以前NHK-BSで放送されたが記録に残さなかったので簡単に書いておきたい。オーストラリアの現代作曲家ブレット・ディーンがグラインドボーン音楽祭から依嘱された、言うまでもなくシェイクスピアの「ハムレット」をオペラ化したものである。イギリスだからシェイクスピアに拘るのも分かるが、既にトマの名作があるのに現代オペラで挑戦するとはやはり芸術家と思う。

音楽は深刻な雰囲気の緊張と迫力があったが、メロディーは無調なので聴き難い。強弱はあっても緩急があまりなく同じテンポで会話してるかのように進む感じがする。しかしオケの音の拡がりが合唱も含めて豊かである。合唱などステージに上がってない時にも聴こえるからPAを使っているか特殊な配置にしているのであろうか。ただ気になったのはカウンターテナーが2人国王の側近になっていたが、現代オペラで使う意味がどこにあるのだろうかと思った。

シェイクスピアのストーリー通りで読み替えはないし現代に置き換えただけなので特記することはない。舞台がかなり暗く御前舞台などうっすらと見えるくらいだが、悲惨な結末の心理劇には相応しいと思った。衣装が普通のスーツやドレスなのに王冠だけが金ぴかのアニメ調で浮いてしまっていた。 

歌手はリリックなメロディはないが感情が籠っていたのはよく分かった。だが歌唱よりも迫真の演技の方で強烈に伝わったと言ってよい。ハムレットのアラン・クレイトン、特にオフィーリアのバーバラ・ハンニガンの狂気ぶりが抜きんでて素晴らしく、このオペラは二人で見せたようなものである。亡霊のトムリンソンは白く塗った上半身裸で登場したがどこか滑稽な格好で亡霊には見えなかった。

深く感動するところまでは至らなかったが歌手は皆健闘したと思う。コロナで芸術関係は財政が困窮している。グラインドボーンも例外ではなく配信に際し寄付を仰ぐ広告を出していた。



2017.2.25 (ライブ収録)
出演
ルサルカ:クリスティーネ・オポライス
外国の公女:カタリーナ・ダライマン
王子:ブランドン・ジョヴァノヴィッチ
水の精:エリック・オーエンズ
イェジババ:ジェイミー・バートン  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:マーク・エルダー
演出:メアリー・ジマーマン

「ルサルカ」は2月ウィーンのベクトルフ演出を観てMETジマーマンの演出も観てみたいと思った。やはりジマーマンの舞台はきれいで高級感がある。音楽もスター歌手がそろって素晴らしかった。

舞台は幕ごとに水の青、宮殿の深紅、変容の灰と色調が変わる。1幕では可愛らしい妖精の舞や魔法使いのお伴のカラス、猫、ネズミも登場しておとぎの世界を作り出している。2幕は正に王子さまお姫さまが絵本から飛び出したようである。3幕になって人間世界に近くなったように変化している。人魚は出ずお姫さまだが、おとぎ話の雰囲気を残しながら人間愛を描くには良い方法と思った。読み替えのない伝統的な演出ながら、言いたいこと、つまり異なる世界で生きる難しさと愛の真実ははっきりと表現していた。オーソドックスで舞台は極めてきれいだから、ジマーマンの演出はMETで重宝されるものと思う。

タイトルロールのオポライスは歌唱そのものは素晴らしいのだが、如何せん声質がくぐもった渋い声なのでもっと人間臭い演出ならよくマッチしていたと思う。こういうおとぎ話的雰囲気では清澄で軽い声の方が向いていると思う。インタビューで歌わない2幕が一番好きと言ったのには笑ってしまった。王子のジョヴァノヴィッチは清く甘い声で役柄によくはまっていたし、水の精のオーエンズの情緒的歌唱も素晴らしかった。イェジババ役のジェイミー・バートンはカラーコンタクトを着けて魔法使いを面白く演じた。

ひとつ不思議に思ったことはお姫さまの着替えに目隠しした男性が行っていたが、そういうことは本当にあったのだろうか。

音楽を聴くのが欧米歌劇場のネット配信だけになって半年が過ぎようとしている。オペラを重点に観るようになって20年になるが、この半年に観た数はそれまでの生公演で聴いた3分の1を超える。凄い体験をして勉強になったが、ネット配信そのものが減ってきているし、公演見込みもないようだから、これからどうしようと思案しなければならない。

 

 


2020.1.25 (ライブ収録OPERAVISION
出演
カチャロフ将軍:ステファン・クルト
イトウ:タンセル・アクザイベック(Tansel Akzeybek
リディア:ヴェラ-ロッテ・ベッカー
ロデリッヒ:ドミニク・ケーニンガー
タチャーナ:アルマ・サディ(Alma Sade)  ほかダンサー多数
ベルリン・コミッシェ・オーパ管弦楽団
指揮:ジョーダン・デ・サウザ
演出:バリー・コスキー

ヴァインベルガーはユダヤ系チェコの作曲家、レハールより20年程後の生まれである。ナチを逃れてアメリカに亡命したが、作品が認められず貧困で自殺した。ググっても細かな情報はあまり得られないので現在もあまり評価されていないようである。オペレッタ「春の嵐」はヒットラーが独裁政権を握る直前に初演されたが、それ以来何と87年振り二度目の上演とのことである。

ストーリーは日露戦争中の満州を舞台に日本人将校イトウのスパイ活動を描いたものである。彼は中国人料理人に変装してロシア軍に入り込みカチャロフ将軍の信頼を得ていた。一方でロシアの若い未亡人リディアと恋仲になり、彼女に気のある将軍から秘密暗号を聞き出すことに成功する。しかし貰った暗号が偽で捕らえられてしまうが、そこで終戦となる。イトウは帰国して結婚するが、平和交渉団として再び訪れリディアと再会する。そこで誤解が解けリディアは二人の生活を始めたいと話すが、イトウには一緒に来ている日本人妻がいることを知り身を引く。イトウもリディアに未練を残しながらも妻のもとに戻ろうとするが、その時妻も傍から離れて居なくなっていた。これが本筋だが、それにもう一組将軍の娘タチャーナとドイツの従軍記者ロデリッヒの恋を絡ませて面白く仕上げている。

戦争真只中の軍内部の話をオペレッタにするセンスが平和ボケした日本人には分からないが、それだけ戦争が普通の世の中であったのだろう。結末が寂しいオペレッタも珍しいと思うが、それにもう一つ驚いたのは日本人のスパイが主役になっていること。「蝶々夫人」の30年程後になるが外国オペラとしてこれも珍しい。その意味でも日本人に記憶されてよい作品と思う。

バリー・コスキーの演出は実に楽しい。役者の動き回ることと言ったらたらこれ以上ない。その中でもセリフだけの将軍役ステファン・クルトの働きが目覚ましい。この公演では明らかに舞台の牽引役というだけでなく、歌うイトウ以上の存在感がある中心役者になっている。それにダンスの見事なこと。レビュー公演でもないのに頻繁に登場し、場面転換でも舞台が空くことはない。相当練習したとみえ10人のラインダンスはよく揃っていた。その他にも中国芸のドラゴンの舞が出たりして華やかである。とても戦場とは思えない。

歌手は知らない人ばかり、歌だけでなく演技で大奮闘だった。皆マイクをつけていたがその所為かセーブしたような歌い方であった。イトウのアリアがひとつの聴きどころで、リリカルな歌唱は素晴らしかった。ただ発声がクラシックでないように感じたところがある。

音楽に感動するところは少なかったがこれ程面白いと思ったこともなかった。最も良かったのはセリフ役のステファン・クルトの笑わせる演技とダンサーの方々だと思う。カーテンコールでもバリー・コスキーほか演出陣に最も大きな拍手が送られていた。同感である。

作曲家も作品も知らない初めての演目だったが本当に笑わせる楽しいオペレッタであった。

興味のある方はこちらからどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=NM6EYDhgQLg





2020.2.21 (ライブ収録 OPERAVISION
出演
女家庭教師:サラ・タイナン
プロローグ/召使クィント:ニコラス・ワッツ
家政婦グロース夫人:ヒーサー・シップ
前任女家庭教師ジェッスル:エリーノー・デニス
少年マイルズ:ティム・ゴスーレック
少女フローラ:ジェニファー・クラーク
オペラ・ノース管弦楽団
指揮:レオ・マクフォール
演出:アレッサンドロ・タレヴィ

オペラ・ノースは英国イングランド北部リーズのオペラ劇場。リーズは産業革命の中心地だったから劇場も伝統的で美しい。リーズ大学は佳子さまの留学されたところでもある。メジャーでない地方のオペラ劇場だから日本ではほとんど知られていないが、リングのチクルスもやっている本格的な劇場である。

「ねじの回転」はヘンリー・ジェイムズの同名小説をオペラ化したものだが、内容も音楽も類のない特異なものである。内容は極めて哲学的、意識とは何ぞやを幽霊を使って追求している。それは置くとしても、女家庭教師(この人物のみ名前がないので先生とする)が親を亡くした二人の子供たちの面倒を見る話だが、それが難解である。幽霊として登場するのは自殺した前任女家庭教師ジェッスルと当時雇われていた死んだ召使クィントである。彼らが子供たちに与えた悪影響が核心のようだが、それが何かは明確に示していない。先生はそれが分からないまま子供たちを必死に守ろうとする。頼まれただけなのに何でそれほど真剣になるのであろうか。それも気にしないことにしても最大の不可解な点がある。少年マイルズは最後にクィントを罵倒するが、クィントの幽霊が去ると同時に彼は先生の胸の中で死んでしまう。一体全体何であろうか。

作家ヘンリー・ジェイムズは精神分析医フロイトと同世代であり、当時は性に関心を持ち物事を性的にとらえるのが流行していたようである。ブリテン自身も同性愛者であった。その線上で考えると、先生は頼まれた後見人に思いを寄せていて彼のためなら何でもする心境だったと想像することが出来る。また少年マイルズは召使クィントと少年愛の関係にあって、それがもとで学校を退学させられたとも思える。それにクィントは前任先生ジェッスルとも恋愛関係にあったので両性愛者であり、ジェッスルが自殺したのもそれが原因と考えることが出来る。そうなるとどうしても分からないのはマイルズが先生に抱かれて死ぬことだけである。

音楽の方は特異だが明解で聴き易い。オケがピアノを含めて13人、歌手は6人だけという極めて小規模である。ソロが繋がっていくような感じさえして極めて効果的である。裏方を除いて総員20名というオペラは他にないと思う。

歌手はヨーロッパの地方オペラとして好演だったと思う。プロローグとクィントの2役を歌ったニコラス・ワッツは声が柔らかくきれいで素晴らしかった。ボーイソプラノのマイルズ役ティム・ゴスーレックはちょっと幼過ぎる感があるが、声の美しさと崩れない歌唱でとても可愛かった。先生のサラ・タイナンは話の深刻さを感じない純粋な優しいお姉さんそのものであった。演出の狙いがないのでこれで良いかどうか分からない。

ストーリーが分かり難いのでただ聴かせるには難しいオペラである。訳が分からないことを前提にしたオペラみたいだが、こういうのはある観点を強調した演出にすれば面白いのではないかと思う。

なおこの公演は珍しく言葉がはっきり聴こえた。オペラは本来こうあるべきと思った。

 

 


2013年 (ライブ収録OPERAVISION

出演

アッシェンバッハ:ジョン・グラハム・ホール

旅人/ゴンドリア/理髪師ほか:アンドリュー・ショア  ほか

英国ナショナルオペラ合唱団、管弦楽団

指揮:エドワード・ガードナー

演出:デボラ・ワーナー

 

コロナならぬコレラのパンデミックが題材のオペラ。原作はトーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」だが、ヴィスコンティの同名の映画で一躍有名になった。

 

ヴェニスに旅行した作家アッシェンバッハが一人の美少年タージオに遭遇し見惚れる、いわゆるボーイズ・ラブの話である。コレラが拡がっていると聞きヴェニスを離れる決心をするが、少年のことが気になりまた手違いもあって留まることになる。そこでコレラに罹って死ぬ。表面的には何やら怪しげな話だが実はそうではなく、一人旅の初老の男の老いの寂しさを描いたものと思う。少年に何かをするわけでなく話もせずただ眺めているだけ。真偽の程は別に信長が蘭丸に夜のつきあいをさせたのとは違う。また難しく考えれば、芸術家の美の追求とは何かを考えさせる作品とも思える。

 

歌手は男声ばかり。主役のテノール、ジョン・グラハム・ホールは難しそうで聴き難い歌唱とナイーブな演技で出ずっぱり。もう一人のバリトン、アンドリュー・ショアは1人7役全く異なる役柄を演ずる。対照的に歌唱よりも演技力が要求される役である。他にも歌は入るが実質的に2人のオペラ。凄い大役で二人共大奮闘の好演であった。

 

ただ演出の方が美しくはあったがブリテンの音楽には合わないように感じた。舞台はヴィスコンティの映画を単に移し替えたものと思われた。タージオ(黙役)はなかなかの美少年、ホテル前の海辺は小屋の形から遠方の海の景色、衣装も主人公がスーツに中折れ帽、タージオは白のセーラー服、貴婦人はロングドレスと、どれもこれも映画と同じ感じであった。ブリテンの音楽はヴィスコンティが用いたマーラーの如くには感傷に浸れないのに、舞台があまりに似ていたのでつい連想して観てしまった。映画が大々的に脚光を浴びただけに、ここの演出は独自に切り離して考えた方が良いと思った。

 

ヴェニスを舞台にした映画には「旅情」もある。両者とも哀愁を帯びた名画である。かってヴェニスを旅行した時、夕日に沈む海の街を観てこれ程寂しさを漂わせる街はないと思った。名画足らしめた大きな理由と思う。



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2018.
1.28(世界初演ライブ収録)

出演

シンデレラ:ブリオニー・ドワイヤー 

王子:パヴェル・コルガティン   ほか

ウィーン国立歌劇場専属管弦楽団(ヴァイオリとピアノは作曲家自身)

指揮:ヴィットルフ・ヴェルナー

演出:ビルギット・カイトナ

 

「シンデレラ」ついでにもう一つの話題。アルマ・ドイチャーは2005年英国生まれの作曲家。21世紀におけるモーツァルトの再来と言われ、この「シンデレラ」はわずか8歳に書き始めた作品だそうである。2017年版がBRで発売されていてその解説によれば次のようにある。

 

アルマは3歳の時に聞いたR.シュトラウスの歌曲『子守歌』に感動し、4歳で頭の中で様々なメロディが浮かぶようになり、5歳で「ドン・アロンゾ」の話によるオペラを、6歳でピアノ・ソナタを作曲。9歳の時にはヴァイオリン協奏曲を、12歳でピアノ協奏曲を書き、それぞれ自らが独奏者となって初演。このオペラ(「シンデレラ」)はアルマが8歳から作曲をはじめたもので、10歳の時に室内楽版が完成され、2015年にイスラエルで初演。その翌2016年に、ウィーンで構成と編成を拡大した版が何とズービン・メータの支援のもとに実現し、センセーションを巻き起こした(上演はドイツ語)。

 

今回配信されたのは2018年世界初演となっていて整合性がないが、どちらかが間違いか或いは版が異なってるのでしょうか。

 

この「シンデレラ」は設定が少し変っている。舞台はシンデレラの継母が経営するオペラ・カンパニーで、シンデレラは天才作曲家、意地悪の姉2人は才能のないソプラノ歌手になっている。王子は詩人で、シンデレラは王子の詩とは気づかずにその詩に音楽をつける。それを姉たちが盗んで王子の前で披露するが上手く歌えず、ついにシンデレラがその歌を歌いあげる。シンデレラが去った後王子はその美しいメロディを頼りに探し出し、2人は結ばれる。

 

会話付きの歌オペラで1時間ちょっとの子供向け公演。ポピュラーソング並みの親しみ易い音楽であった。終了後にステージに呼ばれたが本に可愛い少女である。世の中にはとんでもない大天才がいるものである。

 

 


2019.11.23(ライブ収録)

出演:

アクナーテン:アンソニー・ロス・コスタンゾ

ネフェルティティ:ジャナイ・ブリッジス

太后ティイ:ディーセラ・ラルスドッティル   ほか

メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団

指揮:カレン・カメンセック

演出:フェリム・マクダーモット

 

フィリップ・グラスはアメリカの現代作曲家。「アクナーテン」はMET初演になる。2011年にガンジーの半生を描いた「サティアグラハ」を観たからこれは2作目になる。短いフレーズの繰り返しばかりだが意外に訴えるところがあり、聴き終わった後暫く音が耳から離れなかった。

 

「アクナーテン」は紀元前14世紀エジプト王朝アクナーテン王の生涯を描いたもの。黄金のマスクで有名なツタンカーメン王の父王に当たるファラオで、それまでの多神教から太陽神アテンだけを信仰する宗教改革を行ったが、民衆などの反感によって殺害され、子のツタンカーメン王になってすぐ元の多神教に戻ってしまった。

 

このオペラも「サティアグラハ」同様、歌手の台詞で物語が進行することはない。要所で語りが入るが、それ以外は字幕がないし舞台を観て想像することになる。音楽は砂浜に波が打ち寄せては返っていくような感じで、強弱緩急の少ない音の繰り返しが延々と続く。音だけなら退屈するところだが、舞台を観ているとメロディーと言うより効果音のように聴こえ眠くなることはなかった。

 

歌手ではタイトルロールのカウンターテナー、アンソニー・ロス・コスタンゾが女声のようにきめ細かい清らかな声で何とも素晴らしい。太陽神アテンに祈るアリアが一際目立った。スキンヘッド、重そうな衣装で超スローモーの動き、歌唱も速いパセージがない。ここまですべてが遅いと緊張を強いられると思う。王妃ネフェルティティのジャナイ・ブリッジスの太く深い声も良かった。アクナーテンとの2重唱はその対比がよく出て、男女逆様にすら感じた。この場面は視覚的にも素晴らしく、二人が長い真っ赤な衣装を引き摺りながら舞台両袖から入って対面する姿は目を見張る美しさであった。また合唱の元気がよくソロ以上に活躍の場があるが、言葉が分からなくともその場の雰囲気は察しが付いた。

 

この公演で最大の見所は隙のない舞台の美しさだと思う。古代エジプトの壁画が額縁の中で踊っているような感じでゆっくり動く。それと反対にボールやバトンを使ったジャグリングの曲芸には驚いた。民衆の楽しそうな気分や反抗する様子を表現していて凄く面白いと思った。それが全幕で頻繁に出てくるので落としはしないかと心配になったが上手いものである。

 

フィナーレではアクナーテンが美術館に展示され、死んでも現代の歴史の中で生きていることを表現して、これも面白いアイデアと思った。なおベルリン美術館には美女の王妃ネフェルティティの胸像があるそうである。

 

(追)

世界初演は「サティアグラハ」が1980年、「アクナーテン」が1984年、いずれもロッテルダムである。

 

 

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