くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

カテゴリ: コンサート


2024.3.21(木)18:45 豊田市コンサートホール
曲目
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調 K.282
シューマン:クライスレリアーナ op.16
ショパン:即興曲第1番変イ長調 op.29
          第2番嬰ヘ長調op.36
          第3番変ト長調 op.51
      ピアノ・ソナタ第3番ロ短調 op.58
(アンコール)
ショパン:24の前奏曲p.28-4
シューマン:ピアノ・ソナタ第1番より第2楽章
ショパン:幻想曲 op.49


今日本の若いピアニストは男性の方に人気が集中していて30歳以下の人が10名くらいいる。その中でも牛田智大は最も若い方で12歳でCDデビューを果たしているから最も早くから知られたピアニストである。その牛田が現在全国12か所のツアーを実施中でもう終盤にかかっている。全国同一のプログラムでシューマンとショパンが中心になっているが、1つ年上の藤田真央が得意とするモーツァルトが加わったのが興味深い。

牛田智大はステージマナーや話し方から真面目で素直な人のようだ。貴公子のようなイケメンで脇見もせず真直ぐにピアノに向かい丁寧にお辞儀をする。演奏後も深々と頭を下げ同じように去る。話し方も落ち着いている。音楽もそういう感じがする。本人も作曲家の心情や考えまで遡り楽譜に忠実であるよう努めていると言っている。目立つようなことはせず、豪快な強打もないしフレージングのアクセントや間の取り方で小細工することもない。強音よりも弱音(特に高音)の柔らかいキラキラした音が美しく滑らかなうねりが自然である。

モーツァルトは優しい演奏。柔らかな音が切れ目なくつながり流れるようだが私の好みはもう少し軽快なモーツァルトが好き。シューマンは激情と優しさの対比を強調するあまりそれぞれの曲ではややさらっとした感じがした。この曲ショパンに捧げられているから代表作と言うだけでなくプログラム構成上も繋がって良かったと思う。後半のショパンの方が良かった。彼には合っているように思うし、今ポーランドに留学中なのもショパンを追求したい目的からではないか。彼のショパンは弱音の抒情が素晴らしくサロン風と言う訳ではないが構えずに聴くことが出来る。ハッとするところはないが何度も聴きたくなるショパンである。

アンコールが3曲もありそれもプログラムと一貫性があるシューマンとショパンであった。シューマンはこのアリアの方が良かったのでこれで終わりと思ったら更に長いショパンの幻想曲があった。地元への気持ちと次の日が東京だったのでサイン会の代わりだったかもしれない。

最近の男性ピアニストのコンサートは聴衆の7~8割が女性。聴こえてきた会話からもそれ程コンサート・ゴウアーでもない人もいるようだ。クラシックの普及には良い兆候だと思う。

 


2024.3.2(土)16:00 豊田市コンサートホール
出演
井上道義(指揮) 名古屋フィルハーモニー交響楽団 
豊田市ジュニアオーケストラ(合同演奏)*
曲目
モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527序曲*
ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調

井上さんは1946年生まれでまだ77歳だが今年いっぱいで指揮活動の引退を表明している。飯守さんと小澤さんが亡くなられ日本の指揮界を牽引した斎藤門下生が段々と少なくなってくる。

井上さんと言えばショスタコーヴィッチである。名フィルとの初顔合わせは1980年まで遡るがその時もショスタコーヴィッチ9番がメインだった。プログラムには井上さんと名フィルの全36公演の記録が挟まれていたが、それによるとショスタコーヴィッチはベートーヴェンと並んで最も多く演奏している。なのに名フィルとのラスト・コンサートに選んだのはブルックナー。本人の希望でなくブルックナー生誕200年記念の名フィル提案だったかもしれない。

井上さんとブルックナーはあまり結びつかなかった。ブルックナー指揮者としてヴァント、スクロヴァチェフスキー、日本なら朝比奈、飯守と言う存在があったから無理もないと思う。しかし私の認識不足もあり意外とブルックナーを取り上げていた。特にN響とは1,4,7,8.9番を、他のオケとも得意な最後の3曲を演奏していた。しかし5番は初めてで、その上井上さんと名フィルにとってもブルックナーは初めてである。ラスト・コンサートは得意なものでとならないところが最後まで元気な姿を見せるという井上さんらしい美学である。

井上さんの音楽は人間の意志とか感情を素直に表現するところにあると思う。必ずしも抒情的と言うことでなくそこには人間の明確な意図があると思う。ブルックナーは人間を越えた宇宙とか神とかとてつもなく大きく奥深い崇高なものを感じるとよく言われる。人間的であるとはそれと直接相容れないように思ったのである。だが井上さんの解釈は違っていた。ブルックナーはあくまで人間を見据えている。重厚壮大と言うより明晰明瞭で、神がかった大宇宙と言うより幸福の極致を表すようなスケールの大きさである。ベートーヴェンやショスタコーヴィッチと同じく何かを打ち破ろうとする迫力がある。

14型の名フィルも極限まで力を出した良いラスト・コンサートだったと思う。名フィルと豊田市は提携を結んでいて定期的にコンサートを開いているし、ジュニアオーケストラの指導員にもなっている。井上さんはこのホール初登場で前座では子供たちと名フィルがサイド・バイ・サイドで演奏した。一番後ろで弾いていた最年少の小学生を前に出して一同を励ましていた。プログラム終演後には井上さんに真っ赤なバラの花束が贈られた。楽員が引き揚げても再三呼び戻され、最後は山本さん森岡さんの両コンサートマスターとホルンの安土さんが(井上さんから受け取った花束を抱えて)一緒に現われオーケストラとの一体感に感謝していた。

 


2024.2.21(水)14:00 しらかわホール
出演
笛田博昭(テノール)、中井亮一(テノール)、岡本茂朗(バリトン)、伊藤貴之(バス)
エウロ・リリカ・スペシャルコンサート合唱団、石山英明(ピアノ)
曲目
下記参照

笛田さん、中井さん、伊藤さんのお三方は名芸大出身、藤原歌劇団団員である。ここ数年彼等の全国的な活躍は目を見張るものがある。学生の頃から聴いていて、岡本さんが主宰する当地のオペラ団体「エウロ・リリカ」には度々出演してきた。3人揃ったオペラの共演は無理だがコンサートなら可能でこれまで何度かある。

エウロ・リリカでの共演は2017年以来7年振りで今回はその時と同じ5人が揃ったコンサート。丁度東京での活躍が始まった頃だったように思う。3人のコンサートなら藤原歌劇団東海支部の発足ガラ(2019)や、最近では幸田で顔を合わせている(2021)。オペラになるとテノールとバス2人になるが、代表的なものを挙げれば笛田さん伊藤さんの日生劇場「ノルマ」(2017)、中井さん伊藤さんの新国立劇場「ランスの旅」(2019)などいくつかある。いずれも藤原歌劇団の公演で好評をはくしたものである。

正に声の饗宴。3人とも絶好調。トークを入れず次々と飛び出すアリアの熱唱に完全に虜になった。最初から全力投球で負けてなるものかと皆さん目一杯伸ばすなどいきなり見せ場を作って驚かせた。ひとりのリサイタルを4人分圧縮編集したような超高密度のコンサートであった。4人が各々5回づつ登場したがあっと言う間の2時間だった。

個々の歌唱にあれこれ言うことは出来ない。子供の成長を見て嬉しくなる気分で感無量であった。

プログラムのコピーを貼り付けます。(笛田さんの「運命の力」と「アフリカの女」は前後入れ替え)


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2024.1.21(日)15:00 豊田市コンサートホール
曲目
ショパン:前奏曲嬰ハ短調 Op.45
シューマン:交響的練習曲 Op.13(遺作変奏付き)
シベリウス:悲しきワルツ Op.44
シューベルト:楽興の時 D780 Op.94
(アンコール)ショパン:ノクターン Op.62-2

今回のポゴレリッチのツアー、前日の大阪に続いて2日目。極端に遅いテンポとディナーミックで緊張を強いられるという過去の印象があったが、久々に聴いたポゴレリッチは違った印象を受けた。先入観もあったかもしれないが、ディナミックの大きさは同じでもテンポはそれ程遅いと思わなかったし、自然に普通に聴けた感じである。それにホールの照明も落とさなかったし終演後にサイン会もあった。歳をとって少し穏やかになったか。

今回のプログラムはシューマンとシューベルトをメインにショパンとシベリウスの短い曲からなっていた。日本語の語呂合わせでオールS作曲家になる。(ショパンは原語ではC) 前半は交響的、後半は詩的と雰囲気の異なる作品をポゴレリッチは深い探求心をもってゆるぎない演奏をした。シューマンの交響的練習曲では遺作変奏を頭にもってきて凄い迫力で演奏を締め、シューベルトでは反対に静かな余韻がいつまでも続くようだった。楽興の時の1~3番は遅いテンポだったがそれ以外はそう感じなかった。

ポゴレリッチの音は感覚的に単純な音ではなく深みのある哲学的音で、最強音になっても汚れないのが素晴らしい。このホールには7年前にも来たことがあり勝手は分かっていると思うが、今回も開演直前まで練習していたから徹底的に詰めないと納得できない性分らしい。有名な旋律も他の人とちょっと違う深い演奏になる。


ポゴレリッチはいつも譜面を置いて演奏が終わると自らきちんと畳み込みステージの出入りにも必ず大事そうに持っている。不思議に見えてしまう。アンコールも予定の演奏が終わると立ってボソッと曲名を挙げ弾き始める。何回も呼び出されるのが嫌なのかピアノのふたを閉めると三方にお辞儀をしてステージを去る。音楽だけでなく仕草も個性的である。


2023.12.9(土)16:00 愛知県芸術劇場コンサートホール
出演
横山幸雄(ピアノ)
沼尻竜典(指揮) 名古屋フィルハーモニー交響楽団
曲目
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調 作品58
(ソロ・アンコール)ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調 作品53「英雄」
シュミット:交響曲第2番変ホ長調


名フィル今年最後の定期。県コンサートホールが来年早々3ヶ月の改修に入る。その間ホールが市民会館に変わるので私はお休み。

予定されたアンドレイ・コロベイニコフは怪我で来日不可となりピアノが清水和音に代わった。清水さんは日本ピアノ界の大御所でベートーヴェンを得意とされてる方なので問題なし。ただ飛び入りでリハーサルがどの程度あったか知らないがお互い遠慮し合ってる感じがした。というより清水さんの方が先輩格を見せ沼尻さんのオーケストラに合わせてるようであった。カデンツァやアンコールが随分と思い切りのよい伸び伸びした演奏だったから。

シュミットの交響曲は初めて聴いた。シュミットはブルックナーの教えを受け、自らはウィーン宮廷歌劇場のチェリストとしてマーラーの下で数年弾いていた。後期ロマン派に属するがこの曲はつかみ所のない印象を持った。今日演奏される機会が極めて少ないが、どこかシューマンに似て面白く聴かせるのは難しいと思える。マーラーのようなヒステリックな大号砲があるかと思えば、ブルックナーの繰り返しと宗教色もあるし、リヒャルト・シュトラウスのような管の派手な響きも顔を出す。管が忙しく活躍するのにソロの鮮明なメロディーがない。いろんなものを入れ込んだごった煮の如く構成が弱いので50分の曲は長ったらしく感ずる。オペラの経験が多い沼尻さんが指揮してもそうだから多分明確なストーリー性がないのではないか。

終演後慣例によって管のトップに続いてパート全員が立ったが、皆一緒に吹いてるからトップがそれだけ活躍してるようには見えなかった。

名フィルの定期は古典から現代まで偏りがないところが良い。演奏もいつ聴いても良かったとは思うが今一つ強い印象が残るものが少ない。その中で今年の定期ベスト・ワンは5月の服部百音と井上道義を迎えた演奏であった。


2023.11.24(金)18:45 愛知県芸術劇場コンサートホール
出演
反田恭平(ピアノ)
アラン・ギルバート(指揮) NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団
曲目
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調 作品15
(ソロ・アンコール)モーツァルト:トルコ行進曲
ブラームス:交響曲第1番ハ短調 作品68
(アンコール)成田為三/シモーネ・キャンドット:浜辺の歌

世界のオーケストラ来日ラッシュもイスラエル・フィルが中止になってこれが最後となった。名古屋公演がないものもありあっても全部は聴いていないが、このNDRエルプフィルだけが完売であった。ほんの僅かだが残席があったウィーン・フィルやベルリン・フィルの人気を上回ったのはやはり反田恭平の吸引力と思われる。女性客が多いように見えた。

アラン・ギルバートはNDRエルプフィルの音楽監督。アメリカ生まれだが母親が日本人なので前世紀の若い頃からN響はじめ日本に客演している。彼が脚光を浴びるようになったのはギュンター・バントがいた北ドイツ放送響(現NDRエルプフィル)の首席客演指揮者になってからと思う。ニューヨーク・フィルの音楽監督になったのもそれより後でその任を辞して現職に就いている。ほぼ20年の長い関係にある訳で彼はNDRと共に成長してきた指揮者だと思う。

オール・ブラームス・プログラム。ブラームスの生まれもNDRエルプの本拠地もハンブルクだから納得のいく選曲かと思う。実は来日前10月の定期でブラームスの交響曲1番を演奏していたが、前半はモーツァルトの交響曲25番とストラビンスキーのヴァイオリン協奏曲であった。これでは来日競合に勝ち目はないと日本側の要求で曲目が変わったと推定する。この定期はライブ配信があったが意識的に聴かなかった。

ブラームスのピアノ協奏曲は2曲とも異様に長く交響曲1番より長い。ピアノ協奏曲1番は若い頃の作品で、その後15年以上たたないと規模の大きいオーケストラ曲は書いていない。初演の評判も芳しくなく、恐らくブラームス自身迷いがあって自信が持てなかったのではと思う。ブラームスらしい穏やかな美しさはあるけれどもどこか単調な感じがする。こういう曲はよく考えて多少変化を目立つようにしないと退屈になりがちである。ギルバートは作為的なことはしないとは言え、この演奏は強弱やニュアンスの変化に工夫が感じられずただ普通に演奏していたように思う。冒頭からしてもっと威勢よくしたらよいのにと思った。隣のおじさんがほとんど眠っていたので同じ印象を持ったと思う。反田恭平のピアノもソロ・アンコールのトルコ行進曲の方がずっと生き生きしていた。

それに対し後半の交響曲1番は打って変わって素晴らしい名演だった。私の好きな曲でもあるが曲に対する掘り下げがまるで違っていたと思う。オーケストラの音色はブラームスに相応しい渋さがあり、表情が豊かで深く迫力もあって重厚な演奏になっていた。ホルンはじめ管も素晴らしかったしオーケストラが一丸になっていたと思う。こういうドイツ的演奏が出来るならバントに近づいて将来ギルバートとNDRエルプは一体と言われるようになると思う。ギルバートはバーンスタインのような派手さはないけれどもドイツものを得意とするアメリカ人指揮者になって欲しいと思う。

浜辺の歌がアンコールになるとは予想しなかった。サービス精神満点である。これで外来オーケストラのコンサートはお仕舞い。コロナ禍で3年分が一挙に来た感じだが、それぞれ良い思い出を残してくれた。


2023.11.18(土)16:00 愛知県芸術劇場コンサートホール
出演
コリア・ブラッハー(ヴァイオリン) 宮田まゆみ(笙)
川瀬賢太郎(指揮) 名古屋フィルハーモニー交響楽団
曲目
ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の想い出に」
(ソロ・アンコール)バッハ:無伴奏パルティータ第2番 BWV1004 サラバンド
細川俊夫:光に満ちた息のように
ワーグナー:「ローエングリン」第1幕への前奏曲
R.シュトラウス:交響詩「死と浄化(変容)」作品24

ウィーン・フィルとベルリン・フィル直後の名フィル定期。委縮するのではと思うところだが、そこは若い川瀬賢太郎、逆に気の張った充実の演奏であった。偶然ではあるがプログラムが死をテーマにしたもので全く性格が違ったことも幸いしたと思う。

このコンサートで最も印象に残ったのは真ん中の笙の曲と「ローエングリン」であった。笙の生演奏は初めて、細川の曲も全く予備知識なしで聴いた。この曲が笙の独奏であることもその場で知ったが、それが却って良かった。客席照明が消え真っ暗になるとやや置いて笙の神秘的な音が鳴り始める。何度も繰り返されて静寂の中にじわっと沁み渡ると、最後は「天に昇るように」終わる。そのまま休みなく「ローエングリン」前奏曲に引き継がれた。冒頭のヴァイオリンが笙の響きそっくりで、正に白鳥の騎士が天から姿を現すようであった。誰の発案か知らないが実に旨いと思う。チラシには細川俊夫「光に満ちた息のように」の後にただ「ローエングリン」の曲名があるのみ。当日配布されたプログラムにはワーグナーの記載があったからミスかもしれないが、はじめから意図があった気がする。ワーグナーを利用してるようで気が引けるがこれ定番にしたらよいと思った。

ヴァイオリンのコリア・ブラッハーは現在ソリストや弾き振りの他に教育者として活動してるが元はベルリン・フィルのコンサートマスター。と言えば実力の程が分かる。奥深い音で無理無駄のない自然な音楽をする人と思う。ベルクのヴァイオリン協奏曲は彼の生涯最後の完成作。ウェーベルンと共にシェーンベルクを師とした新ウィーン楽派と呼ばれる3人衆だが、この作品は聴き難いことはない。「ある天使の想い出に」の天使とはアルマ・マーラーの娘のことで、彼女の早死にを悼んだ曲。2楽章約30分の曲だが全編悲しみに満ちている。ブラッハーはあまり変化を付けず美しい音で素直に表現していた。

R.シュトラウス「死と浄化(変容)」は力演だった。彼は若い頃病弱で死を意識したことがあり、その時脳裏に浮かんだことを曲にしたそうである。浄化とは清らかな身で死にたいと思ったのだろうか。変容とも訳されているがそうすると意味が違って、必ずしも清らかでなく、ワーグナーの愛の死のように喜び、願望、成就でもよいことになる。川瀬の演奏は浄化の方を取ったと思う。

今回の演奏を聴いて川瀬賢太郎への認識を変えなければと思った。これまで元気一点張りのように思っていたが、そうではなくじっくり音楽を聴かせる面もあると思った。この定期ではR.シュトラウスのフィナーレで彼らしさが表れていたが、全体には物静かに思いに浸る内向的な表現だったと思う。小泉さんの後を引き受けたからには自分の好きなもの、合ってるもの、得意なものにとどまっている訳にはいかない。このプログラムは彼の新しい歩みを感じさせるようであった。

名フィルは良い音楽を演奏できるに十分な力を持っている。東京と地方のオーケストラの一番の違いは指揮者の登用にあると思う。地方のハンディーかもしれないが、ドイツでは至る所で著名な指揮者が登場するのに日本では東京集中というのはどうしてだろうか。勿論名フィルに素晴らしい演奏はあるけれども東京並みになって欲しいと思う。

 



2023.11.16(木)18:45 愛知県芸術劇場コンサートホール
出演
キリル・ペトレンコ(指揮) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
曲目
レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

ウィーン・フィルに続いてベルリン・フィル、オーケストラ来日ラッシュの真只中である。首席指揮者ペトレンコ率いるベルリン・フィルはこれがは初来日となる。前回のメータ指揮ブルックナーより馴染み易いのか会場は満席。ペトレンコは僅かの時間も惜しみ練習に費やすと聞くが、今回のプログラムは8月のシーズン開幕公演と同じだから完成度の高い演奏が期待できると思う。

ペトレンコはロシア出身だが両親共にオーストリアに転居しウィーン音大卒、活動もドイツを中心としたヨーロッパだからロシアとの関係は薄い。それに巨匠と呼ばれるような大指揮者のアシスタントを務めたこともなさそうだからやはり本人の実力が広く認められているのであろう。 

今回指揮者の表情まで分かる近くで見たので指揮振りがよく分かった。彼は楽員に目を配り細かく指示を出ししかも適当というところが全くない。オーケストラの隅々まで統制しているように見える。手先から腕、身体、顔の表情まで使ってオーバーにならない範囲で指図している。ベームのリハーサルをビデオで見たが彼も随分細かいと思ったけれどもそれは言葉での説明で指揮振りはそう見えなかった。ペトレンコのリハーサル模様は知らないがこの振り方で言葉が付けば的確に伝わること間違いないと思う。指揮振りが細かいということはその前に作品を詳細に読み込んでいるということである。ペトレンコが評価を受けるのはその音楽であって指揮振りではない。だからペトレンコは徹底的に研究していると思う。

ベルリン・フィルを聴いた第1声はいつも同じ。指揮者が誰であろうと凄い上手いである。1曲目のレーガーは短命だったがR.シュトラウスと同時代の作曲家。この作品はモーツァルト交響曲「トルコ行進曲付き」の主題を使った彼の代表作である。ペトレンコがシーズン開幕にもってくるくらいだからそれだけ思い入れが強いと思われる。管打楽器の比較的少ない小規模の作品なのに強弱テンポが極めてはっきりして表情の豊かなスケールの大きい演奏だった。特に最後のフーガは圧巻であった。

後半のR.シュトラウス「英雄の生涯」は副題(スコアには付いてない)があるからさらに劇的表現になっていた。英雄は威容の極みなら、敵も強烈で、伴侶は優しい妻というよりは叱咤激励のタイプみたいだった。だが戦いを乗り切ると伴侶も心穏やかになり、落ち着いた平和な生活が訪れ、最後は静かに世を去る。この演奏を聴いていてこれは英雄の叙事詩だと思った。個々の出来事が鮮明である反面、英雄の一貫した人間像が薄いように感じた。

今回の演奏は全てを考えるが故に自然に流れる感じを受けなかった。凄く素晴らしい演奏であったが楽しい演奏ではなかった。一言で言えばベルリン・フィルあってのペトレンコの演奏だったと思う。よくここまで統制が取れるものと感心する。ウィーン・フィルが世界標準化されつつあると指摘されるが、ベルリン・フィルを聴くと全く違う感じを受ける。ウィーン・フィルが世界で最良の音楽をするオーケストラならベルリン・フィルは最も上手く演奏するオーケストラと思う。上手いということは指揮者がよければ良い音楽になるということで指揮者にとってはむしろプレッシャーのかかるオーケストラと思う。

日本人の樫本、伊藤、清水の3人が弦トップに並んだのを初めて見た。多分通常は輪番制であろうが楽団が気を効かせるてくれたのかもしれない。最近は中国韓国が楽員に入っているケースが多いが、トップに座るのはアジアではやはり日本人で心強い限りである。どうでもよい付け足しだがチケットはウィーン・フィルより高く、配布されたプログラムも別売り、アンコールもなしだった。前2つは招聘者が決めるのだろうが、アンコールは指揮者だろうか。ペトレンコなら分かる気がする。


2023.11.10(金)18:45 愛知県芸術劇場コンサートホール
出演
トゥガン・ソヒエフ(指揮) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
曲目
ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
(アンコール)
ヨハン・シュトラウス:「春の声」、「雷鳴と稲妻」

丁度4年前の2019年11月ウィーン・フィルとベルリン・フィルを僅か1週間の内に聴く幸運に恵まれた。プログラムが両方とも至高のブルックナー8番、しかもティーレマンとメータだったのでこれが最後になってもいいと思っていた。その両オーケストラを再び1週間の内に聴くことになるとは夢にも思わなかった。もう自重しなければいけない歳なので今度こそ最後と思って有難く聴いた。

今回のウィーン・フィル・アジアツアーは台湾、韓国を廻ってこれが日本初演奏。予定していたフランツ・ウェルザー=メストが病気で急遽トゥガン・ソヒエフに変わったがプログラムの変更はなし。リハーサル時間が十分ではなかったかもしれないが同プログラムを先の国で演奏しているからその点問題ないであろう。それでも事前リハが延びて開場が遅れていた。ベートーヴェンとブラームスの名曲プロとあってホールは満席であった。(ブルックナーの時は少し空いていた。)

トゥガン・ソヒエフは旧ソ連出身。トゥールーズ・キャピタル管とボリショイ・オペラの音楽監督だったがロシア侵攻に反対し両ポストとも辞任した。ウィーン、ベルリン、コンセルトヘボウのヨーロッパだけでなくシカゴ、N響とアメリカ、日本のトップ・オーケストラにも客演し、正に将来の巨匠の道を歩んでいる国際的指揮者である。以前から是非会場で聴いてみたいと思っていた指揮者なので今回の変更はむしろ歓迎であった。

ソヒエフの音楽は抒情的で全てが波のようだと思う。せせらぎ、川、海とそこで生ずるさざ波、小波、大波、高波、荒波等々その表情が様々に変わる。起伏と変化が波のようだと言っても良い。一つ一つの音は尖鋭でなく丸いし、爆弾が落ちるような音もなく、流れが直角に変わることもない。その点鮮烈な刺激はないことは確かで、面白さや奇抜さはない。かと言って正確無比の優等生の様な音楽でも勿論ない。その音楽に込められた内なるものを絞りだすような味わい深い人間的な演奏である。昨今のディジタル時代には珍しい指揮者と思う。

名曲ともなると超名演が存在する。少なくともこれまで聴いた中で最も感動した名演がある。私にとってそれはベートーヴェン4番ならクライバー、ブラームス1番ならベームである。ソヒエフがそれを越えるとは言えないがやはり名演のひとつであると思う。ソヒエフは細かい指示を出すのでなく音楽の中にあるものをこう演奏して欲しいと全身を使って実に巧みに表現している。ウィーン・フィルだから出来ることもあると思うが、上手な演奏でなく良い演奏を目指しているように思う。

演奏は両方とも素晴らしかった。ベートーヴェン4番は彼の得意曲のようで特に1楽章はクライバーに似ているように感じた。ただ全体的にこの曲は流れるようではなく明るく軽快なのがより良いと思うが、そうなると彼の行き方とはちょっと違ってくるかもしれない。ブラームス1番は弦16型にして厚い響きを出していた。ソロを特別大きく目立たようとせず全体のバランスを重視した重厚な演奏だった。ヴァイオリンとホルンはじめ管がウィーン独特の何ともいい音を出して懐かしい。アンコールはソヒエフよりもウィーン・フィルをアッピールするヨハン・シュトラウスが2曲。別に狙ったわけではないだろうが、期せずして始めと終わりがクライバーの超名演がある曲になった。ソヒエフは今のスタイルに軽快さとが力強さとかのスポーティーさが加わると鬼に金棒でクライバーの域に達すると思う。

ウィーン・フィルはカラヤン、ベームにメータ、ティーレマンと聴いてきたが、クライバーのキャンセルは今でも惜しいと思う。通常の10倍の料金で10倍の値打ちがあるかと考えるとこれからは遠出がきついこともありもう放送で満足しなければと思う。オーケストラでは最高の思い出になった。

 



2023.10.21(土)14:00 愛知県芸術劇場コンサートホール
出演
辻井伸行(ピアノ)
クラウス・マケラ(指揮) オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
曲目
ショスタコーヴィッチ:祝典序曲
             ピアノ協奏曲第2番
(ソロ・アンコール)ワーグナー/リスト編:エルザの大聖堂への行列
リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
(アンコール)ヨハン・シュトラウス2世:歌劇「騎士パズマン」よりチャルダッシュ

クラウス・マケラは昨年秋パリ管と来日した。その時26歳だった彼は機会があればこれからも聴きたいと思う指揮者だった。オスロ・フィルとのこのプログラムはフランスとロシアものからロシアとドイツものと領域が広がったが期待に違わず素晴らしい演奏でますますその感を強くした。

曲の解釈に当たって個々の部分に拘る指揮者はよく見かける。リハーサル時間が短かく重点の部分を優先する結果ではないかと思う。しかしマケラのように全体を優先してその流れの中で部分を捉える人は少ないように思う。言い方を変えればマケラは作品の構成つまり音楽のストーリー作りを第1に考えていると思う。実際指揮ぶりを見ても細かいところは何もしてないことが多い。

オスロ・フィルの音色は暗いけれども柔らかくふっくらしている。大きな流れの中でテンポや強弱が変わり、若干ずれたりバランスが崩れるところはあるがそれが本質的なストーリーに影響することはない。合うに越したことはないがそれによって機械的に感ずるようなら合わない方が良い。

前半はショスタコーヴィッチ、世界情勢を考えたかどうかは知らないがショスタコーヴィッチらしくない2曲だった。華やかなファンファーレのある祝典序曲は明るく活き活きして迫力もあり聴く者を最初から引き付けた。辻井伸行のピアノ協奏曲は優しい演奏だったがこれが彼のキャラのようだ。ショスタコーヴィッチよりむしろソロ・アンコールのワーグナーの方が印象深かった。静かで抒情的で本領発揮の感動的演奏だった。パリ管の時もそう思ったがマケラは協奏曲ではあまり自分を主張せずソリストとよく調和してると思う。

後半Rシュトラウスの「英雄の生涯」はマケラの意図と意気込みが表れた名演だった。曲の内容から英雄とはシュトラウス自身だが、35歳の作でその後50年も生きるのだから生涯とは言い難い。なぜこういう命名をしたか彼の心境を知りたいものである。100名以上を要する4管フル編成だからとにかくデカい音がする。それが災いして単に大きな音を出して喜ばせる演奏になりがちなところである。だがマケラの演奏は強弱・テンポの変化と起伏のうねりが極めて大きく、英雄の生涯の物語を彷彿とさせる演奏であった。これまで私の一番のお気に入りはカルロス・クライバーが指揮したウィーン・フィルの演奏だが(CD化を認めなかったがYouTubeに出ている)、この演奏は同じ行き方でそれを現代流にしたような感じを受けた。来日もうひとつのシベリウス・プログラムも良かったそうだが今度はドイツ本流のモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスなども聴いてみたいと思う。

凄い指揮者が現れたものと思う。秋のオーケストラ来日ラッシュが始まって幸先の良いコンサートだった。同じ曲がバッティングすることがよくあるが、「英雄の生涯」はベルリン・フィルも演奏するので比較が出来て楽しみである。

 

 

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