くらはしのクラシック日記

~倶楽趣博人(くらはしひろと)の随想クラシックの思い出、Cafe Klassiker Hrを受け継いだブログです~

カテゴリ: ネットオペラ

                                      
2020年9月 聖ルカ教会 (ライブ収録YouTube
出演
青ひげ公:ジェラルド・フィンリー
ユディット:カレン・カーギル
ロンドン交響楽団
指揮:サイモン・ラトル

今秋の来日が中止になったラトル&ロンドン響が予定されていたプログラムのひとつを日本向けに配信してくれた。演奏の前後に日本の聴衆に向けて挨拶があったし、日本語の字幕までついて特別の心配りがあった。

通常のコンサートホールでなくビデオ収録用に制作したもので、歌手は指揮者と同じくオケを前にして歌っている。すなわち指揮者と歌手の正面をオケの後ろからずっと撮っている。オペラとして珍しい映像と思う。演奏会形式で譜面は置いているが左右に設けられた階段の踊り場で演技もしていた。

「青ひげ公の城」はバルトーク唯一のオペラである。表面的には何人も妻を殺した青ひげ公を徐々に追い詰めていくようなストーリーになっている。だから普通は一貫して暗く不気味で張り詰めた演奏が多いように思う。ところがラトルの演奏はロマンティックでドラマティックな感じがして、これまでの演奏と随分違う印象を受けた。セリフの上では殺人を臭わせているだけだから、見方によっては惚れた男の過去を知りたいと思う女の心情を描いたと考えられなくもない。ラトルの演奏はそれに近かったのではと思う。

青ひげ公のジェラルド・フィンリーは何かを隠しているようなナイーブな表情が出ていたと思うし、ユディットのカレン・カーギルはギスギスしたところのない感情的な歌い方であった。つまりフィンリーは普通のカーギルはラトル流になっていたと思う。

このオペラは男女二人だけの人間心理描写だから、舞台上演にしてもあまり変わらないと思う。コンサートに取り上げるには適したオペラである。

オケはマスクをつけずソーシャル・ディスタンスを充分とっていたので、縮小した弦5部だけで通常のステージを埋めるくらいになっていた。この状態を守るとコンサートホールでは無理だから後期ロマン派以降の大編成管弦楽は当面聴けないであろう。一体何時迄待つことになるであろうか。


2018.3.31 (ライブ収録)
出演
フィオルディリージ:アマンダ・マジェスキー、ドラべッラ:セレーナ・マルフィ
フェルランド:ベン・ブリス、グリエルモ:アダム・プラヘトカ
デスピーナ:ケリー・オハラ、ドン・アルフォンソ:クリストファー・モルトマン
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:デイヴィッド・ロバートソン
演出:フェリム・マクダーモット

コニーアイランドを舞台にした現代演出。舞台装置にメリーゴーラウンドやコーヒーカップの乗り物が出るのは分かるが、火吹きやコントーションなどの曲芸まで見せるのでプロのパーフォーマンスをもう一つ見てる感じがする。本物のヘビまで登場するが歌手が首に巻くのはさすが作り物だから、これならはじめからやらない方がよい。オペラは歌とオケの音楽を基本とする芝居だから、ここまでやると行き過ぎと思った。オペラは娯楽のアメリカ的と言えば確かにそう思う。

解釈上で面白い点もあった。戦争に行く場面で2組だけでなく合唱団のペアも多く参加させて本当に別れを惜しむように見せていたのと、フィナーレで元の鞘に収まる前にさらに別の相手と組んだりして人の心は変わり易いものということを表して良かった。

キャストは新進歌手を中心にしたもので知らない人が多かった。その中で声に張りのあったグリエルモのアダム・プラヘトカが印象に残った。フィオルディリージが宙吊りのゴンドラ気球に乗ってアリアを歌ったが不安定でさぞ難しかろうと思う。デスピーナのケリー・オハラは軽快な動きがミュージカル・スターらしいし、ドン・アルフォンソのクリストファー・モルトマンは仕切り屋として存在感があった。デイヴィッド・ロバートソンの指揮は軽くスカッとした響きを出しこの演出にはよく合っていた。

この公演はブロードウェイのようでMETらしくなかったと思う。歌唱も普通の感じがするが、若手で皆よく頑張っていたと思う。歌手の皆さん容姿も見栄えするし本当に楽しいオペラであった。




2020.10.16 フィンランド国立歌劇場(OPERAVISION)
出演
デスピーナ:カリタ・マッティラ
劇場支配人:サンナ=カイサ・パロ Sanna-kaisa Palo  ほか
フィンランド国立歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:エサ=ペッカ・サロネン
演出:Mark Vaisanen
台本:Minna Lindgren

モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」ならぬ「コヴィッド・ファン・トゥッテ」。コヴィッドがコロナ・ヴィイルスのことは言わずもがなだが、どんな話になっているかと興味が湧いた。

音楽はコジそのままだがセリフが全面的に書き直され、昨今のコロナによって生じた様々な社会現象を繋げてストーリーを作っている。ロックダウン、隔離、ワクチン開発、経済不況などを題材にオムニバス風のパロディーとして仕上げている。

登場人物は同じだが、女声は歌劇場のオペラ歌手、男声は感染症の医師から始まって様々な役に置き換えられ変わっていく。他にセリフだけの劇場支配人がオペラの進行役として、また演技だけでコロナ・ヴィイルスも登場して笑わせる。

オペラは「ワルキューレ」のリハーサル中に突然支配人が現れ公演中止を告げるところから始まる。その後はモーツァルトの音楽にのせてコロナに振り回される人々の様子を描いてゆく。結末は様々な対策を打っているが要するにコロナは分からないので出来るだけの用意をしてオペラを再開しようという話である。オペラにしてしまおうと思うのが何とも面白い。

歌手ではカリタ・マッティラ、役者ではサンナ=カイサ・パロが舞台を賑やかにしていた。マッティラが演じたデスピーナは原作のコケティッシュなキャラがこの置き換えでも生かされていた。ただ歌手もセリフが多くフィンランド語だったので英語の字幕を追っていては会場の笑いについていけないところもあった。

舞台もピットもソーシャル・ディスタンスをとっての公演。フィンランドは高負担高福祉の国だが国民は幸せと満足してる人が多いという。そういう国だから深刻な状況までオペラにする余裕があるのであろう。日本は糞真面目な国だからこういうものは作れないと思う。

動画はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=LwNz8C33JOc



2016.4.16 (ライブ収録) 

出演
ロベルト・デヴリュー:マシュー・ポレンザーニ
エリザベス1世:ソンドラ・ラドヴァノフスキー
サラ:エリーナ・ガランチャ
ノッティンガム伯爵:マリウシュ・クヴィエチェン  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:マウリツィオ・ベニーニ
演出:デイヴィッド・マクヴィカー

 

ドニゼッティの英国王朝3部作は「アンナ・ボレーナ」がヘンリー8世、「マリア・ストゥルダ」と「ロベルト・デヴリュー」がその子エリザベス1世のいずれも狂った愛を題材にしている。嫉妬や猜疑心から処刑してしまう非道の話は気持ちの良いものでなく、好きなオペラでない。こういう作品を3つも書く感覚が知れないが、単に大衆の興味に合わせた結果だろうか。METがこの3部作を一挙連続して配信したので一番新しい作品ひとつを観た。

歌手の凄さに尽きると思う。中でもエリザベス1世を演じたソンドラ・ラドヴァノフスキーが別格に目についた印象が強い。個性的で極めて力強い声、その上コロガリも完璧にこなす人はいないと思う。その声は杖をついた年老いた女王の姿に合わないとは思うが、感情を露にした歌唱は如何にも劇的である。狂乱の場の演技も良かった。それと対照的にサラ役エリーナ・ガランチャがまた素晴らしい。決して崩れない歌唱はこのベルカントでも発揮された。深い声と同情を集める控え目の演技に惹きつけられた。タイトル・ロールのマシュー・ポレンザーニは甘いリリックな声で適役である。2幕監獄のアリアはとりわけ感動的であった。ノッティンガム伯爵のマリウシュ・クヴィエチェンはエリザベスに比べるとちょっと大人しい感じがするが、何をやっても上手くこなす歌手だと思う。

マウリツィオ・ベニーニは顔も温厚だが指揮もそんな感じがする。オケを引っ張ろうとする態度が見えないのにオケと歌手の息が自然にあってしまう不思議な指揮者である。

演出は劇中劇の形をとって、舞台は王宮内の劇場、左右に観客席がありそこに合唱が入っている。アリアが終わると劇中と劇場の両方から拍手が起きる。終演後の挨拶も両方にする。場面転換は後方の壁を変えるのと玉座や執務デスクを持ち込むだけのシンプルなもの。だが繊細に仕上げられて見栄えがした。歌手が演じているのを観るのでなく歌手が演じている様子を観ていることになり、話の生臭さが多少軽減されるように感じた。これは良かったと思う。

ラドヴァノフスキーは200回目のMET出演になるそうで、いかに多くの役に出ているかを物語っている。ポレンザーニと共にアメリカ出身だからひときわ大きな拍手を受けていた。



2019.12.17&20 (ライブ収録)
出演
ホフマン:エリック・カトラー
オランピア/アントニア/ジュリエッタ/ステルラ:パトリシア・プティボン
ニクラウス/ミューズ:ミシェル・ロジエ
リンドルフ/コぺリウス/ミラクル/ダッペルトゥット:ガーボル・ブレッツ  ほか
モネ劇場合唱団、管弦楽団
指揮:アラン・アルティノグリュ
演出:クシシュトフ・ヴァルリコフスキ

「ホフマン物語」はオッフェンバックの未完作品でもあり、3つの失恋物語を寄せ集めた感が強い。そこで観る側が想像力を働かせて何かを読み取るのことになるが、この演出はそれを一つのストーリーとして完成させた素晴らしいものであった。

ポーランド出身のクシシュトフ・ヴァルリコフスキは演劇界の奇才とのことである。バイエルン国立歌劇場でペトレンコ指揮の「影のない女」、「サロメ」の演出を担当している。ストリームで観たが随分いろいろとアイデアを出す演出家だと思った。この「ホフマン物語」では場所をハリウッドの映画界にしている。ホフマンは落ちぶれた映画監督で酒浸りの生活を送っている。ニコラウスはホフマンの助手を務めていた。オランピア、アントニア、ジュリエッタは映画のヒロインで、ホフマンはそれを演じた女優に恋をしていたという設定である。オランピアは人形だが人形のように可愛らしい娘らしい。ジュリエッタが要求するホフマンの影とは彼が制作した映画の著作権のことである。随分欲の深い女優ステルラである。その女優はオスカー賞を受賞するスターになったが、ホフマンは仕事のない哀れな身分に陥っている。人生の悲喜を感じさせる見事な演出だと思う。

ヒロイン3役はパトリシア・プティボンひとりで演じた。この設定なら当然そうあるべきと思う。オランピアの可愛らしさ、ジュリエッタの哀しさ、アントニアの妖艶さ、3様のキャラを演じ分け素晴らしかった。オランピアはゴツゴツした機械の動きをしない。今の時代AIで人間らしい動きはできるのだが、死んでストレッチャーに寝かされているところからも娘と理解した方が良いと思う。3役を分担するとニコラウスが主役に見えることがあるので、オッフェンバックの意向通りに一人で演ずるのが良いとこの演出を観て思った。プティボンの歌唱も円熟していて、声の転がりも滑らかで美しかった。ニクラウスのミシェル・ロジエも素晴らしい。安定した歌唱ときびきびした動きで立ち姿が目立って良い。

さてホフマンのエリック・カトラーだが、この演出はちょっと難しいように思う。それは監督と俳優の2つの仕事を持っていることによる。映画製作で音どりをする時は隅っこにいて、演技する時は同じ衣装で行うから見た目女優とのバランスが極めて悪い。タイトルロールでありながら目立たない。この点の工夫があればと思った。

合唱、ダンスも華やかな衣装で良く動いていた。オペラの筋には関係ないがダンスや曲芸を入れて雰囲気作りをするのはヴァルリコフスキの特徴のようだ。

それにしてもフランスの女性オペラ歌手は皆スタイルの良い美人ばかりである。この舞台でも男性を含めてデブはひとりもいない。パリの街を歩いてもそう見えるから洗練された国民性ということだろうか。観ても楽しいオペラであった。



1990.5.5 (ライブ収録)
出演
ジークフリート:ジークフリート・イェルザレム
ブリュンヒルデ:ヒルデガルト・ベーレンス
ハーゲン:マッティ・サルミネン
ヴァルトラウテ:クリスタ・ルードヴィヒ  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

「二ーベルングの指環」4部作の最後になる「神々の黄昏」は物語を発展させて締めくくるだけでなく、過去の出来事を想起させる部分も含む集大成である。それ故に続けて観る場合は例えばノルンの序幕などストーリー的になくても良いではないかと思う。しかし単独で上演するにはこれがあると作品の重みが違う。

演出はこれまでの3作を観て新しいものが出てくるとは思えないので音楽に集中するだけである。ただ細かいところで、アルべリヒだけは4部作の最初から最後まで登場するので時系列が分かる衣装になっていたのに感心した。

「神々の黄昏」で初登場する重要な役はハーゲンだが、マッティ・サルミネンが強烈な存在感を示して凄かった。ドスの利いた声、体格容姿とも悪役ピッタリでこれ以上の人はいないと思う。ファフナーも演じていたから都合3人も殺害したことになる。成程と思うキャスティングである。イェルザレムは「ジークフリート」の勢いをそのまま持ち続けてこなしてしまうのは何とも凄いパワーと思う。ブリュンヒルデのベーレンス、ここでは喜び、怒り、恐怖、不安、不信、寂しさ、諦観、決意とこれ程様々な気持ちの変化がある役も他にあるかと思う。持ち前の美貌美声と歌唱力それに演技力もあるベーレンスならではの魅力がある。フィナーレの自己犠牲は心の奥底に響く名唱であった。クリスタ・ルードヴィヒもフリッカよりこのヴァルトラウテの方が一層素晴らしかった。

4部作を休みを入れず4日続けて聴いたのは実はこれが初めてである。確かにこの歳になると体力的に可成りきつい。当分聴きたくないと思っても可笑しくないのだが、ますます好きになるところがワーグナーの不思議な力である。


1990.4.26 (ライブ収録)
出演
ジークフリート:ジークフリート・イェルザレム
さすらい人:ジェイムズ・モリス
ブリュンヒルデ:ヒルデガルト・ベーレンス
ミーメ:ハインツ・ツェドニク  ほか
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

「ワルキューレ」の男と女から一転「ジークフリート」は男と男の対決の場がほとんどである。だから漫然と感覚的に観ていると退屈することになるが、言い合いの内容に注意して歌唱を聴くとその場の感情の表し方が凄く面白いと思う。はじめは難しいかもしれないが、このMETのような素晴らしい歌手にかかると4部作の中でも最も聴き応えのある作品になると思う。

演出は「ラインの黄金」と同じく動物をどう処理するかだが、熊はぬいぐるみでも暗い小屋の入り口に少ししか出ないからリアルに見えたし、大蛇は(実際は竜であった)目と口と尻尾だけが動き周囲の岩とうまく溶け込んでいた。小鳥は姿も見せずジークフリートが追い駆けるようになっていた。他にもよく作り上げたと思うのは刀を鍛える場面のリアルな迫力とジークフリートが火の山に向かってブリュンヒルデを発見する時の場面転換が極めて自然に見えた。

歌手は前にも書いたようにこれ以上はない最高の陣容。ここで特に目立ったのは当然男声の方で、名前もジークフリートのイェルザレムが声だけでなく精悍なスタイルとイケメンで如何にも英雄の姿らしい。さすらい人のモリスもヴォータンの時より朗々として一層素晴らしかった。ジークフリートに槍を折られて舞台を去る後姿がとても印象的だった。ブリュンヒルデのベーレンスはどうしたか少し声のかすれるところがあったが、目覚めから歓喜に至るまでの気持ちの変化に惹きつけられた。レヴァインがこの目覚めの場面でテンポを随分と落したが、これが彼のスタイルであろう。

明日は最終日、イェルザレムとベーレンスの日になると信じている。


1989.4.8 (ライブ収録)
出演
ヴォータン:ジェイムズ・モリス
ブリュンヒルデ:ヒルデガルト・ベーレンス
ジークリンデ:ジェシー・ノーマン
ジークムント:ゲイリー・レイクス
フリッカ:クリスタ・ルードヴィヒ
フンディング:クルト・モル  ほか
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

「二ーベルングの指環」は4部からなり全体を通すと15時間もかかる。だから1作ずつ分けて上演されるのが普通で、それもキャストを統一して行うことは不可能に近い。このMETの公演は間隔は空いていても同一キャストで上演された稀有なものである。30年前だから出来たのかもしれない。

4部作のうち第1夜「ワルキューレ」は最も抒情的だから単独で上演されることも多い。8人のワルキューレを除けば歌手は僅か6人で、兄妹、夫婦、親子を二人で演ずるから親しみ易い。レヴァインはこの種のロマンティックな曲が特に素晴らしい。前夜の「ラインの黄金」より遥かに起伏に富んだ演奏をしていた。特に耳に残ったのはジークムントのウェルゼの叫びやフィナーレなど息の限界まで引張っていた。劇的効果満点であった。

歌手は今はもう聴けない往年の豪華メンバー。これだけ揃えられるのはMETしかない。特に個性的な声で印象が強かったのはジェシー・ノーマンとヒルデガルト・ベーレンス。ノーマンは高音の清らかさと低温の迫力でジークリンデの感情表現が見事だったし、ベーレンスはどの音域でも変わらない声の柔軟さ、取り分けキンキンしない高音がきれいで痺れてしまった。容姿も良くこういうブリュンヒルデはなかなかいない。

オットー・シェンクの舞台も前夜同様暗めで深い落ち着きがあり、天馬を出さなかったのも却ってリアリスティックで良かったと思う。ワルキューレの衣装も女性と戦士の両立姿を見栄えよくデザインしていた。この4部作はDVDも販売されているが写真しか観たことがないので明日からも楽しみである。

このMET映像、「ワルキューレ」のBestestである。


1990.4.23 (ライブ収録)
出演
ヴォータン:ジェイムズ・モリス
フリッカ:クリスタ・ルードヴィヒ、エルダ:ビルギッタ・スヴェンデン
ローゲ:ジークフリート・イェルザレム、ドンナー:アラン・ヘルド
アルべリヒ:エッケハルト・ヴラシハ、ミーメ:ハインツ・ツェドニク
ファフナー:マッティ・サルミネン、ファゾルト:ヤン=ヘンドリック・ロータリング 
ほか メトロポリタン歌劇場管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

ジェイムズ・レヴァインは1982年バイロイトに初登場以来10年続けて「パルジファル」を指揮した。その後1994年から5年「ニーベルングの指環」を指揮し、当時バレンボイム、シノーポリと共にバイロイトの中心的指揮者であった。このMET公演はバイロイト・リングより前に行われたものだが、歌手が端役に至るまで素晴らしい人を揃えている。

30年も前のもので今日の技術水準からみれば画質も録音も悪いが、オットー・シェンクの舞台はもう観られないから貴重な映像である。昨日観た「タンホイザー」と違って普通の人間でないものが登場するから興味があったがよく出来ていると感心した。アルべリヒやミーメの地下族が類人猿のような衣装を着けていたのが面白かったし、巨人の姿も電信柱のようにならずよく出来ていた。大蛇に変身する場面も煙と照明を上手く使い、作り物が自然の洞窟から浮いた感じがしなかった。乙女を追いかけて岩から滑り落ちるところもよくぞ再現したと思う。

技術の進歩は30年も経てば一変してしまうが、人間の声は収録されたものを聴く限りそんなに変わらないものだと思った。歌手は主役だけでなくエルダやドンナーほか周りの人も変わらない声を出していたのは凄いと思う。レヴァインの指揮は昨日の「タンホイザー」と比べるとまだ起伏が小さく坦々としたところがあり、オケも今のMETの音と比べるとまだの感はあると思った。

「ラインの黄金」はストーリーの前置きで短い話が次々と移っていくので物語の感動はあまりない。オケの大音響に酔うのが良かろうと思う。


2015.10.31(ライブ収録)
出演
タンホイザー:ヨハン・ボータ
エリーザベト:エヴァ=マリア・ウェストブルック
ヴェーヌス:ミシェル・デ・ヤング
ヴォルフラム:ペーター・マッテイ
ヘルマン:ギュンター・グロイスベック  ほか
メトロポリタン歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク

オットー・シェンク1977年新制作の「タンホイザー」。40年も前のものがいまだに精彩を放つのは歴史的遺産と言える。伝統的で写実的な深い色彩の絵を見るようである。舞台セットも衣装も照明も入念に仕上げられた完璧な完成品である。ト書き通りの演出は詰まらないと思うこともあるが、ここまで質感の高い舞台なら何度観ても良い。

レヴァインの指揮も素晴らしい。深く重厚なドイツ的響きとは違うが、起伏のあるロマンティックな感情表現で劇的効果を創出する。別の言い方をすると思索的でなく描写的だから直観的に訴えかけてくる。これもオペラ指揮者としてのひとつの長所と思う。合唱も素晴らしいし、指揮、オケ、歌手が真に一体になっていた。

演出も指揮も特異性がない環境では歌手も歌い易いと想像するし、しかもワーグナーを得意とするベストな人が揃って申し分ない。皆思う存分真価を発揮していた。個別に感想を言うのはよそう。と言うよりそんなこと言うことが出来ない感動が残った。

「タンホイザー」の映像では最高のひとつであると思う。明日からはレヴァイン&シェンクのリング4部作である。


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